密林に星は降りて

とりもっち

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3.白昼の悪夢

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 松明が燃え尽きた部屋の中に朝陽が差し込む。
動き出す人の気配に、自然と目を覚ました。
土の上に藁を敷いただけの寝床から上半身を起こすと、同じように目を覚ましたカリムと目が合い、いつもの言葉を口にする。

「おはよう」
「……んー」

まだ寝ぼけているのか生返事をする様子を笑って。
素早く身支度を終えてから、割り当てられた朝一番の仕事へと向かった。
建物から出て斜面を下っていく最中にはもう、既に僕達を待ち構えている鳴き声が賑やかに聞こえてくる。
村で牛を飼っていたことから、家畜の世話係を命じられたカリムに便乗し、僕も一緒に手伝えることが出来たのは僥倖だった。
岸壁に沿って細長く建てられた厩舎には、馬や牛の他、山羊や鶏が飼育されており、家畜の肉や乳、卵は貴重な食糧となっている。
とは言え、それらのほとんどは大人達の食事に使われ、僕達のような下っ端の口に入ることは無いのだが。
餌を遣り、水を換え、糞尿の始末をしてから舎内を整える。
世話をしている間だけは、昔に戻れた気がして幾分気が和らいだ。
柵の中に放牧しながら、ふと前を向く。
朝焼けに照らされ煌めく木々の葉先と、金色に染まる眼下の岩肌。
柔らかく吹き上げてくる風は、わずかな湿気と森の香りを含み、心地よい温度で頬を撫でる。
見渡す景色は広大なのに、ここに囚われている自らが恨めしい。
眩しさのせいだけではなく目を細める僕の横にカリムが並ぶ。
きっと想いは同じだろう。
沸き上がる望郷の念に胸が苦しくなり掛けた矢先、

「レイ、戻ろうぜ!」
「あ、……うん」

吹っ切るような強い言葉につられ、踵を返す。
家屋の方からは煮炊きの煙が幾つも立ち上り、嗅ぎ慣れた匂いが風に乗って運ばれてくる。
どんな状況だろうと、慣れてしまえば日常になるのだと。
先に進むカリムの背を見詰めながら、そう思った。

 当初は少女達と生活を共にするよう言われるも、カリムと離れたくない一心で、彼等と同じように扱われることを僕は選んだ。
それでもバルボアの相手を求められる立場から、危険を伴うような任務等からは遠ざけられ、呼び出しがあれば何をしていてでも応じなければならなかった。
僕がされている事を知っても、カリムの態度は依然と変わらず、戯れに激しく弄ばれ憔悴した時、隙間をみて看病してくれた事には感謝しかない。
寝屋へ行く前に、アミナ達とする他愛もない会話も、気休めだとしても心が休まった。

「辛くは、ないの?」

少女達と共に水場で身体を洗っていた時に、ふっと出た疑問をぶつけた事があった。
細い体を丁寧に拭いていたアミナの手が止まり、ゆっくりと首を横に振ると、また手を動かし始める。

「きっと、今と変わらないから」

何でも無いと、さらりと呟いた顔はいっそ穏やかで。
僕からすれば辛い現実を当たり前のように受け入れるのは、他の生き方を知らないから、与えられる事が無いからなのだ。
子供は単なる労働力にしか過ぎず、例え家族の元にいたとしても、食い扶持を減らす為にいずれは幼いうちに嫁がされる。
今までもこれからも、きっとこの現状は変わらないのだろう。
彼女達の境遇に何も言えず、押し黙る。
目の前の背中を代わりに洗い流してあげると、嬉しそうにアミナが顔を綻ばせて。
優しい笑顔に、僕もつられて笑った。

***

 武装勢力と言えど毎日の暮らしはあるわけで、掃除や洗濯、畑の手入れに、大人達の身の回りの世話まで、全般的な事は全て僕達の仕事だった。
合間に身体を鍛えたり、銃の手入れをしたり、時には出掛ける大人達の盾として同行させられたりする。
食事はとうもろこしの粉で作ったお粥か、煮豆ばかりで、たまにパンや干し肉が気紛れに与えられるだけ。
怪我や病気をしたとしても治療を受けさせては貰えず、あくまで使い捨ての手駒でしか無いことを痛感させられた。
階級持ちでも傭兵でも無い掻き集めにしか過ぎない少年兵など、ただの弾除けにしか過ぎないのだ。
軽んじられる命を抱き締め、日々を生きるだけの僕達の元へ次の襲撃目標が告げられたのは、ここに来てひと月が過ぎた頃だった。

