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第九章
貴女との一歩を歩む為に
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久々に見るその人の顔は少しやつれていた。
無理もない。
俺が狙撃されて二週間とちょっと。
その間ずっと騎士団に詰めて自分を追い込んでいたのだから。
意識が戻るまでの絶望感。
意識が戻ってからの罪悪感。
その二つに押しつぶされないように、ただひたすら目の前に来る仕事をさばき続ける。
おそらくあまり寝てもいないのだろう。
目の下のクマが痛々しい。
本人は隠しているつもりだろうが、慣れない化粧では隠しきれていない。
まったくこの人と来たら。
どうやって怒ってやろうかと考えたこともあったが、そんな気持ちもすべて消し飛んでしまった。
「ご無沙汰しております、と言うべきなのでしょうか。」
「開口一番にそんなことを言えるぐらいには回復されたようですね。よくもどってきてくださいました、イナバ様。」
「おかげさまで何とか。そうだ、騎士団長就任おめでとうございます。」
「ありがとうございます。就任初日からこのような事態になり本当に申し訳ありません。」
「別にカムリ様が悪いわけではありません、気になさらないでください。」
騎士団長の椅子に座っていたカムリが立ち上がってこちらへ歩いてくる。
差し出された右手を左手で迎えた。
それを見たカムリが慌てて左手に変えるのを見て思わず笑ってしまう。
「失礼しました、話には聞いていましたが本当に動かないんですね。」
「原因は魔術師ギルドが解明中です。まぁ、皆さんと違い戦いに出るわけではありませんのでこの口さえあれば何とかなります。」
「改めてお礼を言わせてください、シルビア様を助けていただき本当にありがとうございました。」
背筋を伸ばしたカムリが腰が直角になるぐらいまで頭を下げる。
「お礼を言われるような事をしたつもりはありません。私はただ自分の妻を助けた、それだけです。」
「ですが、街の誰もが憧れるシルビア様の命を救ったことに変わりはありません。もしあの日あの方になにかあったなら今この場に私はいないでしょう。騎士団長の職を辞してでも犯人を捜しに行っていたはずです。」
「今も多くの人員を割いてくださっているではありませんか。」
「犯人捜索は領主様直々の命でもあります。それに、イナバ様のあの姿を見て黙っていられる団員はおりません。冒険者もまた同じ気持ちです。貴方様が生きてこの場に立っていること、それだけでも奇跡のようなことなのですから。」
奇跡か・・・。
たくさんの奇跡が重なったことで俺は今この場にいる。
それは間違いないだろう。
どの神様に感謝すればいいのかわからないが、今度お礼を言ったほうがいいかもしれない。
公平の神様は・・・ちがうな。
「冒険者、そうだ先ほど冒険者モアにティナギルド長への遣いを命令していましたが何かあったのですか?」
「あぁ、その件ですか。街の人から冒険者への苦情が多く寄せられていましてね、その件で遣いを頼んだんです。」
「お金が絡むとそういった連中が増えますから、ご苦労様です。」
嘘だ。
たったそれだけの話ならわざわざ作戦本部に呼んだりすることはない。
当事者だが部外者でもある俺に言えないような内容なんだろう。
まぁ、その辺に関しては俺が口を出すことじゃない。
必要であれば向こうから言ってくるだろう。
「まったく、プロンプト様には少し自重していただかなければ。」
「あはは、その大変さわかります。」
あの人の下で働く大変さは俺にもよくわかる。
就任してすぐあの人に振り回されるとは、カムリもなかなかに大変だ。
「私はこれより作戦本部に戻って定時連絡を受けます。少し席をはずしますがよろしいですか?」
「もちろんです。」
「皆さんはどうぞこのままごゆっくり、では失礼します。」
カムリは軽く一礼をするとそのまま部屋を出て行ってしまった。
てっきりシルビア様も追いかけるものと思っていたが、入ってきた時のままその場を動こうとしない。
おそらく気を使ってくれたんだろう。
シルビア様の横にはエミリアがそっと寄り添っている。
入ってきた時に一瞬目を合わせたが、目が少し赤く充血していた。
何があったのかは、聞かないでおいたほうがよさそうだ。
「さてっと、堅苦しい挨拶は終わりました。ゆっくりさせていただきましょうか。」
わざと明るい声でユーリとニケさんに話しかける。
だが二人とも硬い表情のまま動こうとしなかった。
あ、やっぱりだめですか。
「シュウイチさん、その・・・。」
「エミリアは何も言わないでください。」
「はい・・・。」
意を決して話そうとしたエミリアを素早く制する。
俺だってどうやって話したものかと考えているんだ。
本人は相変わらずだし、一緒に来た二人も重い空気に下を向いてしまっている。
俺はここに何をしに来たのか。
決まっている、愛しいこの人に会いに来たんだ。
だが、何を言うのか本人の顔を見ると全て吹き飛んでしまった。
あんな顔をしているのに、なんて声をかければいいのか。
うぅむ。
「エミリア様、ここはお二人にお任せしましょう。」
「私もニケ様に賛成です、私達がいては話しにくい内容もあるでしょうから。」
「でも・・・。」
「大丈夫です、ご主人様はやるときはやる男ですから。」
いったい何の話をしているんだ?
っていうかいきなりシルビア様と二人っきりとかまだ心の準備ができていないんですけど。
「エミリア、もう大丈夫だ、ありがとう。」
「・・・わかりました。外で待っていますので終わりましたら呼んでください。」
シルビア様に促され何ともいえない表情でエミリアが俺の横を通り過ぎる。
「シュウイチさん・・・。」
「すぐ呼びますから。」
別れを切り出すわけじゃない。
っていうかそんなことするはずがない。
俺はただ、いろんなことに苦しんでいるであろうシルビアを助けたいだけだ。
助ける?
