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四話
爪痕の犯人
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***
20時過ぎ。すでに水族館は閉館していたが、半魚人が扉の前で待っていた。
「こっち」
手招きしてくる。水族館の手前に大きな階段があり、その側面に移動した。ここなら人目につかず話せそうだ。
「二人とも、無事で、よかった」
「すみません!待っててくれたんですか…!」
「頼んで、おいて、俺だけ、帰るなんて、できないよ。どうだった?人魚に、会えた?」
「会えました…」
かなり個性の強い人魚に会えましたとも。俺の苦笑いで色々察したのか半魚人が肩を叩いてくる。
「面食い、だから、君が、海にいけば、寄ってくると、思ったよ」
「面食い…」
確かにあの人魚は二次元コンテンツ(BL)には面食いが発動しているようだが、俺たちには殺意ばかりだったし何とも言えない。
「それで、鱗は、もらえた?」
空き缶の中の海水に浸された鱗を見せる。半魚人が感心したように口をパクパクとさせた。
「すごい、本当に…もらえたんだ」
「でも時間がないみたいで。ベニクラゲはまだいますか?」
「それが…、今外に、運ばれてる、とこで」
そういって水族館の横にある駐車場へ視線を向ける。駐車場の端に一台のトラックが停まっていた。ベニクラゲを別の施設へ運ぶためのトラックだろうか。スタッフが行き来している。
「夜でも結構な人数が働いてるんすね」
「昼間は、お客さん、いるから、営業時間外に、こういう事、してる」
「なるほど…」
それもそうか。客がいる時はほとんど掃除やメンテナンスもできないし、夜こそ人員が必要なのだろう。
「今日は特に、人多い日。海野さんも、いるはず。俺が、海野さん、呼んでくるから、二人は、ベニクラゲに、渡してほしい」
「わかりました」
半魚人は水族館の別棟へ向かった。スタッフ棟なのか部外者立ち入り禁止とかかれている。俺とフィンは反対に、ベニクラゲを探すため水族館へ向かった。
(運んでるところって言ってたけど…施設の中なのか外なのか…)
中は入れないから除外するとして、それでも捜索範囲が広すぎる。どうしたものか。
ぴたっ
ふと、フィンが足を止めた。駐車場横の草むらを見ている。
「どうした?フィン」
「何か視線を感じた…」
「どうせ野良猫だろ。時間が惜しい。手分けして探そうぜ。フィンは駐車場周り、俺は裏口の方」
「ああ…」
フィンはまだ草むらが気になるのか横目で見ていた。だが諦めて駐車場の方へ走っていった。
「はあっはあっ…いない…」
しかしいくら探してもベニクラゲは見つからなかった。かれこれ15分ぐらい走り回っている。フィンもまだ見つけてなさそうだし…施設の外にはいないのだろうかと思い始めた頃。
ガチャ、たたたっ
「こちら準備できました。そちらの水槽と電源を付けておいてください」
「はい!」
水族館の裏口から人が出てきて何かをやり取りしている。とっさに柱の裏に隠れて様子を窺った。
(ベニクラゲの移送の話っぽいな)
やはりベニクラゲはまだ水族館の中にいるのか。確かめたいが今の俺にはどうしようもない。かといって待ち続けていたら人魚の鱗が渇いてしまう。
(どうにかしてベニクラゲに連絡できたら…)
スタッフに気付かせずにベニクラゲに人魚の鱗の事を伝えられたら、返答があるのではないか。そんな事を考えてるうちにふとフィンの言葉を思い出す。人間でも思念を話せる、と言っていたような。やり方はわからないが脳が関係してるなら念じてみたらいけるかもしれない。とりあえず適当にベニクラゲの事を必死に考えてみる。
「~~!!…はあっ!無理!!」
しかし何かが起きる気配はない。まあ当たり前の結果である。思念なんてファンタジーなもの、人間の俺にできるわけがない。今更になって自分の行動が恥ずかしくなってきた。
「あー馬鹿らし…」
『お前、不思議な音を出すニャア』
「?!」
声と同時に、前方の草むらが揺れた。草むらの奥に丸い瞳が二つ、そして三日月のような口が浮かんでいた。ニヤニヤとこちらを見て笑っている。
「なんだお前っ?!」
『ニャ?これが聞こえるってことは人間じゃないのかニャア?でも匂いは人間だニャ、変な奴だニャア』
ニャアと語尾をあげて話す"何か"。これまでの幻獣たちと違って明らかにサイズが小さい。草むらの揺れ方を見るに、50センチもないだろう。サイズのせいでいまいち恐怖は浮かばないが一応構えておく。
「こっちは今忙しいんだよ、あっち行け!」
『それは無理ニャ。ニャアは魚を取りに来たんだニャア』
「!?」
魚をとる。その言葉で昼間の停電事件を思い出した。
(まさか昼間のあれってこいつが…!?)
