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第十三章

零れ落ちる涙

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意味が分からない。

何で俺は今日もここに居るんだ?

脱走した罪で独房に入れられるはずじゃなかったのか?

いや、確かに捕まえたから独房に入れるとは言われてないけど普通はそうだろう。

俺の目の前には暖かい食事が並んでいる。

時間は夕刻。

今日はヤーナさんが教会に行ったのでアベルさんとジュニアさんもそれに同行していた。

俺はというと昨日同様部屋から出る事は無く、ひたすら自分の置かれている状況を考えていた。

1日考えても答えは出なかったが・・・。

「どうかしたのだ、朝から顔色が悪いようだが。」

「そうですか?あまりにも暇なのでそれで体調を崩したのかもしれません。」

「暇で体調を崩すか、そんな冗談言って見たいものだな。」

アベルさんがいつものように軽口をいう。

おかしい。

昨夜俺が脱走した事はもう耳にしているはずだ。

にもかかわらず何故いつもと変わらない態度が取れる?

今は油断させておいて後で絶望に落としてやるって奴か?

そうだとしてもおかしすぎるだろう。

ヤーナさんもラーマさんも同様だ。

いつもと何も変わらない。

っていうか俺を捕まえた張本人がなんでそんな涼しい顔をしているんだ?

わからないことばかりだ。

「本当に大丈夫ですの?今日も1日部屋にこもりっぱなしで、体調が悪いのならばお医者様に見てもらうほうが良いのではなくて?」

「本当に大丈夫ですよ、御心配ありがとうございます。」

「それなら良いんだけど・・・。」

「ラーマはイナバ様のことが心配なのです、私は今日一日神様に祈りを捧げることが出来ましたから心は晴れやかですが・・・そうだ!明日はご一緒に教会へ行きませんか?」

「私がですか?」

「えぇ、閉じこもっているよりも外に出て神に心の声を聞いてもらえば良いのです。ジュニアが同行すれば何も問題ありませんわ、ねぇお父様。」

満面の笑みでヤーナさんがアベルさんのほうを向く。

すごいな、一日中教会で懺悔するとこうも人間が変わるのか。

今朝までとても暗い顔をしていたのに帰ってきてからずっとこの調子だ。

何か危ない薬とかやってきたんじゃないよね?

「確かにジュニアが一緒なら問題ないが・・・、外出禁止の理由はお前も分かっているだろう?」

「分かっていますからこうやってお願いしているのです。それともお父様はラーマの未来の旦那様が心を病んでもかまわないのですか?」

「確かにそれは困る。困るが・・・。」

「私がついておりますので御安心下さい、明日は呼び出しもありませんし旦那様はゆっくりとお休みになられてはいかがでしょうか。。」

「ふむ、確かにここ数日忙しくてまともに休んでいられなかった。お前が言うようにお披露目を前に休養する事も必要か。」

「それがよろしいかと。」

何がよろしいかと、だ。

一体何を考えているんだ?

俺は脱走しようとした張本人だぞ?

それを外に連れ出すとか訳がわからない。

まさか教会とは名ばかりで裏では拷問を行なっているとか?

それならアベルさんが簡単に俺を外に出すのも分かる。

くそ、腐敗を正すってラナスさんは言ってたけど裏では結構どろどろじゃないか!

「私も一緒に行きますわ。」

「お前には書類の整理を頼んでいたはずだが終わったのか?」

「・・・いえ、会計書類がまだ。」

「ならば明日も引き続き整理を続けろ。お前が行った所で何も変わらん。」

「わかりました。」

相変らず当りがきついなぁ。

それが実の娘に対する話し方かよ。

どうすんだよグレたらって、そんな年じゃないか。

だってもう35だもんな。

非行に走ったところで若気の至りで済まされること無く捕まって終わりだ。

そんな事はまずしないだろう。

「すみません今日は失礼します。」

「王宮での食事会までには体調を治せ、そんな調子では紹介するほうも締まらんからな。」

「イナバ様ごゆっくりお休み下さい。」

「マオ、後はお願いね。」

「お任せ下さいラーマ様。」

いつものようにラーマさんと一緒に部屋に戻る。

いつもは何かと様子を聞いてくれるマオさんも今日は何も言わなかった。

ほら、やっぱり昨日の逃走未遂は皆にばれてるじゃないか。

全員でさも知りませんみたいな顔してるんだろ。

どんなことされたって俺は屈しないからな!

