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五話
殴り書きのメモ
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ゴオオオオ…
目の前で炎が揺れている。あっという間に燃え広がった炎は空間全てを燃やし尽くすように暴れていた。
「…」
私はそれをボーッと眺めるだけだった。何も感じない。ふとライの顔が浮かんだ。
(そうだ、帰らないと)
使命感に引きずられるように炎に背を向けた。
チリリン
「またやったわね、あんた」
「!」
店に戻るとグレイが待っていた。腕を組み、表情も固い。
「グレイ、何の話だ?私は散歩していただけだが」
「隠さなくていいワ」
睨まれる。前髪の奥から鋭い視線が届く。
「最初からあたしは気付いてるワヨ。あんた龍矢の追っ手、全部殺してるデショ」
「…」
「答えなくていいワヨ。その表情が答えてるようなものダカラ」
「……人殺しは出ていけと?」
空気がひりつく。
「そうは言ってないワ。ただ、あたしがせっかく霧を使って穏便に追い返そうとしてるのに…毎回灰にしちゃうんダカラ。流石にカチンときちゃったワケヨ」
「申し訳ない…グレイは気付いてないものだと…」
「これでも店を始めてから長いのヨ。周辺への意識は広げてるつもリ」
「わかった…今後はグレイの指示を仰ごう」
「よろしい」
グレイがやっと腕を下ろし怒りモードを解いてくれた。ホッとする。
「グレイ、この事だが…」
「ライに言わないでくれって?わかってるワヨ。あたしは余計な事には顔を突っ込まない主義なノ」
「“つじつま合わせ"をしてるのにか?」
「“つじつま合わせ"は副業。それ以上でもそれ以下でもナイ。何より終わった後の軌道修正をしてるだけで物事に介入してるわけじゃないワ」
「…そうか」
「ライのためにも真っ当に生きなさいよね」
「わかっている」
そのつもりだ、と誰に言うでもなく呟くのだった。
***
『~♪』
心地よい声が聞こえてくる。朝日が顔に当たって眩しい。寝返りを打ってみるが一度覚めた頭は眠気を追いかけることはなかった。諦めて目を開けた。
「眩しっ……うわっ」
上体を起こそうとしてギョっとした。隣にフィンが寝ていたのだ。すやすやと穏やかな寝息をたてている。
(そうだった…!まだ慣れないな…)
数日前のリフォームによって同室になったものの未だに慣れていなかった。ホテルでの事もあり距離感がいまいち掴めていないというのに、昨日も今日も目を開けたらフィンが横で寝ているんだから心臓に悪い。距離感バグもいいところである。
「とりあえず…シャワーいくか…」
ベッドから出ようとすると
ぐっ
腕を掴まれた。
「なっ…フィン、起きてたのかよ」
「ライの独り言で起きた」
「悪い」
「ふふ、冗談だ。ライが起こしてくれるのを期待して待っていたのだ」
「…なんだそれ」
新婚生活か何かと勘違いしてないか。呆れつつもフィンの腕から抜け出して立ち上がった。
「どっちにしろまだ起きるには早いぜ。寝たの4時ぐらいだし、もう少し寝とけよ」
朝日の感じからしてまだ7時とかそれぐらいの時間だろう。フィンはスナックの仕事の後は大体外へ散歩に行く(昨日も遅かったはず)。それでは全然寝れてないだろう。
「ライの方こそ寝た方がいいぞ。人間には質のいい睡眠が大事だとグレイが言っていた」
「…あんたとグレイってどんな会話してんだよ。俺はもう眠気飛んでるしいいんだって。シャワー行きたいし。じゃ、また昼にな」
無理矢理会話を終わらせて背中で扉を閉じた。個室を出ると誰もいなくて静かなものだった。どうやらグレイも今日は早めに切り上げたらしく私室に入っていて姿が見えない。ここ最近ずっと店が賑わっていたから疲れたのだろう。休ませておこう。
ぺたぺた