水槽に刻まれた巨大な爪痕の映像が脳内で再生される。嫌な予感がして、身を隠していた柱から離れた。
ジャギッ
大きな爪痕が柱に刻まれる。後ずさっていなければ首と体が別々になっていただろう。さーっと血の気が引く。
『ありゃ避けられちったニャア。魚と違ってすばしっこいニャア』
斜めに切りつけられた爪痕。気配を殺して近づく身のこなし。そして今の台詞。昼間の侵入者はこいつだったのかと一気に警戒度が跳ね上がる。
ジャギッ
背後にあった裏口の扉が真っ二つになる。扉が紙のようにあっさりと真横に切れていた。なんて切れ味だ。小さいからこそ気配が追いにくいし避けるのも難しい。
『ニャハハ!人間は食べたことないけど猫は肉食なんだニャア!ちょっと味見してみるかニャ!』
化け物が潜んでる草むらと俺の間には障害物がない。このままでは真っ二つにされてしまう。
「くそっ!勘弁してくれ…!」
切り裂かれた裏口から中に逃げこむ。中は歩ける程度には明るいが、館内の暗さに目が慣れておらず走って逃げることはできない。壁に手をおきながら早足で進む。
『お腹すいたニャ~どこかニャ~!』
スタッ、タッ
化け物が追いかけてくる。暗い館内に足音が響き渡った。俺は近くにあった看板に隠れ、気配を殺した。
(どこだ…どこにいる…?!)
タッタッタ
足音はずっと聞こえるのに、いくら周囲を見回しても化け物の姿は見えない。このままでは攻撃を予想することも、逃げることもできない。
(くそっこんなことしてる場合じゃねえのに…!!)
焦っていたその時だった。
「よーし、気を付けろー!ゆっくり、そこ段差あるぞー」
「先輩これ重いっすね…」
「水の塊だからな。っと、裏口が見えてきたぞ!あと少しだ!」
通路の奥からのんびりとした声が二つ聞こえてくる。四角い何かを運んでいて、すぐに小さな水槽だと気づいた。
(まさか…ベニクラゲか?!)
