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第八章

チーズ売りのオッサン

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人通りは多い。

左右の店を利用しているお客もここを認識していないわけではない。

イアンの資料によるとこの地域ではあまりチーズを食べる文化が無いらしい。

もちろん0ではないが、無いと困るというレベルでは無い。

よく見ればサンドイッチに入っていた、ぐらいの認知度だ。

つまりそれ目当てで食べるワケではないのだ。

何故チーズが売れないのか。

理由は至極簡単。

認知されていないから。

要は知名度が無いのだ。

これだけの美味しさを知ってもらえていない。

それが一番の原因だ。

ならばどうすればいい。

これも至極簡単。

知ってもらえばいい。

それだけだ。

俺は腰の短剣を抜き、チーズをさいころぐらいの大きさに切り分ける。

そして用意した爪楊枝風の木の枝を刺して皿の上に乗っけた。

さて、準備はこれだけだ。

え、こんな事で知名度が上がるのかって?

まぁ見ててよ。

「さぁ皆さん、ここにあるのは見た目はただのチーズ。でも中身はこれまでのチーズとは全く違う一級品だよ!そこの奥さん、良かったら味見だけでもしてって、お代は食べてからでいいから!」

食品の認知度を上げる一番手っ取り早い方法、それは『試食』だ。

口でいくら言っても伝わりにくいが、食べれば一発だ。

美味しければ買うし、気に入らなければ買わない。

至極わかりやすい。

値段もそんなに高くないので欲しいと思ってくれたら買ってくれる。

狙うのは日々の食事に関わっている人たち。

主婦もそうだし飲食店の関係者もそうだ。

わかりやすい例が白鷺亭の支配人だな。

飲食店関係者は味に妥協しないが、良いと思ってくれれば間違いなく買ってくれる。

百聞は一見にしかずならぬ百聞は一食にしかずだ。

「試食だけでもいいの?」

「もちろん!食べてもらったら絶対に買って帰ってもらえますから。」

「そんなに自信があるのなら食べさせてもらおうかしら。」

お、さっそく一人興味を持ってくれた。

普通は中々一人目がつかまらないものだけど、この辺りの人は警戒心薄いのかもしれない。

「なに、タダで食わせて貰えるのか?」

「小腹が空いたしちょっと食べていくか。」

いや、ただ単に食いしん坊なだけかも。

まぁどっちでも良い。

この味なら間違いなく気に入ってもらえる。

俺は美食家では無いが味音痴では無いと思う。

庶民の俺が美味しいと思うんだから他の人もきっと同じはずだ。

「美味しい!」

最初に食べた奥さんが眼を丸くする。

「そうでしょう、今年のは去年以上に良い出来ですから忙しい朝にパンと一緒に食べれば御家族の朝食にもなりますよ。」

「聞いた事はあったけどチーズってこんなに美味しいのね。」

「王都では当たり前になってきましたけどこの辺りでは北のミジャーノ村でしか作っていませんから。」

「そうなのね、こんなに美味しいものだったらもっと早くに食べればよかった。」

「知るのに早いも遅いもありませんよ、是非今日覚えて帰ってください。」

無理売りはしない。

気に入ってもらえれば自分から買ってくれるはずだ。

無理強いすればそれを見た客が退いていってしまう。

ここで買ってもらえなくても我慢だ。

一人が買えば他の人も買ってくれる。

それを信じて今は試食に全力を注ぐ。

最初の奥さんが帰った後、最初の勢いで何人か試食に誘いつつ左右のお客さんも試食に誘う。

一人だけなら食べにくいが、複数人が食べているならつい自分も食べたくなってしまう。

食べてもらうのが目的なのなのでその心理を上手く利用しながら試食件数を増やしていった。

「美味しな、これ一つ貰おうか。」

「ありがとうございます!」

そしてついに、一人目のお客をゲットした。

その間わずか半刻。