裸足のまま廊下を進むと暗くなった店内が見えてきた。カウンターの隅、皿洗いなどをする水場のところにベニクラゲの水槽があった。
「おはよ、ベニクラゲ」
起きたらベニクラゲに挨拶するのが習慣になっていた。そのままベニクラゲの正面に腰かける。
『~♪』
ベニクラゲ(の子供?)はまだ歌う事しかできず何かを認識している様子はない。それでも俺は毎朝話しかけていたし、美しい歌声に癒してもらっていた。カウンターに頬杖をつきボーっと眺める。
『~♪~♪』
「早くあんたとも話せるようになりたいな」
願いを込めて水槽をつついた。いくらつついてもベニクラゲに変化はない。諦めてシャワーに向かおうとしたところでとあることに気付いた。
「これって…」
「ぼ、ぼ、ぼ♪ボーンキ♪ボーンキドーテ♪」
店内BGMが鳴り響く。うるさくて仕方ない。酔ったグレイといい勝負だ。そんな中俺は眉間に皺を寄せ悩んでいた。
「こっちか?いやあっちのやつか…」
先程カウンターで見つけたのはグレイの書き殴りのメモだった。自分で買いに行くつもりだったのか、字は汚いし商品名も略称ばかりで素人の俺にはさっぱりである。
(疲れてるみたいだし買い出しぐらいはと思ったんだけどな…わっかんねえ…)
主な買い出し内容は化粧水やメイク道具など。町一番のディスカウントストア(ボンキ)に来てみたが一向に見つかる気配がない。BGMや色味の強い店内もあいまって目が回ってくる。
「お客様なにかお探しですか?」
店員が近寄ってくる。黒髪を三つ編みにした大人しめな髪型だった。店員は下を向いたままボソボソと話しかけてくる。店内BGMに負けそうな声量だ。
「いや、えっと」
「メモをお持ちですね。誰かに買い出しをお願いされたんですか?」
「えっ…まあ」
「優しいんですね」
「??」
「どんなものを探してるんですか??手伝わせてください」
俺が戸惑っているのをいいことにどんどん詰めてくる。これはナンパなのか。いや事情聴取か(店内で怪しい動きしてたしな、今の俺)。どちらにせよこのまま買い物続行は止めた方がいいだろう。俺が断ろうとしたところで
「待って、行かないでください」
俯いてた店員がこちらを見てくる。目があった瞬間、ピクリと体が痺れた。
ぐぐっ
(あ、足が…動かない…!?)
足どころか手や頭も微動だにしない。指の関節一つ、動かすことができないのだ。唯一動くのは口元だけ。まるで金縛りだ。
(一体何が起きて…!!)
「私あなたみたいなチョイ怖系が好きで、ここのスタッフに応募したんです。柄が悪いお客さんがたくさん来るからちょうどいいなって」
チョイ怖ってなんだ、チョイ怖って。ちょいワルの劣化版か??顔が動かせたら苦笑いを浮かべていただろう。
「あなたも目付きが悪くて怖そうで…見た目全部タイプです。しかも、誰かのために朝早くから買い出しに来たんですよね…見た目怖いのに優しいなんて!推せます!最高ですっ!」
店員は独り言のようにブツブツと言っていた。その瞳は一度も瞬きせずこちらを見つめ続けていた。彼女の目は空気にさらされ続け、充血している。
(こええよ…!なんでそんな必死に…っ)
瞬きをすればいいのに一向に目を閉じようとしないのだ。その必死な形相に、流石の俺もヤバイと思った。一般的な“店員としての行動"からは逸脱している。どうにかして逃げたいが怪奇現象みたいな金縛りをどう解くか。
(ん?待てよ、怪奇現象…?)
「あんた…幻獣か?」
「!」
突然の金縛り。怪しい言動。幻獣ではないかと当てずっぽうで言ってみたが、途端に店員は表情を凍らせた。
「オマエ、ワタシタチヲ知ッテルノカ!!」
半狂乱で叫び襲いかかってくる。
「ひっ!待て待て!落ち着けっ…!!」
真っ赤に充血した店員が首を絞めてきた。
ギチチッ
「ぐっ…っ…!!」
元々自由ではなかった体が呼吸する自由すら奪われる。声も出せなければ逃げる事もできない。容赦なく締め付けてくる指先。
(殺される…!!)