スタッフらしき男たちは水槽を抱えながら近付いてくる。俺は慌てて声をかけた。
「だめだ!こっちにくるな!!」
「うわ!誰だ?!」
「また侵入者っすかあ?!」
スタッフ二人の足が止まるが
『ニャハ!魚だニャ!!わざわざ探しに行く手間が省けたニャア~!!』
化け物は上機嫌な様子で水槽の縁に着地して、そのまま上から下に真っ二つにしてしまう。
バシャッ
水槽の中身が床に飛び散った。スタッフは突然水槽が割れたことに飛び上がる。
「ひいい!何が起こってるんすかあ!!」
「に、逃げろ!!」
スタッフ二人が慌てて裏口から逃げ出す。化け物はスタッフを追いかける様子はなかった。幸か不幸か魚以外興味がないらしい。
『ありゃりゃおかしいニャア。こいつ魚じゃないニャア』
化け物はぶちまけられた水槽の中身を見て落胆する。俺もその様を見て息が詰まった。
「そんな…」
ベニクラゲは無惨にも切り裂かれていた。しかも水から出てしまい生きてるかもわからない状態だ。動かなくなったベニクラゲを前に俺は言葉を失った。
『こんなぶよぶよは食べられないニャア』
化け物が残念そうにバラバラになったベニクラゲをみてため息を吐いた。ライトのあたる位置に化け物が来た事で姿がちゃんと見えるようになる。
「お前は…猫、なのか…?」
パッと見は黒猫に見えるが二足歩行だし前足の爪も異様なほど長かった。床につくほど伸びた爪は、触れた床を裂いてしまうほど切れ味がいい。さっきからサクサク切っているのはあの爪のようだ。化け猫は爪を研ぐように擦らせたあと、胸を張って話し出す。
『ニャアはただの猫じゃないニャア。ケット・シーっていう妖精猫だニャア!』
「ケット・シー?」
爪をしまった前足で胸毛を撫で付けていた。まるで顎髭をなでる老人のような仕草だった。人間のように動いて喋る猫なんて夢でも見てるみたいだ。
『ケット・シーは結構歴史がある妖精なんだニャ。幻獣でも知らないものはいないすご~い妖精なんだニャア!』
「一回も聞いたことねえけど…」
『それは幻獣じゃないからだニャ!幻獣なら知ってるニャ!』
「へえ…」
『信じてないニャ!!?うニャ~~っっ!!失礼なやつだニャ!!』
不死鳥、巨人、人魚。ファンタジーとして有名な奴らばかり見てきたから感覚が麻痺している気がする。妖精猫もなかなか位の高い存在なのだろうがすごいとは思えなかった。妖精と言うだけあって俺の言いたいことがわかるらしい。妖精猫は地団駄を踏んで怒りを表す。
『もう話はいいニャア!腹ペコでイライラしてきたニャア!!人間は殺すと厄介だけど、ムカつくし切っちゃうニャア~!!』
「!!」
怒りに任せて爪を向けてくる。後ろに倒れこんで爪を避けるが、この距離ではうまく避けきれなかった。足首にかすってしまう。
「いって…!!」
血が滲んでくる。一瞬だが確実に足が止まった。
『ニャハハ!もう逃げられないニャア!!』
妖精猫はそれを見逃さず、前足を思いっきり振りかぶる。包丁よりも大きな爪が振り下ろされた。腕を前に出して目を瞑る。
(フィン…!!)
とっさに心の中でフィンの名前を呼んでいた。
ズブリ
突き刺さる嫌な音と同時に、暗い館内に血の匂いが充満した。恐る恐る目を開ける。
「…!!」
「ハア、ハアっ…、間に合ったか…」
目の前に立つフィンが妖精猫の爪を腕で受け止めていた。爪は肉を裂いて骨にまで到達している。おかげで斬撃が止まったようだが、割かれた断面から大量の血が溢れた。
「フィン!!」
『ニャニャア?!!お前!籠の鳥だニャ!?なんでここにっ』
妖精猫がフィンの顔をみて慌てている。フィンはそれに答える事はなく
ぐぐっ
