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3章

149 4-7(終)

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「遅く、なりました……」

 なんとか声を絞り出せば、それは情けなくも震えていた。
 隣に並ぶその人の肩が、ピクリと震えた。
 見つめるその人の横顔は動くことなく、一度だけ視線だけをよこし、静かにまぶたが伏せられた。
 訪れた沈黙が、恐ろしいほど長く感じはじめた頃、ふっと笑うような溜息が隣から漏れる。

「……なんのことだか。俺は、ただ桜を見に来ただけだ」

 こちらを見ることもなく静かに呟かれた低い声もまた、わずかに震えていた。そこには、わずかに微笑む、老いた正臣の横顔があった。
 顔を見ているだけで胸がつまる。溢れる感情を逃すように震える息を吐き出すと、ルカは彼の視線を追いかけて、同じように桜の木に目を向けた。

「……あなたの隣は、まだ、あいていますか」

 震える声を抑えながら、ルカは願うように呟いた。その必死さを笑うように、隣から楽しげな吐息が漏れた。

「……残念だが……」

 そう言って彼は口をつぐむと、うつむいて小さく笑う。

「……三十年以上前から、ずっと埋まっている」

 呟くようなその声に、情けなくも泣き崩れそうだった。震えながら歯を食いしばり、引きつる喉を堪える。

「は、い……」

 ようやく絞り出せたのはその一言だけだ。

「情けない面だな、……俺よりでかい図体をして」

 ささやくような震える声がして、乱暴な肩を組むような仕草で抱き寄せられる。
 色気もなにもない無骨な情だけ感じる優しさが、あまりにも彼らしくて、ルカは込み上げた笑みをかみ殺す。
 軽く励ますように揺すられただけですぐにそのぬくもりは離れてしまったが、寂しくはない。
 そうだ、こういう人だった……と思い出す。東国人らしい、控えめな触れ合いと気遣いだ。

 肩が触れるほど近い位置で並び立つだけで、ここに彼がいるという感動で溢れている。
 顔を上げれば、微笑んで桜の木を見上げる顔がある。皺の深い厳しく毅然とした顔つきは、彼の生きた道の険しさを感じさせた。
 なのに人を安心させるような穏やかで優しそうな居住まいは、この人の生き様を現しているのだろう。厳しく優しい人だ。強い人だ。支えたいという人はたくさんいただろう。隣で寄り添いたいという人も。
 なのに、この人はここで私を待ち続けた。
 その事実があまりにも重くて、胸が潰れそうになる。
 込み上げる感情はあまりにも大きすぎて言葉にならない。

 帰ってきたのだ。私はここに、帰ってくることができたのだ。

 老いたその人は、微笑みながらも口元をわずかにわななかせていた。
 寄り添いながら、ルカは彼と共に約束の木を見る。
 懐かしい桜の木が、そこにあった。
 遠い昔、再び一緒に見ようと約束した桜だ。
 そこにはあのとき共に見たかったはずの花などない。しかし、それはもはや必要なかった。


 桜の枝が揺れる。花も葉もない枯れ木のような枝だ。だが、よく見れば小さな芽がぷくりと出始めている。
 まもなく、春が来る。




 終





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