死を覚悟したその時だった。
スッ
俺と店員の間に手鏡を持った男が現れる。
「!!」
何事かと思ったが、
するり
首を絞める力が緩む。店員を確認すると何故か動きを止めていた。指から脱出した後一歩、二歩と後ろに下がった。男は鏡の向きを変えないまま後ろの商品棚に移動して立てかけた。鏡は常に店員の方を向いている状態だ。
(店員が…鏡に映った自分と見つめあってる…)
突然動きを止めたのと関係あるのだろうか。不思議に思ってると男がこちらに振り返ってきた。
「これで大丈夫。騒ぎになる前に出よう!」
「あ、ああ」
男に手を引かれる。俺は言われるままボンキドーテから脱出した。そのまま裏の通りに移動する。男は誰もいないのを確認してからこちらを見た。微笑んでくる。
「また会えると思ったよ、ライ!」
「なんで俺の名前」
訝しむように睨みつけた。男は笑顔のまま上着を脱いだ。
ばさっ
「っ!?」
上着が顔に投げつけられる。慌てて引き剥がせば
「じゃじゃーん、俺でーす」
目の前に学生服を着た青年が立っていた。
(姿が変わった…!て、まさか!)
自由自在の変化能力。見覚えのある学生服。そして何度も見た生意気な顔…すぐに思い出した。
「おまっ…ユウキだったのかよ?!」
いつぞやの化け狐一家の跡取り息子である。ドッペルゲンガーの一件以来会ってなかったが相変わらず元気そうで何よりだ。驚く俺にユウキは遠慮なく飛び付いてきた。
「そうだよ~!くうう~!夢じゃない!ライがいるー!」
「おいっはなせっ!」
俺に会えたことで感極まってるようだ。尻尾があればブンブンと勢いよく振っていただろう。まるで大型犬に襲われてる気分だ。分類としては狐だけども。
「会いに来てくれるって言ってたのに全然来てくれないし、グレちゃう所だったんだからね~」
「いや…色々忙しかったんだって」
「ほんとかよー?ほっぺにキスしてくれたら許す!」
「じゃあ許されなくていい」
「ひどっ!冷たい!」
顔をしかめつつユウキの腕から抜け出した。再度抱きついてくる事はなかったのでホッとする。
「ユウキ、さっきの店員は何だったんだ。幻獣だよな?」
「あの子はメデューサっていう目が合った相手を石化させる幻獣だよ。初めて見たから確証はないけど」
「目が合うだけで石化…強すぎるだろ…」
「タイマンは強いけど外からの干渉に弱いんだよね。視界の外から近づいて鏡を向ければ、そこに映った自分に石化をかけられて動けなくなるから」
「なるほど…」
だからさっき鏡が現れた事で動けるようになったのか。
「じゃあ鏡をどければあの子はまた動けるんだな」
「そうそう。他のスタッフが揺すったりしてるうちに石化も解けるから心配いらないよ」
「よかった」
「…相変わらずライはお人好しだなあ。幻獣相手にそれじゃいつか食われるよ」
「ご忠告どうも」
ユウキの方を見た。昼間に学生がこんな所で何をしているのか。俺の言いたい事を感じ取ったユウキは胸を張って「早帰りだよ!」と言った。
「今日は中間試験で午前中だけ!しかもボンキ寄ったらライに会えたし優勝すぎる~」
「へえ…試験があったのか。手応えは?」
「…」
「どうだったんだよ。試験の手応えはあったのか?」
「赤点かも、あははーイテテテテっ」
「何笑ってんだよ。ちゃんと勉強するって言ってたのはどの口だ?」
「イデデッ!勉強したけど山が外れたんだってー!!」
「山なんて張るな!全部ちゃんとやれ!!」
「うえーー鬼ーー!!」
耳を引っ張りながら説教する。ユウキは涙を浮かべてこちらを見上げた。うるうると年下ならではの甘え方をしてくる。
「ライぃ~また勉強教えてくれない?」
「断る」
「え~さっき助けてあげたのにな~」
「うっ…」
「俺がいなかったら石化したまま首絞められて死んでたかもな~」
「…」
「声も出せずに誰にも気づいてもらえないまま~嫌な死に方だったろうな~~」
「わかった、わかったから…」
俺が断れないと知ってて嫌な揺すり方をする。相変わらず末恐ろしいガキだと腕を組んだ。
「はあ。勉強を教えるのはいいがこっちだってやることがあるんだ。それを終わらせてからにしてくれ」
「もちろん、いいよ。手伝う!」
にこにこと上機嫌で頷いている。
「で、何なの?やる事って」
「買い出し」
グレイの殴り書きのメモを取り出して見せた。
「ふむふむ」
「仕事に使うのはギリわかるんだが…化粧品関係はよくわかんねえんだよな…」
「ちょっと待ってねー」
ユウキはメモを読みながらスマホで検索をかけている。
「うん、おっけ。これね、一番目と三番目のは俺も使ってるやつだよ」
「なっ!?」
ユウキも使っている??どういうことだ。ただの化粧品じゃないのか??
