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三十九話 上洛 越後の龍
しおりを挟む長篠の戦いでの重治の死の知らせは、重治を跡継ぎにとさえ考えていた越後の龍、上杉謙信にも届いていた。
もし、重治が無事に織田家に生存していれば、生涯、謙信は、越後をでる事はなかったであろう。
天正四年、本願寺、一向宗と和睦を済ませた謙信は、織田包囲網の一端を果たすようにと、本願寺門主、顕如より再三の要請を受けていた。
しかし謙信は、重治との繋がりを優先し、上洛の要請を断り続けていた。
そんな謙信も、顕如からの再三の要請に根負けしたのか、はたまた、朝廷からの要請に従う気になったのかは解らないが、重治の死から一年間、喪を服し終えた謙信は、重い腰をあげ、遂に上洛の準備にかかったのである。
「お館様、まこと、宜しいので御座いますか?!」
「??、景勝か……」
謙信は、出陣を決めて準備を始めたにもかかわらず、明らかに悩みを抱えた難しい顔をしていた。
「‥‥いた仕方あるまい。重治も、すでにこの世にいない。信長に義理立てせねばならぬ理由は、わしにはない‥‥」
「しかし……」
「えぇーい、もう、申すな」
越後の国、上杉家居城、春日山城での、出陣前日の出来事であった。
天正五年(1577年)春、謙信は、能登の七尾城を目指し侵攻を開始した。
この当時、七尾の城は畠山家の支配下であったが、当主が幼少であったため重臣の長続連が、北陸に勢力を伸ばし始めた、織田家に恭順する形をとりながら能登の国を納めていたのである。
長期に渡り、上杉軍に包囲され続けた七尾城の続連は、九月に入って、やっとの事、救援を求める連絡を信長に届ける事に成功する。
援軍要請を受けた信長は、北陸方面担当官でもある柴田勝家を中心に、約三万の軍を編成。
直ちに、七尾へむけ進軍を開始させた。
そうして、信長自らも、居城、安土にて、一万八千の兵を編成。勝家に遅れる事二日、安土城を出陣した。
「うぅんっ。うぅああぁーっ。よく寝たなぁ……????」
深い深い眠りから重治は、目覚めた。
「……???、あっ、ああ、夢かぁ……?」
重治は、寝ぼけ眼の目を力いっぱい、こすりあげた。
「……????」
「重治様。起きて下され。朝餉の支度、整っております」
重治が、目覚めたのを察知したのか、重治には、とても聞き覚えのある、親しみのある、いつもの声が聞こえてきた。
「‥‥あぁ、今、起きるとこ……、夢?、それとも……」
夢なのか、はたまた現実なのか、まるで状況がつかめないまま、重治は寝床を抜け出した。
重治の衣装は、トレーナーにジーンズ。
寝床の枕元には、真っ赤なメジャーの帽子が置いてある。
そんな、なぜかの『重治屋敷』のいつもの朝の始まりである。
『どうなってるの?』
屋敷の自分の部屋のようではあるが、重治には、いくらか新しくなったような違和感が感じられた。
その違和感は、重治を起こしにきた末松の待つ縁側へと出た時に、ハッキリとわかる。
「おはよう、末‥‥」
重治は、部屋と縁側とを仕切る障子を開けた。
「おはようございます。いいお天気で御座います」
「…………!」
重治の感じた違和感は、外れてはいなかった。
障子を開けて、重治の目に飛び込んできたのは、まだまだ、建造途中ではあるが、重治の知る城のなかで最も絢爛豪華な天守閣、安土城の天守閣が僅かな距離、すぐ目の前に見えたのである。
「‥‥す、すえ。ここは?」
「あぁ‥‥、はい。ここは、信長様が、安土城に移り住むために用意してくださった、新しいお屋敷です」
重治の感じた新しくなったような感覚は当たっていたのである。
「そうか‥‥、新しい屋敷……!!へっ!?き、今日はいつ???」
自分が再び戦国時代に戻った実感を取り戻した重治は、慌ててその今、流れている時間を末松に尋ねた。
「はい?‥‥今日は‥‥」
「今日は、長月も十日目。天正五年の長月十日で御座いまする」
重治の言葉の真意が掴めず、しどろもどろに戸惑う末松に、後ろから近づいた伊蔵が、助け舟を出した。
「あ、伊蔵‥‥」
「おはようございます。重治様」
後ろから末松の肩に、軽く手を乗せた伊蔵が、重治ににっこりと微笑みかけた。
能登七尾城を包囲している謙信は、決して力攻めをする事なく、その時がくるのを待っていた。
以前にも、少し話しをしたが、この能登の国、七尾城を納めていたのは、幼少の畠山春王丸。そして、その後見として、重臣である長続連が国を動かしていた。
しかしてその内情は、重臣どうしのいざこざが絶えることなく、特に、後見である続連と遊佐続光、温井景隆らとの対立は、日増しに激化していた。
そして上杉の侵攻に対して、親織田派の続連が、信長に援軍を求めた事で、対立から最悪の形、内乱へと、一気に状況が加速していったのである。
謙信にしてみれば、内乱が成功して、内応を受諾している遊佐続光が権力を奪えば、ただ、見ているだけで、七尾城は開城される。
