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四十一話 暗躍

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松任城での勅命伝達は、伝える側も、伝えられる側も、どちらもが酒臭い異様な状態で進められた。

重臣たちの見守る中、重治より謙信に勅命が言い渡される。


重治には、たった一枚の紙切れでしかない勅命ではあったが、その効力は絶大であり、上杉家の方針が180゚方向転換させられようとも、それに異論を唱えるものは現れはしない。


儀式のような荘厳な雰囲気のピリピリした緊張感漂う中、滞りなく勅命伝達は完了した。

そして、上杉家当主である上杉謙信は、勅命に従い、諸将への越後撤退の命令をくだしたのであった。



重治と伊蔵は、謙信と側近たちに別れを告げ、上杉軍が撤退の準備を始めた松任城をその日のうちに後にした。



重治は、昨夜の酒宴の時の謙信の笑顔に後ろ髪を引かれながらも、伊蔵と二人、我が家のある安土へと松任城を背に歩みはじめたのである。

そんな二人が、織田×上杉の戦いの場となった手取り川まで差し掛かった時、今では重治ファミリーとも呼べる四人が、いつもの笑顔で出迎えた。


「お疲れさまでした」


新しく加わった、雑賀の名前を捨てた鈴木重秀を加え、笑顔いっぱいで出迎えてくれていた。


昨日の増水して激流と仮していた手取り川も、たった半日で、まるで違う顔をみせていた。


「それで、信貴山城の方は、どうなった?」


川を何事もなく渡りきった重治は、伊蔵の留守中をすべて仕切る才蔵に尋ねた。


「はい。信長様の決断が早かった事で、久秀は何も出来ずに籠城を決め込みました。しかし共に決起するはずだった村重は時を逸して、静観しております」


にこにことした笑顔の末松が、自らが情報収集してきたのであろうか、嬉しそうに告げた。


「……それで‥‥」


「はい、特別に目立った行動はありません」


「‥‥そうか、……ありがとう」


特別に目立つとは、当然、明智光秀と徳川家康、二人の事である。


松永久秀の謀反が、すぐに鎮圧される事実は重治は当然知っている。
問題は、その動きに便乗した二人の動き、重治の唯一の心配の種であった。

しかし、今の末松の報告からして、今回に関しては、その心配も徒労に終わろうとしていた。

上杉謙信が上洛を取りやめた事実が、反信長の者達の耳に届けば、久秀のような馬鹿な行動を起こす者も間違いなく、少なくなるはずである。



重治が、安土の我が家に帰り着いたその日、待っていたかのように、城には居ないはずの信長から登城を促す使者が訪れた。


「えっ、のぶな‥‥お館様が城に!?」


「はい。すぐに登城せよとの事でありました」


重治は、信長はてっきり久秀の謀反の決着を自ら着けるべく出陣しているものとばかり思っていたのである。


「わかりました。‥‥すぐに、参りますとお伝え下さい」


重治は、帰宅するや否やの使者に、一段落する猶予も与えられず、旅支度装束から登城用の一張羅に素早く着替え、伴に末松を従え、城に向かう羽目になったのである。




「重治様、お越しになられました。」


蘭丸は、事務的に信長に伝えた。


「…うむ。すぐにここへ通せ。」


重治は、完成間近に控えた天守閣最上階へと、信長の小姓に案内された。

途中、階段をあがる重治は、その目にしたものに心奪われる。

金銀で彩られ、それでいて少しの嫌みもない絵画、いや、それは既に絵画の域を遥かに越えた荘厳な神域の風景にさえ感じられものである。

現在の信長を取り巻く状況で、大きな心配事はないはずである。
強いて言うならば、現在、籠城を続ける松永弾正久秀ぐらいのもので、それも解決は見えていた。


「失礼いたします。竹中重治様をご案内いたしました」


「‥‥うむ」


たった一言だけ応えた信長の声はいつにも増して、不機嫌そのもの、個人としての心当たりの沢山あった重治は、胸の谷間に冷たい汗が流れ落ちるのを感じていた。


「‥‥信長様、……久秀めは、よいのですか……」


少しでも差し障りのない話しから重治は、アプローチを開始した。
核心を突いて墓穴を掘ることは、知略家への道勉強途中の者しては、当然避けるべき事だと重治は知っている。