 訓練で握らされ今では十分に手に馴染んだ銃を背中に担ぎ、オビクの指示のもと一列に整列する。
食糧確保の為の略奪が今回の目的で、川沿いに広い耕作地を持つ村がこの度の標的だった。
号令に急かされるようにトラックへと次々に乗り込むと、荷台が閉まると同時に砂埃を巻き上げ発車していく。
外に出るのはここに来てから初めての事だった。
村を焼かれ、何もかもを奪われ失い、拉致同然に連れて来られたあの日が思い出される。
そして今度は奪う為に出ていくのだ。
奪われる側から奪う側へと、真反対の立ち位置にいるとは冗談にもならない。
落ち着かない気分を払拭しようと、揺られながら変わっていく景色をぼんやりと眺める。
乾いた空気がやがて湿気を帯び、広大な川が目の前に広がる。
水辺には水鳥や野生生物の姿が見えるも、エンジン音に驚き逃げていった。
弱肉強食と言う単純明快な世界に生きる動物達と、いったい何が違うだろう。
生きる為に奪うのなら、これからの行為も許されるのだろうか。
銃の肩紐を強く握り締め、瞼を瞑る。

「俺達の役割は補佐だけだから、何とかなるさ」

僕の迷いを知ってか知らでか、隣に座るカリムが言葉を吐いた。
小さく頷いて返すと深呼吸をする。
サバンナの風景はやがて整然と緑が並ぶ農地へと変わり、目的地が近いことを教えた。
スピードが上がり荷台が激しく上下する。
村へと近付くにつれ、はっきりと見えるようになる家々の様子。
そこには普段の日常を送る住人達の姿が見えた。
すぐ間近にまで迫っている脅威に気付きもしないで。
窓から身を乗り出したオビクが手で合図を送ると、一列に並んでいた車列が村を取り囲むように左右に展開する。
砂礫を跳ね飛ばしてトラックが急停車するや否や、一斉に飛び降りた大人達が村の中心に向かって走り出す。

「行け行け行け!」

荷台を強く叩き付け吠える声に、僕達も慌てて続いた。
天に向かって響く威嚇射撃の銃声。
鬨の声を上げて雪崩れ込む兵士達の後を、道端にあるものを薙ぎ倒しながら車が突き進む。
突然の襲撃に対応出来るはずもない。
あちこちから上がる悲鳴と喚き声。
身を竦ませてただ呆然と立ち尽くす者、何事かと顔を出してまた家の中へと逃げ隠れる者、なんとか応戦しようと取り乱しながらも抵抗を試みる者。
追い掛ける大人達の背中の向こう側に見える様相はまるで、あの日の自分達だった。
まるで狩りを楽しむかのように、獲物を追い立て、逃げる背中に向けて引き金を引く。
口笛を吹き、手を叩き、誰もが嬉々として。
大人達だけではない、元からいる少年兵達も殺戮を面白がっているように見えた。
緊張した面持ちでうまく動けていないのは、今回が初めての者だけだろう。
お守りのように銃を胸に抱え込み、狂乱の中をただひた走る僕の行く手を、不意に物陰から飛び出した人影が阻む。
その手の中に握られた黒光りの凶器と。
あ、とだけ思った。
身体は反応しなかった。
刹那、過ぎる死の予感。
身構えることすら出来ずにいた僕を救ったのは、カリムの放った一発だった。
背後から銃声が聞こえた直後、目の前の相手が膝から地面へと崩れ落ちる。
銃弾を受けた頭部が爆ぜ、辺りに赤い滴が飛び散った。

「レイ、しっかりしろ!」

必死の声に、呆然としたまま振り返る。
まだ硝煙の残る銃を握ったその腕は、微かに震えていた。

「あ……僕、その、」

混乱して何を言えばいいのか分からない。
助かった安堵と、友に殺させてしまったと言う衝撃と、今頃思い出した恐怖に震えだす僕の頭を、カリムの両手が強く引き寄せる。
そっと優しく髪に落とされる吐息。

「……無事で良かった」
「ふっ、ぅ、……っく」

目の前の身体に縋り付く。
途端に込み上げてくる衝動。
溢れる感情を吐き出すように声を殺してただ泣いた。
あの一瞬、目と鼻の先にまで迫った死を。
受け入れてしまえるにはまだ程遠いのだと。
打震える我が身に思い知らされるだけ。
傍らに転がる多数の亡き骸を前にしてもまだ――生きていたいのだ。
いつの間にか響き渡る銃声は勝ち鬨の声にとって代わり、襲撃が一段落付いたことを僕達に教えた。

 一纏めに集められた村人と、周りを取り囲む兵士達。
既視感のある光景を輪から少し外れた場所で座り込み眺めている。
殺戮が目的ならとっくに撃ち殺しているはずだから、別の何かが始まるのだろう。
善良な村人達に訪れるであろう不穏な気配に落ち着かない。

「おい、始めろ!」

誰かの声に、兵士が適当な一人を選んで前の方へと連れ出し、台の上に両手を伸ばして置かせると、その場に跪かせる。
何をされるのか不安げに顔をきょろきょろさせる男の目の前に、別の兵士が歩み寄る。
その手には大きな鉈が握られていた。
男の目が驚愕に見開かれた次の瞬間、

