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1章
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―――信じられない。
ソファでくーかくーかと寝息を立てるリツを見下ろして、私はどういう反応を取るべきなのか悩んだ。
まだ眠ってから半刻も経っていないはずなのに、相当寝相が悪いのか腕も足も掛布から零れ、月明かりに白い肌が照らされている。
これが他の―――後宮の女なら少しは欲情でもしただろうが、リツが相手となれば話は別だ。
そもそもリツは小さいし、全体的に薄いし、少し強く抱きしめただけで壊れそうで、触るのが躊躇われる。勿論、普段の暴れっぷりから考えるに、少し強く抱きしめたくらいでは壊れてしまうどころか、噛みつかれるか足を踏まれるか知らぬ言葉でぎゃんぎゃんと喚かれるかしそうだが。
しかし、と眉を顰めつつ小さな妻を見下ろす。
リツは無駄によく食べているはずだが、食べた分はいったいどこへ行くのかと不思議に思うほど腕も足も細い。勿論、規則的に上下を繰り返す胸元も薄い。
いったいどこが腹でどこが胸なのか分からないほど薄いなと、おそらくリツに言えば―――そしてその言葉が通じれば、噛みつかれそうなことを思う。
動いているときはあまり感じないが、そういえばリツは小さかったのだった、と初めてリツを見たときを思い出した。
あのときはまだ自分の妻がこんな娘だとは思わなかったのだが、などと思いつつ、溜息を一つ。
顔にかかってくすぐったそうな髪をそっと指で退けてやると、ぷっくらと赤い唇が目に入る。
そういえば、態度は悪いし可愛げもほとんど無いに等しいが、顔の造りが悪いわけではなかったと、まじまじとリツの顔を見つめる。
黒い睫毛はそれなりに長いし、健康的にふっくらとした頬は思わず触ってみたくなる。
―――黙っていれば、悪くはないのだが。
溜息を吐きながらそんなことを思って、相変わらず柔らかそうな頬をつつく。
いつもならぎゃーぎゃーと騒ぎ出すリツは、今は頬を軽く摘んでも健やかな寝息を立てて眠るだけだ。ふむ、これはなかなか面白い。
寝ているのをいいことに、しばらく頬を摘んだりつついたりしていたが、リツは先程と変わらずくうくうと深い眠りに落ちている。
動かないリツというのはなかなか不思議だ。面白いような気もするが、つまらないような気もする。
騒がれるのは煩いし面倒だが、何の反応もないのもつまらんな。
そんなことを思いつつ、ソファから零れていたリツの足を戻し、ついでに下着まで見えていたので寝間着の裾を直してやって、その足首の細さと軽さに驚いた。足も小さい。
何だこれはと思いつつ、足首を軽く握ると、くすぐったのか何か違和感を感じたのか、リツは「ん!」と短い音を発して思い切り足を跳ね上げた。
寝ていてもこの足癖の悪さは直らんのか!
下手をすれば顔か頭に当たっていただろう足をソファに押し付けて、そんなことを思った。
リツは足をソファに押し付けられて、しばらく不愉快そうな唸り声を漏らしていたが、それもしばらくすると大人しくなる。
小さく息を吐いて足から手を離すと、まるで狙ったかのように、リツは今度は勢いよく寝返りをうとうとした。
ソファから落ちそうになった体を何とか受け止めて、再びソファの上に乗せる。
むにゃむにゃと何やら寝言を零したリツを見つめて、何度目になるか、深く溜息を吐いた。
寝ているときくらい、もう少し大人しくできないのだろうか。
本気で縄で縛っておくべきかどうかと悩みつつ、能天気な寝顔を見つめた。
おそらくリツのことだから、一晩くらいソファの上で眠っても風邪を引くこともないとは思う。
この寝相の悪さから考えるに、翌朝はソファから転がり落ちているに違いないが、絨毯の上ですよすよと寝息を立てているリツは想像に難くない。
しかし、一応リツは私の妻で、そしてまだ子供なのである。そんな娘をこのままここに寝かせておくようなことはさすがに良心が咎める。
出会ってからまだ数日しか経っていないのに、何故リツはここまで私に手間をかけさせられるのだろうかと呆れながら、小さな体をそっと持ち上げる。
見かけ通り軽い体は、雲か綿かと思うまではいかずとも、「食事は足りているのだろうか」と心配になるくらいには軽い。
しかしあの朝食のときといい、先日の夕食のときといい、食べる量はむしろ他の女よりも多かったはずだ。あの食物はいったいどこに吸収されたんだと首を傾げる。
