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1章
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―――今までに、リツほど理解できない女に会ったことはない。
とりあえず夫婦の溝を少しでも埋めるためにと食事に誘ったのはよかった。
ドレスを替え、髪を美しく結い上げ、淡く化粧を施されたリツはとりあえず誰に紹介しても恥ずかしくない程度には愛らしい。
勿論それは黙っているか笑顔を浮かべればの話で、リツは私の姿を見止めた瞬間に眉をひそめたので、愛らしいなどと思う前に少しばかり苛立った。
淡い色のドレスは、夜の闇の中では柔らかく輝き、まるで燐粉を放つ妖精のようだ―――などと褒めてもリツは全く意味を理解できないのだろうし、そもそも妖精というには少しおてんばすぎる。
それに、長いドレスに足をとられて転びそうになっているその姿には妖精に例えられるような軽やかさは全く見受けられない。
まあ、今日の脱走騒ぎでは本当に腹が立つくらいの軽やかさで部屋から逃げ出したわけだが、あれは思い出すと気分が悪いので忘れるように勤めている。
食事の間、まったく会話が弾まなかったが、リツがものを食べる姿というのは見ているとなかなか面白い。
口にものを入れるたびに美味そうな表情を浮かべ、食事を運んでくる者にたどたどしい言葉で「ありがとうございます」と柔らかく言うのは、なかなか可愛らしいかもしれない。
しかし私と視線が合うとたちまち身構え、喧嘩でも売るような視線を向けてくるのである。まったく憎たらしい。
そして食後、散歩にでも誘えば、リツは気味悪そうに私を見つめながら―――本当にまったく可愛くない―――、それでも拒みもせずに着いて来た。
とりあえず嫌われてはいないのかと少し安堵しつつ、月明かりに照らされる庭園をゆっくりと散策する。
リツは夜の庭というのがそんなに珍しいのか、きょろきょろと辺りを見渡していた。
月明かりに照らされた花を見つめる様子は、実際はすぐに手が出るところもすぐに怒るところも知っていてもなかなか愛らしい。
ぱきんと枝を折って一輪手渡すと、リツは驚いてこちらを見上げ、そうして残念そうに折られた枝を見つめ、けれど最後には「ありがとうございます」ともしかしたら初めて見るかもしれない笑顔を浮かべた。
そうして髪に飾るでもするかと思いきや、リツはまふっと花に顔を突っ込む。
食うな!と慌てて花を取り上げると、リツは鼻の頭に花粉をつけたまま首を傾げた。
まさか食べるはずもなく、おそらく匂いでも嗅ごうとしたのだろうが、それにしては豪快すぎる。もう少し可憐に振舞えないのかと、可憐のかの字さえも見受けられないリツの行動を心底残念に思った。
溜息を吐いて鼻の頭の花粉を指で拭ってやって、取り上げた花を結われた髪に飾ってやった。
リツは不思議そうにぺたぺたと頭に触れて、花が髪に挿されたことを知るとぱちぱちと目を瞬かせる。
そうしてから少し恥ずかしそうに、くすぐったそうに笑った。
年頃の娘らしく花飾り一つで喜ぶこともできるのかと安心する。それに、笑顔を向けられればやはり悪い気はしない。
よろけて転びそうになったのを受け止めると、リツは慌てて体勢を立て直し、口を開く。
「もうしわけありません」
笑顔に続いて初めての謝罪に、少し驚いた。
今まで泣くか怒るか喚くかしたところしか見たことが無かったが、笑えもすれば謝罪することもできるらしい。
気にしなくていい、と言葉を返すと、リツはぱちぱちと瞬きをして「……なに?」と言葉を零した。
その『なに?』の言葉に、思わず小さく眉が寄った。
言葉が通じないというのは本当にまどろっこしく、面倒だ。リツが自分の妻でもなければ間違いなくこんな面倒な思いをしてまで会話をしようとは思わないだろう。
しかしリツは周囲に言葉の通じる人間が全くいないのであるから、面倒どころではなく、随分苦労していることだろう。
少し哀れに思って、明日からはほんの僅かな時間でもいいから顔くらいは見に行ってやろうと決意する。
おそらくこんな馬鹿げたことを決意したのは、このときのリツがいつもとは違って夜の闇と月の光のおかげで少しは可憐に見えていたからに違いないと、私は後々になって思うこととなる。
リツは不思議そうに首を傾げ、思案する私を置いてふらふらと前を歩みだした。
こら、一人で前を歩くなと腕を引くと、リツは早く行くぞ!とばかりに逆に腕を引いてくる。
まったく、と呆れながら、それでも今夜のリツは花を受けとって微笑むなどという娘らしく愛らしいことをするものだから、逆らわずに隣に並んで歩き出した。すると隣のリツは空を仰ぎ、口を開く。
「しゅべるつ、なに?」
何?と指差したのは輝く月や星のように思えたが、もしかして空を指しているのかもしれない。
どう答えるか悩むと、リツは「そら」と言葉を紡いで、宙にくるりと円を描いて見せた。なるほど、月のことか?