爪が食い込んだ状態で拳を握りしめる。隆起した筋肉が爪を固定させ妖精猫本体の動きを封じた。
「お前、ライを殺そうとしたな」
『アチチチチ!やめっ!!熱いニャー!!』
フィンの体から熱気が放たれる。爪から直接熱が伝わるのか妖精猫は悲鳴を上げた。体を捩るようにして暴れている。
『待って!待つニャ!ちょっと引っ掻いただけニャ!!殺そうとなんてしてないニャア!!』
「妖精猫は嘘つきが多いと聞く」
『そんなことないニャ!!もうしないニャア!』
「本当か?“逃げ足は竜よりも素早い"と有名な妖精猫だろう?しかもお前、昼間水族館に侵入しただろう。そんな迷惑な幻獣はここで殺しておいた方が世のためになる。そうは思わないか?」
冷たい笑みを浮かべながら妖精猫を見下ろした。妖精猫は縮み上がる。
『ひいいいいい!もう二度としないニャ!魚も水族館からはとらない!人間界で悪さしないからゆるしてニャーーっ』
妖精猫は泣きながら煙のように消えた。あっという間に気配が遠ざかっていく。本当に逃げ足は立派だなと放心していると声をかけられた。
「ライ、大丈夫か?足から血が出てる…止血しないと…!」
俺の足首を見て心配そうにしていた。自分の腕から大量に血を垂らしながら言う台詞じゃない。
「あんたの方がよっぽど酷いって。その右腕、肉まで見えてるぞ。すぐに消毒…いや、縫わねえと」
「この程度気にしなくていい。死にはしない」
「いや気にするだろ普通に」
不死身といっても傷は傷だ。傷があれば手当てする。当然の流れだ。
ビリッ
足首を切りつけられた時に破れたズボンを引きちぎる。形を整えてから傷口に巻きつけた。
「本当は水で洗いたいけどこれで勘弁してくれ」
「…ありがとう。傷を手当てされるなんて、いつぶりだろう」
フィンが感動していた。不死身の体だから傷ができても放置されていたのだろうか。そうだとしたら胸くそ悪い環境だが。
「って、傷で思い出した…!!」
慌てて振り返った。そこには、水槽から飛び出たベニクラゲの姿があった。ピクリとも動かない。
「…!!」
人魚の鱗を取り出して持っていく。バラバラになったベニクラゲの残骸は鱗をかざしても沈黙していた。当たり前だ。
(もうベニクラゲは…死んでる…)
いくら不老不死のクラゲといってもそれは水の中での話だ。水の外に飛び出し、体も切り刻まれた状態で生きられるわけがない。
「ライ、鱗がもう…」
「!」
鱗の方も美しいエメラルドグリーンから白っぽい淡緑に色褪せていた。悔しいが時間切れらしい。拳を握りしめる。
「くそっ…!俺のせいだ…俺がここに逃げ込んだせいでベニクラゲが…!!」
「ライのせいではない。ベニクラゲはトラックに運ばれる所だったのだろう。どちらにせよ妖精猫と出くわしていたはず」
「だとしても…俺がいなかったら…標的にはならなかったかもしれないっ」
シーンとした静けさが俺たちを包み込む。
カツ、カツ、カツ
廊下の奥から足音が聞こえてきた。二人分の足音だ。見れば、半魚人と海野の姿だった。
「あ!お客様?!」
海野は俺たちに気付くと早足で駆け寄ってくる。
「昼間のお客様じゃないですか…!どうしてここに!」
「えっ、と…」
「しかもそちらのお連れ様はご家族の方ですか?」
一瞬フィンの事かと思ったが、昼間にフィンの事を見ているはず。あえて「ご家族の方」と聞くのは違和感がある。不思議に思って確認すると
「!!」
肩で切り揃えられた銀髪の子供が俺の後ろに立っていた。透き通るような白い肌をした美しい子供だった。
「なっ…誰だ…!!?」
白地に赤い模様が入った服で既視感を感じる。
(白に赤って…まさか…!?)