「いや、普通の化粧品だよ。俺、女性にも変身しないとじゃん?だから女性を理解するためにも化粧知識やメイク方法も一通り教わってんだー」
「た、大変だな…」
「まあ一族を背負うってことに比べたら軽いもんだし。で、メモのやつなんだけど、このままボンキで買った方が早いと思うんだよなー」
「戻るってことか?あの子と遭遇しないか…?」
「二人組で行動してる相手に襲ってくるほど馬鹿じゃないでしょ。昔のメデューサなら二人まとめて石化とかあったのかもだろうけど、今のはたかが知れてるよ」
だからこそ人間と共存できてるんだろうけどねと皮肉のように言った。
(そうか、幻獣の能力は変わっていくのか)
人間と交配が進んだり世代が進むごとに能力も劣化していく。新たな発見である。
(なら…フィンの不死身の能力も変わったりしないのか?)
フィンは不死身だし世代交代はしてないと思うが肉体は変わってきてるわけだ。長い時間をかけて少しずつ能力に変化があってもおかしくないのではないか。
「そういう狐ヶ崎の一族は劣化してないのか?」
「俺らは血を選んで繁殖してるから大丈夫~」
「…」
「そんな顔しないでっ!無理強いとか犯罪はしてないから!ねー!ほんとだって!ライ~嫌わないで~!!」
ユウキの家系に深入りするのはやめておこうと心に留めた。
目の前で炎が揺れている。あっという間に燃え広がった炎は空間全てを燃やし尽くすように暴れていた。
「…」
私はそれをボーッと眺めるだけだった。何も感じない。ふとライの顔が浮かんだ。
(そうだ、帰らないと)
使命感に引きずられるように炎に背を向けた。
チリリン
「またやったわね、あんた」
「!」
店に戻るとグレイが待っていた。腕を組み、表情も固い。
「グレイ、何の話だ?私は散歩していただけだが」
「隠さなくていいワ」
睨まれる。前髪の奥から鋭い視線が届く。
「最初からあたしは気付いてるワヨ。あんた龍矢の追っ手、全部殺してるデショ」
「…」
「答えなくていいワヨ。その表情が答えてるようなものダカラ」
「……人殺しは出ていけと?」
空気がひりつく。
「そうは言ってないワ。ただ、あたしがせっかく霧を使って穏便に追い返そうとしてるのに…毎回灰にしちゃうんダカラ。流石にカチンときちゃったワケヨ」
「申し訳ない…グレイは気付いてないものだと…」
「これでも店を始めてから長いのヨ。周辺への意識は広げてるつもリ」
「わかった…今後はグレイの指示を仰ごう」
「よろしい」
グレイがやっと腕を下ろし怒りモードを解いてくれた。ホッとする。
「グレイ、この事だが…」
「ライに言わないでくれって?わかってるワヨ。あたしは余計な事には顔を突っ込まない主義なノ」
「“つじつま合わせ"をしてるのにか?」
「“つじつま合わせ"は副業。それ以上でもそれ以下でもナイ。何より終わった後の軌道修正をしてるだけで物事に介入してるわけじゃないワ」
「…そうか」
「ライのためにも真っ当に生きなさいよね」
「わかっている」
そのつもりだ、と誰に言うでもなく呟くのだった。
***
『~♪』
心地よい声が聞こえてくる。朝日が顔に当たって眩しい。寝返りを打ってみるが一度覚めた頭は眠気を追いかけることはなかった。諦めて目を開けた。
「眩しっ……うわっ」
上体を起こそうとしてギョっとした。隣にフィンが寝ていたのだ。すやすやと穏やかな寝息をたてている。
(そうだった…!まだ慣れないな…)
数日前のリフォームによって同室になったものの未だに慣れていなかった。ホテルでの事もあり距離感がいまいち掴めていないというのに、昨日も今日も目を開けたらフィンが横で寝ているんだから心臓に悪い。距離感バグもいいところである。
