牧師に飼われた悪魔様

リナ

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第四章「吸血鬼の棲む城」

ハーフバンパイア

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「えっ、エスどうし...うわあっ!!!」

 何かを言うより早く、腰に手を回され抱きかかえられる。そのままエスは足に力を込め、飛び上がった。

 だんっ

 高く飛び上がったエスは俺を抱えたまま、楽々と建物の屋根に着地する。

「ルト!!!」

 下の方でデルタが俺の名前を叫んだ。振り返ろうとしたが

「デル、っうわっ!!」

 エスがすごい勢いで走り出す。俺は振り落とされないようエスのパーカーにしがみついた。その時改めてエスの服が血だらけだということに気がつく。

「ちょっエス!血が」

 その血はお前のものなのか?それとも・・・

「エス!聞いてるのか?!」
「。。。」

 エスはがむしゃらに走り続けていて足を止める気配はない。

「おい!エス??」

 俺の言葉に一切の反応を見せないので、聞こえてないんじゃないかと不安になった。

 たんっ

 事件現場からかなり離れた場所でエスは立ち止まり、俺を抱える腕の力を抜いた。急のことだったので何も対処できず腰から屋根に落っこちた。痛い。

「いって、なにすんだ!!って、え・・・??!」
「。。。」

 目の前に、真っ赤に染まった瞳が二つ並んでいた。一瞬ザクかと思ったが、ザクは左目に眼帯をしているから二つ並ぶわけがない。

「え・・・エス、なのか・・・?」

 走ってる時にフードが脱げたようで、今は顔全体がはっきり見える。その...変わり果てた凶暴な顔が。血走った瞳、伸びた牙。色白な肌のせいでその変化はやけに映えている。不気味で恐ろしい姿だが、何故か美しささえも感じさせた。

(これじゃまるで…吸血鬼だ…)

 あまりの緊張感に、息を止めたままエスを見つめる。すると、エスが俺の肩を掴み、恐ろしく尖った牙を見せながら口を近づけてくる。

(まさか!!)

「やめろ!エス!」
「。。。」
「俺だ!ルトだ!」
「。。。。。」
「俺はお前に危害を加えるつもりはない!!だから、だから・・・怖がらなくていいんだ!エス!!」

 自分の方が危険な状況だっていうのに、俺は「怖がらなくていい」と叫んでいた。なんでなのかはわからないが、今のエスはとても怯えてるように見えたのだ。

「。。。っ」

 俺の言葉が届いたのかエスの瞳に薄く金色が差し込む。牙はそのままだが、肩から顔を離し、静かに俺を見つめてきた。

「。。。ル、ト?」
「ああ、俺だよ」
「すまな、い。。。」
「...」

 どうやら正気に戻ったようだ。真っ赤な瞳は美しい金色に変化している。

「エス・・・」

 目の前にはいつもの、俺が知っているぶっきらぼうなエスがいて・・・とても安心した。

(よかった・・・)

 それから少し間をおいて、俺は気になっていたことを聞いてみた。

「エスは・・・吸血鬼なのか?」

 今は瞳も牙も戻ってるが、さっきのエスの様子は完全に人のそれとは逸脱していた。

「。。。」

 答えを迷ってるのか言いにくいのか、エスの口からその言葉を聞くまでに結構な時間がかかった。

「オレは、ハーフなんだ...バンパイアと人との」
「!!」
「ごめん」

 何に対して謝ったのかわからないが、辛そうに呟いていた。

(ハーフバンパイア・・・)

