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2.円舞曲 ーwaltzー

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成績も授業態度も平均的、ごく平凡などこにでもいる小学生。それが僕の姿だ。
目立たず、地味に、クラスの気配に紛れるように。
それはまるで青に溶け込む真昼の月。
けしてバレてはいけない秘密を抱えて、今日もただの子供を演じている。

下校を告げるチャイムが鳴り、騒がしくなる廊下を人の波に逆らうように理科室へと向かう。
家に帰りたくなくて、いつも最後まで教室に一人残っていた僕に、担任が利用を許可してくれてからは、毎日そこで時間を潰していた。
置いてある望遠鏡で、沈んでいく太陽と光り始める星を眺めるだけ。
青空が鮮やかな夕焼けに変わり、やがては漆黒へと染まっていく。
レンズ越しに見える世界は、僕に一時でも現実を忘れさせてくれた。
いつものように窓際に腰掛け、望遠鏡を外に向ける。
まだ明るい西から東に向けての空一面、茜色に染まる羊雲や、空との境界線を少しずつ無くしていく山際、傾いた陽射しを受けて眩く光る家々の屋根と。
見える景色に意識を飛ばしていた僕は、すぐ真後ろにまで近付いてきた存在に気付かなかった。
「なぁ、何見てんの?」
「――っ!」
唐突に掛けられた声に、身体がびくっと跳ねる。
慌てて振り返れば、見知らぬ顔がそこにいて、何やら興味ありげに僕と望遠鏡を交互に見遣っていた。
六年生を示す学年章と、よく見ればこの学校の制服とはデザインの違う濃紺色のブレザーに、そう言えばと思い出す。
確か隣のクラスだったか、夏休みも過ぎて卒業間近のこの時期に他県から転入して来た転校生がいた事を。
胸に付けられた名札を見れば、そこには一ノ瀬貴之と書かれていた。
「……別に」
そっけなく答えて顔を戻す。
内心なんだこいつと思っていたから、態度にも出ていたのだろう。
ばつが悪そうに苦笑しながらも臆することなく歩み寄ってきた彼は、近くの椅子を僕の隣へと引き寄せると、
「俺にも見せてよ」
好奇心を滲ませた軽やかな声で言ってきたのだった。
ここまで強引に迫られて断れるはずもなく、レンズを彼の方へと向ける。
覗き込んだまま、へぇ、とか、おぉ、とか声を出している様子を静かに窺うだけ。
すらっとした体躯とそれに似合う短髪。
纏っている明るい雰囲気は、自信に裏付けされたものだろう。
ひとしきり眺めて楽しんだのか、顔を上げた彼がレンズを向けて返す。
「ありがと。……また見せてくれよな!」
思いも寄らない言葉を残し、あっという間に颯爽と立ち去っていく姿をあっけにとられたまま見つめる。
廊下に消えていく後姿を見送ってから、教室のドアを閉め忘れていたのだと気付いた。
たまたま通りすがりに見掛けて、何をしているのか気になったのだろう。
きっとただそれだけの事だ。
気を取り直し再び覗き込もうとして、ふと校庭を駆けていく人影に目を留める。
ランドセルを肩に掛けて走る見覚えのある姿が、振り向きざまこっちに向けて手を振って。
反応し損ねた僕へ屈託のない笑顔を向けてから、彼はまた走って行った。
「……変な奴」
珍客がいなくなった教室内は元の静けさを取り戻し、動き出すのはいつもの孤独な時間。
今までもこれからもただ一人、帰らなければならない刻限まで星を眺めているだけだった。
そのはずだったのに――。