違うな、俺がしたいのはひとつだけだ。
シルビアと話しをしたい。
ただそれだけ。
パタンと扉の締まる音がして部屋が静寂に包まれる。
部屋にいるのは俺とシルビア様だけ。
何度か目線を合わせようとするも中々こちらを向いていくれない。
困ったなぁ。
窓際に立ち、ギュッと口を噤んだままのシルビア様。
まるでしかられた子供のようだ。
「・・・シルビア。」
「…………。」
返事はない。
だが、名前を呼ばれた瞬間にピクリと身体が動いたのは分かった。
「元気そう・・・ではないですね。大分無理をしているようです、ちゃんと御飯食べてますか?」
「・・・・・・・・・今朝はまだだ。」
「昨日は?」
「・・・覚えていない。」
「戦士に必要なのは正しい休息と食事、そう言ったのはシルビアだったのに困ったものです。」
俺は母親か!
なんて自分で自分につっこみを入れながら話しを進める。
一応返事をしてくれているという事は拒絶されているわけでは無いようだ。
よかった。
「・・・シュウイチ、わ、わたしは!」
「シルビアは何も言わないで下さい。いえ、何も聞きたくありません。」
「くっ・・・!」
「私が聞きたい事は一つだけです、その答えを聞いたら私はすぐにサンサトローズを出なければなりません。シュリアン商店を再開しなければなりませんから。」
「すぐにか?」
「えぇ、いけませんか?」
「いや、ダメではない。しかしその身体では。」
シルビア様からしてみれば商店再開の連絡は寝耳に水だ。
突然の事にさっきまで下を向いていた顔がバッとあがる。
驚きで見開いた瞳は真っ赤に充血していた。
なんて顔をしているんだ。
シルビア様ともあろう人がそんな子供みたいに泣きそうな顔をして。
思わず抱きしめたくなる気持ちをぐっと抑え、俺は会話を続ける。
「私の身体がどうしました?昨日は冒険者ギルドに、今日は騎士団に自分の足で歩いてきましたよ。」
「だが、その右腕は・・・。」
「あぁ、これですか。動かないだけで何の問題もありません、片腕が動かなくてもこの口があれば仕事はできます。」
「確かにそうだが。」
「別に心配される必要はありません、私は私の意志で前を向くと決めたんです。今の貴女のように下を向いて泣き崩れているわけじゃありませんから。」
「わ、私は泣いてなど!」
「ではその顔は何です。戦場の戦乙女と称されるほどの凛々しい顔はいったい何処に行ってしまったんですか。何事にも動じず、多くの団員を指揮し、輝かしい功績を作り上げてきたシルビアは一体何処にいるんです。私の前にいるのは罪悪感に潰れ、情けない顔をしたか弱い女性じゃありませんか。」
こんな事が言いたいわけじゃない。
そう自分で分かっていながら一度口から出た言葉は止まらなかった。
溢れてくる言葉は心の叫び。
決してシルビア様を傷つけたくて言っている訳ではない。
だが、出てくる言葉一つ一つが心に傷つけるのが分かる。
その鋭い言葉を彼女は黙って聞き続けた。
それを受け止め傷つく事が必要だと思っているのかもしれない。
「・・・すまない。」
「謝って欲しいわけじゃありません。」
「だが私はシュウイチを傷つけた。」
「シルビアが?一体何の話です。」
「私のせいでその腕は動かなくなってしまった。私をかばったばっかりに、もう、二度とその腕で剣を握れない。それは全て私のせいだ。」
シルビアの口から贖罪の言葉が溢れる。
やはり自分のせいだと思っていた。
「シルビアのせいで私のこの腕は動かなくなったのですか?」
「そうだ、私が命を狙われなければそうはならなかった。いや、そもそも私が退団式に皆を呼ばなければ済んだ話しだ。」
「つまり自分が狙われたのが全ての始まりだと?」
「あぁ、狙われるのは自分のはずだった。私が傷つけばシュウイチが苦しむ事は何も無かったのだ。」
「・・・それは本心で言っているのですか?」
怒りが心の奥からこみあがってくるのがわかる。
カッとなるような怒りではない。
もっと静かで、だがもっと強い怒りの塊が俺の心を塗りつくしていく。
冷たい怒りだ。
あぁ、この人は『俺が』助けた事すら否定してしまうのか。
「そうだ、全て私のせいだ。私が、あの日あの場所に立たなければ・・・。」
こみ上げてくる怒りが溢れる。
溢れたその瞬間に俺は動かないはずの腕に渾身の力をこめた。
激痛が走る。
今まで何をしても何も感じなかった腕に、傷口を抉られるような強い痛みを感じる。
だがそんな事はどうでもいい。
目の前にいる人が、大切な人が、俺を否定する。
それが許せなかった。
動かないはずの右腕が少しずつ持ち上がる。
顔の高さまで上がった右腕に左腕を沿え、俺はシルビアの頬を打った。
弱々しい音が部屋に木霊する。
シルビアにしては何かがかすった程度の衝撃だっただろう。
だが、シルビアの弱い心を砕くのにはそれで十分だった。
驚いた顔で俺を見るシルビア。
その顔を俺は睨み続けた。
初めて手をあげた。
本当はそんなことしてはいけないのに、我慢ができなかった。
「ふざけるなよ。」
「え・・・?」
「ふざけるなって言っているんだ!何が自分のせいだ、俺が助けたのがそんなに迷惑なのか?俺が助けなければシルビアは傷付かなかったのか?冗談じゃない、俺は俺の意思でお前を助けたんだ、お前に死んで欲しくないから俺は、俺は!」
怒りで言葉が出てこない。
