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第二部 炎魔の座

第七十話

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 夢。
 夢?
 現実。
 現実?
 エイラが泣いている。
 首を抱いて泣いている。
 小さな子供のように泣きじゃくっている。
 みんなが悲しそうな顔をしている。沈痛な顔をしている。悔しそうな顔をしている。憤った顔をしている。落ち着いた顔をしている。
 ヨナが唇を噛んでいる。
 トリンがボーッと呆けている。
 フリートが目をすがめている。
 サラが顔を背けている。
 ウィズの顔に陰が差している。
 リダエルが目を閉じている。
 ティムとエマとバーメンが信じられないという顔をしている。
 ルナが拳を固く握り込んでいる。
 ディアがエイラに寄り添って一緒に泣いている。
 サムソンが……サムソンはいなかった。騎士団の訓練場で怒った顔をしながら、布を巻き付けて地面に立てられた太い木材に剣を打ち付けていた。何度も、何度も。汗を流しながら。
 あの世。
 あの世?
 走馬灯。
 走馬灯?


『これは夢でもあり、現実でもあり、走馬灯でもあり、もしかしたらあの世でもあるかもしれません』


 暖かい光が差す空間。足元には色とりどりの花々が咲き、気候は穏やかで快適で過ごしやすい。
 天国。
 天国?
 地獄。
 地獄?


『ふふ。もしかしたら天国や地獄というのは、案外こういう場所かもしれませんね』


 声。
 優しい声。
 穏やかな声。


『お久しぶりですね。あなたに姿を見せるのは、いつぶりでしょうか』


 姿。
 地面に届きそうな長い金髪。
 陽の光のような金色の瞳。
 黄金比ともいえるような完璧に整った顔立ち。
 身につけているのは上品で高貴な薄手の布服。一点の染みも汚れもほつれも、縫い目すら見当たらない、完全な布の服。


『紅茶をご用意しました。お茶菓子も。お望みならば、他にもご用意いたしますよ』


 にこりと微笑む。
 いつの間にか座っていた。
 目の前には汚れの一切ない純白のテーブル。純白のカップが二つ。対面には声の主。
 カップに淹れられた紅茶が甘く芳醇な香りを立ち上らせている。
 花畑に色とりどりの綺麗な蝶が舞っている。
 争いを知らないような美しい小鳥のさえずりがする。
 空に浮かぶ小さな雲が穏やかにゆっくりと流れていく。


『炎魔源の争奪、大変でしたね。それだけでなく、いままでも色々な問題に立ち向かってきて……本当におつかれさまでした』


 炎魔源の争奪。
 炎魔源の力の一部を手に入れたグレン。
 暗躍するその協力者達。
 サムソンと同じ顔をしたグレン。


『あなたはいままで、たくさん頑張ってきました。さびしい気もしないではありませんが、もうこれ以上頑張らなくていいんです』


 頑張らなくていい……。
 炎魔源の争奪の行く末はどうなるのだろうか。
 フリート達が手に入れるのか、グレン達が手に入れるのか。
 エイラは、ディアは、サムソンは、残されたみんなはどうなるのだろうか。


『彼らは強いです。あなたがいなくても、なんとかして自力で解決できるでしょう。あなたを失った心の傷も、いずれ時間が解決してくれるはずです』


 時間。
 気掛かりなことが残っている。
 いくつかの謎も残されている。


『それらも彼らが解決してくれるでしょう。あなたにそれを知る術はありませんが、彼らを信じて安心してください』


 安心。
 この先にあるのは 死
 死 ?


『はたして 死 とはなんなのでしょうね。私もたまに考えます。死んだらどうなるのか? この意識は、私というこの自我は、消えてしまうのか、どこかに残り続けるのか』


 意識。
 自我。
 消滅。
 残存。


『そのヒントは、もしかしたら世界に生まれてくる前にあるのかもしれません。世界に生まれてくる前、その記憶はほとんどの者にありません。たまにある者もいるようですが、私にはありませんでした』


