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練習試合応援編

後半戦、決着

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「なるほど……計算づくね……」

 なんとなしに鏡の意図がわかった。

「私一人にマーク二人。そのうちの一人は山添さんときたか」

 広げた点差を堅守する。それが久慈の選択。
 そのためのダブルチーム。
 佳子は左手でドリブルしながら二人を睨む。

「別にいいけど……一人足りないんじゃない?」

 逆境であればあるほど燃える女。
 パスをすると見せかけて、一気に仕掛ける。

「はやっ!? ひくっ!?」

 ディフェンスをかいくぐる。それも中央突破で。

「ほいさ」

 あっという間にゴール下。レイアップシュートを決める。

「これで9点差。どんどん行くよ!」

 ちらりと観客席を見る。

(見ててくれたかな……)

 淡い期待を抱くがいともたやすく裏切られる。

(って今度は見てないどころかいなくなってるし!? どこ行った!? まさかこっそり二人きりになって、キキキキスとかしてないよね!?)

 その時、鏡が吠える。

「佳子! ぼさっとしてるな!」
「え?」

 懊悩しているうちに攻め込まれていた。パスカットをされてフリーの山添にボールが渡る。

「ふん」

 これで再び点差は9に広がる。

(あ~も~! このもやもやはボールにぶつける!!)

 佳子はストレス発散方法をバスケでしか知らない。
 開始3分で佳子が4本のシュートを決める。どれも味方に頼らず、ワンマンとも呼べるプレイ。強引に攻めるためにファールを二回取られた。
 点差は縮まった。しかしコートの外から眺める鏡の心は穏やかではなかった。

(佳子、どうしちまった……今日のお前はぞんざいだ……なんで不慣れなポイントガードの役割をお前に託したのか……ぜんぜんわかっていない、いや考えてすらもいない様子だ……)

 生徒の僅かな変化に心配する一方で、

「たのむよ~! 私をお嫁にいけない身体にしないでくれ~」

 やはりわが身が一番の鏡であった。

 鏡の心からの叫びを聞いていた久慈は、やはり丸眼鏡をくいっと上げる。

「ふふふ、お嫁にいけない身体ですか……やはり鏡先生は面白い人だ」

 時計を見る。第3クォーター開始から5分が経とうとしている。

「そろそろフェーズを変えるとしましょう」

 ボールがコート外に出てゲームクロックが止まると久慈はタイムアウトを取る。
 時間は一分。作戦は試合開始前にあらかじめ伝えてある。あとは確認だけ。計画は着々と進められていた。



「佳子。今日のお前はどうしたんだ」

 鏡は佳子にストレートに投げかける。まるで気の置けない友達に元気がなく悩みがあるのか尋ねるかのように。

「私は……いつも通りのつもりですが……シュートもばんばん決まりますし」

 息切れしながら答える。

「5分だ。たったの5分で疲れるお前じゃないはずだ」
「ダブルチームのせいかな……けっこうプレッシャー感じてます」

 頑固気質な監督なら言い訳するなと怒鳴る場面であるが、鏡は選手のモチベーションを大事にする。

「そうだな。お前はうちらのエースだからな」
「エース……」

 自分の立場を深く考えたことがなかった。いつも好きなように遊ぶかのようにバスケに打ち込んできた。強い相手と戦い勝つこと、後輩の成長を促し結果に結ぶことに喜びを得ていた。
 好きなように暴れても実力が伴っていたために結果的に勝利に貢献してきた。だから多少好き勝手にやっても文句は言われなかった。
 しかし今回は違う。

「佳子。今のあなたにエースはふさわしくない」

 そう断じたのは山田マホだった。被っていたタオルを剥いで、怒り剥き出しの表情を向ける。

「いつにも増して見ていてイライラする。心ここにあらずって感じ。やる気がないなら帰れば」
「こら、マホ。なんてことをいうんだ」

 鏡は静かに怒る。場の空気が悪くならないよう、選手のモチベーションを壊さぬよう、綱渡りするように慎重に配慮しながら。
 マホは引き下がらない。

「私たちはあなたのオマケ? あなたが試合に出るための人数合わせ? 冗談じゃない。私たちにだってプライドがある。わかる?」
「マホ、お前もどうした急に」

 急に火柱を立てたフライパンにあたふたする鏡。
 一方で矢面に立たされた佳子は冷静だった。

「ごめんなさい。もっと周りを見るべきだった」

 素直に謝った。

「うん、全部マホちゃんの言う通り。周りを見る……見すぎ、だったのかも私」
「は? 何を言ってるの?」

 一分が経過する。佳子は答えずにコートに戻る。
 去り際に忘れ物を思い出す。

「マホちゃん、ありがとね」

 吹っ切れた笑顔で礼を言う。

「……」

 マホはタオルを被りなおす。

「すまないな、マホ。損な役目を任せてしまって。こういうのは監督の役目なのにな」
「いいえ、役得です。ずっと前から言いたかったことを言えたので」
「……そっか」
「……今のは内緒でお願いします。私、あの子が嫌いですけど嫌われたくはないので」
「……女心難しすぎる」
「先生も女でしょ」

