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座間涼音の場合

芸術家座間涼音の依頼(13)  了

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 本当は心は嵐のようにざわついていた。今すぐにでも窓ガラスを割ってやりたい衝動があった。
 しかし、昨晩の言葉を思い出す。

『あなたは人より多くのものを許容する心の広さがあります。きっと、いいや、間違いなくそれを伸ばせばあなたは……』

 結局自分のものにならなかった、自分の小さな手では収まりきらなかった人の言葉。
 耳を貸す必要なんてないのに、耳を貸したところで振り向きもしないくせに、

(あぁ、なのにどうして心に残っちまうんだろうな……)

 心に残る理由ははっきりしているがあえてぼかす。

「……すぐに倒れて壊れてしまう脆弱な建造物を危うく人の出入りする場所を置くところだった。こういう肝の冷やし方はしたくないものだ。私たちのような生徒なら怪我をしなくて済むが、客人の中には小さな子供もいる。いや本当に危ないところだった」

 座間涼音は、山走万奈に斜めに手のひらを見せる。

「本番前に発覚できてよかった。これも全部君のおかげだ」

 堂々と握手を求めた。

「俺な、ちが、でも、わたし、わるくなくて、すずねさ、ん」

 状況も感情も処理できなくなる山走。
 それは近くて遠くから眺めるクラスメイトも同じだった。

「あれ、本当に座間さん?」
「いや、どうだろ? 本当にお化けがでてきたか?」
「なんだか、おとなっぽい……」

 ランチの後のようなふわりとした空気、備前はこれを逃すまいと駆ける。

「よーし、これで和平成立っと! みんななかよくラブアンドピース!」

 山走の手を引いて、涼音の手と重ねてシェイクする。

「それじゃあ壊れたやつ、ひとまず片づけようか。どうする、座間様? 分解しちゃう?」
「そうだな、分解しよう」

 涼音はクールに答えると同時に握っていた手も解く。

「まだ使えるものはあるはずだ。それからは……後々考えるようにしよう」
「ほーらー、みんなぼうっとしてないで手を動かす手を」

 我に返ったクラスメイトたちは何かを忘れながらも言われたままに自分たちの作業へと戻っていく。

「山ちゃんもやることあるんじゃないの?」

 いまだに呆然とする山走だったがひとまずは友達に連れられ、仕事へと戻っていった。

「……また、遅くなってしまったようですね」

 入れ替わりに先生、足立康太郎がやってきた。騒動を曖昧にした功労者である涼音のもとへ。

「あぁ、遅い、遅いな、遅すぎる」

 涼音は独自の三段活用で厳しく叱責する。

「……あはは、面目ありません」
「どうしたんだい、寝坊? 昨晩はお楽しみだったのかな?」
「ええ、それはもう……眠いながらにやったテストの丸つけ、朝起きたら間違いだらけでして」
「あー、あるある。僕も夜更かししてやったデッサンが、朝になったら落書きになっていたこともあるよ」
「先生が言うのもなんですが……若いうちに夜更かしは禁物ですよ」

 涼音はとっさに口癖が出そうになるが、

「……わかった。睡眠不足はいい仕事の敵だからね」
「身体を労わってほしいんですけどね……まあいいでしょう」

 先生は教室の真ん中でふわあと大きなあくびを漏らす。

「お疲れならこれを贈呈しよう」

 それは単一電池サイズの小瓶。

「これは?」
「僕が眠気覚ましによく使っていた海外製のエナジードリンクだ」
「……あまり健康そうには見えないデザインですね。何入ってるかも全然わからない」
「少なくとも毒は入っていないよ。だけど飲むときはくれぐれも気を付けなよ」
「と言いますと?」
「僕は女だから眠気覚ましだけだったが、男が飲むと……というドリンクだ」
「あはは、なるほど。とりあえずはもらっておくとしましょう。ありがとうございます。お返しはどうしましょう?」

 お返し……そんなものは決まっている。
 だけどそれは油彩のように何度も何度も何度も何度も重ね塗りする。

「そんなの決まっている──」

 自分でも思い出せなくなるほど、取り戻せなくなるほどまで、何度だって別れを告げる。

「──焼き肉だろう」
「……焼き肉ですか」

 先生は意表を突かれた。

「ホルモンやハツ、タンがいいかな。疲れた身体にやはり肉が良いんだ」
「あはは、わかりました。覚えておきます」
「今は忙しいから文化祭が終わったらで」
「そうですね、文化祭が終わり、落ち着いたらでしょうね」
「約束だぞ」
「ええ、約束です」
「いま、約束しましたよね?」

 涼音は確認する。

「ええ、約束しましたよ?」

 先生も確認する。

「よーし聞け、みんな! 文化祭の打ち上げの焼き肉は先生が奢ってくれるそうだぞ!」

 途端、学校中に響き渡るかのような咆哮。漲るパワー。作業効率が改善され、従来の三倍に。

「あ、あはは……困りましたね……」

 いまさらキャンセルとは言えない。
 この日から先生の昼食は自分で握った塩むすびになった。
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