 世界。
 生まれてくる前。
 前世の記憶。


『あるいは、死んだあとは別の世界、別の時代、別の存在として生まれ変わるのかもしれません。いまの私に、それを確かめる術はありませんが』


 生まれ変わり。
 転生。
 来世の可能性。


『すべての生けるものはいずれ死んでしまいます。始まりに終わりがあるように、逆説的には、終わりがあるからこそ始まりがあるとはいえませんか』


 生 と 死 の関係性。
 しかしそれに反する存在も知っているはずだ。代償と引き換えにして、永遠に等しい命を手に入れた人を。


『あなたのお師匠様のことですね。厳密には、彼女にもまた 死 が存在します。ただ彼女の場合は、そのときをある程度自分で決定できるということです』


 その人は言っていた。
 自分が持つこの力を捨てることもできる、と。


『それこそが、彼女にとっての 死 の決定権利といえるでしょう。それが良いことか悪いことかは分かりませんが』


 目の前の存在が霧のようにぼやけ、希薄になっていく。周囲の景色もまた。


『おわかれのときが来たようですね』


 そのようだ。


『残念ながら、私はあなたを助けることができません。以前は、それが『魔』の存在でしたから許されました。本来であれば、私が直接手を貸すことはできないのです』


 分かっている。


『今回は、人間です。存在としては歪ですが。紛れもなく、あなたと同様の相手です』


 やはり、そうなのか。
 だが、歪、とは?


『それはもはや、あなたには関係ないことでしょう。もしあなたが旅立った先で炎魔に出会うことがあれば、そのときにでも聞いてください』


 会いたくねえな。
 聞くことも気が引ける。


『ふふふ。でしょうね。……それでは、さよう……』


 声が聞こえた。
 さっき聞いた声だ。
 子供のような泣き声だ。
 後ろを振り返る。
 エイラが泣いていた。
 黒い服を着て泣いていた。
 そばにはディアやルナや騎士団や魔導士団のみんなもいた。ジーナやブーモを始めとした、いままで出会ったみんながいた。
 ディアやルナもエイラに寄り添いながら静かに泣いていた。
 みんな黒い服を着ていた。みんなが悲しい顔をしていた。
 みんなの中心に一つの黒い棺があった。
 サムソンはいなかった。フリートやヨナやトリンやサラもいなかった。
 炎魔源の追跡に向かっているのだろう。グレン達と戦っているのだろう。
 …………。
 これは現実か。
 それとも夢か。
 または想像か。
 あるいは幻か。


『あの棺のなかには、あなたが入っています。これはあなたの葬式ですね』


 さっきまでいた存在は姿を消して、声だけが聞こえる。周囲の景色も教会の内部へと変化していた。
 十字架の下にみんなと棺がいる。


『このあと、あなたは火葬されて、この世界から真実消滅します。死んだ者は生き返らない。あなたも、また』


 …………。


『後悔があるような顔ですね』


 後悔していないと言えば、ウソになる。
 もっと強ければ、こんなことにはならなかったかもしれない。


『それはどうでしょうね』


 …………なに……?


『ただただ純粋に『強さ』のみを求めたのが、グレンであり、先代の炎魔です。確かに彼らは強い。しかし、あなたは彼らのようになりたいと思いましたか?』


 …………。


『沈黙。それがあなたの答えであり、思いです』


 …………だったら、どうすれば良かった? どうすればこうならなかった?


『先ほどの私の言葉には語弊があったかもしれませんね。勘違いしないでほしいのは、強さそのものは必要です。ただし、それだけを追い求めてはいけないということ』


 ……なにを言いたいんだ?


『その答えは、あなたはもう知っているはずです。私が教える必要はありません』


 強さ以外の、なにか。


『その葬式に、あなたのお師匠様は参列していません』


 …………、師匠はそんな殊勝なことをする人じゃないし、ただ単に知らないだけってこともある。


『『奇跡は起きるものじゃない。起こすものだ』。聞いたことはありませんか?』


 それは……昔、師匠が言っていたことがある……。
 どういうことだと思っていたが……。


『最後に問いましょう。これに答えたら、本当におわかれです』


 ……なんだ?


『あなたは生きたいですか? 死にたいですか』


 …………。
 質問になってないな。
 生きたいに決まってる。
 生きて、みんなとまた会って、やり残したことを終わらせたいと、思っているに決まってる。
 ……だが……もう……。


『それが聞ければいいんです。『生きたい』。それ以外の不安は関係ありません』


 ……どういう意味だ……?


『私はあなたを助けない。これは、あなたが起こした『奇跡』』


 ……なにを言っている……?


『さようなら。『おわかれ』の時間です』


 声が途絶える。
 みんながいなくなる。
 周囲が白い光に包まれていく。
 
 ……俺は暗闇の空間で目を覚ました。



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