裏信長記 (少しぐらい歴史に強くたって現実は厳しいんです)

ろくさん

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四十六話 宴(その三)

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「ほおうぅ……」


「おうぅ‥‥」


「ふおぅ‥‥」


場内のあちらこちらから、突然の感嘆の声が湧き上がった。

今回のこの宴の主役の一人の入場である。



「これは、なんと美しい‥‥」


「ほおうぅ、綺麗じゃ」


その感嘆の声で褒め称えられた女性は、照れくさげにしながらも、この屋敷の主である、昌幸の元へと近づき、その正面へとゆっくりと優雅に座った。


「ほう、見違えるようじゃわい……」


すぐ前に座った祐を見た昌幸もまた、感嘆の声を漏らした。


うっすらと化粧を施した祐は、いつもの可愛いという表現が全く持ってあてはまらない。
美しいという言葉は、今の彼女の為に用意されていた言葉としか言いようがない。
しかも、ほんのりと赤くさした紅が、大人の色香さえ漂わせているのである。

育ての親の昌幸でさえ、感嘆の声をあげたとて、何の不思議もなかったのである。


「お館様。私めごときのための縁談に、わざわざ、お骨折り頂き感謝いたしております‥‥。祐は‥‥、何のご恩返しも‥‥」


「これこれ、めでたき席じゃ、‥‥これ、泣くでない……」


昌幸は、自らの目頭をそっと押さえつつ、涙を流した祐に、懐から取り出した手拭いを差し出した。


「ほれ、化粧の落ちる前に……。禿かけた化粧の顔では、美人も台無しじゃ‥‥」


現代で言えば、嫁に行く前の微妙な娘心。
しかし、この時の祐の涙は、そんな単純なもので流されたものではない。

まったく、顔も名前も知らされないで、突然に婚儀を言いつけられ、ほのかに抱いていた重治への恋心すら封印してのこの場であった。

昌幸を前にした瞬間、祐の心の中は、最後の別れを告げる事の出来た重治のことでいっぱいになっていたのである。



そんなこんなの様々な感嘆の嵐吹き荒れる中、この日の宴の主役が登場する。


「えっ!? 昌幸様!?」


この日の宴の会場となった真田家屋敷の主は、当然のごとく、部屋の上座に鎮座する。
それは、つまるところ、入り口から入れば正面に、その姿があることに他ならない。


重治にしてみれば、次なる再会を約束して、感動の別れをした筈の昌幸が、どういう訳だがそこにいる。

重治の直感が、『何かあるぞ』と派手な警告音をならし始めていた。



そんな重治の強い警戒感を一気に、中和、消滅させる笑顔がそこに待っていた。

昌幸が手招きをして重治を呼んだのと、ほぼ同時に、その笑顔は重治に向けられた。


もちろん重治には、昌幸の前に座る女性の後ろ姿が誰のものかは判っていた。
そして、その背中が反転した時に、自分に向けられる笑顔も承知していた。


「……………………」


昌幸に近づくため歩み出した重治の足が止まった。

魔性の者に魅入られる。

こんな言葉が当てはまるのどうかは判らない。
しかし、重治の目は、その微笑みに釘付けなり、思考回路は完全に停止。まばたき、一つしないままで硬直してしまったのである。


「‥‥シショウ、ししょう、師匠!」


「…………! あっ、あぁ」


背中を叩く信繁の言葉が、幾度繰り返されたのか。重治は、硬直から何とか回復した。


「き、きれ、綺麗だ……」


硬直からは脱出したといえ、重治は、自分で自分の体がままならない。

祐の微笑みを見た瞬間より完全な虜と成り下がっていた。


そんな重治を昌幸は、愉しげに見つめ、さらに手招きを続けた。


「師匠? 何してるんですか‥‥行きますよ」


「なにって……」


重治は、動きたくなくて動かないわけではない。

まだまだ十代。色香に目覚めたばかりの男の子の重治である。
大好きな人の美しい顔を間近で見たくないわけがない。けれど、想いとは逆に、踏みだそうとする足が、上手く前に進まない。


