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五十一話 信康処刑(その四)

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育った境遇のせいなのか、はたまた元からあった性格ゆえなのか、とにもかくにも、才蔵という子供は、誰とも馴染むことなく、常に一人きりでいる事の多い子供であった。


そんな才蔵が、心を許すのが、兄である伊蔵と弟の末松。
そして、今、思い出という記憶の片隅にある名前、秀と言う少年の友がいた。



たった一人の心許す友。
拒絶しても拒絶しても、気がつけばいつもそばにいてくれた。
苦しい時も悲しい時も、そして嬉しい時にも、気がつけば必ずそばにいて微笑みかけてくれた友。

忍びの世界に友情など存在しないと、どれだけ教え込まれてもなお、友であると言えた、たった一人の人間。


「…………しゅうちゃん……」


才蔵の脳裏に鍛錬に明け暮れた日々の中、唯一、心許す友を得た幼き頃が浮かび上がっていた。


「…しゅう…秀ちゃんなのか?…………」


「……」


才蔵が、声をかけると同時に、その男はゆっくりと才蔵に背を向け、先ほどから雲間より顔をだした月を見上げた。


「……大殿は、大殿は、‥‥御変わりになられてしまった……」


「……」


「織田信長様への嫉妬心が‥‥信長様の天下への覇業が進むにつれて、嫉妬心が、お館様を変えてしまった……」


男は、才蔵の言葉には反応を見せず、まるで独り言を呟くように、淡々と言葉を紡ぎ出していく。



「今回のことで、まさか……若殿までも……切り捨てになられるとは……」


「……」


その男の声は、途切れ途切れになり、今にも消え入りそうなほど力ない、か細い声になっていった。


『しゅうちゃん』


身を潜めたままの才蔵のすぐ目の前にいる男は、紛れもなく、幼き頃の友『秀』であると、この時、才蔵は全ての欺瞞を払拭し、確信を得ていた。


親、兄弟、どんな血の繋がりさえ関係なく、偽り欺き権力を己が手にせんとする下克上のこの戦国の世で、まるでそんな権力闘争などには意味などないと言うように、己が命を賭してでも主を守り抜く強者たちもまた存在した。

重治たちの周りに集まる猛者達しかり、今、闇に潜む才蔵もまた間違いなく後者の人間であった。

そして、そんな才蔵の目前の男が、才蔵の考える者であるならば、自分の事よりも相手を思いやれる、殺伐とした戦国の時代には似つかわしくない後者の人間であると言えた。



「‥‥忠次様さえ、遠ざけられてしまった今、お館様を お諫め出来る者は、この徳川に存在しない……」


何かにつけて正論を持って自分と対立していた信康。そして、徳川家においては、重鎮でさえあった酒井忠次までを遠ざけてしまった家康には、保身に走る家臣ばかりで、徳川家の幾末を案じて異を唱えるものなど存在しなかったのである。


「……どうか‥‥どうか、若を……信康様を…………」



厚い雲間から時より顔を出す月の光が浮かび上がらせる男の後ろ姿は、まるで泣いているようにさえ感じられる。


「秀……」


それまで、闇間に気配を断ち、身を潜め続けていた才蔵は、おもむろに声をあげ立ち上がり、足を一歩踏み出した。
いや、正確に言えば、幼き頃の友と確証を得た才蔵は、懐かしさから、それまで保っていた心の平静さをなくし、気づけば、立ち上がり近づこうとさえしていたのである。



才蔵と秀の間にある繋がりは、言葉で表せるほど単純なものではない。


それは、幼いまだまだ子供。少年とさえ呼べないような幼き頃の事、自らの命の危険を省みる事もなく才蔵の危機を救ったその経緯を考えてみれば、それも当然の事であったのかもしれない。

忍びとしては、優しすぎる、非情にはなりきる事の出来ない秀と呼ばれるその男の性格が、今この時、才蔵に、この場所に居る事を許していた。


「秀ちゃ……秀。……俺に、‥‥俺に任せておけ」

「…………」


才蔵にしてみれば、偶然の成り行きとはいえ、返しても返し切れないその恩を 返す事など到底出来ないと思っていた義理を 少しでも返せる機会が巡ってきたと言っても良かった。

才蔵の持つ人間の本質もま優し過ぎる男、秀と何の変わる事のない人間だったのである。


無言の秀の背中を見つめていた才蔵は、突然、くるりとその場を振り返ると、勢いよく駆け出した。

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