……身丈か、もしくはこの薄い胸に吸収されればよかったものを。この娘は少し動きすぎなんだ。食べた分は動いて消費せずに、もう少しじっとして身に凹凸をつけろ。
ベッドに運ばれる途中もリツは能天気にくかくかと寝息を立てていて、その平和すぎる寝顔は何となく可愛いと思えないこともない。
黙っていれば特に文句も無いのだが、とここ数日で何度も考えたことを再び考えていると、リツは何やら小さく唸り声を漏らした。
きゅっと眉が寄せられていて、赤い唇もぎゅうと結ばれている。ついでに私の知らぬ言葉で、何やら呪詛のような言葉まで紡ぎ始める。どうやら不快な夢でも見ているらしい。
何の夢を見ているのだろうと思いつつ、ベッドの上にそっとリツを降ろそうとした、そのときだった。
何やら怒声のような声を上げたかと思えば、リツは突然腕を天井に向けたのである。
天井に向けた、ということはつまり、リツを抱きかかえつつ「嫌な夢でも見ているのか?」とその顔を見下ろしていた私の顔に向けられたということだ。
まさか寝ている者からいきなり殴られるなどとは思うはずもなく、私はその手の平をそのまま受けることとなった。
びたん、と間抜けな音がして、その音と手の痛みに驚いたらしいリツが「ふぎゃっ!?」と突然目を開ける。
そうして私と目が合って一拍後、リツはまるで悪漢に襲われたような声を上げた。
『ぎ、やああああああああああー!』
この娘といると碌なことが無い。
私はこのとき、しみじみとそう思った。
その夢の中で、私は家族と一緒に食卓を囲んでいた。
誰かの誕生日だという話で、お父さんが仕事帰りに美味しいと噂のケーキ屋さんでケーキを買ってきてくれたのだ。
私はケーキを嬉しく思いながら、自分の分の苺のショートケーキを見つめ、にこにこしていた。
そして「それじゃあ苺から食べちゃおうかな!」なんて苺にフォークを刺そうとしたら、突然隣から腕が伸びてきて、私の苺は誰かに奪い取られたのである。
犯人は弟だった。どうやら先日、夕飯のからあげを弟の分まで食べてしまったことを根に持っていたらしい。
『だから悪気は無かったんだってば!』
そう何度も言ったのに、未だに根に持っていたのかこいつ!
私は怒り狂いながら、弟のチョコレートケーキにフォークを突き刺してやろうとしたのに、弟のお皿にはもうケーキはなかった。
そうして『このばかー!私の苺を返せー!』と弟に一発平手をお見舞いしてやったところで目が覚めたのだ。
べちん!といういい音と、そして手に走った痛みと、その二つのおかげでぱちりと目を覚ました私は、勿論次の瞬間―――悲鳴を上げた。
『さとちゃんがシュヴェルツになったー!』
ちなみに“さとちゃん”とは家族内での弟の呼び方である。
高校生になった弟は外でその呼び方をすると怒るが、家の中だけでなら別に気にしないようで、私とお母さんは奴が“ちゃん”付けされるほど可愛くなくなった今でも「さとちゃん」と呼んでいる。
凄腕整形外科もびっくりすぎる、一瞬の変化に、私は『ささささささとちゃんがシュヴェルツに……!』とその顔にぺたりと手を当てた。
あああ、たしかにシュヴェルツの方が美人かもしれないけど、さとちゃんはさとちゃんのままでいいのに!なんて思いつつ、その嘘みたいに整った顔を見つめて涙ぐむ。
ちなみに勿論、このときはまだ寝惚けていた。
そうしてシュヴェルツの顔を見つめつつ、さとちゃんごめん、なんて考えてたっぷり60秒が経過したかというころ、私はやっと自分が寝惚けていることに気付いた。
「……しゅべるつ!」
何だ本物のシュヴェルツか!本物なら本物だと言え!可愛くないけど可愛い弟と間違えただろう!
勝手に勘違いをして勝手にシュベルツの顔にぺたぺた触っておきながら、そんなことを思う。
シュヴェルツは眉を顰めて私をベッドの上に降ろし、たいへん面倒くさそうに、けれどとても甲斐甲斐しく、お布団まで被せてくれる。勿論枕は頭の下に置いてくれた。
な、何なのだ。このベッドで眠る権利を譲ってくれるとでも言うのか?それはたいへんありがたいけれど、さすがに申し訳ないような気もする。
別にそこのソファで全然構わないんだぞと、我ながらとても謙虚な気持ちでそろそろと身を起こそうとすると、シュヴェルツに「動くな。早く寝ろ」と枕に頭を押し付けられた。
何て失礼なのだ!乙女をそんな風に乱暴に扱ってはいけないのだぞ!
