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62歳女
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今日の朝は昨日の残り物の煮物と食パン、何か足らないので昨日食べなかったコンビニのサラダスパゲティを食卓に出した。アンバランスだが夫は何も言わずに黙々食べている。
あと2年で結婚40年になってしまう。出会ったときはバブル期真っ只中、もう少しで学校の教科書に載る時代ではないだろうか。もう載っているのかもしれない。それだけ長い時間を眼の前で煮物、パン、サラダスパゲティ、パン、煮物、サラダスパゲティ、サラダスパゲティ、パン、煮物、お茶と文字通り三角食べをしている男を見ながらいつも考えてしまう。もはや唯一かもしれない尊敬できる箇所だ。いわば彼のハイライトな部分を朝の7時台に見てしまって良いのだろうか。彼の尊敬曲線は夜まで下降の一途になってしまう。その曲線に反比例して私の残念指数が増えていく。いつの頃からなのだろう、一人娘が就職してから、こんな考えが私の中の大部分を占めるようになってきた。
夫は私より3つ年上の65歳。退職する前はずっと会社で経理をしていた。そう聞いて、想像する人物像そのもので、髪は七三、最近は六四になりつつあるが。四角い眼鏡をしていて、もちろん黒縁だ。60歳で定年してからは、年に数回、二人で旅行をしている。それなりに楽しいけれど、家に帰ってくると例の残念指数が増えていく。旅行でリセットされている形だ。この残念指数はなんだろう。世の中で言うような、「家のことは全くしてくれない」「感謝をしてくれない」「おならが臭い」があるが、こんなものはとっくの昔からなので、今に始まったことではない。もう40年に到達するかもしれない生活の中で娘が生活の中にいた頃は楽しいとか、幸せとかを感じていたが今はそれがない。
やっぱりそうだった、娘が自立したためなのか。世間一般ど真ん中の理由だ。今まで平々凡々な生活を送ってきたが、離婚理由までも平平凡凡な理由になってしまいそう。気づいてしまったからにはそれはそれで悔しい。
今日は資源ごみの日だった、私の住んでいる地域は当番制で、朝の時間にゴミのかごの準備をする。私の家やご近所の家は、私達と同年代が多いので、朝の時間の準備など容易だが、現役世代はそいはいかないだろう。ついこの間も3件隣の小さな子供が1人いる若い夫婦が当番だった。去年引っ越してきて、旦那さんは近くのパン工場に努めていて、一昨日は商品にできないものなのか、イチゴのジャムぱんを数個近所に配っていた。そのパンは昨日の朝に食卓に出したが、2日続けて今日も同じものというのは、バランスが納得行かないため明日の朝に出そうと思う。
朝7時までを目安に、かごの準備をしなければならなく、私もたまに行うのだが、夜のうちに準備をしてしまう。ただ、風で飛ばされるかもしれないので、大きな石や、ブロックをかごの底に設置する。ゴミ捨て場には石とブロックが2つずつあり、石に至っては長年に渡り人々の手に触れられたことで、とても艷やかな輝きを放つまでになっている。まるで、持ち上げると寿命が伸びるとされる有り難い石のように。
若い夫婦は、その有り難い石をかごの底に設置しなかったようだ。その日の朝は酷く風が強いせいで、ペットボトル用のかごが飛ばされてしまった。と言っても、数メートル先の電柱に引っかかっていたので気づいた人が直せばいいだけで、それほど困るものでもなかった。しかし、どうでもいいことをブツブツいつまでも話す、ガスコンロの油汚れのような人が私の班にいる。
