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遭難3日目
しおりを挟む朝陽と共に起き出し、リュックに水と拾ったロープを詰めていざ、陸地の方へと向かう。
消した焚火からまだ立ち昇る細い煙。
その向こうに広がるエメラルドグリーンの大海原と、白く輝く砂浜を見納めて。
足跡を残し、俺達は流れ着いた浜を後にしたのだった。
干潮により浅瀬になった海を歩いて渡る。
間もなくして辿り着いたマングローブの林は、うねる様に入り組んだ木の根を覗かせていた。
まるで毛糸で編んだように、乱れ絡まっている。
なるべく水が浅い場所を狙って歩くが、想像していた以上に歩きにくい事この上ない。
滑ったり足を取られたりしながら、両手足を使ってなんとか進む。
背後に見えていた海はやがて遠ざかり、ぬかるんで淀んだ水が足元に揺れるだけ。
おまけに何とも言えない泥臭さが鼻をついて吐きそうだ。
さっさと抜けてしまいたい一心で、黙々と先を目指す。
不意に目の前が少し明るくなる。
細い川が流れているせいで、林が途切れているようだ。
濡れるのを覚悟で川を突っ切るしかないか、と考えてふと、濁った水の中に揺れ動く黒い影を見付ける。
水面から覗かせるごつごつとした体表と、細長いシルエット。
「なぁ……あれって……」
追い付いた藤井が横に並び、俺の視線の先に顔を向けてから、うわぁ、と声を出す。
「そっちかー、サメじゃなくてワニの方だったかー」
なんだその台詞。
相変わらずのどこかズレた内容に、ふっと笑ってから、恐怖心が少し和らいだのに気付く。
しかしこれで川の中に入る選択肢は消えてしまった。
どうしようかと頭を抱える俺に、藤井はリュックを下ろして中身を漁ると、拾ったロープを手にして、これで渡ろうと提案してきた。
とは言え、レスキュー隊よろしくロープだけで伝っていくのは体力的にキツイので、少し行った先にある中洲を経由しながら行くことに決める。
しかもちょうど倒れた木が橋のようになっているから、ロープを命綱にして渡れそうだ。
「よっ……しゃ、うまくいった!」
ロープの先に木の枝を括り付け、倒木の向こう側に投げやってから引っ掛ける。
投げた枝がしっかりと動かないのを確認してから、腕にぐるぐると巻き付けて握り締めると、そろそろと横倒しの木へと足を乗せた。
少し体重を掛けても動かないのを確認すると、一歩ずつ進めて行く俺の後に藤井が続く。
たった少しの距離がとてつもなく遠い。
はやる気持ちを抑え、慎重に渡る。
あと少しで渡り切ろうかとした時だった。
足元の水が大きく跳ねた――と思った瞬間、何かが折れるようなパキッと乾いた音が背後から響く。
反射的に振り向いた先、足を踏み外して体勢を崩す藤井の姿と、水の中から顔を出す黒い影が目に映った。
「――っ!」
咄嗟に伸ばした手が服を掴み、力任せに引き上げる。
持ち直した藤井がロープを掴み直し、勢いのまま倒れるように岸へと転がり落ちた。
二人重なって地面へ倒れ込み、しばらく動けないまま。
ただ心臓だけがバクバクと音を立てる。
今更に手足が震え、掠れた悲鳴のような声と共に深く息を吐いた。
「あ゛ー、焦った……」
「……リアルで『ブラック・ウォーター』になるとこだった……」
こんな時にまで映画かよ、と呆れた視線を向ければ、顔中泥だらけでおまけに眼鏡はズレまくりの姿があって、思わず吹き出す。
おかげで強張っていた顔も緩み、緊張も解けてしまった。
心外そうに眼鏡を直し、身体を起こした藤井はそのまま呆けたように座り込んで。
こっちを向いてへらっと笑ったかと思うと、突然にボロボロと泣き始めた。
「ちょ、どうし、」
「……怖か、ったぁ……」
涙ながらに声を絞り出す。
不平不満も言わず飄々としていた今までとは打って変わって弱気な姿に。
こいつなりにもやはり気を張っていたのだろう。
同時に、不安だったのは俺だけじゃなかったのだと安心もした。
戸惑いつつも両腕で頭を抱き寄せて、落ち着くまで背中をさすってやる。
何はともあれ、無事だったのだからそれだけで十分だ。
どこにも怪我が無いことを確認してから、ロープを回収し、向こう岸へと飛び移る。
しばらくはちらちらと様子を窺いながら歩く俺の背後で、鼻声ながらに藤井が口を開いたかと思えば。
「アリゲーターとさ、クロコダイルの違いって……知ってる?」
「え、呼び名が違うだけじゃねーの?」
てっきり同じだと思っていたから、一瞬足が止まる。
鼻水をすすりつつ首を振った藤井が言うには、どうやら違うようで。
上から見て口がV字の形をしていて、閉じた時に歯が見えるのがクロコダイル、U字なのがアリゲーターで、歩き方やら熱感知器官なんやら、他にも違いがあるらしい。
で、映画で出てくるような凶暴なワニのイメージはクロコダイルだそうだ。
まぁどっちにしろ、遭遇したくないのは同じだからどうでもいい。
無駄な知識を一つ増やしながら、木の根の絨毯をひたすら進む。
泥だらけの地面はやがて草地となり、周りの植生も変わり始めて。
やっとマングローブの林を抜けた頃には、真上に昇った太陽が容赦なく照り付けていた。
絡まり合った根っこからは解放されたが、草木や蔦の生い茂った足元が歩きにくいのは変わらない。
鉈でもあればマシだっただろうが、ない袖は振れぬってやつだ。
遅々として進まない事に苛立ちを隠し切れず、二人共に無言で進む。
