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686.転売屋はトンカツを揚げる

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『ファットホッグの肉。魔素を吸収して丸々と太ったファットホッグは、肉々しさの中にも脂の甘さがあり様々な料理に用いられている。ただし流通量は少なく主にダンジョンの中でオークが飼育しているものを仕留めて手に入れるのが一般的。最近の平均取引価格は銀貨3枚。最安値銀貨1枚と銅貨77枚最高値銀貨3枚。最終取引日は昨日と記録されています。』

巨大な豚の肉。

血抜きの終わったそれは鮮やかなピンク色をしており、脂は白く輝いている。

その味の良さから肉の宝石とも呼ばれるとか呼ばれていないとか。

著者不明の手帳より抜粋


「血抜き終わった分ここ置いときまーす。」

「置いとくな、切り分けろ。」

「えぇ、無理っすよ!」

「やる前から無理って言うな。適当なサイズでいいから、部位とか大体でいいから。」

「そんなこと言われても。」

「いいからやれ。」

「は、はい!」

肉を届けに来た冒険者を脅して肉を切り分けさせる。

悪いが今の俺に気遣いをしている余裕はない。

そんな事している暇があったらひたすらカツを揚げる。

揚げて揚げて揚げまくる。

じゃないとこの地獄から抜け出すことが出来ないからだ。

「シロウ様、これから少々うるさくなりますが我慢してください。」

「わかった。」

「シロウ様の素晴らしい作戦のおかげで敵は我を忘れています。このまま敵をひきつければ裏に回った別働隊が上位種の衰弱を待つことなく仕留める事が出来るでしょう。」

「それはよかった。俺から言うことは一つだけだ、頼むから早く終わらせてくれ。」

「マリー様を未亡人にするわけには参りません。ですので、安心してこちらでカツを揚げ続けてください。あ、お一つもらっても?」

まるで台所でツマミ食いするような軽さで許可を待つアニエスさん。

耳が嬉しそうにピコピコ揺れている。

しってるぞ、ルフが良くやる奴だ。

非常に機嫌がよく、さらに興奮しているときの耳。

でもこの興奮はカツを食えるからじゃない。

血と怒号とカツを揚げる匂いの混ざったこの空間に酔いしれているんだ。

あぁ、何で俺はこんな所にいるんだろうか。

ここから100mも離れていない場所にオークの築いた要塞がある。

そこでは今も冒険者とオークが血で血を洗う戦いを繰り広げていた。

当初は散発的だった戦闘も、今じゃ途切れる事無く続いている。

魔物の雄たけび、冒険者の怒号、そして魔法の炸裂音。

あ、今何かが壁に刺さった音がした。

恐らくはオークが放った矢か何かだろう。

厚さ10cmを超える巨大な壁が俺を守ってくれているので被害はないが、だからといってこんな戦場のど真ん中でカツを揚げさせるのはマジでどうかと思うぞ。

誰だよ考えた奴。

俺か!