気づけば店の周りは試食に興味を持った人で溢れていた。

「ゴーダさん、お会計お願いできますか?」

「は、はい!」

「この人がこれを作ったんですよ。」

「おぉ、この人か。王都で一度食べた事があるんだがあれとは比べ物にならないぐらいに美味しかった。いつもここで売っているのかい?」

「はい、冬まではほぼ毎週売りに来ています。」

「またくるよ、ありがとう。」

会計を支払うとにこやかに最初のお客様は人ごみに消えていった。

「良かったですね。」

「はい、一つ売れるのがこんなに嬉しいなんて、売ることばかりに夢中になっていました。」

「おーい、こっちにも一つくれ。」

「私ももらえるかしら。」

「あ、ありがとうございます!」

最初の一人を皮切りに試食を済ませたお客様が次々と買い求めていく。

俺は試食の提供に専念し会計はゴーダさんに任せる事にした。

俺はあくまで臨時の店員だしやっぱり生産者が直接消費者とやり取りする方が良い。

その後も客足は衰えることなく、昼の中休みまで盛況は続いた。

「ありがとうございました!」

中休みの鐘と同時に客足がすっと退いた。

最後のお客様に頭を下げ一息つく。

「ふぅ、やっと落ち着けますね。」

目の前を歩く人もまばらだ。

昼過ぎから約3刻程、大盛況だったと言っていいだろう。

「こんなにたくさんのお客様が来てくださるなんて、夢のようです。」

「それだけゴーダさんのチーズが美味しかったということですよ。」

「イナバ様がおられなければいつものように悔しい思いをして帰るところでした。一体何が違うのでしょう。」

「私は何もしていませんと言いたい所ですが、根本的に違うところがいくつかあります。」

「通常の倍、いや3倍は売れている、俺の眼から見てもこの販売量は異常だ。一体どういうカラクリなんだ?」

後ろで様子を見ていたイアンも興奮気味に聞いてくる。

別に変わった事はしていない。

していないが、それは元の世界のやり方であってこの世界のやり方ではない。

そこから説明したほうがいいだろう。

「一番の違いはお客様を待たずに自分から呼び込んだところですね。この世界に来て半年程、どの商売を見ても積極的に客引きをする姿は見られませんでした。『待つ』事が当たり前なんでしょうがそれではお客の力が強く、我々が主導権を握ることが出来ません。そこで、『試食』という武器を使ってこちらからお客さんに来てもらうようにしたんです。」

「確かに呼び込みするのは飲み屋ぐらいか。」

「確かに、これまでも目の前を通る人には声をかけましたがここまで積極的に客引きをした事はありませんでした。」

「しないのが悪いわけではありませんが、それでは知ってもらうことが出来ない。どの商売をとってもそうですが知名度がなければ商売として成り立ちません。知ってもらうきっかけさえあれば物がよければ売れる。私はそう考えています。」

自分の商店もそうだ。

知名度が無くお客が中々増えなかったが、前回の催し以後客足は格段に増えている。

冒険者の中でダンジョンと商店が認知されて来た証拠だ。

知れば興味が出て、興味が出れば行きたくなる。

逆に知らなければ興味を持つ事すらできない。

0と1ではなく、0と100ぐらいの違いだ。

「なるほどな、知らなければ買いようが無いわけか。」

「毎週店を構えても興味が無ければ知ることも無いんですね・・・。」

「それだけではなく、販売するに当たり徹底的に情報を集めました。この街で売られている乳製品の量、販売に繋がった金額。需要と供給もどれだけ差があるのかを調べ上げ、明らかに供給量が少ない事が確認できました。つまり欲しいと思う人が居ても手に入れることが難しい、需要があるのがわかれば売るのは比較的容易です。」

「それを俺に調べさせたわけだな。」

「その通りです。イアンさんにはこの地域の食文化について調べていただきました。チーズが忌避されているのであれば販売は難しいですが、ただ単に食べる文化が無いだけだった。それをみて売れると確信したんです。」