もし、それが駄目であっても、内乱で弱体化した城を落とす事など訳もないことなのであった。
「‥‥お考えごとですか!?」
「……!、おぉ、兼続か」
ぼんやりと、今すぐにも開城するかもしれない、七尾の城を見ていた、謙信に声をかけたのは、義理息子、景勝の家臣である直江兼続であった。
「……悲しむであろうな‥‥」
「えっ?」
突然の謙信の質問に、どう応えてよいものか、兼続は躊躇していた。
「‥‥信長とぶつかったのを知れば、……悲しむであろうな……」
「……お館様。‥‥重治殿は‥‥、すでに、お亡くなりになられた御方で‥‥」
「‥‥わかっては、おるのじゃ。‥‥ただなぁ、兼続。‥‥重治の、‥‥あの重治の屈託のない笑顔を思い出すと‥‥」
「………………」
兼続は言葉を失った。
たった数回、ほんの僅かな時間をともに過ごしただけの重治に対する謙信の惚れ込みようは、常軌を逸するようにさえ感じれるものがあった。
「……ながつき、長月、長月。‥‥!えっ、九月じゃないか!!」
天正五年、九月二十三日、織田軍は、加賀の手取り川にて、上杉謙信に大敗を喫する。
重治は、すでに二週間を切ってしまった許される時間内で、戦いをおさめさせる事が出来得るのか!?
今、置かれている時間の不思議な状況の解明は後回しにて、重治は、頭をフル回転させ始めた。
重治の目を瞑り、軽く上を見ながら腕組みをする仕草を見て、そばにいた伊蔵と末松は、静かにその場を離れた。
主である重治のその格好が 最良の答えを導き出すために必要不可欠だということを この屋敷に住む者なら皆が解っていた。
「伊蔵、出かける支度を………」
重治が、みんなの前に現れた時には、旅支度を終えた、三人兄弟、新平、重秀の五人が、そこに控えていた。
「重治様、準備は整って御座います」
才蔵は、重治の次の言葉を待たずに、そう重治に告げた。
伊蔵が、新平が、重秀が、重治に、にっこり笑って見せた。
重治は、少し微笑んで軽く頭を掻いたあと、みんなにむかって号令をかけた。
「さあ、まずは京の都だ!!」
謙信が上洛する決め手となったのは、本願寺からの要請があったからという理由だけのものではない。
義の人といわれた謙信が、私利私欲のためだけに、動く事など有りはしない。
何らかの、そう、つまり朝廷の名を使った要請が謙信に届けられた事が、その大きな発端となっていた。
頃朝廷を動かす公家たちの間での、この頃の信長の評判はすこぶる悪い。
信長の存在は、公家たちにしてみると自分たちよりも身分の低い武家の者が、思い通りにならないというジレンマとなっていたわけである。
謙信を止めるためには、義が必要である。
重治には、その事がよくわかっていた。重治が義を得て、謙信を止めるためには、勅命が絶対不可欠なものとなるのである。
すぐさま、屋敷をたった重治は、急いだ。
重治は、旧知の間柄の公家、近衛前久に会うため京の都へ足を早めたのであった。
重治が、京に向かっている頃、越前の国では、七尾城への援軍出撃の準備に終われる柴田勝家の姿があった。
「えぇい。まだ、出陣の準備が整わぬのか!!」
突然に、出撃命令が信長から届けられて一週間。
未だに出撃準備が整わず、勝家はイライラを募らせていた。
「申し訳ありません。なにぶん全軍出撃ともなりますると……」
「わかっておる、わかっておるがな‥‥。重治が側に居らぬ、お館様の不機嫌なこと、この上ない。いつ、雷が落ちるか判ったもんでないぞ‥‥」
勝家は、利家にむかいブチリブチリと愚痴をこぼし続ける。
「……必ず、この一、二日の間には……ではこれで」
熊のようにウロウロしながら愚痴をこぼす勝家が、一瞬、背を向けた瞬間、『これぞ好機』とばかりに、さっと頭を下げた利家は、その場から逃げ去った。
利家がいなくなった後も勝家は、募るイライラを少しでも解消するべく、延々と愚痴をこぼし続けていた。
このあと、一週間の時を有して、勝家は出撃をする事になる。
それは、三万の大部隊の出撃準備にしては、大変短いものであった。
しかし、この一週間という短い期間が、総大将、柴田勝家に不幸をもたらす事になってしまう。
重治は、その日、日の落ちる前に京の都に到着していた。
時を惜しむ重治は、都に着いたその足で、前久公の屋敷を訪れた。
しかし重治は、そこで思わぬ門前払いにあう事になる。
現在は、朝廷から身を引いてはいるものの、もともと公家社会では中心になっていたほどの力ある人物である。
前久公は、紹介状の一つもない不審者が、おいそれと面会できる相手ではなかったのである。
この作品を読んでいただいてる読者の中には、なぜ?安土の地にいて公家に会いに行く前に、信長に会わなかったのかと不思議がる人もいるかもしれない。
しかしそれは、重治の中にある大きなジレンマ、葛藤が起因していた。
時の流れ、歴史をよく知る人間が、過去の世界に携わって良いのか?