その人は馬場さんといって、2年前まで班長をしていたが、県議会議員と仲がいいらしく、そのせいかこの班、ひいてはこの自治会のリーダー気取りなところがある。昔からの家柄で、裏のアパートの土地を持っていたらしい。何かとマウントを取ってくる、どこの自治会にもいるような、リーダーシップがあるように見せかけて自分の主張をしているだけのおばさんだ。私より年上と聞いたことがある。確か夫と同い年だ。婿を取るくらいの家柄なのだから、小さな頃から自分の思うがままに生きてこられたのかもしれない。
その馬場さんなのだが、風で転がったゴミ箱を見るやいなや当番を割り出し、やれ、あの家は若いからちゃんとしないだとか、挨拶もろくにしないとか、今の班長にグチグチ行ったそうで、夫の話だと一週間後の班の集まりでも喋っていたそうだ。
班の集まりのもっぱらの議題は近所の神社のお祭りの話だ。お祭りと言っても出店が出て賑やかなお祭りではなく、4年に一度、神様が地域を回るというものだ。神輿こそ出るが、華やかなものではなく小さなもので、鳳凰がぽつんと乗っているような小さなものだ。重いのは担ぐ棒のみではないかというくらいで、それを担ぐ男衆を決める会合だった。
例に漏れず高齢化が加速する私の班の担ぎ手は、あみだくじで前回に引き続き夫が選出された。地域を練り歩くため、近くのパン工場、ねじ工場、何か薬のようだが作っているものが分からない工場の3工場から寸志が出ている。それと自治会費を合わせて、祭りの当日は各班で出すお酒や団子などの食事になる。薬のようだけど、何かわからないのは少々不気味である。調べればすぐにわかってしまうものなのかもしれないけど、私は敢えて調べないで分からないままにしておきたい。わからないことがあったほうが人生は楽しいのではないかと、この頃考えるようになってきた。明日は、燃えないゴミの日で、我が家では古くなったシステムラックを出す。ここは流石に夫がすべて解体してくれたため不満曲線がしばらく平行を保っていた。
流石にシステムラックは大きいし重いので、夫がゴミ捨て場に持っていってくれた。馬場さんがその様子を見ていたそうで、隣の井上さんに聞いたのだが、朝のごみ捨てもしないで旦那をこき使っているといっていたそうだ。なぜそういう思考になるのだろう、だいぶ狭い価値観の中で生きているようだ。それにしても馬場さんはある意味一貫している。馬場さんは馬場さんなりの立ち位置で世の中に存在しているのかもしれないし、その馬場さんを冷ややかに見ている人もいるし同調しようとする人もいる。どこにでもある構図かもしれないが、負のバランスの近くにいる私達にとっては、いい迷惑である。
もう一週間後にはまつりが始まる。楽しく浮かれる祭りでもないので、それに合わせた訳では無いが、前日に娘が帰ってくるようだ。どうも、最近お付き合いしていた男性と別れた様子で、落ち込んでいるようだった。
パン工場の吉田さんがやってきて、今度はバターロールを持ってきてくれた。詳しくは聞いていないが、ちょっと型崩れしてしまったものや作りすぎたものを処分しているようである。そう言われると、少し凹んでいたり焼きむらがあったりする。このくらいで品質的に駄目になるものだなんてもったいない。吉田さんはそれを布教するために、この区画に家を立てたわけでは99.9パーセント無いわけだろうが、引っ越してきたおかげで私を含めた隣人の方々は食品ロスに対して考える時間を作っている。社会的な問題を近所付き合いの中で、あくまで自然に投げかけてくるあたり、さすがの吉田といったところは大変恐れ入る。この社会的問題の布教活動は人間関係に大変左右されるらしく、もちろんと言っては語弊があるかもしれないが、例のBさんには活動していないらしい。