自慢の口が機能しない。
溢れてくるのは怒り、そして悲しみだった。
俺がシルビアを助けた事が無駄だったと彼女は言う。
自分が傷つけば、いや自分が死ねばよかった。
そう言っているのと同じだ。
それが俺は許せなかった。
中から聞こえてくる怒鳴り声に驚いてエミリア達が部屋に飛び込んでくる。
「にもかかわらずお前はそれを否定するのか!死んだ方が良かった、そう言うんだな!」
「シュウイチさん落ち着いてください!」
「私はそんなつもりじゃ・・・。」
「そうじゃないか!俺が助けたのは無駄だった、俺が助けなければ俺は傷つかなかった。その代わりにお前は死んでいた。俺が傷つかない方が良かったというのはそういうことだろ?自分が死んで俺が傷つかないのが一番だなんて良くそんな事が言えるよな!」
エミリアが俺の身体を後ろから抱きしめる。
いつもならそれで収まるはずが、今日の怒りは収まらない。
「シュウイチ、私はお前に死んで欲しくない。死んで欲しくないんだ。大切な人が目の前から居なくなるなんて事ははもう、もう二度と味わいたくない。」
シルビアの瞳から涙が溢れてくる。
あぁ、俺は大切な人の心を傷つけている。
それがわかっているのに、止めることができない。
「俺の大切な人が目の前で死ぬなんてそれは俺もごめんだ。俺の手が届く場所で死ぬぐらいなら俺が代わりに死んでやる。俺は俺の前で誰も死なせない、死なせたくないんだ。」
「だから私が傷つけばよかったんだ!」
「シルビア!」
再び右腕に力が入り、それと同時にまた激痛が俺の腕を襲った。
だが、先程は上がった右腕が今度は上がらない。
代わりに上腕部から何か冷たい液体が流れてくる感覚がある。
「ご主人様、腕が・・・。」
腕?
それがどうした。
俺はもう一度シルビアの目を覚まさせてやらないと気がすまないんだ。
「イナバ様失礼します!」
エミリアに抱きしめられたまま今度はニケさんが俺の腕を掴んだ。
振りほどこうとするも右腕は動かない。
むしろ何でさっき持ち上がったのか分からないんだけど。
ニケさんに腕をつかまれ袖を上までめくられる。
そこで初めて俺は自分の腕の状況に気付いた。
血が滴っている。
いや、滴っているとかそんなレベルじゃない、上からドクドクと流れ出ている感じだ。
え、何で?
傷口が開いた?
っていうかそもそも狙撃された所は傷口がなくて外科的には問題ないはずじゃ。
先程まで溢れていた怒りが一気に無くなっていく。
それどころか意識がドンドンと薄れていって・・・。
昔からそうだけど血を見ると本当にダメなんだよ。
献血に行って自分の血を見てアラーム鳴らすぐらいなんだから。
「すぐに止血を!」
「止血って言っても一体何処から。」
「とりあえず腕を上げてください。」
ニケさんとエミリアが俺の横で慌てている。
腕を胸より高いところに上げられ、まるで壊れたマリオネットのようだ。
その様子を他人事のように見ている自分がいる。
あれ、俺は何で怒っていたんだっけ。
先ほどまでの怒りが一瞬でどこかに行ってしまった。
「とにかく、私はシルビアを死なせたくなかったんです。今は何か大変な事になっていますが、こんな事になってでも私はシルビアに生きていて欲しい。自分の妻が目の前で死んでいくなんて見たくありません。」
「それは私も同じだ、シュウイチが死ぬ所など見たくは無い。それは三人も同じだと思うぞ。」
シルビアも少し落ち着いたようで言葉に少し余裕があった。
お互いの目を見て初めて笑う。
「やっと笑ってくれましたね。」
「あぁ、こうやって笑うのはあの日以来だ。」
「これからはそうやって自分を追い込むのはやめてください、私達は家族なんですから。一人で抱え込まないでみんなに頼ってください。帰る場所を作ってくれた、シルビアはそういったじゃないですか。」
「・・・そうだったな。」
帰る場所。
それは決して騎士団ではない。
俺達には帰る家がある。
帰る店がある。
そうだ、今日は新しい一歩を踏み出す為に来たんだ。
おれだけじゃない、皆で歩む大切な一歩。
怒りに我を忘れて本筋を忘れていたよ。
「この状況で言うのもおかしいですが、私はもう大丈夫です。私はこの腕と共に改めて商店を再開する事を決めました。シルビアはどうですか?」
「私は?」
「えぇ、狙撃され後悔と罪悪感に潰れてしまう、そんな日々に埋れたままなんですか?」
あの事件以降シルビア様の時間は止まったままだ。
今も何も出来なかった自分を責め続けている。
だが、そのままでは何も変わらない。
その場で変わることもできず潰れてしまうだろう。
そんなことは俺が許さない。
俺は俺の大切な人と一緒に生きて行くと決めたんだ。
置いていくことなんてありえない。
「私は、私はどうしたらいいんだろうか。」
「簡単です、自分にできることをしたらいいんです。私が店を再開すると決めたようにシルビアも前に進む何かを決めたらいいんです。」
「自分にできること、か。」
「この腕で本当に店を再開できるのか正直不安です。でも私は一人じゃありません、エミリアやユーリやニケさん、それにシルビア貴女がいます。どんなに困難でも貴女と一緒なら怖くない。みんなが支えてくれるように私もシルビアの支えになります。こんな状態で頼りない私ですが、貴女の選ぶ道を私も一緒に進みます。だから、私と一緒に新しい一歩を歩んでくれませんか?」