「‥‥んもぉう。師匠、押しますからね」


重治の様子に苛立ちを覚えた信繁は、立ち往生したままの重治の背中を押し始めた。


『綺麗だ‥‥、本当に綺麗だ‥‥、でも……』


背中を押されゆっくりながらも重治は、昌幸のそばへ、祐の座る横へと近づく。

重治は、例えみっともなくても、今すぐこの場を逃げ出したい、そんな強い衝動にかられていた。



大好きな女性のそばに近づく。
これが、どれほど心踊らせる事か。しかし、その大好きな女性は、今、自分ではない誰かのために、美しく着飾り、うっすらと化粧さえ施している。


化粧を施し、色香さえ漂わせる大人としての祐の横に座るものが、もしも自分ならば、これほどの葛藤は起こりはしない。

重治にしてみれば、断腸の思いをもって永遠の別れを決意して、サヨナラを言ってから、まだ一時間も時を過ごしてはいない。


もちろん大好きな祐には、幸せになってもらいたい。
しかし、今、自分ではない誰かが横に並んで、幸せそうな顔をする祐は見たくない。

重治は、揺れ動く心に葛藤で渦巻く思い。ぐちゃぐちゃの心を抱えたままで、昌幸の前、祐のすぐとなりへと正座した。



「‥‥どうじゃな、重治殿。美しいであろう!?」


昌幸は、自分のことのように誇らしげに重治に問いかけた。


「…………綺麗だ‥‥」


口に出せば未練が顔を出す。

そばに行っては、絶対に出さないでおこうと思った言葉が、何の抵抗もなく、重治の口からスルリと飛び出していた。


重治のその時の声は、ほんの小さな、吐息のような小さな小さな声であった。

しかし、重治から、僅か、尺(30、3センチ)にも満たない距離にある祐の耳に、昌幸さえ聞き取ったその声が、届かない訳はない。


「‥‥どうしたのじゃ、祐!? 重治殿が、見惚れておるのに……」


もし、婚儀の話しがなかったならば、祐は、誰に憚ることなく、素直に飛び上がって喜びを表現していたに違いなかった。

しかし、初めて好きになった人以外に嫁ぐ事が決まってしまっている祐には、初恋の相手、重治のほめ言葉に素直になることが出来なかったのである。


複雑な、もの悲しささえ感じる笑みを浮かべた祐を見て、昌幸は、怪訝な表情を見せた。


「……あ、あぁ!」


昌幸は、突然に閃いたようで、ポンと一つ手を打った。


「この屋敷に、集まってくださった皆様方。本日は、わしの娘同然の祐の婚礼にようこそおいでくだれた。心よりの感謝を述べさせていただく」


突然に始まった昌幸の挨拶は、朗々と時には芝居がかったほどに、名調子で続けられる。


「いつかは、我が息子の嫁にとまで考えた才女である祐に、此度、この上ない良縁が舞い込んでまいった」


昌幸の名調子は、終わりを知らず、益々もって快調となっていった。


その間の重治の様子と言えば、昌幸の指摘したそのままに、隣に座る祐をちらちら。

昌幸の挨拶など、聞こえてはいても、右の耳から左の耳へと通り抜けた。


いつ現れて、自分の座るその場所に、取って代わるかわからない恋敵!?に苛立ちさえ覚え初めていた。


『大した奴でなければ‥‥』

一人、自分の世界に入り込んだ重治は、何時か見た深夜の映画を思い出していた。
そう、ダスティンホフマンが花嫁をさらって逃げる、あの卒業である。

一度は確かに諦めた重治ではあるが、目の前の美しい祐を見て、『戦わずして、逃げる訳にはいかない』そんな闘争心に炎が着いたのである。




「‥‥のお、重治殿」


昌幸の自分を呼ぶ声が、通り抜けかけた頭の片隅に引っかかった。


「‥‥? はい?」


闘争心の炎が燃え始めた重治には、昌幸の婚礼の挨拶など、無用の長物。全く全く必要としないものである。

話しの前後の成り行きさえも解らずに、重治は、曖昧な返事をしてしまったのである。


「三国一の花嫁なれば当然のことなれど、こうして花婿自らが、わが娘、祐を幸せにしてくれると誓ってくれた‥‥。めでたい、誠にもってめでたい」

「…………」


昌幸の話しは朗々と続く。

しかし、重治には、昌幸の言う『花婿』が皆目、見当たらない。