バターロールの最後はハムとレタスを挟んで頂いた。当然、我が家の真骨頂、アンバランス朝食を忘れてはいない。中華スープと卯の花を添えている。例のごとく、目の前の男は何も言わず三角食べでの完食だ。特に会話のないまま、テレビではパンダが中国に帰るとか帰らないとかの話をしていた。向こうから来た子は帰すんだっけ?こちらで生まれた子は返さなくていいんだっけ?何年で帰すんだっけ?パンダって熊なんだっけ?と、明日の祭りを前に『だっけ祭り』が開催されてしまった。少なくとも午前中は脳内を駆け巡ってしまいそう。そんなとき娘から、お昼食べたらこちらへ向かうと連絡があった。娘は隣の県に住んでいるため、1.5時間ほどで到着するはずだ。
娘がやってきたのは午後3時すぎたところ。社会人になって買った車のバンパーをついこの間擦ってしまったそうだ。手土産には駅前で買ったシュークリームだ。このシュークリーム、この地元では有名で、隣町と合わせると3店舗展開している。作っているのは本店のみで、あとは売っているだけなのだそうだが、本店でしか買わないと豪語する過激派がいたりする。そのお土産を頬張りながら、会社の上司がどうのとか、女子会に来た大して仲良くない子が、娘のことを知ったかぶりしてうざいとか、他愛のない話で時計の針を進めていた。夫はというと、庭先で始めた家庭菜園の雑草抜きで針を進めているが、こちらの針はかなり重い印象だ。
明日は朝から祭りなので、夕飯を早めに済ませる。朝食のアンバランスさには及ばないが他の家と比べれば、中々ガラパゴスだと思う。里芋の煮っころがしを食べた箸で、アヒージョのタコをつまみながら娘が口を開いた。
やはり話題は、この間別れた彼氏の話のようだ。夫は興味のないふりだが、得意の三角食べが緩やかなカーブを描き出しバランス計算もうまく行っていないようだ。それについては前に聞いていて、うちの近くの何を作っているか分からない製薬工場の会社の社員らしい。と言っても東京の本社で、娘の会社が同じビルに入っていたおかげで知り合った。その彼が浮気をしたらしく、そこから芋づる式に疑わしい交際が明るみになったらしい。同時期に彼氏の上司もスキャンダルで飛ばされだそうだ。何か関係があるのだろうか。それとも、あの製薬会社は何か危険な事情をはらんでいるのか。謎が膨らみ不謹慎だがワクワクしてしまった。結婚までお互い意識していたらしく、プロポーズこそ受けていないが、結婚情報誌が二人の愛読書になっていた。まずは同棲かと話が進んでいたらしいが、この話を聞く限りは彼氏のほうに本気度があったのかが疑わしい。
そこでぼそっと、三角から二次曲線を描くようになった箸をそっと置き夫が口を開いた。「あそこの会社、菜の花製薬だっけ。前は食用油を作ってて、俺が小学校のときにおっきなとこと一緒になって、そこから薬作り出したんだよな~。」そうか、菜の花製薬というのか。食用油ならこの名前に納得がいく。中々歴史のあるちゃんとした会社みたい。しかし、長い会社ほど闇が深いということもある。上司のスキャンダルといい、掘り下げれば面白いことが、って、今はそんな話どうでもいいだろう!得意の三角食べも発揮できない今は、残念指数も上昇気流に乗ってそのまま成層圏も突き抜けそうです。
「今は、あの工場で痔の薬作ってて、定年になる間際から使ってんだよ。言ってないかもだけど、えっと~、あっち、あ、イボ痔だ。この頃あまり出ないけど、中々調子良くて愛用してるんだよ」えっ、そんなこと初めて聞いた。知らなかった。もう結婚40年になろうかと言うときまで知らなかった。でも、それはいますべき話なのか?娘が落ち込んでいるときにチョイスする話題ではないだろう。しかも、夕飯をたべている最中でお知りの話とは。
「でも、薬替えなきゃな~。俺の娘を悲しませる男が関わってる会社の薬なんか使ってらんねぇ~よ。」初めて夫の口から、こんな言葉を聞いた。寡黙を絵に書いたような男で、感情を表に出さなかったのに。娘が高校の受験に受かったときだって、おめでとうとか、頑張ったねなんて決して言わなかった。ご飯だって黙々と食べ、『美味しい』も言ってもらったことがない。たまに、感謝の言葉として覚えているのは、テレビのリモコンを渡したときに、「どうもね」と言われたことだけだ。他に感謝の言葉など聞いた試しがない。