その気持ちと相反する、尊敬し、心の師とも仰ぐ、信長に自分の全力を持って助けていきたい。
そんな二つの相反する気持ちが相まって、悩んだあげくに出した答えが、極力、歴史の表舞台に出ないようにするという事。歴史の流れを変えないようにする事であった。
重治が、いや、代理の伊蔵でさえ、信長に会えば、前久公への紹介状の一つや二つ、簡単に手に入る。
しかし、その事が歴史の中の事実として、『信長の使者が、近衛公を訪ねた』と残ることを 重治は良しとしなかったのであった。
重治たちは、その日の面会を諦め、信長が宿坊として利用する本能寺に向かった。
ある程度、予測されていた範疇とはいえ、重治の落胆は周りの伊蔵たちにも、ハッキリと見てとれていた。
そんな落胆を吹き飛ばすようなサプライズが本能寺で待っていた。
重治にとっては、信長を救出に向かうため、この寺を出たのは、ほんの一昨日前の話しである。
しかし今、重治の前に建つ本能寺は、その時のものとは似ても似つかない、まるで違う建物であり、寺と言うよりもそれは、要塞と言った方が似つかわしい姿であった。
『わあぁ‥‥。何だよこれ……ほんと、これが……』
重治は、心の中、感嘆の声をあげた。
その寺は、未だ造作工事の途中ではあるものの、一昨日の重治の記憶とはかけ離れ、まるで別物の存在である。
実のところは、重治の感じている時間の流れでは、三日間程度であっても、現実には、一年と五ヶ月の月日が流れている。
天王寺砦の戦いで、重治が消えたあと、伊蔵は、信長に進言をしていた。
伊蔵には、その事がどんな意味を持つものか解らない。
また、知りたいとも思わない。
ただ伊蔵は、重治の笑顔が欲しいだけであった。
重治の望みを叶える。それだけが生きがいであり、それ以外の望みなど持たない。伊蔵とは、そんな男であった。
伊蔵の信長への進言は、今、伊蔵の思いを満足させるに至っていた。
本能寺が改築され、新たに砦として生まれ変わる。
目を輝かせ、生まれ変わった本能寺を見つめる重治の笑顔をみて、伊蔵もまた、頬の緩むのを感じていた。
寺の中から、明らかに僧侶ではないとわかる者が現れ、重治たちの前に立った。
「伊蔵様、ご宿泊の支度、完了致しました」
そう告げたその男は、伊蔵にむかって、深く頭を下げ、重治たちを案内した。
現在、本能寺は信長の宿坊として使われているだけでなく、伊蔵たち忍群の活動の拠点としての役割をも果たしていたのである。
重治は、その話しを伊蔵から聞いて感動した。
自分がすべての事を話さなくても、伊蔵という男は、自分の考えている以上の最善の結果を残してくれる。
重治が戦国の世で、思い通りに生きていけるのも、伊蔵あっての自分である事を再認識させられたのであった。
「‥‥ありがとうな、伊蔵 」
重治の口から自然にこぼれ落ちた言葉に、伊蔵には珍しい、子供のような、はにかんだ笑みを見せてたか思うと、すぐに重治から顔を背けた。
夕餉をすませた重治は、みんなが、くつろぐ部屋を離れ、中庭で、ぼんやりとこの後の行動を考えていた。
「ここに、おいででしたか‥‥」
「……何か、あったのか?」
声をかけたのは、伊蔵であった。
「はい。近衛公の事で少し……」
「近衛公?近衛公がどうかしたのか!?」
「はい……」
門前払いをされた近衛屋敷に探りを入れた結果が、伊蔵の元に報告され、その内容の詳細を 伊蔵は重治に告げた。
その告げられた報告の内容に、重治は、近衛屋敷で門前払いをされた以上のショックを受ける事になる。
信長は、中国地方へと勢力拡大をする準備として、毛利家の背後にあたる、九州の各大名家に接触を試みていたのである。
そしてその使者として、最も信長と親交の深い、一時は、関白の職さえ務めた事のある、近衛前久をあてていたのである。
「近衛公は、今、信長様の命を受け、九州に出かけている由に御座います」
「…………九州か‥‥」
確かに、自分の知る記憶の中にも、そのような事実があったように思われた。