「つ、き?」
つき、とたどたどしく言葉を繰り返したリツは、満足げに頷く。
「そら、つき」
「……ああ、空に月があるな」
何を言いたいのか全く分からないが、リツは言うだけ言って再び歩みだす。普通の女ならここで月が綺麗だとか少し冷えますねだとか言ってそっと寄り添ってくるのだが、リツは「そら、つき。そら、つき」と呪文のように繰り返すだけだ。しかも途中、何故か「き」も加わって、「そら、つき、き。そら、つき、き」の呪文になった。
我が妻ながら理解を超える行動に、私は小さく溜息を零した。
そのままゆったりと庭を歩き、しばらくしたところで東屋が見えてきた。
疲れただろうかと思いそこに誘うと、リツは素直についてくる。
夫婦となった瞬間から現在まで全てにおいて拒まれていた気がするのだが、今日はやけに素直である。
まさかとは思うが、今までの行為を反省して、これからは楚々としていこうということなのだろうか。
それはそれで喜ぶべきことだ。今後はそうあるべきである。
ベンチの中央から少しずれた場所に腰を下ろすと、リツは迷うことなくベンチの隅に腰を下ろした。
何故隣に座らないんだと訝しげに思いながら「リツ」と名を呼ぶと、何だというように視線を返された。……まったく楚々としていない。
仕方なく自分の方が移動して隣に腰掛けると、リツは不審がってじろじろとこちらを見つめてくる。
もうちょっと年頃の娘らしく顔を伏せたり頬を染めるなりしてみれば可愛らしいのに、リツには照れる様子の欠片もない。
そういえば初めて会ったときも不躾なほどにじろじろと見つめられた気がする。
まだ3,4日しか経っていないのだから変わっていないのも当然だが、例えば1年経ったとしてもこのままのような気がしてくるのだから恐ろしい。
リツという娘はとにかく全てにおいて、自分が知りうる限りのどの女とも全く違う。基本的に悪い意味で違う。
少なくとも人の分のパンを奪い、人に突撃して部屋から逃げ出し、髪や服に木の葉をつけて見つかり、散歩を許せば騎士宿舎などに迷い込む女は今まで身の回りに一人も居なかったし、おそらく今後も居ないだろう。リツ以外は。
そんなリツはどうやら眠くなったようで、目を擦っている。
散々昼寝をしたという話だが、まだ眠るつもりなのかと長い夜を思う。
この様子では部屋に呼んでもいいものなのかとも思うのだが、相手はリツだ。初日からしてひどい拒みようだった。
悩みに悩んだ挙句、とりあえずそっと肩に腕を回すとリツはちらりとこちらを見やって再び視線を前に戻した。
寄りかかってくることも拒むこともなく、更に悩む。この女の態度は分かりにくい、というかまったく分からない。
少し力を込めて肩を抱き寄せようとすると、寄りかかってくるでもなく拒むでもなく、固まられた。
他の娘なら緊張でもしているのかと微笑ましく思うかもしれないが、おそらくリツのことだから動いたら負けだとか何とか思っているのだろう。
視線を落とすと、リツはじっと正面を見つめている。
何か面白いものでもあるのかと思ってそちらを見つめるが、特に何も無い。風に揺れる整えられた木や花ばかりだ。
しかもそれらを見つめるリツの顔は妙に険しい。苦悩しているような表情なのだが、理由がまったく分からない。