「これでマスかけなくなるな」

おちょくるような台詞と共に、振り落とされた刃が両の手首から先を一刀のもとに両断した。
絶叫を上げ血を撒き散らしながら、男が地面へともんどりを打って倒れ込む。
苦痛に呻く身体をぞんざいに蹴り飛ばすと、兵士はまた別の一人へと手を伸ばして。
何の躊躇も慈悲も無く、女だからと子供だからと、区別もなく平等に。
ただ純粋な悪意だけがそこにはあった。
無造作に引き摺り出されては、次々に手首を腕を切断されていく村人達。
辺りに響く悲鳴と苦悶の声。
どうすることも出来ず、歯噛みして見るだけの僕にカリムが沈痛な面持ちで呟く。

「あいつ等、長袖だの半袖だの遊んでやがる」

それが腕を切る箇所の違いだとはすぐに分かった。
望みもしない選択を突き付けては、痛みに泣き喚く様を談笑しながら見物する彼等の姿を正視出来ず、顔を背ける。
あれがいつの日かの僕達の姿にならないと、果たして言い切れるのだろうか。
残虐な行為は、およそ半数近くを不具にしてようやっと終わりを告げた。
銃で肩を叩きながら、悠然と歩み出たオビクが口を開く。

「今日、お前達がこのような目に遭うのは、全て政府のせいだ」

この略奪も、惨劇も、自分達をないがしろにした今の政府に対する報復だと。
滔々と言ってのける身勝手な主張に、賛同の声を上げる取り巻き。
かつての植民地時代に解放軍として支配国に抵抗していた彼等を差し置いて、政府は諸外国からの援助を受けて政権を取り戻した。
しかし、それはこの国に眠る資源の開発を狙ったもので、国際的な支援とは名ばかりの経済的な支配へと形を変えただけに過ぎなかった。
先進国からの資金援助は既得権益者の中だけで巡り、全体に行き渡ることは無い。
だからこそ真の意味での解放を求める自分達こそが正義であり、追従しないのならば市井の民の殺戮も辞さないとまで。
それにより現政府に圧力を掛けるのが本来の目的なのだ。
腕を切られた人々は、最早一人で日常生活を送ることが困難になる。
一人を助ける為にまた別の一人が支えなければならない。
生産性を著しく下げるという意図もあるが、単なる嫌がらせにしか過ぎないのが本当の所だろう。

 満足気に演説を終えたオビクがトラックへと乗り込み、他の兵士がその後に続く。
奪い取った食糧や家畜に占領された荷台にしがみ付きながら、なんとか隙間へと身体を捻じ込んで座った。
地平線近くに傾いた夕陽で真っ赤に染まる大地の上、来た道を引き返していく車列の影が後ろに長く伸びる。
暗く赤茶けたその色はまるで、この大陸に流された血のように。
重苦しい気分に囚われたまま、遠くに見える険しい山々に目を向けるだけ。
そこには勝利の余韻も、勝者の高揚も、何も無かった。

***

 戦利品を手に戻ってきた仲間を歓声が出迎える。
保管庫へ運び入れ、使用した武器の手入れを終えてもまだ、慌ただしい雰囲気が残る中、僕だけが呼び止められた。
どうやら勝利を祝して開かれる宴席に、少女達と共に付き合えと言う事らしい。
食事の配膳や酒の相手をするくらいだろうと思いながら控えの間へと入った僕は、その考えが甘かったと思い知らされる事となった。
酒を飲み、腹を満たした男達が次に求めるものなど決まっている。
沈鬱な表情で黙々と身だしなみを整える少女達。
居たたまれないような空気に当惑する僕へと、アミナが着替えるようにと衣装を手渡してくる。
白い薄布一枚の肌着と、カラフルなビーズで作られた装飾品が数点。
手を借りながらぎこちなく着替え終えると、そこには男を誘う為に着飾った遊女のような姿があった。
頼りない己をありありと見せ付けられるようで、苦々しく唇を噛む。
アミナを含めた数人は、身重だからと免れたのだろう。
慰み者となる我が身を憂い、恨めし気に向けられる視線をただ静かに受け入れて。
あとは所在なく出番を待つだけとなり、他の少女と地面へと並んで座る。
強張った表情に声を掛けあぐねていると、緑の葉っぱがついた枝が目の前に差し出された。

「レイもこれ、使いなよ」
「え、これって……カート?」

所謂ドラッグのような覚醒作用のある植物で、よく大人達が集まっては嗜んでいるのを見掛けた覚えがあった。
大麻のような薬物に比べれば効果はだいぶ弱いが、程好い酩酊感や高揚感を得られる嗜好品だ。
気休めかもしれないが、少しでも現実逃避出来るのならば。
数枚纏めて千切った葉を口に含み、奥歯で噛み潰す。
じゅわっと青臭い苦味が広がると共に、心地よい爽快感が意識を支配した。
浮つくような感覚に委ねるまま。

「おい、お前達!」

垂れ布から顔を出した兵士の呼び付けに、身構えた少女達がびくっと肩を震わせる。
滲む怯えは、諦めに冷めた表情へと変わって。

 夕闇に輝き始める一番星。
空に浮かぶ酷薄な繊月の下、――糜爛の宴が始まる。
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