「‥‥で、近衛公は、いつ戻られる!?」
重治は、焦る気持ちを抑えて、伊蔵に尋ねた。
「はぁ‥‥、それが、予定から言えば、すでに帰宅していなければならないものと‥‥」
「そうか……」
重治は、とても難しい選択を迫られる事となった。
重治本人が、自ら頭を下げれば、上杉謙信ならば、上洛を中止してくれるかもしれない。
しかし、義を重んじる人である謙信が一度動いた以上、そこに必ず、義が発生している。
その義を謙信に曲げさせないためにも、その義を上回る新たな理由。新たな義、勅命をどうしても手に入れたいのである。
「……待つか。……ギリギリになるまで……」
加賀の国まで、急げば二日。重治は、猶予いっぱいまで、近衛前久を待つ決断を下したのである。
そんな決断を下してから三日。能登七尾で、大きな動きがあった。
九月十三日、長い時間を要し、万全を期した遊佐続光、温井景隆らが中心となって行動を開始した。
当主が幼少である事をいいことに、国を私物化していた、長一族を排除する動きを起こしたのである。
この七尾城での内乱は、僅か、一日の日を要しただけで決着がついている。
長続連を初めとして、長一族すべてが粛正され、そうして謙信に内応を約束していた遊佐続光は、謙信に七尾城を開城したのである。
開城されて一日あけた、十五日。平静を取り戻した七尾城に、謙信は入城を果たしている。
謙信は、全くと言っていいほど損害を出すことなく、能登の国と越中の国の入り口にあたる重要な城、七尾城を手に入れたのである。
その頃、そんな七尾城の出来事を知らない越前の国では、勝家が出陣の準備を急かせていた。
「まだか、まだ、準備は終わらんのか!?」
「はぁ、あと、一、二日のうちには必ず‥‥」
「えーい、その言葉は、聞き飽きたぞ!!」
勝家の焦りは、日に日に募り、どんどんと不機嫌になっていった。
そんな勝家を総大将とした総勢三万の織田軍は、その日から数えて三日あとの十八日、援軍準備をすべて整え、出陣を開始した。
本能寺に滞在する重治に、その知らせが届けられたのは、すでに十八の日に、日付けが変わっていた。
「重治様。重治様!!」
リミットとなるその日までの残された時間が、一日一日、刻一刻と減っていくなか、重治は、焦りからか、眠れない夜を送っていた。
そしてこの日も眠れない重治を 深夜にも関わらず、伊蔵が部屋に訪れたのである。
「どうした?伊蔵。なにかわかったのか?」
重治は、布団の中、横になったままで、部屋の外に立つ伊蔵にそう話し掛けた。
重治の部屋の障子が静かにゆっくりと滑るように開かれた。
「近衛公は、明日昼には、船にて、堺の街にお着きになられるとの知らせが入りました」
『良かった。今ならまだ間に合う』
重治は、心で叫んだ。
「‥…そうか。よし、伊蔵。堺に行くぞ」
そう伊蔵に告げた重治は、深夜の明かり一つない部屋の中、掛けた布団を跳ね飛ばし、素早く立ち上がった。
「はぁあぁ。……ふぅうぅ」
「……ふぅうぅ‥‥。……はぁあぁ‥‥」
七尾に向かう行軍中の織田軍の総大将、柴田勝家は、大きな悩みを二つ、抱えていた。
「どうか、なされましたか?」
「……利家か‥‥」
行軍中にも関わらず、ため息を繰り返す、勝家を気遣って、利家が声をかけてきた。
「……い、いや、何でもない。‥‥はぁあ……」
今回の出陣では、織田家の主だった武将が、数多く参戦しており、そのすべてが勝家の指揮下に入っている。
そんな主だった武将の中の一人が 勝家が頭を痛める悩みの種となっていた。
その男は、百姓上がりにもかかわらず、とんとん拍子の出世により、今では織田家の中で、総大将の勝家よりも上の位に位置し、信長より重用されていた。
そしてその男、羽柴秀吉は、総大将である勝家に対して、事あるごとに逆らい、対立を深めていた。
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