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9 誰にやられた
しおりを挟む「入って良いだろうか」
ノックの後、騎士の遠慮がちな声がした。
「あ、はい、どうぞっ」
クリスは案内された部屋で着替えていたのだが、待たせてはいけないと慌てて返事をする。服を着てからの方がよかったのではと、返事の直後気付いたが既に遅く、扉の向こうから「身体をぬぐうお湯を準備してきた」という言葉と共に、ドアが開いた。
騎士と、上半身裸のクリスの目が合った。
「す、すまない……!! 着替えている途中だったの……か……」
騎士はひどく動揺した様子でそこまで言いかけて、絶句した。
「その、身体は……」
クリスのは騎士の視線にハッとする。騎士が身体に残る暴行の痕に気がついたのだ。
「……あ、えっと、すみません、見苦しい物を見せて……」
打撲で斑になっている自分の肌が、急に恥ずかしくなる。普通は、もっと綺麗な肌をしているのだろう。駄目な自分を見透かされるようで慌てて借りたシャツで隠そうとしたが、大股で歩み寄ってきた騎士に、その動きを止められる。
「あ、の……」
既に青くなり始めている数々の打撲痕は、クリスの身体に点々と残っていた。
執拗に蹴られた顔は手で覆って無事だったが、よく見れば手の甲も少し腫れ上がっている。
「……誰にやられた」
一目で暴力の痕だと判断した騎士に、クリスは慌てて、「ちょっと転んで……」と、言い訳をした。しかし厳しくなった騎士の表情に更に焦る。
とはいえ、きっと殴られたと本当のことを言えば、元恋人が悪く思われてしまう。それはいけないことだ。殴られるようなことをした自分が悪いのに、恋人のせいと思わせてはいけない。それは悪いことだ。
だからそれはクリスにとって、当たり前の言い訳だった。
けれど、それを聞いた騎士の表情がますます厳しい物になる。
「残念だが、そういう打撲痕は、暴力の痕だ。誰を庇っている。食堂の店主か」
「ち、ちがいます!!」
「では、誰にやられた」
クリスは、グッと言葉を呑んだ。
言ってはいけないことを言うのは、ひどく後ろめたいような気持ちが込み上げた。
人を悪く言って被害者ぶるなと殴られたこともある。お前が悪いから教えてやったのに殴ったオレが悪いと思われたじゃないかと、蹴られたこともある。
クリスにとって、自分が悪いのに、やられたと人に言うこと、辛かったと人に言うことは、人に告げ口をするみっともないことなのだ。
誰にやられたのかを騎士に言うということは、そういう恥ずかしい事なのだ。
「……店主に、詳しいことを聞いた方が良さそうだな」
「待ってください……っ、ほんとうに、食堂のご主人ではありません……!!」
「クリス。君がはっきり言わないと、疑いは店主に掛かったままだ」
クリスは再び口を噤んだ。
告げ口するのは怖かった。けれど、店と家を追い出されたと思っている騎士は、店主への疑念を持ち続けるだろう。
考えて、考えて、クリスは、ようやく呟いた。
「僕の、元、恋人です」
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