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773.転売屋は判子を注文する

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10月ももうすぐ終わり。

来週には11月、いよいよ冬が始まる。

この世界の季節感は暦にかなり忠実なので日中は比較的暖かいのだが、とはいえ冬がすぐそばまで来ると流石に夜は冷え込んできた。

来るべき冬に向けて街中がしっかり準備をしている。

もちろんうちもそれに違わず、準備は完璧。

焔の石や燃料、その他防寒対策もばっちりの状態で冬を待っている。

バッチリじゃない物があるとすればただ一つだけ。

パックを入れる箱が準備できていない

いや、一応準備は出来ているんだ。

箱にはもう用紙を入れて溶液で満たしてあるので取り出せばいつでも使える状態になっている。

なので化粧品としての効果は果たせる。

が、箱に施す細工が全くと言っていいほど出来上がっていない。

物は試しとジョンの描いた絵を真似してみたのだが、残念ながら俺には絵心というものはなかったようだ。

かといって本人に同じように描いてくれと頼んでも同じような仕上がりにならないんだよなぁこれが。

渾身の力作ってやつなんだろう。

兎にも角にも冬はすぐそこだというのに肝心なものが出来上がっていないわけだ。

ぶっちゃけ半分はあきらめている。

今更用意したところで間に合うかどうかは微妙なところ。

この短期間で全ての箱に細工を施すなどそれこそ魔法を使わないと不可能だろう。

魔法のあるこの世界でも残念ながらそんな魔法は存在しないらしい。

残念だ。

「これで終わりか?」

「はい、必要なものはおおかた買い付けられたかと。」

「これで安心して冬を迎えられるというわけだ。」

俺とミラの両手には買い忘れていた食料品が山ほど入った袋がぶら下がっている。

宅配を頼んでも良かったのだが色々と忙しそうなので自分で持ち帰ることにしたのだが、ぶっちゃけ後悔している。

結構重いんだよなぁ。

よいしょと荷物を持ち直し、さっさと帰ろうかと市場の出口に差し掛かった時だった。

「いらっしゃいいらっしゃい、ハンコはどうだい?面倒な名入れがあっという間だよ。」

「ん?ハンコ?」

「どうされました?」

「いや、聞き覚えのある単語が聞こえたんでな。」

この世界にも一応ハンコはある。

が、サインすればいいだけなのでそこまで普及していないようだ。

元々ハンコなんてのは元の世界でも俺の国でもてはやされていただけで、こっちに来る前には無くしていこうって話になっていた。

その割には電子ハンコとかいうよくわからないものも出て来たし、まったくそんなにハンコが好きかねぇ。

一生懸命客寄せしているのは季節外れの白い半袖姿をした職人風の若い男。

ねじり鉢巻とか夏祭りでも最近見ないぞ。

熱心に声を掛けてはいるものの、中々客は寄り付かないようだ。

どれ、久方ぶりに聞いたハンコとやらはどんな感じなんだ?

「おぉいらっしゃい!」

「随分威勢がいいな、これはなんだ?」

「ハンコだよ。この板に希望する字や絵を掘って同じものを複製できるんだ。」

「へぇ、これから掘るのか?」

「そうさ。一応これまでの作品もあるが見るかい?」

「あぁ是非見せてくれ。」

俺が近づくだけで満面の笑みに変わる。

余程客が寄り付かなかったんだろう、逃したくないという感じがひしひしと伝わってくる。

男が横の木箱から取り出したのは大小さまざまな板。

小さい物は3㎝程の丸、大きい物は20cmを越える四角い物もある。

どれも正面はのっぺりとしているが、裏側には物凄く細かい模様が彫られていた。

「こいつに好みの色をしたペイントプラントの樹液を着けて、こんな感じで押し込むと・・・。」

「おぉ、小さな絵が浮かんで来た。」

「これは絵だが文章でも名前でも何でも行けるぞ。ペイントプラントは普通のインクよりもはがれにくいし水にも強い。紙以外にも木や金属にも塗れるんだ。」

「面白いな、せっかくだ俺の名前を掘ってもらおうか。いくらだ?」

「名前なら銀貨3枚。後はこんな感じの絵なら応相談って感じだな。」

「絵を模写できるのか?」

「その為のハンコだからな、こう見えても手先は器用なんだぜ。」

ムンと力こぶを作って腕前をアピールする職人はさておき、絵を複製できるって凄くないか?