そう言いながらシルビア様に左手を差し出す。
俺達は一人じゃない。
たとえ一人でできないことでもみんなでやればなんとかなる。
差し出した俺の手をシルビア様は両手で包みこんだ。
「シュウイチは怒っていないのか?」
「怒る、何をですか?」
「私をかばってこんなことになったことをだ。」
そう言いながらエミリアとニケさんに抑えられている手をじっと見つめた。
どうやら出血は止まったらしい。
だが服は血で真っ赤に染まっていた。
不思議と痛みはない。
さっきの痛みはいったい何だったんだろうか。
それにこの出血。
外科的な傷はなく、魔術的な何かが起きているだけのはずなんだけど。
うぅむ、わからん。
「別に怒ってなどいませんよ。むしろこの傷でシルビアを救えたのならこの傷を誇りに思います。」
「誇りに?」
「えぇ、この傷を負ったから私はシルビアを救う事が出来た。シルビアが生きている、それだけで十分です。」
「私が悩んでいた事と真逆の事を言うんだな。」
「この傷は自分のせいだと?」
「あぁ。」
「それは違います。この傷はシルビアではなくシルビアを狙った誰かのせいです。なので、そもそもシルビアが悩む理由なんてないんですよ。」
ユーリに言われた事と同じだ。
俺は俺のせいで大勢の人に迷惑をかけていると思い込んでいた。
だが実際は誰も迷惑だと思っていない。
仮に思っていたとしても、それはこの事態を起こした張本人のせいだ。
だから俺はなにも悪くない。
それと同じく、シルビアは何も悪くない。
俺の手がこうなったのはシルビアのせいではなく、シルビアを狙った不届き者のせいなのだから。
「そうだな、確かにその通りだ。」
「シア奥様も御主人様も同じ事で悩まれていたのですね。」
「シュウイチもなのか?」
「えぇ、ユーリにお説教されて目が醒めました。」
「似た者同士、というわけだな。」
「そうです。何せ私達は家族ですから。」
家族。
その言葉を聞いたシルビアは瞳を閉じてゆっくりと上を見上げた。
何かを考えているんだろう。
もしくは何かに区切りをつけようとしているのかもしれない。
しばらくするとゆっくりと俺を見つめ直した。
そこにはいつもの凛々しい顔をしたシルビア様がいた。
「私は犯人を許すことができない。私を狙ったばかりかシュウイチの腕をこんな風にした罪は何としてでも償ってもらわねばならん。私は私の意思で犯人を追いかけ続ける、それを許してくれるか?」
「もちろんです、それがシルビアの新しい一歩になるのなら。」
「私の我儘で本当にすまないと思っている。」
「大丈夫ですよ、一緒に住むのが少し伸びるだけですから。」
そもそも俺が意識を失っている間に引っ越し予定日は過ぎちゃったからね!
「シルビア様何かあったらすぐに帰ってきてください、待っています。」
「あぁ、すぐに帰る。」
「お帰りをお待ちしておりますシア奥様。」
「あぁ、シュウイチをよろしく頼むぞ。」
「イナバ様は私達にお任せください。」
「私の代わりにいろいろと助けてやってくれ。」
俺だけじゃない、三人もそれぞれがシルビアの一歩を応援している。
たとえ離れていても俺たちは家族だ。
「これで安心して店を再開できます。」
「私もだ、今まで以上に捜査に力を入れることができるだろう。」
「シルビア様ちゃんと休んでくださいね。」
「そうです、次に戻ってきたときにその顔じゃ家に入れませんよ。」
「む、そんなにひどいか?」
「えぇまったく隠せていません。」
「これでも頑張ったんだがな。」
普段あまり化粧しないだけにこのクマを隠すのは難しいだろう。
「ちゃんと食事をとって、しっかり寝れば大丈夫です。」
「善処しよう。」
「ご主人様、お話の途中ですが早急に一度怪我を見ていただくのをお勧めします。」
「そうですね、これだけの出血です止血が必要であれば早めに処置しないと。」
「ならばこのまま医務室に向かうがよい、あそこなら大抵のことに対応できる。」
「わかりました、シュウイチさん行きましょう。」
エミリアとニケさんに腕を支えられながら部屋を後にする。
「そうだ、シュウイチ!」
と、後ろからシルビアに声をかけられた。
「どうしました?」
「最初に言っていた、聞きたい事というのはいったい何だったのだ?」
そういえばそんなことを聞こうとしていた気がする。
「聞きたかったのは一つだけです、『俺と結婚したことを後悔していませんか?』」
「いまさら何を言い出すかと思えば、当たり前だ私は一度も後悔などしたことはない。」
「それを聞いて安心しました。」
「私もすぐ医務室に向かう、先に行っててくれ。」
「はい。」
シルビアはまっすぐな目で答えてくれた。
もう何も思い残すことはない。
俺は俺の選んだ道を進むだけだ。
「シュウイチさん、私には聞いてくれないんですか?」
医務室に行く途中で隣を歩くエミリアガすねたような顔で訪ねてきた。
「あ、それは私も思いました。」
「ご主人様、私には聞いてくださらないのですか?」
「聞くまでもないと思っていたのですが・・・。」
「ご主人様それはダメです。ちゃんと聞きたいことははっきりと聞かないと。」
「そうですよ。シュウイチさんはどう思っているんですか?」
「え、私が言うんですか?」
あれ、なんで俺が言うことになっているの?
おかしくない?