「俺んちさぁ、下が四人もいるから、すっげうるさくてさ。だから、こう静かに星を眺めるってのもいいもんだよな」
望遠の先をうろうろさまよわせながら、わざとらしく溜息を吐いて独りごちる背中に苦笑を向ける。
あれから言葉通り、ちょくちょく理科室を訪れるようになった彼とは、いつの間にか名前で呼び合う仲になっていた。
僕に声を掛けたのも、元々星に興味があったかららしい。
五人兄妹の長男だと言う彼は、言いながらもその顔は柔らかく笑っていて、容易に賑やかな家族団らんを想像できた。
「……楽しそうでいいじゃん」
同時に脳裏に浮かんだのは、暗く殺風景な自分の家。
込み上げる昏い感情を押し殺し、作り笑いでなんとか返す。
「んー、まぁね」
照れ隠しで頷きながら、彼が続けて話すいろいろな話題を。
家族の事、流行りのアニメや漫画、ゲームや音楽等々、どれもが同学年であれば当たり前の世間話を。
机に腰掛け、楽しそうに話し続ける横顔を眺めながら、どこか遠い世界の出来事のように、ただ聞いていた。
思い知らされるのは、どこまでも違う僕と彼の距離。
それは目の前にありながらも掴めない、レンズ越しの月との隔たりのように。
「あ、そうだ! 今度うちに遊びに来いよ!」
はしゃぐように彼が無邪気に声を掛ける。
窓の外に顔を向けたまま返事もおろそかに、僕は視線を逸らせないでいた。
雲一つない夜空に浮かぶ上弦の月。
欠けた月の陰に自分を重ねて。
僕が月なら、彼は太陽だと、そう思った。

いつもより少し闇が深い道を歩く。
彼が訪れた日の帰り道、決まっていつもより足が重いのは、賑やかさにあてられたせいだろう。
二人で過ごす放課後は楽しくもあり、一方で辛くもあった。
真綿に包まれたような優しい時間の中、紛れ込んだガラス繊維が肌を刺すような居心地の悪さを。
振り払うように歩を速め、一息に玄関まで辿り着く。
一呼吸おいてドアを開き、目に入った見知らぬ紳士靴に眉をひそめた。
誰か来ているのだ。
帰ってきた気配に気付き、待っていたとばかりリビングから顔を出す父に。
導かれる嫌な予感が確信に変わる。
「おい、早く準備しろ」
さも当然と投げ掛けられる命令に従うしかない。
にやにやと上機嫌な顔で腕を組む父の手に握られた数枚の紙幣。
どうせすぐにパチンコやお酒で消えてしまうだけの紙切れと引き換えに、僕は差し出されるのだ。
殴られ犯され客を取らされる。
父の暴力に堪えかね出て行った母の代替品として。
それが僕の存在意義だった。

