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第六章

イナバ人間辞めるってよ。

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まず最初に言わせてもらおう。

人間辞めません!

辞めろって言われてはいそうですかと辞められるわけがない。

人間じゃなくなったらエミリア達とにゃんにゃん出来ないじゃないか!

え、魔族とかになるなら出来るかもしれない?

でもさぁ、こういう場合大抵不死になっちゃうわけでしょ?

不能になる可能性もあるわけじゃない?

いくらエミリアがエルフィーだっていってもこの世界のエルフィーは長寿じゃないわけだし一人だけ生き残るのはいやだなぁ・・・。

「せっかくのお話ですが辞退させていただきます。」

「どうしてだい、人間は不老不死を願う生き物のはずだろ?」

「確かにそういう人間は多いでしょう。ですが全ての人間がそういうワケではない、私は限りある命のまま生きていたいと思っています。」

「せっかく積み上げてきた知識や経験を全て無にしても構わない、イナバ君はそういうんだね。」

「その通りです。私の知識や経験はいずれできるであろう子供達に引き継いでいく。偉大な先人達がそうしてきたように私もそうしていきます。」

親から子、子から孫、これまでの人々がそうしてきたように俺もそうしていきたい。

エミリアとシルビアの子達なら間違いなくいい子に育つだろう。

「私にはその考え方がわからない。自分の血肉となるものを手放しても構わないという考えが私には全く理解できない。」

「命が有限であるからこそ人は一生懸命に生きるんです。無限にあるとわかれば人は堕落し生産性が失われていく。私はそういう人間にはなりたくないですね。」

「だがそれでは私が理解するまでに君は死んでしまうじゃないか。」

「恐らくはそうなるでしょう。」

「何と言う無駄、何と言う損失、異世界人の知識を吸収する前に知識が失われるなんて私にはとうてい耐えられない!」

バロンは頭を抱え大声で嘆いた。

むしろ俺にはそこまでして知識を求める理由がわからない。

知識欲は俺にもあるが、無限にある知識を全て溜め込む事は不可能ではないのだろうか。

「私が持ちえる知識量などバロンの持つ知識量に比べたら微々たる物だと思いますが・・・。」

「違う、全然違うんだよ。知識とはいくらあっても構わないというものではない。重要なのは量ではなく質なんだ。膨大な知識の中から良質な知識のみを集約して初めて意味のある知識として使えるようになるんだ。その点異世界の知識は全てが良質な知識で溢れている。その全てが失われるなんて私には許せるものではない。」

今までの軽い言い方ではない。

低く重い声でバロンは知識の重要性を説く。

わからないわけではない。

今の世の中にも失われた知識、失われた技術はたくさんある。

職人のみが持つ知識が失われ、作れなくなったものが今の世にどれだけ溢れていた事か。

慌てふためいたときには時すでに遅く、知識や技術の継承は達成されない事が多い。

バロンはそれを嘆いているのだろう。

だが、彼がいくら嘆いた所で全てを集約する事など物理的に不可能なのだ。

「わからなくはありません。この世界にも失われた技術や知識が山ほどあり、それを求める人がたくさん居るという事も理解できます。」

「そうだろうそうだろう!ならば、君という知識の泉を私に委ねてくれさえすれば話は全て解決するのだよ!」

「私という個を捨ててもですか?」

「何事にも犠牲はつきものだ。君が私に知識を提供してくれるというのであれば喜んで私が実験に使った彼らを解放しようじゃないか。」

「先ほど開放するいう話だったのでは?」

「条件次第、私はそういったはずだよ。」

確かにそういっていた。

そしてそう来るだろうなともおもっていた。

何かしらのいちゃもんをつけて開放しないつもりで居るだろうと思っていたが、まさか自分を犠牲にすることになるとはさすがに思わなかった。

「私が定期的に貴方と対話をして知識を提供するというのではどうでしょう。」

「それでは足りない。私が疑問に思ったことを好きなときに好きなやり方で提供してもらえないのであれば効率が悪すぎる。」

「昼夜問わず知識を提供しろと?」

「昼夜だけではない。私の好きなやり方でだ。」

つまりはどういうやり方?