「どうなんですか?」
「さぁお答えください。」
「イナバ様逃げちゃだめですよ。」
おかしい。
けがを見てもらうために医務室へ行くのにどうして胃が痛くなってしまうんだろうか。
そうだ、そこも一緒に見てもらおう。
そうしよう。
両サイド、そして後ろからの質問責めに胃を痛めながらも俺はシルビアの答えに満足するのだった。
無理もない。
俺が狙撃されて二週間とちょっと。
その間ずっと騎士団に詰めて自分を追い込んでいたのだから。
意識が戻るまでの絶望感。
意識が戻ってからの罪悪感。
その二つに押しつぶされないように、ただひたすら目の前に来る仕事をさばき続ける。
おそらくあまり寝てもいないのだろう。
目の下のクマが痛々しい。
本人は隠しているつもりだろうが、慣れない化粧では隠しきれていない。
まったくこの人と来たら。
どうやって怒ってやろうかと考えたこともあったが、そんな気持ちもすべて消し飛んでしまった。
「ご無沙汰しております、と言うべきなのでしょうか。」
「開口一番にそんなことを言えるぐらいには回復されたようですね。よくもどってきてくださいました、イナバ様。」
「おかげさまで何とか。そうだ、騎士団長就任おめでとうございます。」
「ありがとうございます。就任初日からこのような事態になり本当に申し訳ありません。」
「別にカムリ様が悪いわけではありません、気になさらないでください。」
騎士団長の椅子に座っていたカムリが立ち上がってこちらへ歩いてくる。
差し出された右手を左手で迎えた。
それを見たカムリが慌てて左手に変えるのを見て思わず笑ってしまう。
「失礼しました、話には聞いていましたが本当に動かないんですね。」
「原因は魔術師ギルドが解明中です。まぁ、皆さんと違い戦いに出るわけではありませんのでこの口さえあれば何とかなります。」
「改めてお礼を言わせてください、シルビア様を助けていただき本当にありがとうございました。」
背筋を伸ばしたカムリが腰が直角になるぐらいまで頭を下げる。
「お礼を言われるような事をしたつもりはありません。私はただ自分の妻を助けた、それだけです。」
「ですが、街の誰もが憧れるシルビア様の命を救ったことに変わりはありません。もしあの日あの方になにかあったなら今この場に私はいないでしょう。騎士団長の職を辞してでも犯人を捜しに行っていたはずです。」
「今も多くの人員を割いてくださっているではありませんか。」
「犯人捜索は領主様直々の命でもあります。それに、イナバ様のあの姿を見て黙っていられる団員はおりません。冒険者もまた同じ気持ちです。貴方様が生きてこの場に立っていること、それだけでも奇跡のようなことなのですから。」
奇跡か・・・。
たくさんの奇跡が重なったことで俺は今この場にいる。
それは間違いないだろう。
どの神様に感謝すればいいのかわからないが、今度お礼を言ったほうがいいかもしれない。
公平の神様は・・・ちがうな。
「冒険者、そうだ先ほど冒険者モアにティナギルド長への遣いを命令していましたが何かあったのですか?」
「あぁ、その件ですか。街の人から冒険者への苦情が多く寄せられていましてね、その件で遣いを頼んだんです。」
「お金が絡むとそういった連中が増えますから、ご苦労様です。」
嘘だ。
たったそれだけの話ならわざわざ作戦本部に呼んだりすることはない。
当事者だが部外者でもある俺に言えないような内容なんだろう。
まぁ、その辺に関しては俺が口を出すことじゃない。
必要であれば向こうから言ってくるだろう。
「まったく、プロンプト様には少し自重していただかなければ。」
「あはは、その大変さわかります。」
あの人の下で働く大変さは俺にもよくわかる。
就任してすぐあの人に振り回されるとは、カムリもなかなかに大変だ。
「私はこれより作戦本部に戻って定時連絡を受けます。少し席をはずしますがよろしいですか?」
「もちろんです。」
「皆さんはどうぞこのままごゆっくり、では失礼します。」
カムリは軽く一礼をするとそのまま部屋を出て行ってしまった。
てっきりシルビア様も追いかけるものと思っていたが、入ってきた時のままその場を動こうとしない。
おそらく気を使ってくれたんだろう。
シルビア様の横にはエミリアがそっと寄り添っている。
入ってきた時に一瞬目を合わせたが、目が少し赤く充血していた。
何があったのかは、聞かないでおいたほうがよさそうだ。
「さてっと、堅苦しい挨拶は終わりました。ゆっくりさせていただきましょうか。」
わざと明るい声でユーリとニケさんに話しかける。
だが二人とも硬い表情のまま動こうとしなかった。
あ、やっぱりだめですか。
「シュウイチさん、その・・・。」
「エミリアは何も言わないでください。」
「はい・・・。」
意を決して話そうとしたエミリアを素早く制する。
俺だってどうやって話したものかと考えているんだ。
本人は相変わらずだし、一緒に来た二人も重い空気に下を向いてしまっている。
俺はここに何をしに来たのか。
決まっている、愛しいこの人に会いに来たんだ。
だが、何を言うのか本人の顔を見ると全て吹き飛んでしまった。
あんな顔をしているのに、なんて声をかければいいのか。
うぅむ。
「エミリア様、ここはお二人にお任せしましょう。」
「私もニケ様に賛成です、私達がいては話しにくい内容もあるでしょうから。」
「でも・・・。」
「大丈夫です、ご主人様はやるときはやる男ですから。」
いったい何の話をしているんだ?
っていうかいきなりシルビア様と二人っきりとかまだ心の準備ができていないんですけど。
「エミリア、もう大丈夫だ、ありがとう。」
「・・・わかりました。外で待っていますので終わりましたら呼んでください。」
シルビア様に促され何ともいえない表情でエミリアが俺の横を通り過ぎる。
「シュウイチさん・・・。」
「すぐ呼びますから。」
別れを切り出すわけじゃない。
っていうかそんなことするはずがない。
俺はただ、いろんなことに苦しんでいるであろうシルビアを助けたいだけだ。
助ける?