 第3クォーターが再開される。

「おいおい、まじかよ……」

 佳子の前には三人の選手が立っていた。
 トリプルチーム。
 久慈は徹底的にエースを潰しに来た。それだけの実力があり脅威として評価されていた。
 逆境になればなるほど燃える。しかし心は微かにもやもやが残っている。

(集中したいのはやまやまだけど……だけど……!)

 心の問題は一人で解決できない。
 せめて、せめて、声援だけでも送られれば。
 その時、体育館の中で最も大きい……敵の応援もブザーすらも凌駕する声量が降りかかる。

「佳子さーーーん!!! がんばれーーーーー!!!!」

 二階から転落防止柵に上半身を乗り出して応援する正行の姿があった。
 瞬間、佳子の魂に火が灯る。

「っしゃあ! 私を止めたきゃ四人、いや五人でかかってこい!」

 大声で大口を叩く。

「こいつ……!」

 ドリブルをカットしようと飛び出す山添。

「ばか! 挑発に乗るな!」
「もう遅い!」

 突き出された腕に沿って走る。またもやディフェンスの間をすり抜けてシュートを決める。

「くそ……!」
「どんまいどんまい! 次はおちついていこう!」
「……わかった」

 試合は佳子を中心に進んでいく。
 バックコートでサイドラインを越えそうになったこぼれたボールを拾うと一直線にゴールへ。仲間もそれを見ると並走する。
 ゴール下で構える山添。
 佳子は一旦減速し、仲間の集まりを見計らってから勝負を挑む。
 真正面から城壁に向かう。

「くるならこい!」

 山添は腕を高く伸ばす。
 高さ勝負では彼女に勝てる者はいない。

「うは、でか! やっぱやめとこ」

 佳子は素早く山添の横に立っていたチームメイトにパスをする。

「きゃっ」

 しかしあまりに素早いプレーにチームメイトはキャッチできず取りこぼしてしまう。

「ごめん、せっかくのチャンスだったのに」
「いいのいいの! どんまい!」

 佳子は全く責めを感じさせない笑顔でミスを許す。
 するとミスしたチームメイトにも笑顔が戻る。

「良い雰囲気に仕上がってきた。しかしあともう一ピースが足りないな」

 鏡は満足げに眺める一方で責任者として油断はしていなかった。

「取られたら取り返せ! 根性を見せるぞ!」

 寡黙な久慈が吠えた。
 まもなくして猛攻が始まる。
 ポイントガードが不慣れな佳子だったために守備に穴が目立つ。そこを徹底的に山添を主軸とする全力を尽くした攻撃を仕掛けてくる。

(この動き……私たちを徹底的に研究し尽くし、選手にも啓蒙してるな……すごいな、久慈先生。冷淡な男だと思ってたけどここまでする情熱があったとは)

 敵選手の顔は生き生きとしている。信頼の厚さが窺える。

(これはひょっとしてあるいは……!?)

 鏡はすっぴん肌がヒリヒリするのを感じた。負けそうな空気すらも楽しむ生粋の勝負師としての素質を持っている。

(だけどただで負けてやる監督がどこにいる!)

 栄光の勝利を掴むためにももう一手。

「マホ。用意しとけよ」
「……はい」

 追いつこうとし引き離される。ポイントガードの選択が迫られる。
 佳子の選択は、

「うちらも取られたら取り返すよ!」
「おおお!」

 攻撃は最大の防御。いきなりポイントガードをやらされても守備などわからない。だけど攻撃であれば何倍も熟知していた。
 残り十秒。

「敵エースが来るぞ!」
「守れ守れ!」
「これ以上! 好きにさせるか!」

 山添含めた三人がゴール下で待ち構える。

「もっかい抜いてやろうじゃない!」

 ディフェンスを抜く、と見せかけてまたもやフェイント。
 後ろに下がりジャンプシュート。

 すぱっ!