いや、あえて聞くまい。

どう考えても真っ当なやり方ではないだろう。

「・・・私が貴方に付けば彼らは解放してくれるんですね。」

「今すぐにでも開放すると約束しよう。君達が言う神というものに誓ってもいい。」

「それ以外の方法で解放する気はないと?」

「そうだなぁ、力ずくというのも嫌いじゃないけど君では間違いなくムリだろうね。」

ムリだろうなぁ。

武器は装備していてもまともに使えたためしはない。

こんな事なら使えればよかったと何度後悔しても、一朝一夕で上手くなる事もないのだ。

俺がこの世界に来て3ヶ月ほど。

まともに武器を扱いだしたのはそのうちの半分からだ。

それで目の前にいる魔族とかいうボスクラスを倒すのはチートスキルがないと無理ってものだ。

ちなみに俺にはそんなものは無い!

でも俺が生きてここを出る為にはそれしか方法は無いか・・・。

冒険者を解放しないという選択肢は俺には無い。

彼らを見つけていなければ諦めるという選択肢もあった。

だが見つけてしまった以上、彼らを見捨てれば俺の記憶に悔いが残り続けるだろう。

一生それに苦しむぐらいなら最善を尽くすべきだ。

エミリア、シルビア、ユーリ、ニケさん、みんなごめん。

「わかりました。」

「そうか、イナバ君ならそういってくれると思っていたよ!今すぐ彼らを解放しようじゃないか。」

「何を言っているんですか?貴方と戦うといっているんです。」

「・・・正気かい?」

「私は正気です。ここを出るには彼らを見捨てるか助けるかの二つしかない。私は彼らを見捨てる事はできないし、私には帰らなければならない場所がある。ならばそれをかなえるためには戦うしかないじゃないですか。」

戦おう。

戦って死ぬのならば仕方が無い。

だが何もせずに彼らを見捨てる事はできない。

帰りたい。

死にたくない。

だけど、自分を偽るのはもっとできない。

「イナバ君、君はもっと賢明な選択が出来る人間だと思っていたんだが・・・。」

「失望しましたか?これが私の賢明な選択です。戦って勝ち、そして冒険者と共に帰る。」

「それが出来ると本当に思っているのかい?」

「出来るできないはやってみなければわかりません。」

「面白い、本当に面白い男だよ君は!」

バロンの目に怒りの火がついた。

眼を見開き、血走った目で俺を睨みつける。

恐ろしい目だ。

今この瞬間にも俺を一思いに殺す事が出来る。

それだけの力の差がある。

怖い。

如何して俺はいつもこんな目に合うんだろうか。

いつもこんな事は二度としないと誓うのに、結局はこんな選択肢ばかりを選んでいる。

いつもなら近くに誰かが居て、その誰かの力で何とかなってきたけれど今回はそうもいかない。

ここにいるのは俺だけだ。

モア君が助けに来る可能性も先ほどの冒険者が来る可能性も無い。

ここにいるのは俺とバロンだけ。

いくら俺が他力本願100%男でもこの場に誰も居なければ頼る事すらできない。

「それでどうやって決着をつけますか?」

「君は何が得意なのかな?」

得意なのは知識だけだ。

「さぁ、私が今もって居るのはこれだけですから。」

俺の手にあるのはダマスカスの短剣のみ。

これを使うしかないだろう。

「そんなもので私と戦う?いや、君にはそれぐらいの武器が相応しいだろう。」

先ほどから俺の呼び方が君になっている。

貴方から名前、そして君。

利用価値として下がったという事か。

「私を甘く見ないほうが良いですよ、こう見えて武器の達人ですから。」

「そういうことにしておいてあげよう。虚勢を張らなければ自我を保つ頃ができない程度の人間なのだから。」

「その人間に負ける自分を想像できないだけではありませんか?」

虚勢を張らなければ自我を保つ事ができない。

その通りだよ。

そうじゃないと今すぐこの場から逃げ出してしまいそうなんだ。

そうしない為には精一杯強がって見せるしかないんだよ。

「私が負ける?面白い冗談にすら聞こえないよ。だが、そんな君にも万が一という可能性を残してあげるのが強者の慰めというものだろう。勝負は簡単だ、指一本でも私の体に触れる事が出来れば君の勝ち。君が参ったといえば私の勝ちだ。」

指一本でも触れれば。

これが絶対に出来るはずがないとこの男が決めた俺の実力という事だ。

わかっているさそんな事は。

だが、唯一残された可能性のみ達成できれば俺は帰ることが出来る。

やるしかない。

「わかりました。ですが私が参ったという事は絶対にありません。」

「それはどうだろう、指の骨を全部折る頃にはみんな良くしゃべるようになる。」

やくざかよ!