「右側の奴が少し冷めてる。」

俺の許可が出るとひょいと一枚摘まんで、あっという間に食べきってしまった。

「うーん、ジューシーな肉の味に甘みのある脂、そしてなによりこのサクサクとした触感。癖になります。」

「食レポ上手いじゃないか。」

「お褒めに預かり光栄です。では、元気も頂きましたので今度こそ中央を切り崩してご覧に入れましょう。」

「無理するなよ。」

「貴方が後ろにいるんです、負けるはずがありません。」

軽くキスをしてからアニエスさんは戦場へと戻っていった。

普段のあの人なら絶対にしないようなことだ。

あれだな、空気に酔ってるって奴だな。

「あの、俺も食っていいっすか?」

「肉は終わったか?」

「はい、一応は。」

「いいぞ、まずは皿を取って、右側のカツを一枚乗せろ。キャベッジとコメはお変わり自由。おすすめは醤油と味噌タレだ。スープは一人一杯だけだからな、注意しろ。」

「あざっす!」

裏で肉を切っていた冒険者が血まみれの格好のまま皿を手にカツを持っていく。

その血は魔物のものか、それとも豚のものか。

ま、どっちでもいいや。

俺の仕事は最前線でカツを揚げること。

理由は簡単だ。

敵を怒らせるため。

『自分達が手塩にかけて育てた豚を相手の目の前で食ったら無茶苦茶怒るんだろうなぁ』

そんな事を言ったばっかりに、俺はこんな場所でカツを揚げることになってしまった。

一時間前の自分、もうちょっと考えて発言しような。

まぁ、いつもの事だけどさ。

最前線の休憩所。

魔法で作られた巨大な土の壁の後ろには10人ほどが食事を摂れるスペースと調理場、救護所、そして冒険者ギルドの出張所が設置されていた。

最前線で戦う冒険者の腹を満たすこと、そして敵を挑発することが今の俺の仕事だ。

「調子はいかが?」

「問題ない。」

「それは良かった、こんな場所でもお腹は空くんだもの不思議よね。」

「怪我はないか?」

「私は陽動メインだから。でも心配してくれてありがとうシロウさん。」

「なに、エリザの親友に何かあったら俺が文句言われるからな。で、行けそうか?」

新しいカツを油に投入したところでニアがひょっこり顔を出した。

普段はギルド職員として働くニアも、根っこは冒険者。

こういう特殊な状況で血が騒いだのかアニエスさんと共に戦場を駆け巡っている。

今のところ大きな怪我はしていないようだ。

「敵の数は減ってきてるはず。さっきメイジが倒されたって一報が入ったから残るはジェネラルだけね。アニエスさんが鬼気迫る表情で敵に襲い掛かっていたから時間の問題じゃないかしら。」

「カツを食って行ったからな。」

「それは百人力ね。それじゃあ私はかつ丼で。」

「また手間のかかる。」

「いいじゃない、だって美味しいんだもの。」

そう、ここで提供しているのはトンカツだけじゃない。

それを使ったアレンジ料理も何種類か用意している。

かつ丼、カツとじ、カツカレー。

カレーはわざわざ休憩所で奥様方が作った奴を大鍋で運んでもらっている。

敵からしたらたまったもんじゃないだろう。

自分たちの豚を奪われただけでなく、目の前で調理されそれが冒険者の活力に繋がっているんだから。

俺が立案者ってバレたら絶対に殺される。

だから俺は戦いが完全に終わるまで、延々とカツを揚げ続けるしかないんだ。

「コメは自分でよそえよ、卵は?」

「二個!」

「了解。」

ちなみにニアはこれで二回目の食事だ。

ひたすら揚げ続けているのでどのぐらい時間が経っているかは不明だが、今の所はまだ頑張れる。

一応休憩もしてるし。

即席で作った割には上手くいった割下モドキを小鍋に入れ、そこにオニオニオンスライスを投入。

火が通ったところでざく切りにしたカツを乗せ、溶き卵を回し入れたら蓋をしてしばし待つ。

噴きこぼれる手前で蓋を開ければ完成だ。

「どんぶり。」

「はい!」

「ネギは自分で入れろよ。」

「わ、美味しそう。いっただっきまーす!」

「火傷するなよ。」

「したらポーション飲むから大丈夫。」

いや、大丈夫じゃないだろそれ。

脳筋の発想に全力でツッコミを入れたくなるのを堪え、調理器具を水の魔道具で洗い再びカツを上げる。

その後もひっきりなしではないが、戦いで傷つき疲れた冒険者が戻ってきては、治療と食事を済ませて戦場へと戻っていく。

恐ろしいと思ってはいるだろうが、それよりも目の前の敵を殲滅することに命を燃やしている感じだ。

この頑張りが直接実入りに繋がるわけだし。

半分戦闘狂みたいなものがあるよな、この辺に来る冒険者はさ。

新米とか、初心者とか呼ばれる連中はまだ普通の人間的な思考を持ち合わせている。

だが、中級に上がるようになるとそういった思考は薄れ、最終的にエリザやニア、アニエスさんのような脳筋的な発想になっていく。

戦って自分が生きていると認識している部分がどこかにあるだろう。

それからどのぐらい経っただろうか。

ひと際大きい冒険者の歓声が壁の向こうから聞こえてきた。

ちょうど仮眠をしていたので、突然聞こえてきた声に思わず自分がどこにいるかわからなくなってしまう。

俺は確か・・・。

そうだ!カツを揚げてる途中で仮眠取ってたんだ。

「シロウさん!終わりましたよ!」

「終わったって?」

「さっきアニエスさんがジェネラルを仕留めたんです。見せたかったなぁ、あの巨大な斧がぶつかり合って火花が飛び散るの。俺感動しちゃいましたよ。」

「そうか、終わったか。」

思わず安堵の息が漏れる。

無事に終わったという安堵よりも、これ以上カツを揚げなくていいという安堵の方が大きいかもしれない。

いや、マジで疲れた。

体中から油のにおいがする気がする。

いや、する。

屋敷に帰ったらリーシャが嫌な顔するに違いない。

当分は抱っこの度に泣かれるんじゃないだろうか。

いや、そんなのはどうでもいい。

この地獄から解放されるならそれはそれで・・・。

「もうすぐ皆戻ってきますよ。あいつら結構色々溜め込んでたみたいですから、シロウさんも忙しくなるんじゃないですかね。」

「忙しくなるって何がだ?」

「買取りにきまってるじゃないですか。俺も何個か確保してるんで、後で鑑定宜しくお願いします。」

マジか。

これで終わったと思ったのにどうやらこの地獄からはまださらばできないらしい。

まぁ、カツを揚げる地獄から解放されたと思えばそれはそれでいいのか?

いや、良くないだろう。

壁の向こうから勝鬨が聞こえてくる。

この声が新たな地獄の始まりになることを今の俺は全力で否定するのだった。
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