重治が、気を静め、集中力を発揮したときの観察眼、洞察力は、類い希な程のものである。

その重治の力をもってしても、今現在、この場所に、それらしい人物は存在しないのである。


しかし、ただ一点、重治の目にとまったもので、どうしても理解得ない、気になる点が生じていた。


それは、すぐ隣にいるこの場の主役である祐が、重治に対し、はにかみ、恥ずかしげな笑みを浮かべ、直視出来ずにいるのである。


『??どうして?』


つい先ほどまでは、決して、笑みなど見れないぐらいに悲哀を漂わせていた祐である。


『??いつ?』


映画のラストシーンを思い出していた重治には、祐の気持ちの変わった分岐点がわからなかった。



「では、わしの長い挨拶もこれぐらいで、前途ある若い二人を祝福して祝杯を傾けようではないか!?」


「ううぅおうぅー」


会場は、訳の分からない全く理解し得ていない重治を残し、最高潮へとヒートアップしていく。


『二人って、だれよ!?』

混乱極まる重治に、次から次ぎへと、村の顔見知りが酒を告げにくる。

重治は、状況を理解不能のまま、杯を受け、訳の分からないままに飲み干した。


『まっ、いいか』


隣では、変わらず自分だけに、優しく微笑みをくれる祐がいた。


ここで、重治の目線で描かれていて、読者の皆さんには、見えなかった?状況の話しをするために、少し時計を巻き戻してみよう。





「‥‥どうじゃな、重治殿。美しいであろう!?」


昌幸は、自分のことのように誇らしげに重治に問いかけた。


「…………綺麗だ‥‥」


重治のもらした、吐息ともとれるほどの小さな声が、祐の耳に届いた。


『よかった‥‥化粧してもらって‥‥、でも……』


祐の心中は、複雑だった。
自分に施された化粧が、隣に座る重治のためのものであれば、どれほど良かったか。

ついさっき、大好きになった初恋の相手、重治に永遠の別れを心に決めて、紅をひいたばかりである。
どれだけ心が求めようと、それが叶えられる事がない事は百も承知している。


「‥‥どうしたのじゃ、祐!? 重治殿が、見惚れておるのに……」


全てを諦め、真田家のために嫁ぐ事をが決めた祐には、初恋の相手、重治のどれだけのほめ言葉にも、素直になることが出来なかったのである。


複雑な、もの悲しささえ感じる笑みを浮かべた祐を見て、昌幸は、怪訝な表情を見せた。


「……あ、あぁ!」


昌幸は、突然に閃いたようで、ポンと一つ手を打った。


「この屋敷に、集まってくださった皆様方。本日は、わしの娘同然の祐の婚礼にようこそおいでくだれた。心よりの感謝を述べさせていただく」


突然に始まった昌幸の挨拶は、朗々と時には芝居がかったほどに、名調子で続けられる。


「いつかは、我が息子の嫁にとまで考えた才女である祐に、此度、この上ない良縁が舞い込んでまいった」


昌幸の名調子は、終わりを知らず、益々もって饒舌になり、最高潮の時を迎えていく。


朗々と演説めいた挨拶を続けていた昌幸が、突然重治に目を向けた。

しかし、この時の重治は、美しく大人の女性へと変身を遂げた祐に、全神経を釘付けにされており、昌幸の変化など全く感じていなかった。


「どうじゃな重治殿。これほどの美しき女性には、そうそう、お目にかかれるものではないぞ‥‥」


「……」


重治は、右から入った言葉は、左の耳に。左から入った言葉は、右の耳に。
この時の重治には、記憶としての情報が、まったく頭に入らない。


昌幸は、重治からの返答がないのも構わずに、話し掛け続ける。


「三国一の花嫁じゃ。どうじゃな、重治殿は、こんな祐を嫁にする者を羨ましくはないかな!?」


「……」


「‥‥そうじゃろう、そうじゃろうて」


昌幸は、重治に反応が無いことを良いことに、何度も満足げに頷く事で、さも、重治が同意しているように会場に知らしめていった。

そうして調子に乗った芝居がかった昌幸は、重治に近づき、聞き耳をたてる仕草をはじめた。
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