やがて木々の隙間からそびえ立つ岸壁が姿を現した。
左右に伸びる岩の壁はずっと続いて先が見えない。
「あー……登るしか、無さそうだな……」
「……そう、だね……」
ため息交じりの俺の言葉に、それ以上にげんなりとした声音で藤井が答える。
曲がりなりにも運動部である俺にとっても、キツイものがあるのだから、元から体力の無いオタクからすれば、きっと思っている以上に大変なのだろう。
お互いに顔を見合わせてから、岩肌を見上げつつ深呼吸をする。
うまい具合に足場になりそうな段差があるので、ちょっとハードな登山だと思えば行けそうだ。
よしっと一声出して足を掛ける。
俺の通った道筋を辿るようにして、二人共に登り始めたのだった。
急斜面を必死でよじ登り、なんとか上へと辿り着く。
そこは腰の高さほどに伸びた草原が広がっていた。
周囲の景色を見下ろせそうな高台に向かい、更に歩き出そうとしたところで、
「いっ、――!」
ちりっと肌に走る鋭い痛みに思わず身を引く。
うっすらと肌に伸びる赤い線。
どうやら細長く生い茂っている草の葉で切れたようだ。
見ると足にも細かな切り傷があちこちついている。
半袖半パンの格好なのがまずかった。
失敗したと心の中で愚痴りまくるが、どうやら態度にも出ていたのだろう。
「その、……大丈夫?」
控えめに掛けられた声を無視して、大股で草むらを歩く。
大丈夫だと返す気にもなれずに、悪いと思いつつ押し黙ったまま。
振り返らなくとも、しゅんと凹んだような気配を感じたが、フォローする余裕も無い。
半ばやけくそで上り切って、見下ろした景色に息を呑んだ。
緩やかな斜面を下った先は青々とした竹林が広がり、その更に向こう側には緩やかにカーブを描く大きな川が流れている。
この川を辿って行けば人のいる場所に繋がっているに違いない。
いよいよ無事に帰れそうな様子に、胸を撫で下ろす。
ふぅと息を漏らす俺の横に並んだ藤井も、安堵の表情を浮かべていた。
「竹を使ってイカダを作れば、川をそのまま下れるかも」
材料にはちょうどおあつらえ向きに生えている竹林を指差しての言葉に、俺もなるほどと頷く。
とは言え、時間的にこれ以上の移動はやめた方がいいだろう。
傾きかけた太陽が沈んでしまう前に、寝床と火の用意をしなければ。
イカダ作りは明日から始めるとして、問題は朝からまともに食べていない事だ。
火起こしは藤井に任せ、俺は何か食べられるものを探しに行くことにした。
「って、……何も見つからねーな」
海ならば貝やカニを捕まえれば良かったが、何を探せばいいのか見当が付かない。
食べられそうな果実や木の実でもあればと、木々の間をさまよう。
これはもう、どれが食べられるか分からないのならば、味見をしてみるまでだ!
と思った俺は、適当にそこら辺の葉や実を手当たり次第に齧ってみる事にした。
で、いろいろ試した結果、やはり葉っぱはどこまでも葉っぱだった。
一応茹でればいけそうな食感の草と、ベリー系の果実をタオルに包み、藤井の元へと戻る。
そうこうしているうちに陽も沈み、どんどん暗くなる足元の頼りなさを、薄闇に光る暖かな炎の色を目印に早足で急いだのだった。
枝葉を敷き詰めた上にくつろぐ藤井に収穫を手渡して、ふと目に入った物に釘付けになる。
パチパチと燃える火の脇に立てられた木の枝と、そこに突き刺さった細長い物体。
うん、どう見てもヘビです。
「これ……ヘビ……」
「あ、もう焼けてるから食べれるよ!」
寝床を作っている時に見付けて捕まえたのだと、自慢げに笑う藤井。
おまけに、毒蛇じゃないから心配ないよ、と付け加えて目の前に差し出してくる。
いや、違うんだ、よく捕まえられたな、とは思うが、そうじゃなくて――。
現代っ子にいきなりヘビはキツイと引きかけた瞬間、ふわっと鼻を掠める香ばしい匂いに驚く。
生臭いのかと思いきや、焼けば意外と美味しそうな気さえしてくる。
久々にありつく肉に上機嫌で迫る藤井の好意を無碍にするわけにもいかない。
これは……食べる以外の選択肢が無いやつだ。
皮を剥がされ程好く焦げたヘビは、やはりどこまでもヘビだったが、目を閉じると意を決してかぶり付く。
「……やべー」
正直に言って、普通に美味かった。空腹のせいだけじゃない。
鶏肉みたいにあっさりしている。
難点は骨が多くて食べにくいくらいだが、全然アリだ。
二人分け合えばあっと言う間に食べ尽くし、満ち足りた気分で仰向けに寝転がる。
腹以上に気持ちが足りている。やはり肉はいい。
贅沢にも見慣れてしまった満天の星空を見上げながら、これが自然の恵みか、なんてしみじみ思う。
南の島だけに、何かしら収穫する事が出来るのも良かった。
もしもこれがサマーキャンプじゃなくスキー合宿だったとして、例えば飛行機が雪山に墜落なんて考えたくもない。
ごろりと寝返って嫌な想像を払拭する。
「明日にはさ、屋根のある場所で寝られると良いな」
「…………そう、だね」
うまくいけば地面の上で寝るのも今夜が最後になるかもしれない。
柔らかな布団とベッドを想像しながら、期待を込めて吐いた俺の言葉に、少し押し黙ってから藤井が言葉を返す。
そのどことなく歯切れが悪い様子が少し気になったが、朝から歩き通した身体が一気に疲労感を思い出し、睡魔に誘われるまま。
重くなる手足と共に、意識も深く沈み込んでいった。
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