ぷりぷりしながら、それでもふかふかのベッドに身を沈めるとやっぱり気持ちいい。
シュヴェルツは何の遠慮も無くベッドに潜り込んできて―――まあシュヴェルツのベッドなんだから遠慮しろというほうがおかしいけれど―――、そのまま私の隣に身を置いた。
変なことをされるのではないかと思わなかったわけではない。けれどシュヴェルツは疲れたように息を吐き出して、そのままこちらに背を向けてしまったので、そういう気持ちが無いことは分かった。
「…………ありー、」
「黙って寝ろ」
アリーにこの部屋に来てもらっては駄目なのか?と問いたかったけれど、シュヴェルツは私の質問をばっさりと切り捨ててしまう。
駄目だと言われたのだろうかと思いつつ、仕方なく口を閉じる。
これが昼間ならアリーの名前を連呼してやるところだが、我が家では夜に騒ぐとお父さんにこっぴどく叱られてしまうのだ。
もごもごとアリーの名前を一度だけ呼んで、こてりとシュヴェルツの方へと顔を向ける。シュヴェルツはこちらに背中を向けていて、どんな顔をしているのか全く分からなかった。
「しゅべるつ」
「……何だ」
シュヴェルツは私の呼びかけに、こちらを向かずに面倒くさそうに声を返す。
私はその背中を見つめつつ、別に何でもない、という意味を込めて口を閉じた。
……そうだよな、さとちゃんの背中はこんなに大きくない。
お父さんもそんなに大きなほうではないし、なんて考えて、ぼんやりと天井を見上げる。
一度目が覚めたせいで、さっきのようにすぐには眠気がやってきそうにない。早く眠ってしまったほうがいいと思うのに、妙に目が冴えていて、考えてはいけないことが脳内を巡りだす。
―――私、元の世界に帰れるのだろうか。
家族のもとに、帰れるのだろうか。
そんなことを考えながら、そっと息を吐き出した。
ソファでくーかくーかと寝息を立てるリツを見下ろして、私はどういう反応を取るべきなのか悩んだ。
まだ眠ってから半刻も経っていないはずなのに、相当寝相が悪いのか腕も足も掛布から零れ、月明かりに白い肌が照らされている。
これが他の―――後宮の女なら少しは欲情でもしただろうが、リツが相手となれば話は別だ。
そもそもリツは小さいし、全体的に薄いし、少し強く抱きしめただけで壊れそうで、触るのが躊躇われる。勿論、普段の暴れっぷりから考えるに、少し強く抱きしめたくらいでは壊れてしまうどころか、噛みつかれるか足を踏まれるか知らぬ言葉でぎゃんぎゃんと喚かれるかしそうだが。
しかし、と眉を顰めつつ小さな妻を見下ろす。
リツは無駄によく食べているはずだが、食べた分はいったいどこへ行くのかと不思議に思うほど腕も足も細い。勿論、規則的に上下を繰り返す胸元も薄い。
いったいどこが腹でどこが胸なのか分からないほど薄いなと、おそらくリツに言えば―――そしてその言葉が通じれば、噛みつかれそうなことを思う。
動いているときはあまり感じないが、そういえばリツは小さかったのだった、と初めてリツを見たときを思い出した。
あのときはまだ自分の妻がこんな娘だとは思わなかったのだが、などと思いつつ、溜息を一つ。
顔にかかってくすぐったそうな髪をそっと指で退けてやると、ぷっくらと赤い唇が目に入る。
そういえば、態度は悪いし可愛げもほとんど無いに等しいが、顔の造りが悪いわけではなかったと、まじまじとリツの顔を見つめる。
黒い睫毛はそれなりに長いし、健康的にふっくらとした頬は思わず触ってみたくなる。
―――黙っていれば、悪くはないのだが。
溜息を吐きながらそんなことを思って、相変わらず柔らかそうな頬をつつく。
いつもならぎゃーぎゃーと騒ぎ出すリツは、今は頬を軽く摘んでも健やかな寝息を立てて眠るだけだ。ふむ、これはなかなか面白い。
寝ているのをいいことに、しばらく頬を摘んだりつついたりしていたが、リツは先程と変わらずくうくうと深い眠りに落ちている。
動かないリツというのはなかなか不思議だ。面白いような気もするが、つまらないような気もする。
騒がれるのは煩いし面倒だが、何の反応もないのもつまらんな。
そんなことを思いつつ、ソファから零れていたリツの足を戻し、ついでに下着まで見えていたので寝間着の裾を直してやって、その足首の細さと軽さに驚いた。足も小さい。
何だこれはと思いつつ、足首を軽く握ると、くすぐったのか何か違和感を感じたのか、リツは「ん!」と短い音を発して思い切り足を跳ね上げた。
寝ていてもこの足癖の悪さは直らんのか!