「とりあえず…シャワーいくか…」
ベッドから出ようとすると
ぐっ
腕を掴まれた。
「なっ…フィン、起きてたのかよ」
「ライの独り言で起きた」
「悪い」
「ふふ、冗談だ。ライが起こしてくれるのを期待して待っていたのだ」
「…なんだそれ」
新婚生活か何かと勘違いしてないか。呆れつつもフィンの腕から抜け出して立ち上がった。
「どっちにしろまだ起きるには早いぜ。寝たの4時ぐらいだし、もう少し寝とけよ」
朝日の感じからしてまだ7時とかそれぐらいの時間だろう。フィンはスナックの仕事の後は大体外へ散歩に行く(昨日も遅かったはず)。それでは全然寝れてないだろう。
「ライの方こそ寝た方がいいぞ。人間には質のいい睡眠が大事だとグレイが言っていた」
「…あんたとグレイってどんな会話してんだよ。俺はもう眠気飛んでるしいいんだって。シャワー行きたいし。じゃ、また昼にな」
無理矢理会話を終わらせて背中で扉を閉じた。個室を出ると誰もいなくて静かなものだった。どうやらグレイも今日は早めに切り上げたらしく私室に入っていて姿が見えない。ここ最近ずっと店が賑わっていたから疲れたのだろう。休ませておこう。
ぺたぺた
裸足のまま廊下を進むと暗くなった店内が見えてきた。カウンターの隅、皿洗いなどをする水場のところにベニクラゲの水槽があった。
「おはよ、ベニクラゲ」
起きたらベニクラゲに挨拶するのが習慣になっていた。そのままベニクラゲの正面に腰かける。
『~♪』
ベニクラゲ(の子供?)はまだ歌う事しかできず何かを認識している様子はない。それでも俺は毎朝話しかけていたし、美しい歌声に癒してもらっていた。カウンターに頬杖をつきボーっと眺める。
『~♪~♪』
「早くあんたとも話せるようになりたいな」
願いを込めて水槽をつついた。いくらつついてもベニクラゲに変化はない。諦めてシャワーに向かおうとしたところでとあることに気付いた。
「これって…」
「ぼ、ぼ、ぼ♪ボーンキ♪ボーンキドーテ♪」
店内BGMが鳴り響く。うるさくて仕方ない。酔ったグレイといい勝負だ。そんな中俺は眉間に皺を寄せ悩んでいた。
「こっちか?いやあっちのやつか…」
先程カウンターで見つけたのはグレイの書き殴りのメモだった。自分で買いに行くつもりだったのか、字は汚いし商品名も略称ばかりで素人の俺にはさっぱりである。
(疲れてるみたいだし買い出しぐらいはと思ったんだけどな…わっかんねえ…)
主な買い出し内容は化粧水やメイク道具など。町一番のディスカウントストア(ボンキ)に来てみたが一向に見つかる気配がない。BGMや色味の強い店内もあいまって目が回ってくる。
「お客様なにかお探しですか?」
店員が近寄ってくる。黒髪を三つ編みにした大人しめな髪型だった。店員は下を向いたままボソボソと話しかけてくる。店内BGMに負けそうな声量だ。
「いや、えっと」
「メモをお持ちですね。誰かに買い出しをお願いされたんですか?」
「えっ…まあ」
「優しいんですね」
「??」
「どんなものを探してるんですか??手伝わせてください」
俺が戸惑っているのをいいことにどんどん詰めてくる。これはナンパなのか。いや事情聴取か(店内で怪しい動きしてたしな、今の俺)。どちらにせよこのまま買い物続行は止めた方がいいだろう。俺が断ろうとしたところで
「待って、行かないでください」
俯いてた店員がこちらを見てくる。目があった瞬間、ピクリと体が痺れた。
ぐぐっ
(あ、足が…動かない…!?)
