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座間涼音の場合

芸術家座間涼音の依頼(3)

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 足立康太郎はアトリエに入る。中は秩序とは無縁の子供部屋のように散らかっていた。自ら手掛けたであろう芸術品が、キャンバスは画布側が床に倒れ、石膏は壁にもたれ掛かり一部が欠けている。そのどれもが発表し好評を受けた作品たち。しかし生みの親はもう興味を示すことはない。
 生みの親である座間鈴音は真っ白なキャンバスの前に立っていた。彼女は背を向けたまま話しかける。

「やあ、先生。来てくれたか。暑かっただろう、テーブルの上に麦茶がある」

 油絵の際には小物置きにされているだろう、色まみれのテーブルの上に、色の濃い麦茶一杯が置かれていた。水滴だらけのガラスのコップに氷が入り、麦茶は縁から今にも零れ落ちそうだった。

「お気遣いありがとうございます。いただきます」

 出されたものは必ず口にする。断るのはかえって無礼になる。

「飲んでくれたかな?」

 座間鈴音はわざわざ確認する。

「ええ、飲みましたよ。それで今日はどのような御用で」
「見ればわかるだろう?」

 彼女は真っ白なキャンバスに向かったまま。

「間違っていたら申し訳ないのですが……スランプですか?」
「いやぁさすが先生! 見事な慧眼だ! 生徒が気にしていることをずばっと的中させる!」
「恐縮です」

 先生は困ったようえに笑顔を浮かべる。

「それで僕は何をすればよろしいのでしょうか? また裸のモデルになりましょうか?」
「う、忌々しい過去を思い出させてくれるな……くそ、僕としたことがあんなことで取り乱すとは……」
「ではなんでしょう? 夜も遅いですし、夜食の準備でしょうか」
「それも違う。夜食なんてのはカップ麺で十分だ」
「食事には気を使ったほうがよろしいですよ? まだ若いから無茶が通用しますけども」
「先生まで凡人と同じつまらんことを言わないでくれ」

 凡人。これは座間鈴音の両親のこと。彼女は父さん母さんとは呼ばずにこう呼ぶ。

「それでは……僕は……」

 足立康太郎の視界がぐにゃりと曲がる。

「おや、これは……」

 姿勢を保とうするも膝が地面に着く。

「先生……君はちょっと根を詰め過ぎじゃないかい? ちょっとうちで休んでいくと良い」

 座間鈴音は振り返る。その手には縄が握られていた。
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