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第二章 現実の社会はさほど甘くない。

第三十一話 バニーちゃんと一緒(10)

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「うふふ真里よ。女の子相手にホント年齢きいちゃダメだから」
 小首を傾げて右掌を振りかざす少女。見つめる視線も可愛い。

「ホントに常識だよ。ケージくんしらないのがビックリものね」
 車いす女性……一見では中学生に見えた。少女が年長だけど。
高校三年生……名前は真里と答えた。語らいの場は院内学級だ。


 そんな制度があったのか。考えたこともない事実に驚きだよ。

 いつも……陸上だ。短距離走にのめりこんだ。姉に布教された
旧いアニメーション映像。加速する主人公ジョーが憧れなんだ。

 半世紀も前のマンガ原作らしい設定。絵柄には新しさもない。
金髪美女の恋人フランソワーズ。同じ名前で呼ばれる妬ましさ。

「加速装置!」奥歯のスイッチだ。舌で触れて起動させる能力。
『知覚・思考・運動』力を制御するんだ。加速させるギミック。

「改めてケージくん。昭和時代の二期だっけ? カーレーサー。
原作の大先生もかかわったアニメ。あのジョーくんにそっくり」


 理想を具現化した少女。人間離れした真里……天使の微笑み。
「お見舞いにきたクラブのバカ。誰かにウワサ聴いたんだよね」

「うん。おかしくて笑いがとまらない。あとからネタだからって
説明された。『加速装置!』叫んでから走りきる。スゴイよね」
 上体曲げる微笑ましい彼女。はるかな過去でも忘れられない。

 ずーっと一緒にすごしたい相手。決意するのも早かったんだ。

 精密検査の段階が進んだ。早期に決断を迫られたよ。右脚との
等価交換なんだ。命と交換する二者択一。きっと正解もないよ。

「二度と走れなくなっても構わないんだ。これから真里がいつも
傍にいてくれるなら。それだけで十分だ」本気の言葉は宣誓だ。


「そうね。わたしたち結婚するの。子供が生まれる未来予想図」
 手術の直前だ。控室の会話だったかな……ストレッチャーだ。
のせかえられてから右掌を握りしめた真里。最後のつぶやきだ。

「ケージくんの手術。無事におわったら……家族も紹介するね」
「うん。結婚できる年齢まで二年ないから……それまで真里と。
一緒にいたいんだ。お互いに頑張ろう」即応したのもリアルだ。

「うんケージくん。手術のオマジナイよ。わたしを忘れないで」

 つぶやく真里。車いすから上体おおきく伸ばし口づけされた。
「初めてのチュウは……ケージくん。幸せな未来お願いします」


「オレも初めてだ……嬉しいよ」きっと顔も赤い。ハズイけど。
微笑ましい状況。見守る看護師もやがて手術室に移動を始めた。

「ケージくん。いつか逢えたら楽しく話そうよ。最後のお願い」
 暖かい記憶だ。いまも精神と肉体をうけとめたまま離さない。

 まだ五体満足。一年生だったっけ。忘れようもない想い出だ。

 真里のキスがオマジナイ。有効だったのかな。問題なく手術は
成功したらしいよ。同時に右脚も大腿骨から下。義足の生活だ。

 夢のようだった短期の入院生活。退院後しばらく放心状態だ。
目標実現のために考えた復学。通学が難しい。あきらめたんだ。


 手術をおえてから真里の姿。目にすることは一度もなかった。
彼女の病室に入院の痕跡も何もない。アンタッチャブル状態だ。

 病院で働く誰かに質問できる雰囲気でもない。愕然としたよ。

 やつれた様子はなかった。キスした際にも両頬を赤く染めた。
車いすで両掌を振る最後。悲壮感もないからすべてが謎だった。

 いまも約束忘れていない。再会したら渡すんだよ。ホンモノの
婚約指輪も購入した。本気だったからね。意識は変わらないさ。


 過去も変えられない。未来に何が起こるか誰にもわからない。
「ネーちゃん学園提出。手続きだけでいい。オレが説明するよ」

 いつか訪れるかもしれない遠い約束。それよりココが最優先と
心をきりかえる。順序よく解決していくだけでも限界なんだよ。

「なら明日。こちらから学園の昼休み。尋ねると連絡しとくね」
 右掌のボールペンだ。振りまわしてシステム手帳に記入する。

「そっちも明日かい。こっちもだケージ! ここから近い九条。
ホンダカーズ。早朝に鈴鹿からCIVICが陸送されるからな」
 テーブルの対面席に座る英雄さん。こちらを見ながら伝えた。


「えっ? たしか今日って節分だよね。大阪のノリ業者が販売の
促進で考えたイベント。恵方……どっち? 両目をつぶりながら
無言。お願いして太巻き食べる日じゃね」思案しながら応じる。

「今日は二月三日だよな。おぉ確かに節分じゃないか。なになに
今日が先負。明日は仏滅か」スマホで調べた英雄さんが哀しむ。

「いやいやいや。納車日なんて関係ないからどうでもいいすよ。
それよかネーちゃんさぁ。明日なんか開催じゃなかったっけ?」

 突然のダンジョン地震。日常生活も曖昧だ。なんか変だよね。

「ん? たぶんあれじゃないか。北京冬季オリンピック開催日」
 応える姉の圭子に一瞬の迷いもない。きっぱりとした即答だ。


「あぁ。そんなんもあったよね。興味の欠片もない話題でさぁ」
 さすが世間一般に優秀だと名高い女弁護士さん。感心しながら
即応するだけだ。だがしかしこの会話。ある種の分水嶺なんだ。

 この世は想像できない事象まみれ。現実ごと重ねて変異する。
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