この言葉を聞いて、改めてその部分を思い返してみると、夫の行動の中で私が汲み取ってなかっただけなのかもしれない。今回は直接的な言葉だから気づきやすかったが、旅行の時だって、空いた席をすぐに譲ってくれたり、これについては、あの話を聞いた後で、実は痔が出てきていて、座りたくなかったのかもしれないが。趣味でたまに行くパチンコでは、いつも、お菓子を持ってきてくれる。少ない額で打っているはずだし、パチンコというものの特性から、毎回勝てるはずはない。むしろ負けのほうが多いはずだし、大きく勝つはずもないだろう。毎回スーパーで買っているのではないか。だとするとパチンコでもそれほどお金をかけていないことになる。システムラックの解体もそうだが、庭の雑草取りだって、私から要求する前に何も言わないが、率先してやってくれている。定年してから、その行いは増えているようにも感じる。「ありがとう」と言われたことはないが、態度で少しずつ表されていたのかも。私が勝手に尊敬曲線でグラフを取り始めたから、暗に反比例する残念を求めてしまい見えなくなっていただけなのかもしれない。
残念指数でのグラフ化を一旦中止して、生活を仕切り直してみようか。夫が痔であったことも知らなかったのだ。知らないことがまた見つかったし、夫をもうちょっと知りたくなってきた。夫の言葉を聞いて、娘も安心しているようだし。やるじゃないか、黒縁。
次の日は朝から、神輿を担ぎにいく夫を見送った。足袋と法被を身にまとい玄関を出る姿は、ちょっと小太りのおじいさんといった風貌にしか見えないが、私にとってはちょっとかっこよく見えてしまっていた。娘を連れて、午後の予定になっている神社での神輿の奉納を見に行ってみようかなと、アンバランスな朝食を三角食べしながら考えている。
あと2年で結婚40年になってしまう。出会ったときはバブル期真っ只中、もう少しで学校の教科書に載る時代ではないだろうか。もう載っているのかもしれない。それだけ長い時間を眼の前で煮物、パン、サラダスパゲティ、パン、煮物、サラダスパゲティ、サラダスパゲティ、パン、煮物、お茶と文字通り三角食べをしている男を見ながらいつも考えてしまう。もはや唯一かもしれない尊敬できる箇所だ。いわば彼のハイライトな部分を朝の7時台に見てしまって良いのだろうか。彼の尊敬曲線は夜まで下降の一途になってしまう。その曲線に反比例して私の残念指数が増えていく。いつの頃からなのだろう、一人娘が就職してから、こんな考えが私の中の大部分を占めるようになってきた。
夫は私より3つ年上の65歳。退職する前はずっと会社で経理をしていた。そう聞いて、想像する人物像そのもので、髪は七三、最近は六四になりつつあるが。四角い眼鏡をしていて、もちろん黒縁だ。60歳で定年してからは、年に数回、二人で旅行をしている。それなりに楽しいけれど、家に帰ってくると例の残念指数が増えていく。旅行でリセットされている形だ。この残念指数はなんだろう。世の中で言うような、「家のことは全くしてくれない」「感謝をしてくれない」「おならが臭い」があるが、こんなものはとっくの昔からなので、今に始まったことではない。もう40年に到達するかもしれない生活の中で娘が生活の中にいた頃は楽しいとか、幸せとかを感じていたが今はそれがない。
やっぱりそうだった、娘が自立したためなのか。世間一般ど真ん中の理由だ。今まで平々凡々な生活を送ってきたが、離婚理由までも平平凡凡な理由になってしまいそう。気づいてしまったからにはそれはそれで悔しい。