何か悩んでいることでもあるのだろうかと心配した私は、まさかこのときリツが私の腕を振り払うべきかどうか悩んでいるなどとは、無論思っても見なかった。
悩み事があるならば話してみろと言いたいところだが、言葉が通じないのでどうしようもない。
元の世界のことを想っているのだろうかと考えて、複雑な感情が胸を過ぎる。
いきなり親元から引き離されたことは可哀想に思うが、こちらでの生活には何の不便もさせていないはずである。それでもやはり家族を思う気持ちはあるだろうから、その分だけ自分が支えてやればいいとは思っていたが、とりあえず今のリツは私よりむしろ侍女を頼りにしているようである。
はっきり言って気分がいいものではない。相手が侍女なのだから、まあ男でない分だけいいのだが、それでもだ。
「リツ」
なるべく優しく名を呼んだが、リツはどうやら真剣に何かを悩んでいるらしく、ぎゅっと眉根を寄せたままで、私の声が聞こえた様子が無い。
どうしたものかと思いつつリツを見つめていると、その小さな手は少し震えていた。
後から考えれば、どう見てもこれは寒くて震えていたのだが、今夜のリツは花で喜ぶという可愛らしいところもあったものだから、もしや緊張でもしているのだろうかという妙な誤解をしてしまったのである。
そんな誤解をしたものだから、この小さな妻が急にいじらしく、愛らしく見えてしまった。
そうしてその気持ちのまま、そっと唇を重ねようとして、そして―――何をするんだと言わんばかりのリツに、冷えた両の手で口を覆われたのである。
……この女はもう少し男の気持ちを考えて行動するべきだと、私は心の底から思った。
とりあえず夫婦の溝を少しでも埋めるためにと食事に誘ったのはよかった。
ドレスを替え、髪を美しく結い上げ、淡く化粧を施されたリツはとりあえず誰に紹介しても恥ずかしくない程度には愛らしい。
勿論それは黙っているか笑顔を浮かべればの話で、リツは私の姿を見止めた瞬間に眉をひそめたので、愛らしいなどと思う前に少しばかり苛立った。
淡い色のドレスは、夜の闇の中では柔らかく輝き、まるで燐粉を放つ妖精のようだ―――などと褒めてもリツは全く意味を理解できないのだろうし、そもそも妖精というには少しおてんばすぎる。
それに、長いドレスに足をとられて転びそうになっているその姿には妖精に例えられるような軽やかさは全く見受けられない。
まあ、今日の脱走騒ぎでは本当に腹が立つくらいの軽やかさで部屋から逃げ出したわけだが、あれは思い出すと気分が悪いので忘れるように勤めている。
食事の間、まったく会話が弾まなかったが、リツがものを食べる姿というのは見ているとなかなか面白い。
口にものを入れるたびに美味そうな表情を浮かべ、食事を運んでくる者にたどたどしい言葉で「ありがとうございます」と柔らかく言うのは、なかなか可愛らしいかもしれない。
しかし私と視線が合うとたちまち身構え、喧嘩でも売るような視線を向けてくるのである。まったく憎たらしい。
そして食後、散歩にでも誘えば、リツは気味悪そうに私を見つめながら―――本当にまったく可愛くない―――、それでも拒みもせずに着いて来た。