「では時間も惜しいですからさっさとはじめましょう。」

俺は席を立つと回れ右をして家の外へと急いだ。

一瞬でもこの場から離れたかった。

恐怖に心を支配され、やっぱりやめたと言ってしまいそうだったからだ。

ドアを開け外に出る。

外はここに来たとき同様に常夏のような暖かさで俺を迎えてくれた。

外は暖かい。

だけど俺の心は恐怖で震え上がっていた。

短剣に手をかけ、ゆっくりと引き抜く。

黒光りするダマスクス鉱に俺の顔が映った。

情けない男の顔だ。

なんだよ、そんな情けない顔しなくてもいいじゃないか。

俺は名誉の為に戦うんだ。

無駄死にじゃない。

そもそも死ぬかすらわからないじゃないか。

やってみなければわからない。

例え可能性が99.99999%無かったとしても、成功する可能性が0.00001%でもあるのならばそれにかけるのが男ってもんだろ。

かっこいいアニキが言っていたじゃないか。

『お前を信じる俺を信じろ』ってね。

エミリアたちが帰ってくると信じてくれている俺を信じろ。

遅れてバロンがゆっくりと家の中から出てきて、俺の反対方向に歩き出す。

二人の間には10mほどの距離が開いた。

「さぁ、さっさと済ませてすまいましょうか。君を締め上げ降参させれば不要な彼らは解放され、私は君という知識の泉を得ることが出来る。」

「違いますよ、私が勝ち彼らと共に地上に帰るんです。」

「好きに吼えてください。それももう、言えなくなります。」

「いざ尋常に勝負!」

俺は剣を正眼に構えバロンを睨みつける。

開始の合図はない。

バロンは何も構えず腕を組んでただ俺を見下ろすだけだ。

さぁやるぞ。

そう剣を構えたまま、俺は一歩も動き出せなかった。

切りかかろうと足に力を入れるも、体が前に進まない。

「どうしました、いつ斬りかかってきてもいいんですよ?」

そうバロンに言われても俺の脚は動かない。

それどころか少しずつ後ろに下がるような気がしてくる。

あの目だ。

あの目に威圧されるだけで俺の反抗心は風前の灯のように小さくなってしまう。

俺がどれだけ小さな存在なのか、そう心の奥に刻み込むような目。

蔑むわけでもない。

哀れむわけでもない。

ただそこにある興味の無いものを見るような目だ。

俺は剣を構えたまま何か無いかポケットに手を入れてみる。

「何を使っても構いませんよ、卑怯な手でも何でも良いんです。さぁ、さっさとおわらせましょう!」

ポケットにはネムリから貰った指輪が二つ。

反対のポケットにはエミリアに渡されたお守りが1つ。

たったそれだけ。

そうだよな、便利な道具なんて持ち歩くわけが無いよな。

体ひとつ。

この世界で俺が渡り歩いてきたのはこの頭とこの体それだけじゃないか。

道具なんていらない。

使えるのは俺の頭と体だけだ!

「ウォォォォ!」

そう悟った瞬間、俺は唸り声を上げながらバロンに向かって全力で走り出した。

距離はどんどんと縮まっていく。

9m8m7m6m・・・。

剣を上段に振りかぶり狙うは首筋から肩にかけて。

袈裟懸けに切りつけ広範囲のうちどこかに当たればそれでよし!