 吸血鬼の有無すら半信半疑だったのに、まさかエスが吸血鬼の仲間だったなんて。

「・・・」

 興味本位で立ち入るべきじゃない事はわかっていたが、ここで聞かなければ・・・エスの事を知る事はできなくなるだろう。

「エスは、あの城に住んでるのか?」
「家出したから違う」
「はは、なんだそれ...」

 拗ねたように家出といったその姿はエスの年相応の反応が見れた気がして、少し微笑ましかった。

「あのさ。ハーフって、その・・・何がどう違うんだ?」

 普通の吸血鬼とどう違うのか。

「体の造りは純血と同じだ。違う所は年のとり方と吸血衝動の度合いだ」
「年のとり方・・・ちなみにエスって今いくつなんだ?」
「34ぐらい」

 結構おっさんじゃん!!!と、心で叫んだのは内緒にしておこう。こんな美青年でアラサーは詐欺である。

「年のとり方はまだいい。少し早めに死ぬだけだからな。だが、吸血衝動は。。。」
「純血の人たちより酷いのか・・・?」
「ああ、渇いた時の衝動はより酷い。足らなくなれば簡単に我を失う。さっきのオレがいい例だ」
「あ、...」

 無理矢理ここまで連れ去られてきた事を思い出す。そうだった。俺、襲われかけてたんだ。

「本当にすまなかった」
「えっ…あー、いや、未遂だったし」
「。。。」

 そりゃ怖かったけど、シータやザクに何度も襲われて麻痺しているのか...それほど恐怖を感じなかった。

(エスだからってこともあるかもしれないけど)

 何ともいえぬ気まずさに、お互い黙り込む。

「「……」」
「あの、さ、エス」
「。。。?」
「吸血衝動があるってことは、エスも血を吸わないと死ぬのか?」
「死にはしない。飲まないと自制心が弱まっていくだけだ。自制心が弱まりきると、さっきみたいに我を失って襲う」
「...じゃあ、最近の事件って、まさかだけど…エス」
「信じられないと思うがオレじゃない。さっきは偶然居合わせただけだ。」

 はっきりと断言するエス。

「じゃあ城の誰かが?」
「いや、城にいる奴らも違うと思う。奴らは毎日浴びるほど血を飲んでるから精神が保てているはずだ。血の入手についても、専門の業者を城に呼んでいるから、街にわざわざおりてくる必要がない。」
「そ、っか」

 安心した。あんな無残な姿にしたのがお前じゃなくて。

「だが、城の奴らが関係してるのは確かだ」
「えっ」

 今、純血は犯人じゃないと言ったのにどういうことだ。エスは前髪をかきあげ首にかいた汗をふいた。何故かエスは走っているわけでもないのに息を荒げており、何かに耐えるようにじっと床を睨んでいる。

(様子がおかしい・・・?)

 だが話の先が気になるのも確かなので、問いただすことは後回しにしておいた。

「オレが家出したから、なんとかして引き戻そうとしてるんだと思う。事件の話を大きくしてオレの居場所をなくし追い込むつもりなんだ」

 確かに、エスは事件のせいで教会を追い出された。エスそっくりの目撃情報も今じゃ街のほとんどの人が知ってるに違いない。これも全てエスを追い込むためだったのか。

「さっきも匿名で呼び出されたかと思ったら、目の前で殺される場面に出くわして...そこから意識が途絶えた」
「...その血は返り血だったのか」
「ああ、最悪だ。クラクラする。でもどこへ行っても事件に出くわしてしまうんだ」
「エス…」
「情報操作までして、オレをあぶりだそうとしている。あの頑固ジジイ...」
「ジジイって...え、もしかしてエスって、あの伯爵と知り合いだったりする・・・のか???」
「知り合いもなにも、祖父だ」
「えっ!!!!じゃあエス・・・最終的にはあの城の伯爵に」
「ならない」

 嫌そうな顔で否定する。何故だかそれにとても安心した。

「ルト、何にやけてるんだ」
「い!いやなにも!」
「...オレは、血が嫌いだ」
「?」
「血は、あれほど高貴で賢い人まで狂わせる」
「??」

 誰のことを指してるのかわからないが、話の流れ的に多分伯爵のことだろう。それとも城に住む吸血鬼全てに対してだろうか。どちらにしろエスは“吸血鬼”ではなく“血”に対して嫌悪を抱いてるようだ。それがまたエスらしい。