とりあえず嫌われてはいないのかと少し安堵しつつ、月明かりに照らされる庭園をゆっくりと散策する。
リツは夜の庭というのがそんなに珍しいのか、きょろきょろと辺りを見渡していた。
月明かりに照らされた花を見つめる様子は、実際はすぐに手が出るところもすぐに怒るところも知っていてもなかなか愛らしい。
ぱきんと枝を折って一輪手渡すと、リツは驚いてこちらを見上げ、そうして残念そうに折られた枝を見つめ、けれど最後には「ありがとうございます」ともしかしたら初めて見るかもしれない笑顔を浮かべた。
そうして髪に飾るでもするかと思いきや、リツはまふっと花に顔を突っ込む。
食うな!と慌てて花を取り上げると、リツは鼻の頭に花粉をつけたまま首を傾げた。
まさか食べるはずもなく、おそらく匂いでも嗅ごうとしたのだろうが、それにしては豪快すぎる。もう少し可憐に振舞えないのかと、可憐のかの字さえも見受けられないリツの行動を心底残念に思った。
溜息を吐いて鼻の頭の花粉を指で拭ってやって、取り上げた花を結われた髪に飾ってやった。
リツは不思議そうにぺたぺたと頭に触れて、花が髪に挿されたことを知るとぱちぱちと目を瞬かせる。
そうしてから少し恥ずかしそうに、くすぐったそうに笑った。
年頃の娘らしく花飾り一つで喜ぶこともできるのかと安心する。それに、笑顔を向けられればやはり悪い気はしない。
よろけて転びそうになったのを受け止めると、リツは慌てて体勢を立て直し、口を開く。
「もうしわけありません」
笑顔に続いて初めての謝罪に、少し驚いた。
今まで泣くか怒るか喚くかしたところしか見たことが無かったが、笑えもすれば謝罪することもできるらしい。
気にしなくていい、と言葉を返すと、リツはぱちぱちと瞬きをして「……なに?」と言葉を零した。
その『なに?』の言葉に、思わず小さく眉が寄った。
言葉が通じないというのは本当にまどろっこしく、面倒だ。リツが自分の妻でもなければ間違いなくこんな面倒な思いをしてまで会話をしようとは思わないだろう。
しかしリツは周囲に言葉の通じる人間が全くいないのであるから、面倒どころではなく、随分苦労していることだろう。
少し哀れに思って、明日からはほんの僅かな時間でもいいから顔くらいは見に行ってやろうと決意する。
おそらくこんな馬鹿げたことを決意したのは、このときのリツがいつもとは違って夜の闇と月の光のおかげで少しは可憐に見えていたからに違いないと、私は後々になって思うこととなる。
リツは不思議そうに首を傾げ、思案する私を置いてふらふらと前を歩みだした。
こら、一人で前を歩くなと腕を引くと、リツは早く行くぞ!とばかりに逆に腕を引いてくる。
まったく、と呆れながら、それでも今夜のリツは花を受けとって微笑むなどという娘らしく愛らしいことをするものだから、逆らわずに隣に並んで歩き出した。すると隣のリツは空を仰ぎ、口を開く。
「しゅべるつ、なに?」
何?と指差したのは輝く月や星のように思えたが、もしかして空を指しているのかもしれない。
どう答えるか悩むと、リツは「そら」と言葉を紡いで、宙にくるりと円を描いて見せた。なるほど、月のことか?