バロンはまだノーガードで俺をまっすぐ見つめたままだ。

余裕があるのか俺にはムリだと呆れているのか。

だが最初のこの一撃しか俺が勝てるタイミングはない。

5m4m3m・・・。

俺は両手で持っていた剣を右手だけにして狙いを定める。

あと3歩。

右足を踏み込み一気に距離を縮める。

予想していた通りなのだろう、バロンは笑みを浮かべながら後ろに少しだけ下がった。

だが俺にだってそれはわかっている。

振りかぶった剣を振り下ろしながら俺は剣を手放した。

勢いよく手から離れた剣は真っ直ぐにバロンへと襲いかかる。

さすがに手持ちの武器を手放すとは思わなかったのだろう、後ろに下がったバロンが慌てて手を振り、飛んできた剣を弾き飛ばした。

そのタイミングで俺は左足で着地し、先程よりも大きく踏み込んだ。

強く地面を蹴り、先程よりも早くバロンとの距離をつめる。

ひねるように体をねじり、右腕を大きく伸ばして狙うはからだのど真ん中。

バロンからしてみればとっさに剣を弾き飛ばしたと思ったら俺が目の前に迫ってきたような感じになる。

弾き飛ばした体勢では後ろに下がれない。

俺はその一瞬だけを狙って拳を突き出した。

スローモーションのように時が過ぎる。

ゆっくりと俺の拳はバロンの胸元を狙い、あと少しというところまで迫る。

後ほんの少しという所で、バロンの体が後ろに反れ、わずかながら届かなかった。

まだだ。

まだ終わらない。

俺は閉じた拳をすばやく広げ、指先でバロンの体をねらう。

指一本でもいい、触れれば俺の勝ちだ!

バロンの慌てふためく顔が視界に入る。

ざまぁみろ、頭はこう使うんだよ!

と、思ったのもつかの間その顔がニヤリと笑った。

どう考えても後ろに下がれないバロンの体がまるで氷の上を滑るように後ろに下がっていく。

俺の最後の抵抗もむなしく指はバロンの体をかすることは無かった。

標的を失った俺の体はもつれるように地面に倒れる。

俺の一世一代の賭けは失敗に終わった。

「まさかあそこで剣を投げてくるとは思いませんでしたが、所詮は小手先。詰めが甘かったですね。」

「そこまでわかっているなら私はもう何もいえませんよ。」

すぐさま顔を上げたが、目の前に先ほど投げたはずの短剣が突きつけられていた。

バロンはゆっくりと剣を俺の眉間に近づけていく。

肌に触れた瞬間に切っ先は止まった。

「さて、どうしますか?このまま眉間に剣を突きつけてもいいですし先ほど言ったように指から順番にせめてもいい。一言降参したといえば君の命は助かり、痛い思いをしなくても済む。」

「どうするもなにも降参する気はありません、私は冒険者と共に家に帰ります。」

「この状況でそれが出来ると思っているのですか?」

「やってみないとわからないでしょう!」

ぐっと体を前に出すようにして短剣を持つ手を掴みにかかる。

切っ先が自分の皮膚を突き破るがお構い無しだ。

だがそれも読まれていたのか、軽々と体を翻し俺の手をよけるバロン。

「こんな単調なやり方でしか私を欺けないなんて、君が欲しいと思ったのは私の勘違いだったのかな。」

そういうと明らかに不服そうな顔をしてため息を付く。

そして、くるりと短剣を回転させ上からつかむようにして持つと、宙を掴むようにして突き出された掌の上に一気に振り落とした。

最初は何がおきたのかわからなかった。

だが、地面に縫い付けるように突き立てられた掌を見た瞬間激痛が襲ってきた。

声は出なかった。

いや、出ていたのかもしれないが俺には認識が出来なかった。

「グガァッ、アッ・・・!」

くぐもった声だけが口から漏れる。

痛みが俺の頭を全て支配してしまう。

痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛いイタイ痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛いいたい痛い痛い痛い痛い!

燃えるような痛みが身体中を駆け巡り、思考を停止させる。

まるで昆虫のように地面に貼り付けられた掌からは血が流れ出している。

俺の手が、血が、血が出ている!