「おじいさんが、大事なんだな」
「っ。。。嫌いでは、ない。血の亡者とは思うが。」
「亡者って」

 耐え切れず、くすっと笑みをこぼす。そんな俺の様子をエスは苦しそうに見つめて、ごくりと喉を鳴らした。

「。。。そして、やはり、オレにもその血は流れてるようだ」

 その台詞と共に、エスの瞳の色が変わる。

「!!」

 美しい金から、どろりとした血のような赤色へ。

「もう、限界だ」
「エス?」

 エスはハアハアと息を荒げて苦しそうにしている。

「エス!どこか苦しいのか?」
「――来るなっ!」

 どん!

「わっ!」

 しゃがみこむエスに駆け寄ろうとして、突き放される。尻餅をついた姿勢のままエスの方を見た。

「っぐ・・・うううっ」

 どんどん牙が、瞳が変わっていく。流石の俺も、ここまで見たらわかった。

(エスが吸血鬼になりかけてる・・・!)

 血が足りないと我を失って人間を襲ってしまう。そうエスは言っていた。

(俺も、このままここにいたら襲われる・・・??)

「っ!!」

 だめだ!このまま俺が襲われたら、エスを傷つけてしまう。

(エスは優しいから・・・俺を襲った自分を許せなくなる)

 自分自身を憎んでしまうかもしれない。

(・・・そんなのだめだ!)

 逃げないと!

 ッダ!!

 走りだそうと足を前に出す。後はこのまま振り返らず進むだけでいい。ただそれだけなのに、

「行くな…」

 エスが本当に小さな声で呟いた。

(エス・・・!)

 堪らず、振り返る。

「ルト。。。」

 うずくまったエスがこっちを見上げてる。寂しそうに、モノ欲しげに。

「・・・っ・・・!」

 知らず知らず息を止めていた。前に出しかけていた足も止めて、エスの赤い瞳に魅入る。その寂しげな瞳に手を伸ばしかけた、そのとき

 ッガ!!

 真っ赤に染まったエスが俺に覆いかぶさってきた。

「うわっ!?」

 俺はあまりの勢いに抵抗できず屋根の上に倒れこむ。背中を強く打ち、痺れるような痛みが広がった。そして。

 ガブッッ!!!

 間髪いれず、鎖骨近くの肌に噛み付かれる。

「いっっ...ああっ・・・!!!」

 激痛が体を駆け抜けた。とっさに腕を伸ばし牙を押し退けようとするが、エスの牙は肌に深く食い込み離そうとしない。

「あああっ、いっ!やめ、エス!!」

 必死に叫び、やっとエスが顔を上げた。けれど、そこには俺が思い描いていたエスの姿はなく、嘲笑を浮かべた顔があるだけだった。

「甘いな。あんな言葉で足を止めるなんて」

 エスとは思えぬ冷たい声が降ってきた。

「くっ…エ、ス!やめろ!」

 それでも俺は願いを込めてエスの名前を叫ぶ。

 ぴちゃぴちゃ

 エスは美味しそうに喉を鳴らして、傷口から溢れてくる血を舐め続ける。たまに吸い上げてきてその度にガクガクと体が震えた。

「っく、ううっ…あ、うっ、いっ」
「悪いな、噛み慣れてないから痛いだろう。だがもうすぐ毒がきいてくるはずだ。少しの間我慢しろ」
「ど、く?!」
「ああ、死ぬ毒じゃない。麻痺させるだけだ。」

 エスの口から恐ろしい言葉がでてくる。口元を真っ赤に染め、瞳をギラギラと獣のように光らせて・・・

(怖い)

 今のエスは本に出てくる吸血鬼そのものだった。

「ああ、お前の血は最高だな・・・干乾びるまで飲んでしまいそうだ」

 恍惚の表情を浮かべ、舌なめずりをする。

(...こんなの、エスじゃない)