今日は資源ごみの日だった、私の住んでいる地域は当番制で、朝の時間にゴミのかごの準備をする。私の家やご近所の家は、私達と同年代が多いので、朝の時間の準備など容易だが、現役世代はそいはいかないだろう。ついこの間も3件隣の小さな子供が1人いる若い夫婦が当番だった。去年引っ越してきて、旦那さんは近くのパン工場に努めていて、一昨日は商品にできないものなのか、イチゴのジャムぱんを数個近所に配っていた。そのパンは昨日の朝に食卓に出したが、2日続けて今日も同じものというのは、バランスが納得行かないため明日の朝に出そうと思う。
朝7時までを目安に、かごの準備をしなければならなく、私もたまに行うのだが、夜のうちに準備をしてしまう。ただ、風で飛ばされるかもしれないので、大きな石や、ブロックをかごの底に設置する。ゴミ捨て場には石とブロックが2つずつあり、石に至っては長年に渡り人々の手に触れられたことで、とても艷やかな輝きを放つまでになっている。まるで、持ち上げると寿命が伸びるとされる有り難い石のように。
若い夫婦は、その有り難い石をかごの底に設置しなかったようだ。その日の朝は酷く風が強いせいで、ペットボトル用のかごが飛ばされてしまった。と言っても、数メートル先の電柱に引っかかっていたので気づいた人が直せばいいだけで、それほど困るものでもなかった。しかし、どうでもいいことをブツブツいつまでも話す、ガスコンロの油汚れのような人が私の班にいる。
その人は馬場さんといって、2年前まで班長をしていたが、県議会議員と仲がいいらしく、そのせいかこの班、ひいてはこの自治会のリーダー気取りなところがある。昔からの家柄で、裏のアパートの土地を持っていたらしい。何かとマウントを取ってくる、どこの自治会にもいるような、リーダーシップがあるように見せかけて自分の主張をしているだけのおばさんだ。私より年上と聞いたことがある。確か夫と同い年だ。婿を取るくらいの家柄なのだから、小さな頃から自分の思うがままに生きてこられたのかもしれない。
その馬場さんなのだが、風で転がったゴミ箱を見るやいなや当番を割り出し、やれ、あの家は若いからちゃんとしないだとか、挨拶もろくにしないとか、今の班長にグチグチ行ったそうで、夫の話だと一週間後の班の集まりでも喋っていたそうだ。
班の集まりのもっぱらの議題は近所の神社のお祭りの話だ。お祭りと言っても出店が出て賑やかなお祭りではなく、4年に一度、神様が地域を回るというものだ。神輿こそ出るが、華やかなものではなく小さなもので、鳳凰がぽつんと乗っているような小さなものだ。重いのは担ぐ棒のみではないかというくらいで、それを担ぐ男衆を決める会合だった。
例に漏れず高齢化が加速する私の班の担ぎ手は、あみだくじで前回に引き続き夫が選出された。地域を練り歩くため、近くのパン工場、ねじ工場、何か薬のようだが作っているものが分からない工場の3工場から寸志が出ている。それと自治会費を合わせて、祭りの当日は各班で出すお酒や団子などの食事になる。薬のようだけど、何かわからないのは少々不気味である。調べればすぐにわかってしまうものなのかもしれないけど、私は敢えて調べないで分からないままにしておきたい。わからないことがあったほうが人生は楽しいのではないかと、この頃考えるようになってきた。明日は、燃えないゴミの日で、我が家では古くなったシステムラックを出す。ここは流石に夫がすべて解体してくれたため不満曲線がしばらく平行を保っていた。
流石にシステムラックは大きいし重いので、夫がゴミ捨て場に持っていってくれた。馬場さんがその様子を見ていたそうで、隣の井上さんに聞いたのだが、朝のごみ捨てもしないで旦那をこき使っているといっていたそうだ。なぜそういう思考になるのだろう、だいぶ狭い価値観の中で生きているようだ。それにしても馬場さんはある意味一貫している。馬場さんは馬場さんなりの立ち位置で世の中に存在しているのかもしれないし、その馬場さんを冷ややかに見ている人もいるし同調しようとする人もいる。どこにでもある構図かもしれないが、負のバランスの近くにいる私達にとっては、いい迷惑である。