違うな、俺がしたいのはひとつだけだ。
シルビアと話しをしたい。
ただそれだけ。
パタンと扉の締まる音がして部屋が静寂に包まれる。
部屋にいるのは俺とシルビア様だけ。
何度か目線を合わせようとするも中々こちらを向いていくれない。
困ったなぁ。
窓際に立ち、ギュッと口を噤んだままのシルビア様。
まるでしかられた子供のようだ。
「・・・シルビア。」
「…………。」
返事はない。
だが、名前を呼ばれた瞬間にピクリと身体が動いたのは分かった。
「元気そう・・・ではないですね。大分無理をしているようです、ちゃんと御飯食べてますか?」
「・・・・・・・・・今朝はまだだ。」
「昨日は?」
「・・・覚えていない。」
「戦士に必要なのは正しい休息と食事、そう言ったのはシルビアだったのに困ったものです。」
俺は母親か!
なんて自分で自分につっこみを入れながら話しを進める。
一応返事をしてくれているという事は拒絶されているわけでは無いようだ。
よかった。
「・・・シュウイチ、わ、わたしは!」
「シルビアは何も言わないで下さい。いえ、何も聞きたくありません。」
「くっ・・・!」
「私が聞きたい事は一つだけです、その答えを聞いたら私はすぐにサンサトローズを出なければなりません。シュリアン商店を再開しなければなりませんから。」
「すぐにか?」
「えぇ、いけませんか?」
「いや、ダメではない。しかしその身体では。」
シルビア様からしてみれば商店再開の連絡は寝耳に水だ。
突然の事にさっきまで下を向いていた顔がバッとあがる。
驚きで見開いた瞳は真っ赤に充血していた。
なんて顔をしているんだ。
シルビア様ともあろう人がそんな子供みたいに泣きそうな顔をして。
思わず抱きしめたくなる気持ちをぐっと抑え、俺は会話を続ける。
「私の身体がどうしました?昨日は冒険者ギルドに、今日は騎士団に自分の足で歩いてきましたよ。」
「だが、その右腕は・・・。」
「あぁ、これですか。動かないだけで何の問題もありません、片腕が動かなくてもこの口があれば仕事はできます。」
「確かにそうだが。」
「別に心配される必要はありません、私は私の意志で前を向くと決めたんです。今の貴女のように下を向いて泣き崩れているわけじゃありませんから。」
「わ、私は泣いてなど!」
「ではその顔は何です。戦場の戦乙女と称されるほどの凛々しい顔はいったい何処に行ってしまったんですか。何事にも動じず、多くの団員を指揮し、輝かしい功績を作り上げてきたシルビアは一体何処にいるんです。私の前にいるのは罪悪感に潰れ、情けない顔をしたか弱い女性じゃありませんか。」
こんな事が言いたいわけじゃない。
そう自分で分かっていながら一度口から出た言葉は止まらなかった。
溢れてくる言葉は心の叫び。
決してシルビア様を傷つけたくて言っている訳ではない。
だが、出てくる言葉一つ一つが心に傷つけるのが分かる。
その鋭い言葉を彼女は黙って聞き続けた。
それを受け止め傷つく事が必要だと思っているのかもしれない。
「・・・すまない。」
「謝って欲しいわけじゃありません。」
「だが私はシュウイチを傷つけた。」
「シルビアが?一体何の話です。」
「私のせいでその腕は動かなくなってしまった。私をかばったばっかりに、もう、二度とその腕で剣を握れない。それは全て私のせいだ。」
シルビアの口から贖罪の言葉が溢れる。
やはり自分のせいだと思っていた。
「シルビアのせいで私のこの腕は動かなくなったのですか?」
「そうだ、私が命を狙われなければそうはならなかった。いや、そもそも私が退団式に皆を呼ばなければ済んだ話しだ。」
「つまり自分が狙われたのが全ての始まりだと?」
「あぁ、狙われるのは自分のはずだった。私が傷つけばシュウイチが苦しむ事は何も無かったのだ。」
「・・・それは本心で言っているのですか?」
怒りが心の奥からこみあがってくるのがわかる。
カッとなるような怒りではない。
もっと静かで、だがもっと強い怒りの塊が俺の心を塗りつくしていく。
冷たい怒りだ。
あぁ、この人は『俺が』助けた事すら否定してしまうのか。
「そうだ、全て私のせいだ。私が、あの日あの場所に立たなければ・・・。」
こみ上げてくる怒りが溢れる。
溢れたその瞬間に俺は動かないはずの腕に渾身の力をこめた。
激痛が走る。
今まで何をしても何も感じなかった腕に、傷口を抉られるような強い痛みを感じる。
だがそんな事はどうでもいい。
目の前にいる人が、大切な人が、俺を否定する。
それが許せなかった。
動かないはずの右腕が少しずつ持ち上がる。
顔の高さまで上がった右腕に左腕を沿え、俺はシルビアの頬を打った。
弱々しい音が部屋に木霊する。
シルビアにしては何かがかすった程度の衝撃だっただろう。
だが、シルビアの弱い心を砕くのにはそれで十分だった。
驚いた顔で俺を見るシルビア。
その顔を俺は睨み続けた。
初めて手をあげた。
本当はそんなことしてはいけないのに、我慢ができなかった。
「ふざけるなよ。」
「え・・・?」
「ふざけるなって言っているんだ!何が自分のせいだ、俺が助けたのがそんなに迷惑なのか?俺が助けなければシルビアは傷付かなかったのか?冗談じゃない、俺は俺の意思でお前を助けたんだ、お前に死んで欲しくないから俺は、俺は!」
怒りで言葉が出てこない。
自慢の口が機能しない。
溢れてくるのは怒り、そして悲しみだった。
俺がシルビアを助けた事が無駄だったと彼女は言う。