 全身から汗が噴き出し、恐怖と緊張から過呼吸になった。喘ぐように呼吸を繰り返しながら、助けを呼ぼうと口を開ける。

(誰か)

 誰でもいい。助けてくれ。

「諦めろ、助けなどこない、こんな場所に人間など通らない」

 屋根の上を見回したエスが優しく囁いてくる。言い方は丁寧でもその囁きの内容は残酷なものだった。優しくされてるはずなのに体には激痛が走る。それがとても混乱した。

「さて」

 もう一度、とエスが俺の首に口を近づけてきた。ひくっと肩が震える。限界だった。俺は何を考えるより先に叫んでいた。あいつの名前を。

「いやだっ・・・く、ザクーーっ!!!」

 無駄だとわかっていても、叫ばずにはいられなかった。酸欠な状態で叫んだため、クラリと眩暈を起こして屋根に倒れこむ。エスが膝をついて顔を覗き込んできた。

「怖いのか、大丈夫だ、痛いのは今だけだ」
「ーっやだっ・・・いやだ!!やめろ!」

 優しく抱きしめられる。血に染まった口で口付けられ、俺の口元が真っ赤に染まっていく。

(いやだっ・・・嫌だ!!)

 いっそ気絶しまえたらと思ったときだった。

 ビュウっ・・・!!

 ひときわ強い風が吹き抜けた。それと共に誰かの声が聞こえてくる。


「ーーっルト!!!」


 それは聞きなれた、そして・・・待ち望んでいたあいつの声だった。

「ザク…っ!」

 燃え盛るような赤い髪をたなびかせ、アイツは屋根の上を起用に駆け抜ける。そしてそのまま、減速することなく突っ込んできた。

 ッガ!!!

 ザクの拳がエスの腹を捉える。

「っぐう」

 吹っ飛ばされたエスの体は、ごろごろと屋根の上を転がっていった。

「大丈夫か、ルト!」

 ザクはエスから目を離さず声をかけてくる。俺に背を向けたまま案じてくる声にはいつもの余裕がない。俺は突然の事で、ただ頷くことしかできなかった。

「くく。。。」

 エスが何事もなかったかのように起き上がる。

「お前悪魔のくせに牧師を助けるのか」
「けけ、俺様は多趣味なんだよ」

 そこで俺は気付いた。ザクの様子がおかしい事に。

(・・・?)

 笑ってるのに、目が全然笑ってない。

(ザク・・・怒ってるのか?)

 本気で怒ってるザクなんて初めて見た。ザクはちらっと俺の体を見てくる。

「よくもこんなにしやがって...ぜってえ許さねえ」

 まさか。

(俺のために・・・怒ってくれているのか?)

 あのザクが。いつも飄々としていて掴みどころのないあの悪魔が。

(俺の事を心配してくれてる・・・?)

 ドキドキと胸が高鳴った。

「こいつを苛めていいのは俺様だけなんだからな!」
「・・・・・・・・」

 高鳴っていた胸が一気に冷え切る。残念だ、本当に残念だ。一瞬本気で感動しかけたのに。

「ははっ」

 馬鹿にするようにエスが笑う。

「ふん、だったらどうする。オレは食事の途中だ。邪魔者にはさっさと消えてもらおうか」
「いい度胸だ、俺様の恐ろしさを思う存分味わわせてやるぜ」
「お、おい二人共...」

 ボキボキと指を鳴らし、互いの距離を詰めていく二人。俺は片方の背中に声をかけた。

「ザク!ここは逃げよう」
「はあ?!」
「エスを傷つけたくない!」

 ザクと戦えば、少なくとも無事ではいられないだろう。先ほどの、ザクに殴られても平気そうだった所を見ると吸血鬼化してるときのエスは普段より体が頑丈になっているようだが、やはりエスとザクが傷つきあうのは見たくない。