もう一週間後にはまつりが始まる。楽しく浮かれる祭りでもないので、それに合わせた訳では無いが、前日に娘が帰ってくるようだ。どうも、最近お付き合いしていた男性と別れた様子で、落ち込んでいるようだった。
パン工場の吉田さんがやってきて、今度はバターロールを持ってきてくれた。詳しくは聞いていないが、ちょっと型崩れしてしまったものや作りすぎたものを処分しているようである。そう言われると、少し凹んでいたり焼きむらがあったりする。このくらいで品質的に駄目になるものだなんてもったいない。吉田さんはそれを布教するために、この区画に家を立てたわけでは99.9パーセント無いわけだろうが、引っ越してきたおかげで私を含めた隣人の方々は食品ロスに対して考える時間を作っている。社会的な問題を近所付き合いの中で、あくまで自然に投げかけてくるあたり、さすがの吉田といったところは大変恐れ入る。この社会的問題の布教活動は人間関係に大変左右されるらしく、もちろんと言っては語弊があるかもしれないが、例のBさんには活動していないらしい。
バターロールの最後はハムとレタスを挟んで頂いた。当然、我が家の真骨頂、アンバランス朝食を忘れてはいない。中華スープと卯の花を添えている。例のごとく、目の前の男は何も言わず三角食べでの完食だ。特に会話のないまま、テレビではパンダが中国に帰るとか帰らないとかの話をしていた。向こうから来た子は帰すんだっけ?こちらで生まれた子は返さなくていいんだっけ?何年で帰すんだっけ?パンダって熊なんだっけ?と、明日の祭りを前に『だっけ祭り』が開催されてしまった。少なくとも午前中は脳内を駆け巡ってしまいそう。そんなとき娘から、お昼食べたらこちらへ向かうと連絡があった。娘は隣の県に住んでいるため、1.5時間ほどで到着するはずだ。
娘がやってきたのは午後3時すぎたところ。社会人になって買った車のバンパーをついこの間擦ってしまったそうだ。手土産には駅前で買ったシュークリームだ。このシュークリーム、この地元では有名で、隣町と合わせると3店舗展開している。作っているのは本店のみで、あとは売っているだけなのだそうだが、本店でしか買わないと豪語する過激派がいたりする。そのお土産を頬張りながら、会社の上司がどうのとか、女子会に来た大して仲良くない子が、娘のことを知ったかぶりしてうざいとか、他愛のない話で時計の針を進めていた。夫はというと、庭先で始めた家庭菜園の雑草抜きで針を進めているが、こちらの針はかなり重い印象だ。
明日は朝から祭りなので、夕飯を早めに済ませる。朝食のアンバランスさには及ばないが他の家と比べれば、中々ガラパゴスだと思う。里芋の煮っころがしを食べた箸で、アヒージョのタコをつまみながら娘が口を開いた。
やはり話題は、この間別れた彼氏の話のようだ。夫は興味のないふりだが、得意の三角食べが緩やかなカーブを描き出しバランス計算もうまく行っていないようだ。それについては前に聞いていて、うちの近くの何を作っているか分からない製薬工場の会社の社員らしい。と言っても東京の本社で、娘の会社が同じビルに入っていたおかげで知り合った。その彼が浮気をしたらしく、そこから芋づる式に疑わしい交際が明るみになったらしい。同時期に彼氏の上司もスキャンダルで飛ばされだそうだ。何か関係があるのだろうか。それとも、あの製薬会社は何か危険な事情をはらんでいるのか。謎が膨らみ不謹慎だがワクワクしてしまった。結婚までお互い意識していたらしく、プロポーズこそ受けていないが、結婚情報誌が二人の愛読書になっていた。まずは同棲かと話が進んでいたらしいが、この話を聞く限りは彼氏のほうに本気度があったのかが疑わしい。