自分が傷つけば、いや自分が死ねばよかった。
そう言っているのと同じだ。
それが俺は許せなかった。
中から聞こえてくる怒鳴り声に驚いてエミリア達が部屋に飛び込んでくる。
「にもかかわらずお前はそれを否定するのか!死んだ方が良かった、そう言うんだな!」
「シュウイチさん落ち着いてください!」
「私はそんなつもりじゃ・・・。」
「そうじゃないか!俺が助けたのは無駄だった、俺が助けなければ俺は傷つかなかった。その代わりにお前は死んでいた。俺が傷つかない方が良かったというのはそういうことだろ?自分が死んで俺が傷つかないのが一番だなんて良くそんな事が言えるよな!」
エミリアが俺の身体を後ろから抱きしめる。
いつもならそれで収まるはずが、今日の怒りは収まらない。
「シュウイチ、私はお前に死んで欲しくない。死んで欲しくないんだ。大切な人が目の前から居なくなるなんて事ははもう、もう二度と味わいたくない。」
シルビアの瞳から涙が溢れてくる。
あぁ、俺は大切な人の心を傷つけている。
それがわかっているのに、止めることができない。
「俺の大切な人が目の前で死ぬなんてそれは俺もごめんだ。俺の手が届く場所で死ぬぐらいなら俺が代わりに死んでやる。俺は俺の前で誰も死なせない、死なせたくないんだ。」
「だから私が傷つけばよかったんだ!」
「シルビア!」
再び右腕に力が入り、それと同時にまた激痛が俺の腕を襲った。
だが、先程は上がった右腕が今度は上がらない。
代わりに上腕部から何か冷たい液体が流れてくる感覚がある。
「ご主人様、腕が・・・。」
腕?
それがどうした。
俺はもう一度シルビアの目を覚まさせてやらないと気がすまないんだ。
「イナバ様失礼します!」
エミリアに抱きしめられたまま今度はニケさんが俺の腕を掴んだ。
振りほどこうとするも右腕は動かない。
むしろ何でさっき持ち上がったのか分からないんだけど。
ニケさんに腕をつかまれ袖を上までめくられる。
そこで初めて俺は自分の腕の状況に気付いた。
血が滴っている。
いや、滴っているとかそんなレベルじゃない、上からドクドクと流れ出ている感じだ。
え、何で?
傷口が開いた?
っていうかそもそも狙撃された所は傷口がなくて外科的には問題ないはずじゃ。
先程まで溢れていた怒りが一気に無くなっていく。
それどころか意識がドンドンと薄れていって・・・。
昔からそうだけど血を見ると本当にダメなんだよ。
献血に行って自分の血を見てアラーム鳴らすぐらいなんだから。
「すぐに止血を!」
「止血って言っても一体何処から。」
「とりあえず腕を上げてください。」
ニケさんとエミリアが俺の横で慌てている。
腕を胸より高いところに上げられ、まるで壊れたマリオネットのようだ。
その様子を他人事のように見ている自分がいる。
あれ、俺は何で怒っていたんだっけ。
先ほどまでの怒りが一瞬でどこかに行ってしまった。
「とにかく、私はシルビアを死なせたくなかったんです。今は何か大変な事になっていますが、こんな事になってでも私はシルビアに生きていて欲しい。自分の妻が目の前で死んでいくなんて見たくありません。」
「それは私も同じだ、シュウイチが死ぬ所など見たくは無い。それは三人も同じだと思うぞ。」
シルビアも少し落ち着いたようで言葉に少し余裕があった。
お互いの目を見て初めて笑う。
「やっと笑ってくれましたね。」
「あぁ、こうやって笑うのはあの日以来だ。」
「これからはそうやって自分を追い込むのはやめてください、私達は家族なんですから。一人で抱え込まないでみんなに頼ってください。帰る場所を作ってくれた、シルビアはそういったじゃないですか。」
「・・・そうだったな。」
帰る場所。
それは決して騎士団ではない。
俺達には帰る家がある。
帰る店がある。
そうだ、今日は新しい一歩を踏み出す為に来たんだ。
おれだけじゃない、皆で歩む大切な一歩。
怒りに我を忘れて本筋を忘れていたよ。
「この状況で言うのもおかしいですが、私はもう大丈夫です。私はこの腕と共に改めて商店を再開する事を決めました。シルビアはどうですか?」
「私は?」
「えぇ、狙撃され後悔と罪悪感に潰れてしまう、そんな日々に埋れたままなんですか?」
あの事件以降シルビア様の時間は止まったままだ。
今も何も出来なかった自分を責め続けている。
だが、そのままでは何も変わらない。
その場で変わることもできず潰れてしまうだろう。
そんなことは俺が許さない。
俺は俺の大切な人と一緒に生きて行くと決めたんだ。
置いていくことなんてありえない。
「私は、私はどうしたらいいんだろうか。」
「簡単です、自分にできることをしたらいいんです。私が店を再開すると決めたようにシルビアも前に進む何かを決めたらいいんです。」
「自分にできること、か。」
「この腕で本当に店を再開できるのか正直不安です。でも私は一人じゃありません、エミリアやユーリやニケさん、それにシルビア貴女がいます。どんなに困難でも貴女と一緒なら怖くない。みんなが支えてくれるように私もシルビアの支えになります。こんな状態で頼りない私ですが、貴女の選ぶ道を私も一緒に進みます。だから、私と一緒に新しい一歩を歩んでくれませんか?」
そう言いながらシルビア様に左手を差し出す。
俺達は一人じゃない。
たとえ一人でできないことでもみんなでやればなんとかなる。
差し出した俺の手をシルビア様は両手で包みこんだ。
「シュウイチは怒っていないのか?」
「怒る、何をですか?」