「ここは逃げよう!」
「なっ・・・だけどよ、こいつ、放っておいたらお前以外を襲うぞ??」
「たぶん大丈夫、俺のを結構飲んでるから...」

 ある程度血を飲んだ今の状態なら、血だらけの俺さえいなくなればまた正気に戻れるはず。

 ぴくり

 ザクの額に血管が浮かぶ。ドス黒いオーラを漂わせてエスを睨みつけた。

「やっぱダメだ、許せねえ」
「ザク!!」

 表情を硬くしたザクがエスの方に向き直る。エスはザクを威嚇すように口元の血を舌で舐めとる仕草をする。

「このっ」

 煽られたザクが一歩踏み出した。俺は縋りつくように、ザクのコートの裾を掴んで引き止める。

「だめだってば!ザク!」
「安心しろ・・・殺しゃしねえよ」
「そんな顔してる奴の言葉なんか信じられるか!」

 今のお前、悪魔を通り越して魔王レベルの凶悪な顔をしているぞ。

「そりゃそうだろ」

 俺の首元の血を指でぬぐいながら低く唸る。

「これでケラケラ笑ってられるかよ」
「ザク・・・」
「ま、見とけ、ある程度痛めつけたら拘束する。それ以上はしねえ」
「拘束?殺さないんだな?」
「そうだ、んで、正気に戻ったら虐め倒す」
「はあ…もうそれでいいから、なるべく傷つけないで戦ってくれ」
「任せろ」

 ザクは殺気を放ちながらエスに近寄る。大丈夫かなと不安を抱きながら俺は少し遠くの場所まで移動して二人を見守った。

「話は終わったか、悪魔」
「おう、ばっちりだぜ」
「ふん」

 エスが馬鹿にしたように笑い、月を見上げた。

「・・・」

 雲で月明かりが消えたその時、二つの影がぶつかった。

 ダッ

 ザクの首元に噛み付こうとするエス。その攻撃をかわし、ザクは無防備になったエスの腹を蹴ろうと足を上げる。けれどザクの足は空を切っただけだった。エスが消えている。

「?!」

 エスはどこに?と辺りを見回した瞬間、頭上から黒い塊が落ちてきた。

「えっ」

 俺の首に何かが突き立てられる。目だけ動かし確認してみれば、エスが今にも噛み付こうと口を開けていた。

(なっ・・・)

 一気に体が硬直する。

「ルト!!!」

 血相を変えてザクが俺の方へ駆け寄ってきた。しかし、もう間に合わないのは目に見えている。エスが興奮で真っ赤になった瞳を光らせて笑う。

「お前と遊んでる暇はない、悪魔」

 そう言い、エスは口を大きく開き・・・俺の首を突き破ろうとする。

「ーー!!」

 目を固く閉じて、次の衝撃に耐えた。


『待て』


「?!」

 ビクリとエスの体が揺れる。

(・・・?あれ、まだ噛まれてない?)

 ゆっくりと目を開けると、正面に立つザクの姿が目に入った。でも“それ”は全くザクとはかけ離れたものだった。

(え・・・?)

 牙や爪が獣のように長く、鋭くなっていた。赤髪は腰まで伸び、ひとりでにうねっている。そして一番驚いたのは、左目の眼帯が取れていた事だ。燃え盛るような赤い左目からは黒い靄が溢れている。底なしの闇を覗いてしまったかのようなその瞳に俺とエスは息をするのも忘れて魅入っていた。

(これが...ザクの本当の悪魔の姿?)

 左目から溢れていた靄はザクの全身に巡り、やがてそれは大きな波となって世界に広がっていった。靄に触れた屋根の雑草がしおれていく。

(なんだあの靄!??猛毒の霧!?)

