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日陰者は高嶺の花に憧れる
しおりを挟む「やーい、鱗人間ー!」
少年――ズズははっと我に返った。
箱に座っている彼の事を、おそらく近所の子どもなのだと思われる、小綺麗な格好をした少年達がいつの間にか取り囲んでいた。
少し距離を開けているのは、ズズが異形の姿をしていて気味が悪いからだろう。
彼らは綺麗なすべすべの肌に清潔で新しい服をまとっていた。一方ズズは、所々虹色に光る鱗がくっついている奇妙な肌に、ボロ雑巾同然の布きれをまとっていた。
「……おはよう?」
少し間を置いてからぼんやり答えたズズを指差して、子ども達は騒ぎ立てる。
「貧民街の薄汚いドブネズミが、ここに何の用だよう!」
「動物が人間のふりをしてらぁ!」
「くせー、くせー!」
鼻をつまんで騒ぐ彼らをズズはじっと見つめてから、くんくん、と自分の腕の辺りを嗅いでみた。
(……見た目はともかく。悪臭はしないと思うんだけどなあ)
ズズの母親は娼婦だ。不潔は天敵である。ズズは飯にありつけない日でも身体を洗うことは求められた。
「汚いと客は寄りつかない、病気は広がる、何もいいことがないんだよ!」
なんて言いながら息子をよくごしごし乱暴にこすった母親は、基本的には放任主義だった。ズズを積極的に守りもしないが、止めもしない。たまに綺麗な服を着せて待っている客の相手をさせるなど、仕事を手伝わせることもあった。
母親の客層が比較的お上品だったのと、ズズ自身の見た目の得体の知れなさのせいか、こういう境遇の子どもにありがちな悲劇は幸いにも彼を襲わなかった。
母親も富裕街の人間達と同じようなすべすべの肌を持っている。鱗なんかどこにも見当たらない。
ズズのような見た目をしている存在は半人、と呼ばれるのだそうだ。異種族との混血児である。
「それにしてもあんたは珍しい見た目だけどねえ。蛇人かなあ? そんなお客、孕んだあたりに取った覚えはないんだけどねえ」
なんて母も首を傾げていた。
今にしてみれば、父親も種族もわからない子どもを、面白そうだからという理由で生んで適当に育てていた母は、なかなかおかしな人間だったように思える。
――ともかく。
当時まだ十歳だった娼婦の息子で半人のズズは、あるときから貧民街を抜け出して、富裕街に遊びに行く癖を持つようになった。
富裕街はお金持ちの人間達の済む場所である。みすぼらしい格好をした半人は当然よく目立つ。大人達は顔をしかめて無視をしただけだったが、子ども達は大抵このように集まって徒党を組んでは異分子を追い出しにかかろうとした。
「出て行け! ここはお前の来るところなんかじゃないんだ!」
ズズはひらりと箱から飛び降り、踵を返した。
距離を保ったまま、あちらが石を投げてきたからだ。
育ちの良く平和な世界に生きている彼らは知りようもなかろうが、投石は危険な行為であり、一生ものの怪我を負ったり、死に至ったりする可能性だってあり得る。
悪口を浴びせかけられるだけなら、ズズは「へえそうか、世の中にはそんな罵り言葉があるのか」なんてぼーっとしながらやり過ごせるが、手足等、暴力が出るとなれば速やかに撤退するしかない。
背後で彼らが勝どきを上げている。ズズはちらっと最後に未練がましく一瞬だけ振り返ったが、随分長い間見つめていた窓はこの時間になっても開こうとしなかった。
(ヴィヴィ、今日は窓を開けなかったな。いい天気なのに)
残念に思いながら、次はいつ来よう、どうやってあの悪ガキ共の邪魔をかわそう、と考える。
ズズが富裕街に暇があればやってきたのは、一際大きな屋敷に囲われている箱入りのご令嬢――ヴィヴィアンヌ=カストレードの姿を見るためだったのだから。
カストレードはいわゆる成金だった。ズズの育った港町では、その当時小さな島を買って一山当てるアイランド・ドリームが流行っていた。カストレードは最も成功したアイランド・ドリーマーと言って差し支えなかったかもしれない。元は貧民街の靴磨きだったらしい男がなけなしの金でひなびた小島を買い、そこから魔石が溢れるほど採掘されて売れるとこぞって続こうとする者が現れた。
ヴィヴィアンヌはカストレードの一人娘だった。邸宅に転がる幾多の美術品同様、金で引っ張ってこられたカストレードの奥方は金髪碧眼、真っ白な肌を持つ美女だった。ヴィヴィアンヌは母親似の娘、まだあどけない子どもの頃からさらに美しかった。両親が惜しみなく色んな所にその美貌を見せびらかして回ったので、それなりに有名人だった。
ズズは母親からそのヴィヴィアンヌの名前を知った。
「はあー、この子あんたと同い年なんだってさ、ズズ。ていうか誕生日も一緒。奇遇だねえ」
母は煙草を吹かしながら客の置いていった新聞を見ていたようだ。ズズも声をかけられて興味を惹かれたので覗き込む。
ズズは文字が読めた。母親は彼のやりたいことを特に禁止しようとしなかったし、客達が面白がって教えてくれたおかげだ。ズズが記事を目で追うと、カストレードが一人娘のために盛大なパーティーを開いた、という内容だった。別世界の様子を暫く文字で眺めていたが、ふと横の写真、生意気そうな微笑みを浮かべる主役に目を奪われた。
こんなに可愛い人間が実在しているのか。ズズは驚いた。貧民街とは言えズズの育った家は高級娼館、母親だって結構売れっ子の娼婦、美人は見慣れている。それなのに、写真でもすぐにわかった。この子は格が違う。元の整い方が尋常ではないのだ。
早速丁寧に切り抜いて、この子のことについて教えてほしい、と聞いて回ると、大人達はちょっと呆れた顔をしつつ、ニヤニヤ含み笑いを浮かべて快く応じてくれた。ズズが靴磨きだとか水くみだとか、ちょっとしたオプションをつけたのも効果的だったのだろう。
最終的にはそれなりに遠い富裕街までの道を、馬車に乗せてくれる人まで現れた。ズズは大きな怪我も病気もしたことがなく、頑丈で持久力があり、癇癪を起こして泣きわめくようなこともなく、言われた事をきちんと守る少年だった。その上、無垢なだけでなくちゃんと付き合える相手を判別できる子どもだった。彼の少年時代はかなり人に恵まれていたと後にして思う。
ともあれ、ヴィヴィアンヌの自宅を早速突き止めた少年は、広い邸宅を塀の外からぼんやり見つめている時、ちょうど二階の窓が開いたところに出くわした。
ああ、それがまさに! 写真の中の少女が、両手で窓を開け、真っ青な空に向かって気持ちよさそうに目を細めていた。
金色の髪。青い目。白い肌。上品なドレスに身を包んだ美少女は遙か彼方、高見から下界には目もくれなかった。
ズズはその姿に心を奪われた。身体がかっと熱を帯びたのを覚えている。
ヴィヴィアンヌは頬杖をついて鼻歌を歌っていたようだが、間もなく呼ばれたらしく、すぐに引っ込んでしまった。
ズズは残念に思ったが、写真の中の人物が実在していて、しかも頑張れば通える距離に家もあるのだから、後は自分が足を動かせばいいのだとすぐ前向きに考え直した。
この時の彼は、全く大それた事なんて企んでいなかった。ただただ純粋に、綺麗な女の子が見たくて通い詰めていたのである。
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