「どうです、痛いでしょう。今すぐ参ったと言えばその痛みをすぐにでも止めて差し上げますよ。」

バロンが何かを言っている。

だが今の俺には何も聞こえない。

痛い。

いたいいたいいたいいたいいたい。

痛みが全てを支配する。

「イナバ君、聞こえているかい?」

バロンが俺の髪の毛をつかみ無理矢理顔をあげさせる。

よほど情けない顔をしているのか、俺の顔を見たバロンが哀れんだ目で俺を見てきた。

「降参する気になりましたか?」

「誰が、降参なんて、するかよ。」

「口調が変わりましたね、よほど余裕がないと見える。」

「うるさい!」

痛みのあとは怒りが込み上げてきた。

こんなやつに負けてたまるか。

俺は歯が砕けるぐらいに強く噛み締め、痛みに耐えつつバロンを睨み付ける。

「まだ余裕はありそうですね、片方では釣り合いが悪いですからもう片方も穴を開けましょう。」

そういうとバロンは俺の左手を掴み、右手のように地面に押し付け足で指を踏みつける。

もう片方もってまさか!

右手ごと地面につきた短剣を簡単に引き抜くと、今度は無理やり広げられた左手に突き刺した。

「アアアアアアアアアアアアアア!」

今度は刺さった瞬間から痛みが押し寄せてくる。

さらに突き刺した短剣を左右に動かし傷口をひろげてくる。

あまりの痛みに意識を手放しそうになるも、再びお襲い来る痛みに失神することも出来ない。

「ほらほら、早くしないと大事な両手が使い物にならなくなりますよ。」

痛い。

痛い痛い。

イタイイタイイタイ!

どうして俺がこんな目に遭わないといけないんだ!

だれか、誰か助けて!

「だ、だれか、」

「私以外に誰がいると言うんですか。君を助けられるのは私だけ、ただ一言言えば済む話だよ。」

「だれがいうかああ!」

「強情だね、君も。」

そしてバロンは再び右手に短剣を突き刺すと同じように抉りだす。

引き抜かれた左手を見ると、骨と血と、地面が見えた。

穴が、開いていた。

鮮血で地面は染まり、傷口から血が流れ出す。

殺される。

間違いない。

このままでは死んでしまう。

逃げなくては。

1秒でも早く、この場所から逃げないと殺される。 

だが痛みと恐怖でからだが動かない。

「これで右手も同じだ。やっぱり左右同じじゃないとね。」

バロンが嬉しそうに引き抜いた短剣から滴る血をなぞる。

狂ってやがる。

満面の笑みを浮かべるバロンに狂気を感じた。

でも、両手に穴が開いているも短剣が刺さっていない今なら逃げれる。

そう咄嗟に判断した俺は痛みをこらえつつ両手を地面につき、一気に立ち上がるとがむしゃらに走り出した。

できるだけ遠く。

バロンから離れたところへ!

「何処へ行こうというのですか?」

お前のいないところだよ!

だらしなく垂れ下がった両手から地面に血が流れ落ちる。

ふらつく足で懸命に走るが、なかなか前に進まない。

死にたくない。

誰か、誰かいないか?

エミリア、シルビア、ユーリ、ニケさん、ウェリス、モア君。

誰でもいい。

誰か、誰か助けて。

我ながら他力本願100%だとおもう。

だが、今この状況から助けてくれるのなら魔物だっていい。

懸命に走る足が悲鳴をあげる。

そしてついに膝から崩れるように倒れてしまった。

なんとか目の前の樹に体を預け、転がるのだけは防げたものの立ち上がる気力もなくずるずるとへたりこんでしまう。

前からバロンが歩いてくるのが見える。

樹に背中をあずけ、最後を悟った。

ここまでか。

「もうおしまいですか?」

俺は答えない。

いや、答える気力もなかった。

バロンが俺を見下ろしている。

「できれば生きたまま情報をいただければと思いましたが残念です。なに、死んでもイナバ君の情報は私が有効に使ってあげるから安心してくれたまえ。苦しまずに殺してあげよう。」

バロンが短剣を振りかぶり、俺の心臓めがけて振り下ろす。

目を閉じ最後の瞬間を待つ。

みんな、ごめん。

今までありがとう。

走馬灯のように全員の顔が思い浮かぶ。

皆笑っていた。

そこに俺もいれたらよかったのにな。

最後にそんな顔見たら死にたくなくなるじゃないか。

死にたくない。

死にたくないよ!

「誰か助けて!」

俺は最後の力を振り絞りそう叫んだ。

「シュウちゃん呼んだ?」

聞き覚えのある声がする。

誰だろう。

おそるおそる目を開けたその先には、

可愛らしい少女が笑っていた。


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