 そんなものがザクの体から、どうして・・・。


『それは、俺様のだ』


 睨まれただけで動けなくなる。その迫力にあてられエスも停止していた。

 すっ

 ふとザクが前に手を伸ばす。

「!!」

 次の瞬間、何かにぶつかったわけでもないに、エスが勢いよく後方へ吹っ飛んでいった。そのまま強く屋根に叩きつけられ、あっけなく気を失う。

「エス!!?!」

 ぴくりともしないエスの顔色は真っ青になっていた。それだけで今の攻撃の壮絶さを物語っている。

『まだだ、まだ足りねえ』
「やっ・・・やめろザク!!」

 これ以上やったらエスが死んでしまう!ザクに駆け寄り、止めに入った。

「ザク!もういい!」

 腕を広げエスへの道を塞ぐ。

『・・・』

 両目で見下ろされ、ドキリとする。眼帯をとった姿を見たのは二度目だが、あの時とはまた違うレベルで別人に思えた。

(もしかして俺のこともわからないのか?)

 不安になる。このままエスにやったように殴られたら、人間の俺はひとたまりもないだろう。

(・・・それでも、引くわけには、いかない)

 俺が引いたらザクはエスの所に行くだろう。そして・・・。

(エスを見殺しにはできない)

 しかもそれがザクの手によるものだなんて絶対嫌だ。震える体を叱咤してザクの前に立ち塞がる。

『。。。』

 ザクは、俺を長い間見つめていたと思えば、ゆっくりと手をおろした。そして前髪をかきあげる。

「はあ...わり、やりすぎた」

 靄が消え、冷たい表情も引っ込んでいた。

(も、元に戻った・・・?)

 ホッと安心した事で、体中から力が抜け、ぺたんと屋根の上に座り込んでしまう。

「っ・・・このっ・・・ばかっ!!」

 安心して叫んだ瞬間、首元からドクっと何かがこぼれた。

「ひでー出血だぞ、ルト」

 ザクはそう言いながら眼帯をはめ、鋭く長い爪で自分の髪を切っていく。さっきより少し短い所まで切ったところで、エスの体を蛇で拘束し始めた。(また例の悪魔の能力で蛇を取り出してる)

「エスに思いっきり噛まれて…今は毒で麻痺してて痛くないけど」

 出血はすごいが、傷は大きくない。エスの歯型が俺の肌にくっきりと残っているだけだった。それを見たザクはため息をつき、俺の目の前に座り込んだ。

「またお前は..」

 ザクが口を開け肩に顔を近づける。

「俺のせいじゃ..んっ・・・え?!」

 熱いザクの舌が、今も血を溢れさせる傷跡に触れてきた。

 ぴちゃぴちゃ...

 ゆっくりと舐めてくる。呼吸するたびに、熱い吐息が首を撫でてきて体がゾクリと震えた。

「?!ちょ、ま!!」
「俺様の唾液には色々と効力があるんだ、大人しくしてろ」
「いや、そう言われても!」

 この傷はそんな舐められたぐらいで治るようなものじゃないから!って叫ぼうとしたが、急に傷跡がむずむずとしてきた。見てみるともう血が止まってる。

「え!!」
「あのヘンタイ博士に刺された時もこうやって治したんだぜ?」
「な、なるほど...」

 この治癒力があったからあんなに早く俺の所に助けに来れたのか。

「よし、こんなもんか」
「!..すご...」

 信じられない気持ちで傷跡を撫でる。もうほとんど塞がっていた。ザクはぺろりと唇についた血を舐め取り、立ち上がった。そして流れるように俺を抱きかかえ(今日はよく抱きかかえられるな...)気を失ったエスを肩にのせる。

「うっし、帰るぞ」
「あ、ああ...ってわああああ」

 ザクは一度屈伸をしたかと思うと、風景が霞むレベルの速さで走り出した。叫んでいたら舌をかんでしまいそうだったので手で自分の口を塞いだ。エスに連れ去られたときと同じ道を使い戻っていく。

 たたたっ

 さっきと同じ場所を走ってるのに、気持ちが全然違う。怖くない。

(ザクの赤い髪を見つめてるだけで・・・不思議なぐらい安心するなんて)

 俺、疲れてんのかな。緊張が解けたルトは、程よい揺れを感じながら意識を手放した。
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