ベニクラゲが落ちていた場所を確認した。そこには水溜まりがあるだけで何もいなかった。ベニクラゲも人魚の鱗もない。
(まさか…)
俺は信じられない気持ちで見つめた。子供は自分の手をボーッと眺めたあと喉を触って口をパクパクさせた。そして一歩、前に踏み出す。
20時過ぎ。すでに水族館は閉館していたが、半魚人が扉の前で待っていた。
「こっち」
手招きしてくる。水族館の手前に大きな階段があり、その側面に移動した。ここなら人目につかず話せそうだ。
「二人とも、無事で、よかった」
「すみません!待っててくれたんですか…!」
「頼んで、おいて、俺だけ、帰るなんて、できないよ。どうだった?人魚に、会えた?」
「会えました…」
かなり個性の強い人魚に会えましたとも。俺の苦笑いで色々察したのか半魚人が肩を叩いてくる。
「面食い、だから、君が、海にいけば、寄ってくると、思ったよ」
「面食い…」
確かにあの人魚は二次元コンテンツ(BL)には面食いが発動しているようだが、俺たちには殺意ばかりだったし何とも言えない。
「それで、鱗は、もらえた?」
空き缶の中の海水に浸された鱗を見せる。半魚人が感心したように口をパクパクとさせた。
「すごい、本当に…もらえたんだ」
「でも時間がないみたいで。ベニクラゲはまだいますか?」
「それが…、今外に、運ばれてる、とこで」
そういって水族館の横にある駐車場へ視線を向ける。駐車場の端に一台のトラックが停まっていた。ベニクラゲを別の施設へ運ぶためのトラックだろうか。スタッフが行き来している。
「夜でも結構な人数が働いてるんすね」
「昼間は、お客さん、いるから、営業時間外に、こういう事、してる」
「なるほど…」
それもそうか。客がいる時はほとんど掃除やメンテナンスもできないし、夜こそ人員が必要なのだろう。
「今日は特に、人多い日。海野さんも、いるはず。俺が、海野さん、呼んでくるから、二人は、ベニクラゲに、渡してほしい」
「わかりました」
半魚人は水族館の別棟へ向かった。スタッフ棟なのか部外者立ち入り禁止とかかれている。俺とフィンは反対に、ベニクラゲを探すため水族館へ向かった。
(運んでるところって言ってたけど…施設の中なのか外なのか…)
中は入れないから除外するとして、それでも捜索範囲が広すぎる。どうしたものか。
ぴたっ
ふと、フィンが足を止めた。駐車場横の草むらを見ている。
「どうした?フィン」
「何か視線を感じた…」
「どうせ野良猫だろ。時間が惜しい。手分けして探そうぜ。フィンは駐車場周り、俺は裏口の方」
「ああ…」
フィンはまだ草むらが気になるのか横目で見ていた。だが諦めて駐車場の方へ走っていった。
「はあっはあっ…いない…」
しかしいくら探してもベニクラゲは見つからなかった。かれこれ15分ぐらい走り回っている。フィンもまだ見つけてなさそうだし…施設の外にはいないのだろうかと思い始めた頃。
ガチャ、たたたっ
「こちら準備できました。そちらの水槽と電源を付けておいてください」
「はい!」
水族館の裏口から人が出てきて何かをやり取りしている。とっさに柱の裏に隠れて様子を窺った。
(ベニクラゲの移送の話っぽいな)
やはりベニクラゲはまだ水族館の中にいるのか。確かめたいが今の俺にはどうしようもない。かといって待ち続けていたら人魚の鱗が渇いてしまう。
(どうにかしてベニクラゲに連絡できたら…)
スタッフに気付かせずにベニクラゲに人魚の鱗の事を伝えられたら、返答があるのではないか。そんな事を考えてるうちにふとフィンの言葉を思い出す。人間でも思念を話せる、と言っていたような。やり方はわからないが脳が関係してるなら念じてみたらいけるかもしれない。とりあえず適当にベニクラゲの事を必死に考えてみる。
「~~!!…はあっ!無理!!」
しかし何かが起きる気配はない。まあ当たり前の結果である。思念なんてファンタジーなもの、人間の俺にできるわけがない。今更になって自分の行動が恥ずかしくなってきた。
「あー馬鹿らし…」
『お前、不思議な音を出すニャア』
「?!」
声と同時に、前方の草むらが揺れた。草むらの奥に丸い瞳が二つ、そして三日月のような口が浮かんでいた。ニヤニヤとこちらを見て笑っている。
「なんだお前っ?!」
『ニャ?これが聞こえるってことは人間じゃないのかニャア?でも匂いは人間だニャ、変な奴だニャア』
ニャアと語尾をあげて話す"何か"。これまでの幻獣たちと違って明らかにサイズが小さい。草むらの揺れ方を見るに、50センチもないだろう。サイズのせいでいまいち恐怖は浮かばないが一応構えておく。
「こっちは今忙しいんだよ、あっち行け!」
『それは無理ニャ。ニャアは魚を取りに来たんだニャア』
「!?」
魚をとる。その言葉で昼間の停電事件を思い出した。
(まさか昼間のあれってこいつが…!?)