エミリアとシルビア様にお願いした情報も含め、昨日一晩で纏め上げた情報だけでも売れる自信はあった。

だが、イアンの情報を見てそれが核心へと変わった。

売れる土壌があるのであれば、後は売るだけだ。

あの売り方も元の世界であれば別段変わったやり方ではない。

物産展などでよく見られる方法だ。

常設の販売であればじっくり認知度を上げれるが、一期一会の商売の場合はそういうわけにはいかない。

その場で自分達を全部知ってもらう。

その為には在庫を消費する事も必要だ。

試食といっても元は在庫だ。

売れば丸々儲けになる。

だがその儲けを捨ててでも知ってもらわなければならない。

損して得取れとはよく言ったものだ。

「だが知ってもらうだけでここまで売れるのか?仮に俺が同じ事をして興味を持ってもらえるとは思えん。」

「それに関しては私にしか出来ない事をしたからでしょう。」

「イナバ様にしか出来ない事ですか?」

そう、俺にしか出来ない事。

「この街での私の認知度、それを使ったことが今回の結果に繋がったともいえます。」

というか俺だから出来た事というほうが正しいだろう。

この世界に来て半年。

色々な事情からこの街での俺の認知度は高い。

半分以上の人は俺の顔と名前が一致するといえるだろう。

特に商売関係の人間には顔が効く。

「『あの人が売っているのなら安心だ』そう思うと人は警戒心を緩めます。幸いこの街では私を知っている方が多いので、安心して購入できたという可能性は十二分にあります。」

「なるほどな、俺が今日ここに来てお前がこれを売っているのを見れば興味も持つし安心して買っただろう。確かにお前にしか出来ない方法だ。」

「逆に全く知らない人間が売っている物には警戒してしまう。私も知らない街で知らない物を買うのには勇気が要りますが、イナバ様が売っておられたら買いはしなくても興味を持って見に行くと思います。」

親が使っているから、友達が使っているから、芸能人が使っているから。

そんな理由で買うこともあるだろう。

前例があれば手を出しやすい。

人の心理とはそういうものだ。

「実際に私が販売しているという理由で購入した人はたくさん居ます。ですので、今日は私が販売したのでたくさん売れましたが次回はそうならないでしょう。ですが、今日買ってくださったお客様は間違いなく家族や友人にこの味を広めてくれます。そして次回は本人だけでなく別の人も買いに来てくれる。その時買いに来た理由は『私』ではなく『味』に変わっています。ゴーダさんのチーズを目当てに買いに来てくださるんです。私は最初のきっかけに過ぎませんよ。」

