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869.転売屋は冬を見送る

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気づけば14月も最終日。

長かった冬も駆け抜ければあっという間、明日には春が訪れる。

この世界の暦は季節感に忠実なので、一気に気温が上昇して春らしくなるだろうなぁ。

それに比例するように花粉症の患者も増えるわけだが、幸いにも薬の量産は完了しているので今の所は何とかなるはずだ。

毛布をかぶって寝るのも今日までか。

さすがに朝晩は冷え込むだろうけど、日中は暖かくなるはずだから着ていく服を考えないと。

衣替えもしないといけないし、しばらくは色々と忙しくなりそうだな。

「さて、そろそろ寝るか。」

気づけばもう真夜中という時間。

毎月末はこんな感じだが、今日は冬の終わりということもあっていつもよりも書類の量が多かった。

セラフィムさんが確認して選別してくれてあの量だもんなぁ。

人間は書類の山から解放されることは無いのだろうか。

俺であの量なら国王陛下とかどうなるんだろうか。

もちろんそれを処理する為に文官がいるんだろうけど、それでも重要案件は山のようにあるだろうからそれにはしっかりと目を通すはず。

ほんとご苦労様って感じだ。

執務室の明かりを消して、静かに戸を閉める。

そのまま自室へ・・・向かう前に、食堂へと向かう。

このまま寝るには少々空腹すぎる。

別に眠れないことは無いだろうけど、空腹を感じたまま寝るのはちょっとなぁ。

誰もいない食堂に潜入し、片付いた厨房へと向かう。

戸棚を開けて食べられそうなものを物色だ。

なんだろう、この屋敷で俺が一番偉いはずなのに悪いことをしている気分になるなぁ。

別に怒られるわけじゃないんだけども・・・っと、いい感じのがあるじゃないか。

『ディヒーアの干し肉。上質なディヒーアの肉で作られた干し肉は、噛めば噛むほど味が染み出してくる。燻製されている。最近の平均取引価格は銅貨15枚。最安値銅貨10枚、最高値銅貨18枚、最終取引日は本日と記録されています。』

この前大量に作った干し肉の残りだろう。

今はビッグホーンの肉が市場に出回ってそっちが大量に加工されているはずだ。

どちらも美味しいのだが、個人的にはこっちの方が好きだな。

さて、さすがにこれ単体だと喉が詰まるからちゃんと水も用意しないと。

魔導冷蔵庫から水差しを出してよく冷えた水をコップに注ぐ。

椅子に座るのもめんどくさくて、そのまま調理台に背中を預けて肉にかぶりついた。

程よい塩気に口一杯に広がる香ばしさ。

あー、エール飲みたくなってくるなぁ。

そういえばジョウジさんが春になったら清酒を見に来てくれって手紙を出してくれていたな。

エールもいいけど、透明な清酒を飲みながらというのも乙なもの。

あーでもそれなら桜っぽいあの花を見ながらがよさそうだ。

本当は皆で見に行きたいところだが、マリーさんはいつ生まれてもおかしくないし、リーシャもルカもまだ小さい。

もう少し大きくならないと皆一緒にってのは難しいだろう。

あー、でもその頃にはミラの子が生まれてるかもしれないのか。

ぐぬぬ、しばらくはお預けだなぁ。

「ん?」

そんな未来予想図を創造しながら干し肉にかじりついていると、ふと食堂に誰かが入ってくる気配を感じた。

こんな時間に誰だろうか。

っていうかこの状況を見られるのはまずい?