水槽に刻まれた巨大な爪痕の映像が脳内で再生される。嫌な予感がして、身を隠していた柱から離れた。
ジャギッ
大きな爪痕が柱に刻まれる。後ずさっていなければ首と体が別々になっていただろう。さーっと血の気が引く。
『ありゃ避けられちったニャア。魚と違ってすばしっこいニャア』
斜めに切りつけられた爪痕。気配を殺して近づく身のこなし。そして今の台詞。昼間の侵入者はこいつだったのかと一気に警戒度が跳ね上がる。
ジャギッ
背後にあった裏口の扉が真っ二つになる。扉が紙のようにあっさりと真横に切れていた。なんて切れ味だ。小さいからこそ気配が追いにくいし避けるのも難しい。
『ニャハハ!人間は食べたことないけど猫は肉食なんだニャア!ちょっと味見してみるかニャ!』
化け物が潜んでる草むらと俺の間には障害物がない。このままでは真っ二つにされてしまう。
「くそっ!勘弁してくれ…!」
切り裂かれた裏口から中に逃げこむ。中は歩ける程度には明るいが、館内の暗さに目が慣れておらず走って逃げることはできない。壁に手をおきながら早足で進む。
『お腹すいたニャ~どこかニャ~!』
スタッ、タッ
化け物が追いかけてくる。暗い館内に足音が響き渡った。俺は近くにあった看板に隠れ、気配を殺した。
(どこだ…どこにいる…?!)
タッタッタ
足音はずっと聞こえるのに、いくら周囲を見回しても化け物の姿は見えない。このままでは攻撃を予想することも、逃げることもできない。
(くそっこんなことしてる場合じゃねえのに…!!)
焦っていたその時だった。
「よーし、気を付けろー!ゆっくり、そこ段差あるぞー」
「先輩これ重いっすね…」
「水の塊だからな。っと、裏口が見えてきたぞ!あと少しだ!」
通路の奥からのんびりとした声が二つ聞こえてくる。四角い何かを運んでいて、すぐに小さな水槽だと気づいた。
(まさか…ベニクラゲか?!)