足どころか手や頭も微動だにしない。指の関節一つ、動かすことができないのだ。唯一動くのは口元だけ。まるで金縛りだ。
(一体何が起きて…!!)
「私あなたみたいなチョイ怖系が好きで、ここのスタッフに応募したんです。柄が悪いお客さんがたくさん来るからちょうどいいなって」
チョイ怖ってなんだ、チョイ怖って。ちょいワルの劣化版か??顔が動かせたら苦笑いを浮かべていただろう。
「あなたも目付きが悪くて怖そうで…見た目全部タイプです。しかも、誰かのために朝早くから買い出しに来たんですよね…見た目怖いのに優しいなんて!推せます!最高ですっ!」
店員は独り言のようにブツブツと言っていた。その瞳は一度も瞬きせずこちらを見つめ続けていた。彼女の目は空気にさらされ続け、充血している。
(こええよ…!なんでそんな必死に…っ)
瞬きをすればいいのに一向に目を閉じようとしないのだ。その必死な形相に、流石の俺もヤバイと思った。一般的な“店員としての行動"からは逸脱している。どうにかして逃げたいが怪奇現象みたいな金縛りをどう解くか。
(ん?待てよ、怪奇現象…?)
「あんた…幻獣か?」
「!」
突然の金縛り。怪しい言動。幻獣ではないかと当てずっぽうで言ってみたが、途端に店員は表情を凍らせた。
「オマエ、ワタシタチヲ知ッテルノカ!!」
半狂乱で叫び襲いかかってくる。
「ひっ!待て待て!落ち着けっ…!!」
真っ赤に充血した店員が首を絞めてきた。
ギチチッ
「ぐっ…っ…!!」
元々自由ではなかった体が呼吸する自由すら奪われる。声も出せなければ逃げる事もできない。容赦なく締め付けてくる指先。
(殺される…!!)
死を覚悟したその時だった。
スッ
俺と店員の間に手鏡を持った男が現れる。
「!!」
何事かと思ったが、
するり
首を絞める力が緩む。店員を確認すると何故か動きを止めていた。指から脱出した後一歩、二歩と後ろに下がった。男は鏡の向きを変えないまま後ろの商品棚に移動して立てかけた。鏡は常に店員の方を向いている状態だ。
(店員が…鏡に映った自分と見つめあってる…)
突然動きを止めたのと関係あるのだろうか。不思議に思ってると男がこちらに振り返ってきた。
「これで大丈夫。騒ぎになる前に出よう!」
「あ、ああ」
男に手を引かれる。俺は言われるままボンキドーテから脱出した。そのまま裏の通りに移動する。男は誰もいないのを確認してからこちらを見た。微笑んでくる。
「また会えると思ったよ、ライ!」
「なんで俺の名前」
訝しむように睨みつけた。男は笑顔のまま上着を脱いだ。
ばさっ
「っ!?」
上着が顔に投げつけられる。慌てて引き剥がせば
「じゃじゃーん、俺でーす」
目の前に学生服を着た青年が立っていた。
(姿が変わった…!て、まさか!)