向こうも厨房にいる俺に気が付いたのか、途中で歩みを止める。

「誰?」

「その声はマリーさんか。」

「旦那様?」

「わるい、驚かせたな。」

「いえ、大丈夫です。でもどうしたんですかこんな時間に。」

顔は見えないはずなのに、ほっとした顔をしたのを気配で感じる。

俺は別のコップに水を注ぎ、それを手にマリーさんの所へ向かった。

「小腹が空いたから何か食べようと思ってな。」

「ふふ、ハワード様に怒られますよ。」

「干し肉ぐらいで怒らないだろう、多分。」

「ふふ、怒られたら一緒に謝ってあげますね。」

「いやいや、子供じゃないんだから。」

水の入ったコップを差し出すとうれしそうにそれを受け取った。

どうやら喉が渇いたらしくここまで来たようだ。

階段でこけたりすると危ないので誰か呼ぶようにと言っているのだが、この時間だから気を使ったんだろう。

立っているのもしんどそうなぐらいにお腹が大きくなっている。

もういつ生まれてもおかしくないという感じだ。

「あっ。」

「どうした?」

「旦那様が傍にいるのが分かるようです。」

「そうなのか?」

「近くにいるときはすぐにお腹を蹴ってくるので。」

傍に行き、そっとお腹に手を乗せる。

マリーさんが手を重ねてくるのと同時にお腹の中から何かが手のひらを押してきた。

ハーシェさんのときもエリザのときもそうだったが、自分の腹の中に自分の意思とは違う動きのする生き物がいるという感覚は怖くないんだろうか。

母親になると母性が強くなるだけに、愛おしいという気持ちの方が大きいのだろうか。

わからん。

わからんが、確かにそこにいるわが子が俺に反応してくれるのは殊更に嬉しいものだ。

「ふふ、喜んでいますね。」

「早く外に出せ、とでも言ってるんだろう。」

「そうかもしれません、でももうちょっと待ってもらえたら嬉しいです。」

「どうしてだ?」

「私は冬の生まれなので、出来れば春に生まれて欲しくて。」

「ふむ、何か理由がありそうだな。」

別に無事に生まれてさえくれたら冬でも春でもどっちでもいいんだが、マリーさんはそうじゃないらしい。

確固たる強い意志を感じる言い方だった。

「もし生まれてくる子が私と同じだったらと不安になるんです。もちろんそんなの大きくなってからじゃないと分かりませんけど、でも、年を重ねるときに暖かな春だったら寂しい思いをしなくて済むなって。」

「マリーさんは寂しかったんだな。」

「そうですね。年を重ねるたびに何で自分は普通じゃないのかと責めてしまいました。冬の強い風が部屋の中だけじゃなく私の心まで冷やしてしまうようで、もし春だったらそんな風に思わなかったのかなって。」

「例えこの子がそうだったとしても責める必要は一切無い。それはこの子の個性だし、それをどうにかしたいと思うのならまた願いの石を集めれば良い。三日でも五日でもこの子のために戦ってやるさ。」

もし本当にそうなのだとしたら、今度は俺も前線に出て戦おう。

それでこの子が救われるのなら魔物とだって戦ってやるさ。

もっとも、俺だけじゃ絶対に無理なので冒険者にも大勢手伝ってもらうけどな!

いくらお金をかけても、最終的に回収できる自信がある。

あれ?それなら定期的に氾濫させたほうが・・・。

いやいや、さすがにそれはまずい。

「この子は幸せ者ですね。」

「何を言ってる、マリーさんも十分幸せ者だ。」

「ふふ、そうでした。」

「夜が明ければ春だ。さすがに今から生まれるって事はないと思うが、もう少しだけ待てよ。分かったな?」

お腹の子にそうささやくと、返事の代わりにまた手のひらを蹴飛ばしてきた。

どうやら伝わったようだ。

「この感じ男か?」

「さぁ、女の子かもしれません。」

「そうだとしたら可愛い子なんだろうなぁ。」

「どうでしょう、旦那様のように格好良い男の子かもしれませんよ。」

「カッコいいかは残念ながら保障しかねる。が、可愛いのは間違いない。」

どちらが生まれるにせよ母子共に健康であればそれで良い。

出産が命がけってのはエリザのときに改めて理解した。

そのときに男の俺に出来ることは何も無いのだが、それでも一緒にいたいと思う。

もちろんマリーさんがそれを望んだらだが。

二人で無言のままお腹に手を当て続ける。

ここに自分もいるぞとアピールするように時々お腹の中から主張する度、二人で目を合わせて笑みを浮かべた。

静かな食堂に三人だけの空気が流れる。

とはいえ、まだ季節は冬。

床は冷えるし空気は冷たい。

出産前に風邪を引かせるわけには行かないな。

「そろそろ戻るか。」

「もう少しだけ、ダメですか?」

「それはかまわないがここじゃダメだ。その感じじゃ眠れないんだろ?付き合ってやる。」

「いいんですか?」

「ただしベッドの中でな。さすがに俺も寒い。」

春は春で忙しくなる、こんなところで風邪を引いているわけには行かない。

マリーさんの手をとってゆっくりと部屋へと戻る。

二人で大きなベッドにもぐりこみ、マリーさんのおなかに手を載せながら静かに終わらない話をし続けた。

好きな食べ物に始まり、子供の頃の話や、昔読んだ本の内容など。

不思議と眠気は訪れず、ただ心が満たされるのを感じる。

それはお腹の子も同じようで、食堂ほどじゃないがぽこぽこと自己主張を続けていた。

もっとも、子供の名前を考えているときは激しく動いていたけどな。

そんなこんなで気づけば外が明るくなっていた。

暦が冬から春に変わる。

始まりの陽がゆっくりと地平線を照らし出し、そして鮮やかなオレンジ色をのぞかせた。

「春だ。」

「はい、春になりました。」

「楽しみだな。」

「楽しみです。」

冬は終わり春を迎えた。

朝日を浴びながら俺達は静かに眼を閉じ、つかの間の夢の世界へと旅立つ。

その夢の中でみたのは、ひと目で春だと分かるぐらいに花が咲き乱れた草原を走り回るマリーさんと一人の子供。

その子が俺を見つけこちらに向かって手を振ってくる。

『もうすぐ会えるよ。』

手を振りながらそう言ったような気がした。
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