スタッフらしき男たちは水槽を抱えながら近付いてくる。俺は慌てて声をかけた。
「だめだ!こっちにくるな!!」
「うわ!誰だ?!」
「また侵入者っすかあ?!」
スタッフ二人の足が止まるが
『ニャハ!魚だニャ!!わざわざ探しに行く手間が省けたニャア~!!』
化け物は上機嫌な様子で水槽の縁に着地して、そのまま上から下に真っ二つにしてしまう。
バシャッ
水槽の中身が床に飛び散った。スタッフは突然水槽が割れたことに飛び上がる。
「ひいい!何が起こってるんすかあ!!」
「に、逃げろ!!」
スタッフ二人が慌てて裏口から逃げ出す。化け物はスタッフを追いかける様子はなかった。幸か不幸か魚以外興味がないらしい。
『ありゃりゃおかしいニャア。こいつ魚じゃないニャア』
化け物はぶちまけられた水槽の中身を見て落胆する。俺もその様を見て息が詰まった。
「そんな…」
ベニクラゲは無惨にも切り裂かれていた。しかも水から出てしまい生きてるかもわからない状態だ。動かなくなったベニクラゲを前に俺は言葉を失った。
『こんなぶよぶよは食べられないニャア』
化け物が残念そうにバラバラになったベニクラゲをみてため息を吐いた。ライトのあたる位置に化け物が来た事で姿がちゃんと見えるようになる。
「お前は…猫、なのか…?」
パッと見は黒猫に見えるが二足歩行だし前足の爪も異様なほど長かった。床につくほど伸びた爪は、触れた床を裂いてしまうほど切れ味がいい。さっきからサクサク切っているのはあの爪のようだ。化け猫は爪を研ぐように擦らせたあと、胸を張って話し出す。
『ニャアはただの猫じゃないニャア。ケット・シーっていう妖精猫だニャア!』
「ケット・シー?」
爪をしまった前足で胸毛を撫で付けていた。まるで顎髭をなでる老人のような仕草だった。人間のように動いて喋る猫なんて夢でも見てるみたいだ。
『ケット・シーは結構歴史がある妖精なんだニャ。幻獣でも知らないものはいないすご~い妖精なんだニャア!』
「一回も聞いたことねえけど…」
『それは幻獣じゃないからだニャ!幻獣なら知ってるニャ!』
「へえ…」
『信じてないニャ!!?うニャ~~っっ!!失礼なやつだニャ!!』
不死鳥、巨人、人魚。ファンタジーとして有名な奴らばかり見てきたから感覚が麻痺している気がする。妖精猫もなかなか位の高い存在なのだろうがすごいとは思えなかった。妖精と言うだけあって俺の言いたいことがわかるらしい。妖精猫は地団駄を踏んで怒りを表す。
『もう話はいいニャア!腹ペコでイライラしてきたニャア!!人間は殺すと厄介だけど、ムカつくし切っちゃうニャア~!!』
「!!」
怒りに任せて爪を向けてくる。後ろに倒れこんで爪を避けるが、この距離ではうまく避けきれなかった。足首にかすってしまう。
「いって…!!」
血が滲んでくる。一瞬だが確実に足が止まった。
『ニャハハ!もう逃げられないニャア!!』
妖精猫はそれを見逃さず、前足を思いっきり振りかぶる。包丁よりも大きな爪が振り下ろされた。腕を前に出して目を瞑る。
(フィン…!!)
とっさに心の中でフィンの名前を呼んでいた。
ズブリ
突き刺さる嫌な音と同時に、暗い館内に血の匂いが充満した。恐る恐る目を開ける。
「…!!」
「ハア、ハアっ…、間に合ったか…」
目の前に立つフィンが妖精猫の爪を腕で受け止めていた。爪は肉を裂いて骨にまで到達している。おかげで斬撃が止まったようだが、割かれた断面から大量の血が溢れた。
「フィン!!」
『ニャニャア?!!お前!籠の鳥だニャ!?なんでここにっ』
妖精猫がフィンの顔をみて慌てている。フィンはそれに答える事はなく
ぐぐっ
爪が食い込んだ状態で拳を握りしめる。隆起した筋肉が爪を固定させ妖精猫本体の動きを封じた。
「お前、ライを殺そうとしたな」
『アチチチチ!やめっ!!熱いニャー!!』
フィンの体から熱気が放たれる。爪から直接熱が伝わるのか妖精猫は悲鳴を上げた。体を捩るようにして暴れている。
『待って!待つニャ!ちょっと引っ掻いただけニャ!!殺そうとなんてしてないニャア!!』
「妖精猫は嘘つきが多いと聞く」