「それではごゆっくりお休み下さい、明日の朝伺いに参ります。」

「ありがとうございました。」

静かに扉が閉まり静寂が部屋を支配する。

何をする気力も無くふらふらとベッドまでいき、そのまま倒れこんだ。

不思議と恐怖は無い。

昨日の作戦は万全だった。

なぜあそこにジュニアさんが居たのかだけがわからない。

あれさえなければ俺は今頃自由になっているはずだ。

あの後肩を掴まれた俺は何も出来ずにその場に跪き裁きの時を待った。

だけどジュニアさんは何をするわけでもなくずっと俺を見下ろしていた。

ヘルムの奥に見える目が忘れられない。

あれは普通じゃない、なんていうか獣のような目をしていた。

あの目で睨まれるとまるで肉食獣に睨まれた草食動物のように縮こまってしまう。

だからあの時俺は何も出来きず、もう一度逃げるそんな気さえ起きなかった。

結局ジュニアさんに引っ張られて身体を起こし、無言のまま裏口から屋敷の中に入り自分の部屋まで連れて行かれて扉を閉められる。

本当にそれだけだ。

脱出に使った布すら回収されなかった。

翌朝アベルさんが戻ってくると何事も無かったかのようにヤーナさんを連れて教会へ向ったし、ラーマさんもマオさんもいつもと変わらず世話を焼いてくれる。

そしてジュニアさんも、いつもと変わらなかった。

あの決死の脱走は夢だったんじゃないか。

そんな錯覚さえ覚えてしまうくらいに。

「一体何がどうなっているんだ?」

自問しても答えは無い。

明日何か変わるかもしれないし、変わらないかもしれない。

どうなるかさえ分からない。

そんな状況でも人は眠気に負けてしまうようで、気付けば俺も眠りの淵に落ちてしまっていた。


コンコンとノックの音が聞こえた気がした。

どうやらあのまま寝てしまったようだ。

今何時ぐらいだろう。

体感的には1~2刻程寝た気がする。

ってことは夕食から逆算してまだ夜中って程ではないか。

その証拠に街の灯がまだ多い。

夜中になると歓楽街以外明かりが見えなくなるからよくわかる。

お風呂に入ろうと思っていたけどこの時間ならやめておいた方がよさそうだ。

まぁいっか、外出してないし一日ぐらい入らなかったところで死にはしない。

と、再びコンコンとノックの音が聞こえてきた。

だけどいつもと違ってかなり小さい。

はて、こんなじかんにだれだろうか。

「どうぞ。」

開けに行くのも面倒なので体を起こして返事だけする。

用があれば入ってくるだろう。

ほら、扉が開いた。

大方マオさんが気を聞かせてお風呂に呼んでくれたに違いな・・・。

「夜分に失礼します、寝ておられましたか?」

違った。

入ってきたのはまさかの人物。

寝間着を着て登場したのはまさかのヤーナさんだった。

え、なんで?

ラーマさんならわかるけどなんでヤーナさんがこの部屋にくるんだろうか。

「ついさっき起きた所です、どうかされましたか?」

「少しお話がしたくて・・・構いませんか?」

「私は別に構いませんがアベル様から何か言われませんかね。」

「お父様なら大丈夫です、久々のお休みでお酒を飲んで寝てしまわれましたから。」

「そうですか。」

何だろうこのやり取り。

シチュエーション的には夜這い的な奴なんだけどこの人に限ってそれはないだろうし・・・。

「かけてもよろしいですか?」

「どうぞ。」

流石にベッドサイドに座らせるわけにもいかないので俺も応接用の椅子に腰かける。

夜更けにヤーナさんと向かい合うという状況がいまいち理解できていないが、昨日の一件もあったし何が起きても不思議ではない。

お互い無言のまま時間が流れていく。

その静寂を破りヤーナさんが澄んだ声で話し始めた。

「私がどうして教会に行っているかはマオから聞いていると思います。」

「はい、経緯も含めてお聞きしました。」

「私もイナバ様の事を色々と聞かせていただきました。ごめんなさい、てっきり愛し合ってこの家に来てくれたと思っていたのですけどお父様が無茶をしたようですね、改めてお詫びさせていただきます。」