「つ、き?」
つき、とたどたどしく言葉を繰り返したリツは、満足げに頷く。
「そら、つき」
「……ああ、空に月があるな」
何を言いたいのか全く分からないが、リツは言うだけ言って再び歩みだす。普通の女ならここで月が綺麗だとか少し冷えますねだとか言ってそっと寄り添ってくるのだが、リツは「そら、つき。そら、つき」と呪文のように繰り返すだけだ。しかも途中、何故か「き」も加わって、「そら、つき、き。そら、つき、き」の呪文になった。
我が妻ながら理解を超える行動に、私は小さく溜息を零した。
そのままゆったりと庭を歩き、しばらくしたところで東屋が見えてきた。
疲れただろうかと思いそこに誘うと、リツは素直についてくる。
夫婦となった瞬間から現在まで全てにおいて拒まれていた気がするのだが、今日はやけに素直である。
まさかとは思うが、今までの行為を反省して、これからは楚々としていこうということなのだろうか。
それはそれで喜ぶべきことだ。今後はそうあるべきである。
ベンチの中央から少しずれた場所に腰を下ろすと、リツは迷うことなくベンチの隅に腰を下ろした。
何故隣に座らないんだと訝しげに思いながら「リツ」と名を呼ぶと、何だというように視線を返された。……まったく楚々としていない。
仕方なく自分の方が移動して隣に腰掛けると、リツは不審がってじろじろとこちらを見つめてくる。
もうちょっと年頃の娘らしく顔を伏せたり頬を染めるなりしてみれば可愛らしいのに、リツには照れる様子の欠片もない。
そういえば初めて会ったときも不躾なほどにじろじろと見つめられた気がする。
まだ3,4日しか経っていないのだから変わっていないのも当然だが、例えば1年経ったとしてもこのままのような気がしてくるのだから恐ろしい。
リツという娘はとにかく全てにおいて、自分が知りうる限りのどの女とも全く違う。基本的に悪い意味で違う。
少なくとも人の分のパンを奪い、人に突撃して部屋から逃げ出し、髪や服に木の葉をつけて見つかり、散歩を許せば騎士宿舎などに迷い込む女は今まで身の回りに一人も居なかったし、おそらく今後も居ないだろう。リツ以外は。
そんなリツはどうやら眠くなったようで、目を擦っている。
散々昼寝をしたという話だが、まだ眠るつもりなのかと長い夜を思う。
この様子では部屋に呼んでもいいものなのかとも思うのだが、相手はリツだ。初日からしてひどい拒みようだった。
悩みに悩んだ挙句、とりあえずそっと肩に腕を回すとリツはちらりとこちらを見やって再び視線を前に戻した。
寄りかかってくることも拒むこともなく、更に悩む。この女の態度は分かりにくい、というかまったく分からない。
少し力を込めて肩を抱き寄せようとすると、寄りかかってくるでもなく拒むでもなく、固まられた。
他の娘なら緊張でもしているのかと微笑ましく思うかもしれないが、おそらくリツのことだから動いたら負けだとか何とか思っているのだろう。
視線を落とすと、リツはじっと正面を見つめている。
何か面白いものでもあるのかと思ってそちらを見つめるが、特に何も無い。風に揺れる整えられた木や花ばかりだ。
しかもそれらを見つめるリツの顔は妙に険しい。苦悩しているような表情なのだが、理由がまったく分からない。
何か悩んでいることでもあるのだろうかと心配した私は、まさかこのときリツが私の腕を振り払うべきかどうか悩んでいるなどとは、無論思っても見なかった。
悩み事があるならば話してみろと言いたいところだが、言葉が通じないのでどうしようもない。
元の世界のことを想っているのだろうかと考えて、複雑な感情が胸を過ぎる。
いきなり親元から引き離されたことは可哀想に思うが、こちらでの生活には何の不便もさせていないはずである。それでもやはり家族を思う気持ちはあるだろうから、その分だけ自分が支えてやればいいとは思っていたが、とりあえず今のリツは私よりむしろ侍女を頼りにしているようである。
はっきり言って気分がいいものではない。相手が侍女なのだから、まあ男でない分だけいいのだが、それでもだ。
「リツ」
なるべく優しく名を呼んだが、リツはどうやら真剣に何かを悩んでいるらしく、ぎゅっと眉根を寄せたままで、私の声が聞こえた様子が無い。
どうしたものかと思いつつリツを見つめていると、その小さな手は少し震えていた。
後から考えれば、どう見てもこれは寒くて震えていたのだが、今夜のリツは花で喜ぶという可愛らしいところもあったものだから、もしや緊張でもしているのだろうかという妙な誤解をしてしまったのである。
そんな誤解をしたものだから、この小さな妻が急にいじらしく、愛らしく見えてしまった。
そうしてその気持ちのまま、そっと唇を重ねようとして、そして―――何をするんだと言わんばかりのリツに、冷えた両の手で口を覆われたのである。
……この女はもう少し男の気持ちを考えて行動するべきだと、私は心の底から思った。
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