自由自在の変化能力。見覚えのある学生服。そして何度も見た生意気な顔…すぐに思い出した。
「おまっ…ユウキだったのかよ?!」
いつぞやの化け狐一家の跡取り息子である。ドッペルゲンガーの一件以来会ってなかったが相変わらず元気そうで何よりだ。驚く俺にユウキは遠慮なく飛び付いてきた。
「そうだよ~!くうう~!夢じゃない!ライがいるー!」
「おいっはなせっ!」
俺に会えたことで感極まってるようだ。尻尾があればブンブンと勢いよく振っていただろう。まるで大型犬に襲われてる気分だ。分類としては狐だけども。
「会いに来てくれるって言ってたのに全然来てくれないし、グレちゃう所だったんだからね~」
「いや…色々忙しかったんだって」
「ほんとかよー?ほっぺにキスしてくれたら許す!」
「じゃあ許されなくていい」
「ひどっ!冷たい!」
顔をしかめつつユウキの腕から抜け出した。再度抱きついてくる事はなかったのでホッとする。
「ユウキ、さっきの店員は何だったんだ。幻獣だよな?」
「あの子はメデューサっていう目が合った相手を石化させる幻獣だよ。初めて見たから確証はないけど」
「目が合うだけで石化…強すぎるだろ…」
「タイマンは強いけど外からの干渉に弱いんだよね。視界の外から近づいて鏡を向ければ、そこに映った自分に石化をかけられて動けなくなるから」
「なるほど…」
だからさっき鏡が現れた事で動けるようになったのか。
「じゃあ鏡をどければあの子はまた動けるんだな」
「そうそう。他のスタッフが揺すったりしてるうちに石化も解けるから心配いらないよ」
「よかった」
「…相変わらずライはお人好しだなあ。幻獣相手にそれじゃいつか食われるよ」
「ご忠告どうも」
ユウキの方を見た。昼間に学生がこんな所で何をしているのか。俺の言いたい事を感じ取ったユウキは胸を張って「早帰りだよ!」と言った。
「今日は中間試験で午前中だけ!しかもボンキ寄ったらライに会えたし優勝すぎる~」
「へえ…試験があったのか。手応えは?」
「…」
「どうだったんだよ。試験の手応えはあったのか?」
「赤点かも、あははーイテテテテっ」
「何笑ってんだよ。ちゃんと勉強するって言ってたのはどの口だ?」
「イデデッ!勉強したけど山が外れたんだってー!!」
「山なんて張るな!全部ちゃんとやれ!!」
「うえーー鬼ーー!!」
耳を引っ張りながら説教する。ユウキは涙を浮かべてこちらを見上げた。うるうると年下ならではの甘え方をしてくる。
「ライぃ~また勉強教えてくれない?」
「断る」
「え~さっき助けてあげたのにな~」
「うっ…」
「俺がいなかったら石化したまま首絞められて死んでたかもな~」
「…」
「声も出せずに誰にも気づいてもらえないまま~嫌な死に方だったろうな~~」
「わかった、わかったから…」
俺が断れないと知ってて嫌な揺すり方をする。相変わらず末恐ろしいガキだと腕を組んだ。
「はあ。勉強を教えるのはいいがこっちだってやることがあるんだ。それを終わらせてからにしてくれ」
「もちろん、いいよ。手伝う!」
にこにこと上機嫌で頷いている。
「で、何なの?やる事って」
「買い出し」
グレイの殴り書きのメモを取り出して見せた。
「ふむふむ」
「仕事に使うのはギリわかるんだが…化粧品関係はよくわかんねえんだよな…」
「ちょっと待ってねー」
ユウキはメモを読みながらスマホで検索をかけている。
「うん、おっけ。これね、一番目と三番目のは俺も使ってるやつだよ」
「なっ!?」
ユウキも使っている??どういうことだ。ただの化粧品じゃないのか??
「いや、普通の化粧品だよ。俺、女性にも変身しないとじゃん?だから女性を理解するためにも化粧知識やメイク方法も一通り教わってんだー」
「た、大変だな…」
「まあ一族を背負うってことに比べたら軽いもんだし。で、メモのやつなんだけど、このままボンキで買った方が早いと思うんだよなー」
「戻るってことか?あの子と遭遇しないか…?」
「二人組で行動してる相手に襲ってくるほど馬鹿じゃないでしょ。昔のメデューサなら二人まとめて石化とかあったのかもだろうけど、今のはたかが知れてるよ」
だからこそ人間と共存できてるんだろうけどねと皮肉のように言った。
(そうか、幻獣の能力は変わっていくのか)
人間と交配が進んだり世代が進むごとに能力も劣化していく。新たな発見である。
(なら…フィンの不死身の能力も変わったりしないのか?)
フィンは不死身だし世代交代はしてないと思うが肉体は変わってきてるわけだ。長い時間をかけて少しずつ能力に変化があってもおかしくないのではないか。
「そういう狐ヶ崎の一族は劣化してないのか?」
「俺らは血を選んで繁殖してるから大丈夫~」
「…」
「そんな顔しないでっ!無理強いとか犯罪はしてないから!ねー!ほんとだって!ライ~嫌わないで~!!」
ユウキの家系に深入りするのはやめておこうと心に留めた。
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