そこでぼそっと、三角から二次曲線を描くようになった箸をそっと置き夫が口を開いた。「あそこの会社、菜の花製薬だっけ。前は食用油を作ってて、俺が小学校のときにおっきなとこと一緒になって、そこから薬作り出したんだよな~。」そうか、菜の花製薬というのか。食用油ならこの名前に納得がいく。中々歴史のあるちゃんとした会社みたい。しかし、長い会社ほど闇が深いということもある。上司のスキャンダルといい、掘り下げれば面白いことが、って、今はそんな話どうでもいいだろう!得意の三角食べも発揮できない今は、残念指数も上昇気流に乗ってそのまま成層圏も突き抜けそうです。
「今は、あの工場で痔の薬作ってて、定年になる間際から使ってんだよ。言ってないかもだけど、えっと~、あっち、あ、イボ痔だ。この頃あまり出ないけど、中々調子良くて愛用してるんだよ」えっ、そんなこと初めて聞いた。知らなかった。もう結婚40年になろうかと言うときまで知らなかった。でも、それはいますべき話なのか?娘が落ち込んでいるときにチョイスする話題ではないだろう。しかも、夕飯をたべている最中でお知りの話とは。
「でも、薬替えなきゃな~。俺の娘を悲しませる男が関わってる会社の薬なんか使ってらんねぇ~よ。」初めて夫の口から、こんな言葉を聞いた。寡黙を絵に書いたような男で、感情を表に出さなかったのに。娘が高校の受験に受かったときだって、おめでとうとか、頑張ったねなんて決して言わなかった。ご飯だって黙々と食べ、『美味しい』も言ってもらったことがない。たまに、感謝の言葉として覚えているのは、テレビのリモコンを渡したときに、「どうもね」と言われたことだけだ。他に感謝の言葉など聞いた試しがない。
この言葉を聞いて、改めてその部分を思い返してみると、夫の行動の中で私が汲み取ってなかっただけなのかもしれない。今回は直接的な言葉だから気づきやすかったが、旅行の時だって、空いた席をすぐに譲ってくれたり、これについては、あの話を聞いた後で、実は痔が出てきていて、座りたくなかったのかもしれないが。趣味でたまに行くパチンコでは、いつも、お菓子を持ってきてくれる。少ない額で打っているはずだし、パチンコというものの特性から、毎回勝てるはずはない。むしろ負けのほうが多いはずだし、大きく勝つはずもないだろう。毎回スーパーで買っているのではないか。だとするとパチンコでもそれほどお金をかけていないことになる。システムラックの解体もそうだが、庭の雑草取りだって、私から要求する前に何も言わないが、率先してやってくれている。定年してから、その行いは増えているようにも感じる。「ありがとう」と言われたことはないが、態度で少しずつ表されていたのかも。私が勝手に尊敬曲線でグラフを取り始めたから、暗に反比例する残念を求めてしまい見えなくなっていただけなのかもしれない。
残念指数でのグラフ化を一旦中止して、生活を仕切り直してみようか。夫が痔であったことも知らなかったのだ。知らないことがまた見つかったし、夫をもうちょっと知りたくなってきた。夫の言葉を聞いて、娘も安心しているようだし。やるじゃないか、黒縁。
次の日は朝から、神輿を担ぎにいく夫を見送った。足袋と法被を身にまとい玄関を出る姿は、ちょっと小太りのおじいさんといった風貌にしか見えないが、私にとってはちょっとかっこよく見えてしまっていた。娘を連れて、午後の予定になっている神社での神輿の奉納を見に行ってみようかなと、アンバランスな朝食を三角食べしながら考えている。
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