下手をすれば顔か頭に当たっていただろう足をソファに押し付けて、そんなことを思った。
リツは足をソファに押し付けられて、しばらく不愉快そうな唸り声を漏らしていたが、それもしばらくすると大人しくなる。
小さく息を吐いて足から手を離すと、まるで狙ったかのように、リツは今度は勢いよく寝返りをうとうとした。
ソファから落ちそうになった体を何とか受け止めて、再びソファの上に乗せる。
むにゃむにゃと何やら寝言を零したリツを見つめて、何度目になるか、深く溜息を吐いた。
寝ているときくらい、もう少し大人しくできないのだろうか。
本気で縄で縛っておくべきかどうかと悩みつつ、能天気な寝顔を見つめた。
おそらくリツのことだから、一晩くらいソファの上で眠っても風邪を引くこともないとは思う。
この寝相の悪さから考えるに、翌朝はソファから転がり落ちているに違いないが、絨毯の上ですよすよと寝息を立てているリツは想像に難くない。
しかし、一応リツは私の妻で、そしてまだ子供なのである。そんな娘をこのままここに寝かせておくようなことはさすがに良心が咎める。
出会ってからまだ数日しか経っていないのに、何故リツはここまで私に手間をかけさせられるのだろうかと呆れながら、小さな体をそっと持ち上げる。
見かけ通り軽い体は、雲か綿かと思うまではいかずとも、「食事は足りているのだろうか」と心配になるくらいには軽い。
しかしあの朝食のときといい、先日の夕食のときといい、食べる量はむしろ他の女よりも多かったはずだ。あの食物はいったいどこに吸収されたんだと首を傾げる。
……身丈か、もしくはこの薄い胸に吸収されればよかったものを。この娘は少し動きすぎなんだ。食べた分は動いて消費せずに、もう少しじっとして身に凹凸をつけろ。
ベッドに運ばれる途中もリツは能天気にくかくかと寝息を立てていて、その平和すぎる寝顔は何となく可愛いと思えないこともない。
黙っていれば特に文句も無いのだが、とここ数日で何度も考えたことを再び考えていると、リツは何やら小さく唸り声を漏らした。
きゅっと眉が寄せられていて、赤い唇もぎゅうと結ばれている。ついでに私の知らぬ言葉で、何やら呪詛のような言葉まで紡ぎ始める。どうやら不快な夢でも見ているらしい。
何の夢を見ているのだろうと思いつつ、ベッドの上にそっとリツを降ろそうとした、そのときだった。
何やら怒声のような声を上げたかと思えば、リツは突然腕を天井に向けたのである。
天井に向けた、ということはつまり、リツを抱きかかえつつ「嫌な夢でも見ているのか?」とその顔を見下ろしていた私の顔に向けられたということだ。
まさか寝ている者からいきなり殴られるなどとは思うはずもなく、私はその手の平をそのまま受けることとなった。
びたん、と間抜けな音がして、その音と手の痛みに驚いたらしいリツが「ふぎゃっ!?」と突然目を開ける。
そうして私と目が合って一拍後、リツはまるで悪漢に襲われたような声を上げた。
『ぎ、やああああああああああー!』
この娘といると碌なことが無い。
私はこのとき、しみじみとそう思った。
その夢の中で、私は家族と一緒に食卓を囲んでいた。
誰かの誕生日だという話で、お父さんが仕事帰りに美味しいと噂のケーキ屋さんでケーキを買ってきてくれたのだ。
私はケーキを嬉しく思いながら、自分の分の苺のショートケーキを見つめ、にこにこしていた。
そして「それじゃあ苺から食べちゃおうかな!」なんて苺にフォークを刺そうとしたら、突然隣から腕が伸びてきて、私の苺は誰かに奪い取られたのである。
犯人は弟だった。どうやら先日、夕飯のからあげを弟の分まで食べてしまったことを根に持っていたらしい。
『だから悪気は無かったんだってば!』
そう何度も言ったのに、未だに根に持っていたのかこいつ!