とりあえず名前を掘ってもらうことにして代金を支払う。

使うのは彫刻刀のような細い刃物と、ブヨブヨした板。

なるほどこいつに掘るのか。

『ラバーゴーレムの装甲。ゴーレム種の中でも非常にやわらかい装甲を持つラバーゴーレムだが、その装甲は衝撃や魔法に強く変質しづらい性質を持つため住居などの大型建築に用いられる。ただし刃物には弱いため注意が必要。最近の平均取引価格は銅貨70枚、最安値銅貨50枚最高値銀貨1枚最終取引日は3日前と記録されています。』

ラバーゴーレムは日用品から建築物までさまざまな用途に用いられているが、まさかハンコにまで使われているとは思わなかった。

まぁゴム印があるぐらいだからあってもおかしくないのか。

名前を紙に書くと、それを鏡の前に置き反転させてから削っていく。

なるほど、ひっくり返したときにずれてしまわないための工夫か。

すごいな。

あっという間に削りあがり、ペイントプラントの樹液を調合したインクにつけて紙の上に押す。

すると鮮やかな俺の名前が浮かび上がった。

筆跡までほとんど同じ。

これはすごい。

「見事だ。」

「だろ?ほかにも作ってほしいものがあったら遠慮なく持ってきてくれ。」

「何でもいいのか?」

「俺にかかれば名画だって彫ってやるよ。」

よほどの自信がなければそれだけ大口をたたくことはできないだろう。

さっきの話だとどんな素材にも使えてさらには水などにも強く劣化しづらいらしい。

インクの色さえ変えれば色々と楽しめるかもしれない。

もしかしなくてもこれは最高の道具じゃないだろうか。

「ミラ。」

「急ぎ箱を持ってまいります。」

「よろしく頼む。」

「なんだ?まだ何か彫ってほしいのか?」

「金なら出す、だから今から持ってくるものと同じ模様を彫ってほしいんだ。言ったよな、名画だって彫ってやるって。」

「いやまぁ、そりゃ言ったが・・・。」

「期待しているぞ。」

ニヤリと笑う俺を見て職人がたじろいでしまったが気にしない。

しばらくして模様の描かれた箱を持ってミラが戻ってきた。

秋の終わりとはいえ気温が高いからなぁ、ずいぶんと急いだんだろう汗がすごい。

「大丈夫か?」

「問題ありません。」

「助かった。そしてこれが頼みたい模様だ。この箱に描かれた模様を同じように彫ってほしい。大きさもそろえて全5面分だ。できるか?」

「こりゃ見事な模様だが、俺にかかれば造作もない。だが値は張るぞ。」

「いくらだ?」

「五個で銀貨80枚だ。」

「安いな、じゃあ同じものをあと二つ作ってくれ。」

「安・・・マジかよ。」

もっと高い値段をふっかけてくるかとおもったのだがかなり良心的な値段で驚いた。

仮に金貨3枚といわれたとしても払っていただろう。

あの模様を寸分たがわず複製できる魔法のハンコだぞ?

インクを変えれば俺の想像通りに三種類分使い分けることができる。

これで箱の問題も解決。

まさかハンコっていう手段があったとは。

世の中不可能はないのかもしれないなぁ。

「どのぐらいでできる?」

「三つとなるとすぐって訳には行かない、だから二日くれ。二日あれば同じものを三つ用意しよう。」

「本当にこの模様を複製できるんだよな?」

「俺はうそが嫌いなんだ、出来ると言えば出来る信じてくれ。」

「わかった。材料は足りているか?」

「材料はあるが、出来れば作業場を貸してもらえると助かる。」

「お安い御用だ。」

部屋はたくさんある、良い物をしっかり食ってもらって良い仕事をしてもらうとしよう。

それからきっかり二日。

寝る間も惜しんでゴム版を削り続け他職人は仕上がった作品を俺に手渡し、その場に倒れた後泥のように眠ってしまった。

仕上がったそれは見た目には複雑な模様が彫ってあるだけ。

だが、それを目的の色に調合したインクに浸し箱の上にしっかりと押し付け・・・。

「わ!僕の絵が出てきた!」

「凄いですね、本当に瓜二つです。」

「見事なものねぇ。」

ゴム板を持ち上げると、その下からジョンの描いたものとまったく同じ模様が浮かび上がった。

少し待ってから触ってみるとインクが手にくっつく感じはない。

速乾性能は高いようだ。

これなから比較的簡単に量産することが出来るだろう。

後はどういう順番ではんこを押していくのが効率的か探る必要がある。

でもそれはやりながら見つけていけば良いだろう。

とりあえず間違いなく乾く時間だけ確認すればいい。

「何とかなりそうだな。」

「急ぎ婦人会にお伝えして作業に入っていただける方を手配します、15人ぐらいで良いでしょうか。」

「三種類同時進行で行くならそれぐらいいるだろう。とはいえインクの在庫は足りるのか?」

「大丈夫、ペイントプラントの樹液ならすぐ手に入るわよ。」

「なら後は動くだけか。」

冬はもうすぐそこまで来ている。

職人のがんばりを無駄にしないためにも、残り数日手を動かし続けるしかない。

大丈夫だ、何とかなる。

秋の終わり。

最後の最後にすべてを解決する魔法を見つけることが出来た。
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