「それに関してはヤーナ様が謝る事ではございません。アベルさんの子を思う気持ちがそうさせた、そういう風に解釈はしています。ですが私からすれば迷惑な話で申し訳ありませんがラーマ様とは・・・。」

「わかっています。無理やり連れてこられて結婚しろというのは無理な話、あの法律に振り回されるのは私だけで十分ですから。」

今の所あの法律の被害者はヤーナさんだけだ。

一応俺は次の夏の節まで猶予がある。

それまでにこの状況を何とかしないといけないわけだが・・・。

いや、まずはこっちか。

「大分苦労をされたんですね。」

「例え結婚を望んでいなくても、他に愛する人がいてもこの家に生まれた以上仕方のない事です。」

「愛する人がいたんですか?」

「・・・いたとしてもそれは叶いません。」

ラーマさんのお姉さんという事は最低でも35を超えているということだ。

それだけの人生なら恋の一つや二つしてきてもおかしくない。

身分が身分だけに叶わないことだってあっただろう。

この家に生まれた以上、か。

人は生まれを選べないというけれど、ヤーナさんはまさにそれにあてはまってしまったんだな。

「それともう一つ、イナバ様に謝っておかなければならないことがあるのです。」

「先ほどの件とは別にですか?」

「はい。それを謝りたくてこんな時間に押しかけてしまいました。」

「ヤーナ様に謝ってもらうようなことがあったでしょうか・・・。」

うーん。

この家に来てからも余り接点がなかったし、こうやって面と向かって話をした回数もほとんどない。

ましてや個別に話したのは今日で二回目だ。

前回もこれと言って謝られるようなことを言われていないと思うんだけど・・・。

まさか、昨日の一件はヤーナさんの指示で!

なんてそんなわけないか。

「先程、イナバ様はお父様の子を思う気持ちがそうさせたと仰いましたね。」

「そう理解しているつもりです。」

「実はそうでは無いんです。」

「はい?」

えっと、それはどういうことでしょうか。

家の為に俺と結婚させようとしているんじゃないの?

「この家を存続させる為に優秀な人間を婿として迎えたい。娘に良い男と結婚して欲しいという気持ちは間違いではありません。」

「では何が違うのですか?」

「根本は、私が父にイナバ様を紹介した所から始まるのです。」

「ヤーナ様がアベルさんにですか。」

いまいち話がつかめない。

ヤーナさんが俺を紹介するだって?

その時点ではまだお会いしてなかったと思うんですけど。

「教会に行ったときに商人が噂をしているのを耳にしたんです。サンサトローズに切れ者の商人がいて、数々の無理難題を解決して見せている。その人物は教会や元老院にも顔が利き、今やサンサトローズの領主までもが一目を置いていると。サンサトローズの領主といえば凄腕で有名です、その人物が一目を置くぐらいですからさぞ優秀な方なのだろうと思ったのです。」

「こちらではそういう風に伝わっているんですね。」

よかった、不死身とか盗賊殺しとか不気味な二つ名で伝わってなくて。

「他にも沢山の噂を耳にしましたがどれもイナバ様の優秀さを謳っておられましたよ。」

「それはただの噂です、私は少し知恵の回るただの商人ですよ。」

「そんな方が捕らえられた貴族の家から誰にも知られずに逃げようとするでしょうか。」

「・・・御存知だったのですね。」

「誤解しないでください、咎めようとか脅そうとしているのではないのです。この件は私とジュニアしか知りません。」

「何故です?アベルさんに伝えればすぐにでもこの家の人間になるように仕向けることも出来たはずだ、それをせず何故こんな所に来て謝罪しようとしているんです。」

思わず語気が強くなる。

わからない。

この人がしようとしている事が全く分からない。

俺を紹介した?

それがどうした。

この家は俺を無理やり連れてきた。

それが全てじゃないか。

それを今更言い訳みたいに・・・。

「お願いします、どうか落ち着いてください。私は謝りたいだけなんです。」

「だから何を謝るというんです!」

「私がお父様にイナバ様を紹介したのは妹を思ってでもこの家の事を思ってでもありません、全て私達のためなんです。」

「ヤーナ様の為・・・?」

「私は褒められるような人間ではありません、ただ自分のためだけに他人を不幸にしようとしている浅ましくおろかな女なのです。本当は結婚なんてしたくなかった、でもこの家のためには仮初の結婚でも受け入れるしかなかった。それしか、諦める手段は無かったんです。ですが、子供が出来ないと知り、絶望の中離婚を切り出された時この家に戻れると知ってどれだけ嬉しかったことか。子供が出来ず家の為に何も出来ない体である事が幸せだと思えるぐらいに私はおろかな女なのです。」