『そんなことないニャ!!もうしないニャア!』
「本当か?“逃げ足は竜よりも素早い"と有名な妖精猫だろう?しかもお前、昼間水族館に侵入しただろう。そんな迷惑な幻獣はここで殺しておいた方が世のためになる。そうは思わないか?」
冷たい笑みを浮かべながら妖精猫を見下ろした。妖精猫は縮み上がる。
『ひいいいいい!もう二度としないニャ!魚も水族館からはとらない!人間界で悪さしないからゆるしてニャーーっ』
妖精猫は泣きながら煙のように消えた。あっという間に気配が遠ざかっていく。本当に逃げ足は立派だなと放心していると声をかけられた。
「ライ、大丈夫か?足から血が出てる…止血しないと…!」
俺の足首を見て心配そうにしていた。自分の腕から大量に血を垂らしながら言う台詞じゃない。
「あんたの方がよっぽど酷いって。その右腕、肉まで見えてるぞ。すぐに消毒…いや、縫わねえと」
「この程度気にしなくていい。死にはしない」
「いや気にするだろ普通に」
不死身といっても傷は傷だ。傷があれば手当てする。当然の流れだ。
ビリッ
足首を切りつけられた時に破れたズボンを引きちぎる。形を整えてから傷口に巻きつけた。
「本当は水で洗いたいけどこれで勘弁してくれ」
「…ありがとう。傷を手当てされるなんて、いつぶりだろう」
フィンが感動していた。不死身の体だから傷ができても放置されていたのだろうか。そうだとしたら胸くそ悪い環境だが。
「って、傷で思い出した…!!」
慌てて振り返った。そこには、水槽から飛び出たベニクラゲの姿があった。ピクリとも動かない。
「…!!」
人魚の鱗を取り出して持っていく。バラバラになったベニクラゲの残骸は鱗をかざしても沈黙していた。当たり前だ。
(もうベニクラゲは…死んでる…)
いくら不老不死のクラゲといってもそれは水の中での話だ。水の外に飛び出し、体も切り刻まれた状態で生きられるわけがない。
「ライ、鱗がもう…」
「!」
鱗の方も美しいエメラルドグリーンから白っぽい淡緑に色褪せていた。悔しいが時間切れらしい。拳を握りしめる。
「くそっ…!俺のせいだ…俺がここに逃げ込んだせいでベニクラゲが…!!」
「ライのせいではない。ベニクラゲはトラックに運ばれる所だったのだろう。どちらにせよ妖精猫と出くわしていたはず」
「だとしても…俺がいなかったら…標的にはならなかったかもしれないっ」
シーンとした静けさが俺たちを包み込む。
カツ、カツ、カツ
廊下の奥から足音が聞こえてきた。二人分の足音だ。見れば、半魚人と海野の姿だった。
「あ!お客様?!」
海野は俺たちに気付くと早足で駆け寄ってくる。
「昼間のお客様じゃないですか…!どうしてここに!」
「えっ、と…」
「しかもそちらのお連れ様はご家族の方ですか?」
一瞬フィンの事かと思ったが、昼間にフィンの事を見ているはず。あえて「ご家族の方」と聞くのは違和感がある。不思議に思って確認すると
「!!」
肩で切り揃えられた銀髪の子供が俺の後ろに立っていた。透き通るような白い肌をした美しい子供だった。
「なっ…誰だ…!!?」
白地に赤い模様が入った服で既視感を感じる。
(白に赤って…まさか…!?)
ベニクラゲが落ちていた場所を確認した。そこには水溜まりがあるだけで何もいなかった。ベニクラゲも人魚の鱗もない。
(まさか…)
俺は信じられない気持ちで見つめた。子供は自分の手をボーッと眺めたあと喉を触って口をパクパクさせた。そして一歩、前に踏み出す。
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2年間の闘病生活に一区切りし、久しぶりに高校に通うことになった。けど、誰も俺の事を元アイドルだとは思わない。薬で細くなった手足。そんな細身の体にアンバランスなムーンフェイス(薬の副作用で顔だけが大きくなる事)
。
誰も俺に気付いてはくれない。そう。
2年間、連絡をくれ続け、俺が無視してきた彼女さえも。
もう、全部どうでもよく感じた。
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