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3章
127 3 見えていなかったもの1
しおりを挟む彼女と結婚をするという違和感をごまかしながらも、毎日はあたりまえのように過ぎてゆく。
ルカはプロポーズをするために指輪を買いに行った。人気の宝石店で、婚約指輪にふさわしい物を並べてもらう。現時点で恋人のような付き合いがあるわけでもないが、家での結びつきでの結婚はまだまだ多い。友人としての付き合いがあるなら、そこから結婚の話が出るのは、むしろ手順としては恋愛よりもずっと一般的だ。
どういった物を彼女は好むだろうと思って、彼女の好きそうな物をいくつか見繕う。
この中の物ならば特に問題はないだろう。どれを贈っても彼女なら喜んでくれる。そう信じられた。後は自分の好みで似合いそうな一つを選んで注文しようとしたそのとき。ふと、ある記憶が脳裏をよぎった。
あの時ルカは、正臣へのお礼のために必死にカフスボタンを選んだ。
鮮やかに、あの日の出来事が記憶の中によみがえった。
悩んで悩んで、決められなくて、何日も何日も悩んで、やっと決めて店に行って、また実物を見て悩んだ。思い出したのは、そんなささやかな出来事だ。
思い出して、吐き気がした。
彼女への穏やかな気持ちと、ただ正臣に喜んでもらいたくて必死だった子供の自分と。
違いすぎる感情を突きつけられて、恐ろしくなった。
正臣の姿が脳裏をよぎる。それだけで胸が苦しく締め付けられて、本当にこれでいいのかと不安が込み上げる。酷く間違った選択をしているような気持ちになって、選んだ指輪を前にして、『それを包んでくれ』の一言が、どうしても言えなくなった。
耐えられなくなって、指輪を買うのをやめて家に戻った。部屋にこもり、頭を抱える。
思い出したくないのに、次から次へと記憶がよみがえってくる。どれも十八年も前の、些細な出来事だ。三十七年生きてきた中の、たった一年の中の、その中でも些細な……。
忘れると決めたはずなのに、思い出してしまうと止められなくなった。勝手に頭の中であの日の記憶がよみがえる。
悩みに悩んで選んだそれを持って正臣に渡すと、彼は厳しい表情をふわりと笑みに変えて、ありがとうと言った。大切に使うと。
『ルカ』
正臣の声が、耳の奥でよみがえる。
『ルカ』
彼が、私を呼んでいる。「ルカ」と優しく、何度も何度も呼んでくる。
頭の中は、正臣の声で溢れていた。それがルカの心を苛んだ。
「……黙れっ」
ルカは叫びながら耳を塞いだ。
黙れ黙れ黙れ……!!
頭の中で呼び続ける正臣に、呼ばれた数だけ黙れと叫ぶ。
苦しくて、なのに泣きそうなほど優しい声色が愛おしさを胸の奥によみがえらせる。
想いを捨てたい心が暴れ出す。その度に忘れられない癖にと、悲鳴を上げる。
『ルカ、大丈夫だ』
やめろ。やめろ! やめろ……!! うるさい!! 私を呼ぶな!! そんな声で私を呼ぶな!!
『がんばったな。つらかっただろう。大丈夫だ。お前は俺が護ってやる』
彼がルカに向けた言葉の数々がどんどんと呼び起こされる。
うるさい……うるさい!!
あなたが言ったくせに!! 待たないと、あなたが……!! あなたが私を突き放して捨てたくせに……!! あなたが捨てたんだ!! そんな声で私を呼ぶな!!
もう、良いじゃないか……! あの人を忘れたって、良いじゃないか……!!
『ルカ』
うるさい……!! 私は捨てられたんだっ、思い出すな……!!
『ルカ』
まぶたの奥で、どこか悲しげに笑う彼の顔が浮かぶ。
何故思い出す!!
なぜ、あなたが消えない……!!
頭の中で正臣の声が消えない。
嫌だと思うのに消えない。
あふれ出る感情で気が狂いそうだった。愛しい、憎い、恨めしい、会いたい。忘れたい。苦しい。悲しい。拒絶されたのに。私は、捨てられたのに。
気が狂ったように当たり散らす。叫んで彼の名を呼んで泣き続けた。苦しくて、助けを求めるように、自分の中に溢れる彼の声をかき消すように彼の名を呼ぶのだ。
正臣さん!! 正臣さん……!! 正臣さん……!!
苦しくて苦しくて、なのに、最後に思うのは、たったひとつだ。
正臣さんに、会いたい。
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