「私をかばってこんなことになったことをだ。」
そう言いながらエミリアとニケさんに抑えられている手をじっと見つめた。
どうやら出血は止まったらしい。
だが服は血で真っ赤に染まっていた。
不思議と痛みはない。
さっきの痛みはいったい何だったんだろうか。
それにこの出血。
外科的な傷はなく、魔術的な何かが起きているだけのはずなんだけど。
うぅむ、わからん。
「別に怒ってなどいませんよ。むしろこの傷でシルビアを救えたのならこの傷を誇りに思います。」
「誇りに?」
「えぇ、この傷を負ったから私はシルビアを救う事が出来た。シルビアが生きている、それだけで十分です。」
「私が悩んでいた事と真逆の事を言うんだな。」
「この傷は自分のせいだと?」
「あぁ。」
「それは違います。この傷はシルビアではなくシルビアを狙った誰かのせいです。なので、そもそもシルビアが悩む理由なんてないんですよ。」
ユーリに言われた事と同じだ。
俺は俺のせいで大勢の人に迷惑をかけていると思い込んでいた。
だが実際は誰も迷惑だと思っていない。
仮に思っていたとしても、それはこの事態を起こした張本人のせいだ。
だから俺はなにも悪くない。
それと同じく、シルビアは何も悪くない。
俺の手がこうなったのはシルビアのせいではなく、シルビアを狙った不届き者のせいなのだから。
「そうだな、確かにその通りだ。」
「シア奥様も御主人様も同じ事で悩まれていたのですね。」
「シュウイチもなのか?」
「えぇ、ユーリにお説教されて目が醒めました。」
「似た者同士、というわけだな。」
「そうです。何せ私達は家族ですから。」
家族。
その言葉を聞いたシルビアは瞳を閉じてゆっくりと上を見上げた。
何かを考えているんだろう。
もしくは何かに区切りをつけようとしているのかもしれない。
しばらくするとゆっくりと俺を見つめ直した。
そこにはいつもの凛々しい顔をしたシルビア様がいた。
「私は犯人を許すことができない。私を狙ったばかりかシュウイチの腕をこんな風にした罪は何としてでも償ってもらわねばならん。私は私の意思で犯人を追いかけ続ける、それを許してくれるか?」
「もちろんです、それがシルビアの新しい一歩になるのなら。」
「私の我儘で本当にすまないと思っている。」
「大丈夫ですよ、一緒に住むのが少し伸びるだけですから。」
そもそも俺が意識を失っている間に引っ越し予定日は過ぎちゃったからね!
「シルビア様何かあったらすぐに帰ってきてください、待っています。」
「あぁ、すぐに帰る。」
「お帰りをお待ちしておりますシア奥様。」
「あぁ、シュウイチをよろしく頼むぞ。」
「イナバ様は私達にお任せください。」
「私の代わりにいろいろと助けてやってくれ。」
俺だけじゃない、三人もそれぞれがシルビアの一歩を応援している。
たとえ離れていても俺たちは家族だ。
「これで安心して店を再開できます。」
「私もだ、今まで以上に捜査に力を入れることができるだろう。」
「シルビア様ちゃんと休んでくださいね。」
「そうです、次に戻ってきたときにその顔じゃ家に入れませんよ。」
「む、そんなにひどいか?」
「えぇまったく隠せていません。」
「これでも頑張ったんだがな。」
普段あまり化粧しないだけにこのクマを隠すのは難しいだろう。
「ちゃんと食事をとって、しっかり寝れば大丈夫です。」
「善処しよう。」
「ご主人様、お話の途中ですが早急に一度怪我を見ていただくのをお勧めします。」
「そうですね、これだけの出血です止血が必要であれば早めに処置しないと。」
「ならばこのまま医務室に向かうがよい、あそこなら大抵のことに対応できる。」
「わかりました、シュウイチさん行きましょう。」
エミリアとニケさんに腕を支えられながら部屋を後にする。
「そうだ、シュウイチ!」
と、後ろからシルビアに声をかけられた。
「どうしました?」
「最初に言っていた、聞きたい事というのはいったい何だったのだ?」
そういえばそんなことを聞こうとしていた気がする。
「聞きたかったのは一つだけです、『俺と結婚したことを後悔していませんか?』」
「いまさら何を言い出すかと思えば、当たり前だ私は一度も後悔などしたことはない。」
「それを聞いて安心しました。」
「私もすぐ医務室に向かう、先に行っててくれ。」
「はい。」
シルビアはまっすぐな目で答えてくれた。
もう何も思い残すことはない。
俺は俺の選んだ道を進むだけだ。
「シュウイチさん、私には聞いてくれないんですか?」
医務室に行く途中で隣を歩くエミリアガすねたような顔で訪ねてきた。
「あ、それは私も思いました。」
「ご主人様、私には聞いてくださらないのですか?」
「聞くまでもないと思っていたのですが・・・。」
「ご主人様それはダメです。ちゃんと聞きたいことははっきりと聞かないと。」
「そうですよ。シュウイチさんはどう思っているんですか?」
「え、私が言うんですか?」
あれ、なんで俺が言うことになっているの?
おかしくない?
「どうなんですか?」
「さぁお答えください。」
「イナバ様逃げちゃだめですよ。」
おかしい。
けがを見てもらうために医務室へ行くのにどうして胃が痛くなってしまうんだろうか。
そうだ、そこも一緒に見てもらおう。
そうしよう。
両サイド、そして後ろからの質問責めに胃を痛めながらも俺はシルビアの答えに満足するのだった。
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