A Tout Le Monde

とりもっち

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Ⅱ.Sweating Bullets

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早々と太陽が沈み、夜の帳が村を包む。
海岸から吹き上げる強い風を全身に受けながら、ジョシュアはランタンを片手に村の道を歩いていた。
途中、生家の前で立ち止まる。
両親が他界してからは手入れに時折訪れるくらいだったが、石造りの建物は昔と変わる事のない姿でそこに建ち続けている。
今にも扉が開いて、幼い頃の自分が駆け出していく姿を思い描けるほど。
窓から漏れる暖炉の炎、家族三人で囲む食卓に並ぶパンと羊肉のスープ。
ありありと思い出される記憶は、けれどけして温かいものでは無かった。
幼いジョシュアに与えられたものは、父親の暴力と母親の無関心。
採掘現場で働いていた父親は体格もよく、豪快な荒くれ者と言う見た目通りの性格で、力を振りかざすのが男らしさだとばかり。
だからこそ、大人しく控えめな性格のジョシュアを、女々しい奴だと、腑抜けの出来損ないだと、酒を飲んでは事ある毎に罵っていた。
そして、家畜の世話以外に興味が無い母親は、父親の暴言を否定もせず、ただ迎合するだけだったのだ。
もっと快活で物怖じしない性格であれば、両親との関係は違っただろうか。
確かに期待通りの息子では無かった。
それでも何とか応えようとした努力は、アルバートへの恋慕を自覚した日に全て無駄だと悟る事になる。
何よりも男らしさに拘る父は、同性愛など絶対に許しはしないだろう。
義務教育を終えるとすぐにエディンバラへと仕事を求め、断りもなく神学校へ入ったのは、司祭になれば家族を持たなくて済むからだった。
もう今となっては亡き者の為に体裁を取り繕う必要も無い。
にも拘らず、かつて投げ付けられた言葉は棘のように胸の奥深くに刺さったまま、今もじくじくと痛みを与え、膿み続けているのだ。
「……はぁ」
苦々しく眉をひそめ、気を取り直すように息を吐いてから再び歩き出す。
重い足取りで進むジョシュアの背後には、蛇のように黒い影が長く伸びていた。

幼馴染の家は村の外れに建っていた。
畑の向こうには鬱蒼とした林が広がり、更なる向こうには手付かずの自然だけ。
雲に覆われ真っ暗な空の下、一番星のようにぽつんと光る家の明かりを目にした表情に安堵が浮かぶ。
近付いてくる訪問者の灯りに気付いていたのか、ジョシュアが門を抜けるとすぐに扉が開き、アルバートが顔を出した。
「悪いな、こんなところまで」
申し訳なさそうな顔に首を振って応え、招かれるまま室内へと入る。
食卓の上にはもうすでに数々の料理が並べて置いてあり、食欲をそそる匂いが漂っていた。
パンやソーセージの他、羊の内臓を胃袋に詰めて焼いた伝統料理であるハギスに、付け合わせのマッシュポテト。
そして一足先に開けたであろうスコッチのボトル、飲みかけのグラスと。
「久しぶりね、ジョシュ」
「…………ミア」
柔らかな声に振り返れば、伸ばされた細い腕が肩を抱く。
花柄のワンピースを優しく抱き留めて返し、すぐに離れたジョシュアは、取り繕うように揺り籠の中で眠る幼子の元へと歩み寄った。
白い肌に映える母譲りの金髪とふっくらした頬は、健康そのものだ。
「こんばんは、エリーシャ」
静かに眠る天使を起こさないよう小さく挨拶をしてから、勧められた席へと座る。
それぞれの目の前で鱈のスープが注がれ、祈りと共に今宵の食事は始まったのだった。

アルバートが語る他愛も無い仕事の愚痴に、優しく微笑んで返すミア、そして二人の様子を見守るジョシュアと。
それぞれの思惑を隠したまま、静かに夜は更ける。
「それで……変わりはないか?」
「ええ、大丈夫よ」
他に何と言っていいのか思い浮かばなかったジョシュアのお決まりの文句に、これまた判で押したような台詞をミアが口にする。
確かに少しやつれたような表情は、単に寝不足なだけだろう。
子育てに忙しい今の時期、家事と育児をこなすのは夫の協力があったとしても大変には違いない。
気になると言えば、食が進んでいないことくらいだが、他に取り立てて変わったところは見受けられない。
きっとアルバートの思い過ごしに違いないのだと。
一向に減らないスープの器に目を向けたまま、ジョシュアはそう結論付けた。

食事の後、外で飲み直そうと誘われるままアルバートと共に庭先に出る。
再び他愛も無い世間話を始める姿を、焚火を挟んだ向こう側にただ見詰めるだけ。
癖のある赤髪が緋色に揺らぐ。
手持無沙汰にグラスを回す指先は、土木作業で節くれだった太くてごつい父の手とは正反対で。
長く綺麗な指先に見惚れながら、それがけして自分に向けて伸ばされることは無いのだと痛い程に思い知らされる。
それでも尚、いまだ消せぬまま燻ぶる想いが、炎の熱に充てられてまた燃え出しそうに感じ、振り払うようにジョシュアは顔を背けた。
そのちょうど向けた視線の先、窓際に立つミアの姿に気付く。
眠りから覚めたのだろうか、幼子を腕に抱いて優しくあやす様はまるで聖母マリアのように。
慈しみの溢れた清らかな光景にふっと目を細め――そしてはっとする。
静かに佇む背後に黒々と。
明らかに彼女の影ではない、人の形をした何かとしか言いようのない陰を。
「どうした?」
「――っ!」
不意に掛けられた声に気を取られた一瞬、もうすでに窓際には誰の姿も無かった。
思いの外飲み過ぎてしまったのだろうか。
気を取り直すように眉間に力を入れて強く瞬く。
「いや、今日はもう帰るよ」
立ち上がるジョシュアに、名残惜しそうな視線を向けつつアルバートも続く。
火の傍から離れた途端、吸い込んだ空気の冷たさに意識が冴える。
先程の違和感はもう消えていた。
玄関へと向かったジョシュアに、普段通りの態度でミアがコートを差し出す。
その隣で何か言いたげな顔付きをしているアルバートの肩を、問題は無いとばかりに強く叩いて返し、
「それじゃ、……おやすみ」
一言だけ告げると、ランタンを手に来た道をジョシュアは戻って行った。
 
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