シャワーを済ませバスタオルを羽織った姿で客の前に立つ。
どうせ飲み屋での与太話から好奇心にのせられて着いて来たのだろう。
父よりは幾分年上だろうか年季の入ったスーツ姿に、缶ビールを持つ左手の薬指に光る結婚指輪と。
「へぇ、まだ子供じゃないか」
意外そうに呟きながらも、じろじろと舐め回すように見つめてくる。
表情から滲み出る下卑た色を見れば、僕がどんなに好き者だとか、きっとある事無い事吹き込まれたに違いない。
「……顔に傷さえ付けなければ、なんだって良いんだな」
確認するように顔を上げた男に向け、父がどうだっていいように手を振って返す。
興味があるのは金だけとばかり手にした札を財布へと仕舞うと、冷蔵庫から追加の酒を取り出して。
リビング続きの和室にはすでに敷布団が一枚敷かれており、少し離れたダイニングテーブルから、僕が客に犯される様を酒の肴に鑑賞するのだ。
「おいで」
手招く客の足元へと跪く。
すかさず目の前に突き出されたものを口の中へと咥え込んだ。
唾液に溶け込む先走りの味に一瞬顔を歪めるも、唇をすぼめ前後に扱きながら吸い上げる。
たちまちに形を変え硬くなる熱と。
「はっ、……うまいじゃないか」
息を荒げた男が満足気に呟く。
散々教え込まれたおかげとは言え、一つも嬉しくは無いが。
達する前に口を放され、今度は四つ這いになるよう促される。
あとは突っ込まれながら、相手が達するまで待てばいい。
大抵の客は吐き出してしまえばもうそれで終わりだったから。
それまで我慢すれば良いだけだった、そのはずが――。
「いっ、――!」
前触れもなく背中に響いた衝撃に思わず叫ぶ。
乾いた破裂音と、同時に伝わる灼ける様な痛み。
布団の上に崩れ落ちながら慌てて振り返れば、外したベルトを構える姿がそこにはあった。
「え、何を……、あぁっ!」
状況が掴めずいまだ混乱する中、再び強烈な痛みが今度は太腿に走る。
鞭のようにベルトを振るう男の表情には、サディスティックな愉悦が浮かんでいた。
今までにも道具や玩具の鞭を使われることはあったが、ベルトは始めてだ。
専用の物ならば赤くはなっても痕が残る程にはならなかったが、そうではないただの合皮と金具で出来たベルトは、容赦なく僕の肌を赤く腫らし傷を与えていく。
「さすがにこれを妻には出来なくてね」
肩を竦め困った風に笑いながらも、振るう手を止めはしない。
打たれる度に肘をつく僕に向けて、男は数を数えるように言って来た。
痛みに息が止まり言葉が詰まる度に数がリセットされる。
ただの拷問だった。
それは永遠とも思える程。
「っ、あ、もうやめて、下さい……痛い、です」
全身が焼け付くように痛む。
気付けば布団に突っ伏して泣きながら懇願していた。
終わらぬ痛苦と恐怖で震えが止まらない。
やめて下さいと繰り返す僕の背後で、男は大きな溜息を吐いた。
「……じゃあ、どうすればいいか、分かるね?」
優しく諭すような声音に、おずおずと身体を起こして向き合う。
相手が何を望んでいるのか、分かってしまう程には経験してきた。
征服欲を満たす為に、茶番を演じるだけ。
両手をつき畳に額を擦り付ける。
「僕の中に……入れて、下さい。……欲しい、です。お願いします」
土下座し屈服する様はさぞかし見ものだろう。
軽蔑と憐れみとそれ以上の恍惚を浮かべ、さも仕方ないとばかり男はベルトを放り投げると服を脱ぎだした。
仰向けに寝転ぶだけの様子に、自ら動かなければならないのだと理解する。
あれ以上ぶたれたくなかったとは言え、あくまで僕が欲しがったのだから。
痛む身体に鞭打って客の上に跨ると、硬くそそり立つ先端を中心に宛がい、手を添えてからゆっくりと体重を掛けた。
「い、っ……は」
押し広げられる皮膚の痛みと、めり込む質量が内臓を押し上げる圧迫感。
力む身体を浅い呼吸でなんとか緩めながら、自重で飲み込んでいく。
根元深くまで入ったところで動きを止め、大きく息を吐き出した。
「うぁっ!」
早速動けと催促するように下から突き上げられ、身体が傾く。
両手をついて支えると、男の望むまま動き出すしかなかった。
寝そべる客の上で必死に腰を振る姿は、浅ましいとしか映らないだろう。
幾度も犯され続ける中、一度射精を覚えた身体は痛み以外の感覚を知ってしまった。
刺激を受ければ望まずとも反応してしまうのだ。
「はっ、とんだ淫乱だな」
勃ち上がった僕自身から透明な液が垂れ落ちる。
沸き起こる快楽に喘ぎながら乱れる様を呆れたように男が見上げて。
大きな掌が腰を掴むと、遠慮なく奥深く突き入れる。
頭まで抜ける衝撃に何も考えられない。
「あぁっ、……いい、です。気持ち、いいっ」
言葉と身体が、心を裏切るまま。
相手を悦ばせる為だけの台詞を吐き、汚らわしい欲望を胎の中に受け入れる醜悪さを。
悲劇も過ぎれば喜劇のようだと、遠のく意識の中でぼんやりとまた自分を見下ろしていた。

気が付くともう男は帰り支度をしていて、父に言われるまま玄関へと見送りに出る。
あれだけ僕を痛めつけていた先程の姿から一転、一介のサラリーマン然とした雰囲気に戻っている様子に眩暈を覚えた。
きっと何食わぬ顔で家族の元に帰るのだろう。
思い浮かんだ想像を振り払うように、ドアを開ける。
一歩踏み出して立ち止まった客は、満悦の表情に少し後ろめたさを滲ませつつ僕を見下ろすと、
「あれが父親とは……君も大変だな」
よくも一緒にいられるものだとでも言いたげに、一寸の同情を含ませて小さく言葉を吐いてきた。
自分のした事を棚に上げてよくもまぁ、いけしゃあしゃあとのたまう台詞に一瞬気が遠くなる。
返す言葉などあるはずがない。
無力な子供である僕に、一体何が出来るだろう。
何も言えず俯くだけ、背を向けて自らの日常へと帰っていく後姿をただ見送るしかなかった。
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