私は怒り狂いながら、弟のチョコレートケーキにフォークを突き刺してやろうとしたのに、弟のお皿にはもうケーキはなかった。
そうして『このばかー!私の苺を返せー!』と弟に一発平手をお見舞いしてやったところで目が覚めたのだ。
べちん!といういい音と、そして手に走った痛みと、その二つのおかげでぱちりと目を覚ました私は、勿論次の瞬間―――悲鳴を上げた。
『さとちゃんがシュヴェルツになったー!』
ちなみに“さとちゃん”とは家族内での弟の呼び方である。
高校生になった弟は外でその呼び方をすると怒るが、家の中だけでなら別に気にしないようで、私とお母さんは奴が“ちゃん”付けされるほど可愛くなくなった今でも「さとちゃん」と呼んでいる。
凄腕整形外科もびっくりすぎる、一瞬の変化に、私は『ささささささとちゃんがシュヴェルツに……!』とその顔にぺたりと手を当てた。
あああ、たしかにシュヴェルツの方が美人かもしれないけど、さとちゃんはさとちゃんのままでいいのに!なんて思いつつ、その嘘みたいに整った顔を見つめて涙ぐむ。
ちなみに勿論、このときはまだ寝惚けていた。
そうしてシュヴェルツの顔を見つめつつ、さとちゃんごめん、なんて考えてたっぷり60秒が経過したかというころ、私はやっと自分が寝惚けていることに気付いた。
「……しゅべるつ!」
何だ本物のシュヴェルツか!本物なら本物だと言え!可愛くないけど可愛い弟と間違えただろう!
勝手に勘違いをして勝手にシュベルツの顔にぺたぺた触っておきながら、そんなことを思う。
シュヴェルツは眉を顰めて私をベッドの上に降ろし、たいへん面倒くさそうに、けれどとても甲斐甲斐しく、お布団まで被せてくれる。勿論枕は頭の下に置いてくれた。
な、何なのだ。このベッドで眠る権利を譲ってくれるとでも言うのか?それはたいへんありがたいけれど、さすがに申し訳ないような気もする。
別にそこのソファで全然構わないんだぞと、我ながらとても謙虚な気持ちでそろそろと身を起こそうとすると、シュヴェルツに「動くな。早く寝ろ」と枕に頭を押し付けられた。
何て失礼なのだ!乙女をそんな風に乱暴に扱ってはいけないのだぞ!
ぷりぷりしながら、それでもふかふかのベッドに身を沈めるとやっぱり気持ちいい。
シュヴェルツは何の遠慮も無くベッドに潜り込んできて―――まあシュヴェルツのベッドなんだから遠慮しろというほうがおかしいけれど―――、そのまま私の隣に身を置いた。
変なことをされるのではないかと思わなかったわけではない。けれどシュヴェルツは疲れたように息を吐き出して、そのままこちらに背を向けてしまったので、そういう気持ちが無いことは分かった。
「…………ありー、」
「黙って寝ろ」
アリーにこの部屋に来てもらっては駄目なのか?と問いたかったけれど、シュヴェルツは私の質問をばっさりと切り捨ててしまう。
駄目だと言われたのだろうかと思いつつ、仕方なく口を閉じる。
これが昼間ならアリーの名前を連呼してやるところだが、我が家では夜に騒ぐとお父さんにこっぴどく叱られてしまうのだ。
もごもごとアリーの名前を一度だけ呼んで、こてりとシュヴェルツの方へと顔を向ける。シュヴェルツはこちらに背中を向けていて、どんな顔をしているのか全く分からなかった。
「しゅべるつ」
「……何だ」
シュヴェルツは私の呼びかけに、こちらを向かずに面倒くさそうに声を返す。
私はその背中を見つめつつ、別に何でもない、という意味を込めて口を閉じた。
……そうだよな、さとちゃんの背中はこんなに大きくない。
お父さんもそんなに大きなほうではないし、なんて考えて、ぼんやりと天井を見上げる。
一度目が覚めたせいで、さっきのようにすぐには眠気がやってきそうにない。早く眠ってしまったほうがいいと思うのに、妙に目が冴えていて、考えてはいけないことが脳内を巡りだす。
―――私、元の世界に帰れるのだろうか。
家族のもとに、帰れるのだろうか。
そんなことを考えながら、そっと息を吐き出した。
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