「だがそのきっかけが無ければ売れないだろ?」

「もうきっかけは作りましたから。後はお客様の期待を裏切らなければこのチーズは売れ続ける私はそう確信しています。」

「イナバ様・・・。」

「さぁ、まだ今日は終わっていませんよ!夕刻までもうちょっと、在庫を全部売り切るまで残り時間はあとわずかです。」

「はい!」

今日の目的は知名度を上げること。

だけど、折角売りに来ているんだから全部売り切らないと勿体無い。

在庫はまだまだある。

最後の一つを売り切るまで全力で客寄せパンダになる。

俺はその為に来たんだ。

再びチーズを手に持つと俺は目の前を歩く人に声をかけた。


そして陽は城壁の影に隠れ、その時はやってきた。

「ありがとうございました!」

膝に頭がつくんじゃないかと思うぐらいに勢いよく、ゴーダさんが頭を下げる。

その先には嬉しそうにチーズを抱きしめる子供と親の姿があった。

「これで全部か?」

「はい、今日持ってきた在庫はさっきので最後です。」

「やりましたねゴーダさん。」

「私のチーズをたくさんの人が食べてくれる。そんな日がまた来るなんて、まだ信じられません。」

ゴーダさんの目にどんどんと涙が溜まっていく。

生産者として食べてもらえる事ほど嬉しいものは無い。

直接ありがとうという言葉を聴いて嬉しくない人は居ない。

たくさんの感情がゴーダさんの中を満たしていることだろう。

「次回は美味しかったよという言葉をたくさん聞けますね。」

「また戻ってきてくれるでしょうか。」

「戻ってきますよ。シュリアン商店のイナバシュウイチが気に入った商品なんですから。」

「そうです、そうですよね!」

「たくさん売れるのは嬉しいですが、私の店に卸す分も残して置いてくださいね?」

「もちろんです!最高の品を納品させていただきます!」

サンサトローズでチーズを販売しているところは少ない。

一番最初のお客様が言うように、仮に売っていたとしてもここまで美味しい品ではない。

現時点でサンサトローズ一美味しいチーズといえばこのチーズだ。

今後知名度が上がれば売り切れ必須の商品になるだろう。

その商品がシュリアン商店に来れば買える。

こりゃ冒険者に売るのが勿体無くなってきたな。

「まさかあれだけ積みあがっていたやつが無くなるとは、やっぱりすごい奴だよお前は。」

「いえいえ、私という武器がたまたまこの街で通用しただけです。他所であればこんなにうまく行きませんでしたよ。」

「だがおかげであのお方にいい報告ができる。俺の休暇ももう少しだ。」

「イナバ様本当にありがとうございました。」

「ここからが本当の始まりですから、これからも美味しいチーズを作り続けてくださいね。」

「はい!」

次回絶対売れるという保証は無いが、このまま行けば大丈夫だろう。

急に依頼された人助けだったが何とかなってよかった。

「シュウイチご苦労だったな。」

「お疲れ様ですシュウイチさん。」

後片付けをしていると二人が戻ってきた。

「二人とも来ていたんですね。」

「大盛況だったようだな。」

「お昼に戻ってきたんですけど、忙しそうだったので離れていたんです。」

なるほどね。

「そちらの首尾はいかがでしたか?」

「いい品をたくさん見せてもらった。」

「ユーリたちへのお土産も買えました。」

「急なお留守番でしたから、二人とも喜ぶと思います。」

今回は他所の村を救う形となったが、本来は自分達の村を大きくする話のはずだ。

見聞を広める為に行ったのだからそれを自分の血肉にしなければ行った意味が無い。

来週にはメルクリア氏が測量の詳しい日時を知らせてくるだろう。

それが終わればいよいよ本格的な街づくりが始まる。

頑張ろう。

「それじゃあ私達はこれで、そろそろ最終便が出てしまいます。」

「今回の報酬はまた後日知らせよう。」

「宜しくお伝え下さい。」

「そうだ、イナバ様これを!」

ゴーダさんが荷物の中から取り出したのは大きなチーズだった。

「立派ですね。」

「色々としてもらったのにこれしかお返しが出来なくて申し訳ありません。」

「いえ、ありがたく頂戴いたします。」

「牛が御入用の時は私達に仰ってください、最高の牛をお譲り致します!」

「その節は宜しくお願いします。」

これで牛を手に入れるきっかけも出来たという事か。

真剣に酪農についても考えないといけないな。

二人に見送られながら定期便へと乗り込む。

家に着く頃には真っ暗だな。

横になればすぐに日常が戻ってくる。

明日からまた頑張ろう。

「二人とも二日間ありがとうございました。」

「なに、いい経験になった。」

「シュウイチさんもお疲れ様でした。」

「急なことでしたが何とかなってよかったです。」

「シュウイチだからな、当たり前だ。」

「その確証はいったいどこから来るんでしょうか。」

「それだけシルビア様がシュウイチさんを信頼してるという事ですよ。」

「エミリアは違うのか?」

「もちろん信じてました。」

うーむ、全幅の信頼を得ているのは非常にいい事なんだがそれでいいのか?

「そういえばシルビアは騎士団に戻らなくてもいいんですか?」

「そういえばそうですね。」

「妻が家に戻ってはいけないのか?」

「そんな事はありません、一緒に帰れるならそれだけで十分です。」

「私が騎士団を辞めるに当たりウェリス達の処遇が変更になるやもしれん。これまではあくまでも私の監視の下勤労奴隷として派遣されていたが、騎士団を辞めれば私はただの一般人だ。そのあたりについて彼等と父を交えて話しをしなくてはならない。」

なるほど。

騎士団を辞めればただの人。

犯罪奴隷であるウェリスを監視するのが一般人というのはおかしいという事か。

他の人間を派遣するのか継続するのか。

その辺りの話し合いが必要なんだろう。

ふむぅ、シルビア様が騎士団を辞めるだけだと思っていたが、色々と面倒な事もあるんだな。

どうなる事やら。

「何はともあれ今日はゆっくり休め、陰日明けまでは一緒に過ごせるぞ。」

「それは楽しみです。」

久々の夫婦勢ぞろい。

急な外出だったがとりあえずはこれで終了だ。

二人の間に挟まれ、頭の上で交わされる会話を子守唄に俺はしばしの眠りについた。
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