「あの、一体何を仰っているのですか?」

「そんなおろかな女がイナバ様を利用しようと呼び寄せた、それが全ての始まりなのです。あの法に振り回されたなんてのは嘘、あれを利用して自分だけが幸せになろうとしているんです。他人を不幸にしてまで自分が幸せになりたいなんて・・・あぁ、神は決して私をお許しにならないでしょう。何度神に祈りを捧げても、何も応えてくださらない。この家に戻れただけでも幸せと思わないといけないのに、それ以上の幸せを望んでしまうだなんて・・・なんて、なんて醜いのでしょう。」

まるで何かに取り憑かれたかのようにヤーナ様が言葉を吐き続ける。

今までの御淑やかなイメージとはかけ離れた身勝手で、我侭な女である事を謝り続けている。

わからない。

あまりにも沢山の情報が入りすぎて上手く頭が回っていない。

俺を利用する為に呼び寄せた?

自分が幸せになる為に?

そもそも俺はヤーナさんとまったく接点は無いはずで、俺が来たところで何のメリットも無いはずだ。

自分が家を継ぐ話はなくなってしまったはずだし、ラーマさんが継ぐとなった以上お役ごめんのはず。

それなのに何の為に俺を利用しようというのだろうか。

もう一度家を継ぐ立場に戻りたい?

いや、それだったら妹と俺を結婚させるはずが無い。

俺と結婚したほうが可能性はあるはずだ。

でもそうじゃない。

この人は一体何をしたいんだ?

「あぁ、私みたいな醜い女は死んでしまえばよかったんです。流れた子供と一緒に、この世から消えてしまえば、そうすればこんなにも苦しまなくて良かったのに・・・。イナバ様、どうか私を殺してはくれませんか?その手で首を絞めてくださるだけでかまいません、自分で自分を殺す勇気の無いこの哀れな女を、どうか、どうか自由にしてくださいませ。」

突然フラリと立ち上がったかと思うと、ヤーナさんがフラフラと俺を傍まで来てその場に跪いた。

そして俺の手を掴み、あろうことか自分の首に手を押し付ける。

「何をしているんですか!」

「さぁ、一思いにお願いします。あの人と一緒になれないこの世なんて生きている価値も無い。私が死ねば婚姻が一年は延びることでしょう、その間に昨日のように逃げ出し、この偽りの結婚騒動の全てを晒せばイナバ様も元の生活に戻れるはずです。」

「そんな事をしても私は殺人の罪で処刑されるだけです、落ち着いてくださいヤーナ様。」

「なんてこと、私はまた身勝手な事でイナバ様を不幸にしようとしているのですね。なんて、なんて身勝手な女なのでしょう。どうすればこの苦しみから解き放たれるのですか?死ねば全てが解決するはずなのに。どうかイナバ様のそのお知恵で私をこの苦しみから解放してくださいませ、お願いします、お願いします!」

そして今度は地面にひれ伏し額を何度も床押し付けながらヤーナ様が謝り始めた。

壊れている。

いや、ちがう。

壊れそうなんだ。

皮一枚を残してまだこの人の心はつながっている。

でも、その最後の未練を断ち切りたくて、でも自分では出来ないからこうやって俺にお願いしているのか。

目の前でヤーナさんが土下座し続けるというあまりにも特殊な状況に何故か冷静だった。

多少の言葉ではこの人は納得しない。

むしろ俺が何か言うたびにこの人の心は傷ついてしまうだろう。

「あぁ、助けて、助けてジュニア。」

「ジュニア?」

額を床にこすりつけながらヤーナさんがポロリと言葉がこぼれる。

その言葉は涙と共に流れ出し、雫と共に床に吸い込まれた・・・。

「ヤーナ!」

かと思ったその時、扉が突然開きジュニアさんが部屋に飛び込んできた。

床にひれ伏すヤーナさんと俺を交互に見るその目は、ヘルム越しでもわかるぐらいに真っ赤な色をしている。

あ、終わった。

獣のようなその瞳に睨まれ、俺はそう悟ってしまった。
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