じろりと信長が、重治を睨んだ。


部屋の入り口近くに、畏まって座って控えた重治に、信長はゆっくりと近づいた。
その顔にいつもの重治を優しく見守るような笑顔はない。


『やばぁ、何がまずかったんだろ』

重治は逃げ出したくなる気持ちを抑えて、信長の次なる言動を待った。


「重治、加賀では大活躍だったみたいじゃないか!?、えっ!?」


「…………」


『怒ってるよ~。完全にブチキレみたいぃ』

重治は、顔を覗き込む信長と視線を合わさないように必死で抵抗を試みた。


「わしに、まったく連絡を寄越さず、勝家を手助けしていたことは、まぁ、許そう……」


「…………」


『えぇー、うそぉ‥‥そこまで話し、遡るのぉ‥‥』


重治は、ますます逃げ出したい衝動が高まっていった。


『そうだ!こんな時は話題を変えねば‥‥』

重治は、迷ったあげくに出した話しが、今見てきた天守閣の装飾の事であった。


「の、の、信長さま。す、素晴らしい天守でございますね‥‥」


「…………」


信長は、まったく反応を返してはくれない。
それどころか、余計な一言が、更に火に油を注ぐことにつながる。


「ふぅ……。お前という奴は、学習能力というものがないのか!?……例え、わしのためとはいえ、敵軍の中を一騎駆けするなど言語道断。命を粗末にするなと、何度言えばよい!!!!!」


信長は、重治の顔のすぐ前で、無理やりに視線を合わせると、両の手を拳に変えて、重治のこめかみをぐりぐりと押さえつけた。


「い、いたい、痛いです。もうしませんから、か、勘弁してください」


学習能力の欠落?した重治への信長の愛のお仕置きである。

重治は、どれぐらいの時を我慢していたのであろうか。
こめかみに痛みの余韻が続く中、気がつけば信長は、重治から離れ窓際に立ち、外を眺めていた。


天守閣の最上階から見下ろす琵琶湖の風景は、重治が、現代で歴史探訪を繰り返していて見た風景とは、まるで違っていた。

岸部には、葦が生い茂り、傾いた太陽の光を反射湖面、そして映し出す光景は、とてもこの世のものとは思えない。





「……重治。……実は、折り入って、その方に頼みがある‥‥」


重治が、後ろに近づいた事を知り、信長は肩越しに顔を向けた。
その信長の表情は、先ほどまでの怒りの形相は消えさって、優しげな瞳の何時もの信長であった。

そんな信長が、重治に遠慮深げに話し出した。


「‥‥危険な真似をするなと言っておきながら、こんな頼みをお前に‥‥」


「信長様。遠慮は、無用に願います。なんなりと、申しつけください」


なかなか本題に入れない信長に、重治は、自ら助け舟を出した。


「‥‥すまんな。‥‥実は……勝頼、武田勝頼の事なのじゃ……」




武田勝頼。武田晴信(信玄)の四男として生まれる。
正室は、政略結婚として信長の養女、遠山夫人を娶っている。

つまり、信長にとっては、義息子にあたるわけである。


「勝頼様ですか!?」


「‥‥うむ。一度は、義息子となった、縁ある男じゃ。このまま、惨めな死を迎えさせたくはないのじゃ‥‥」



武田家は、長篠の合戦で破れて以来、家臣のまとまりなく、新しく当主となった勝頼の孤立が、著しく目立ち始めていた。


しかし、この武田家内の不協和音にも、勝頼の無能さだけが招いたものとは違う、信長さえ知らない裏側が存在していた。


「すべての歴史の事実を知る重治に、こんな事を頼むべきではないのかも知れない。しかし‥‥、わしは……」


「お任せください。どこまでの事ができるかわかりませんが、精一杯の事、させていただきます」


言葉詰まる信長を安心させるよう、重治は、さも自信ありげに、いつもとは違う、誇張した物言いをした。





屋敷に戻った重治は、これからの対策をたてるべく、伊蔵に甲斐の国、それを取り巻く、地域の情報収集の指示を即座に出したのである。

しかし、情報収集以前の現状でさえ、わかっているいくつかの事実もある。


当主になった勝頼に従わない、信玄時代からの古参の家臣に、盛んに内応を持ちかけ、内部崩壊をはかる人物がいる事が、既に重治には情報として報告があがっていた。

その人物とは、東に、勢力を伸ばすに伸ばせず、最初は同等の力しか持ち得なかった信長の勢力拡大に対して、嫉妬、逆恨みする人物、徳川家康である。

ある時は、朝廷を使い謙信を動かし。またある時には、織田家内部の家臣にさえ、謀反を持ちかける。
巧妙に仕組まれた、その工作は、確たる証拠を残さない。


甲斐の国における、【重治×家康】の見えない戦いの幕が、切って落とされようとしていた。
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