 ボードを介せずに網を揺らす。

「さすが佳子さん!!!」

 正行が自分のことのように喜ぶ。
 シュートと同時にブザーが鳴る。
 第3クォーターが終わる。
 34-25という殴り合いの末、僅差で追いつけなかった。
 2分間のインターバルが始まる。

「よくやった、愛弟子たち。正直こんな熱戦になるとは夢にも思わなかった」

 悪びれずに打ち明ける鏡。

「それ、コーチとしてどうなんですか」

 佳子はスポーツタオルで汗まみれの全身をわしゃわしゃと拭く。

(あとで正行君と会うし多めに消臭スプレー浴びとかないとな……)

 その後の思考はすぱっと試合に切り替え、鏡の話に耳を傾ける。

「ここからは体力勝負だ。地力が物をいう。これを育むために面白みのない、くっそ地味な基礎トレーニングに取り組んでもらっていたと思う。これは本当に意味があるのか何度も疑問を抱いただろうに私はそのたびに必要性を説いてきた。しかしやはり論より証拠。この試合で真価を体感できるはずだ」

 全員が鏡の話に耳を傾け信頼する。

「佳子。今からポイントガードの任を解く。入るマホに任せる」
「それじゃあ私はベンチですか?」
「馬鹿言え! 最終場面だ、後先考えずに暴れてこい!」
「はい、わかりました!」

 佳子はコートに向かう。その彼女の尻を鏡は叩く。
 後ろに続くマホにはそっと声をかける。

「後は任せた」
「細かいことは現場に任せるんですね、監督とはいい御身分ですね」
「あはは、そう言うなよ」
「別に、いいですけど」

 マホは一瞬だけ、ちらりと観客席を見る。すぐにコートに視線を戻した。


 久慈側チームの士気も最高潮に達している。

「十年来です。伝統の一戦で我が校がリードしているのは。分かっているとは思いますが、かの校は強い。しかし現時点で勝っているのはどちらですか? そう、我が校です。我々は強い。あなたたちは強い。最強です。我々の強さを証明してみせましょう」

 普段は大人しく感情を持ってるかさえも疑われる久慈。ロボットではないかと囁かれる彼の口調が早口に変わり、そして熱がこもっていた。
 緊張しているのは選手だけでなく監督も同じ。
 勝利という共通の目的に向かって心が一つになる。

『はい!』

 恐ろしく揃った返事。
 そこに山添も加わっていた。

「……初陣で責任のある役目を任せてしまい大変申し訳ありません」
「ほんとですよ、まったく」
「疲れていませんか? もしそうなら怪我をする前に交代を」
「まさか。こんなに面白い場面で引き下がるはずがないでしょう」

 久慈は丸眼鏡をくいっと上げる。

「それは重畳。あなたに声をかけたこと、間違ってはいなかったようですね」
「本当に喜んでるですか? 鉄仮面でわかりづらいですよ」
「鉄仮面で悪かったですね。笑うと女性にキモがられるので」
「そんじゃあ勝って先生に笑顔をプレゼントしてやりますよ。その時は全員で笑ってあげますので」
「それは……楽しみですね。それでは皆さん、後はよろしくお願いします」
『はい!』

 心を一つにしてコートに向かう愛娘たち。
 成長を目の当たりにし久慈は眼鏡の下でうっすらと涙を浮かべる。

 運命の第4クォーターが始まる。
 佳子たちのボールで始まる。

「佳子! 手始めにかましてこい!」
「あいよ、マホちゃん!」

 佳子の前からマークが消えていた。トリプルチームでもなくダブルチームですらない。防御から攻撃に専念すると見て取れる。

「いいのかい、暴れちゃうよ!?」

 正面の守りは固い。ウィングに僅かなスペース。

(スリーポイントいけるか!?)

 切り込み隊長が高得点を狙う。
 しかし意図に気付き、塞ぎに来る敵。

(それじゃあもっと深くに……!)

 加速してより奥のコーナーへ。

(この角度からのロングシュートは苦手、もっと的確に!)

 敵陣に勇ましく踏み込み、ジャンプする。
 腕を高く上げて、ゴールを目指す。

「させるかあ!」

 ゴール下にはリングの守護神、山添。
 迫力のある守備。
 実力では圧倒的の猛者である佳子が押されそうになる。

「佳子さん、いっけーーー!」

 正行の声が届いた彼女を止められる者はいない。

「なん、の!」

 一度上げた腕を膝まで下げて、空中で山添の守備を躱す。
 それで終わりではない。再度腕を上げて執念のシュート。
 バックボードのウィンドウでワンバウンド。リングをぐるぐると回り、中央に落ちる。

「っしゃあ!」

 ガッツポーズする佳子。
 それを見た鏡は喜ぶよりも先に、

「なんでダブルクラッチができるんだよ……」

 教えた覚えのない高等技術を目の前にし困惑で首をうなだれてしまう。

「佳子ちゃんだからじゃないですか?」

 チームメイトは監督よりも冷静に真理にたどり着いていた。
 同点に追いついた。しかし息をつくのはまだ早い。

 山添の気迫のこもった猛攻。
 ゴール下のジャンプシュート。
 守備をしていたマホの身体が吹き飛ぶ。
 2点加わり、笛が鳴る。
 山添は倒れたマホに手を差し伸べずに背中を向ける。
 さらにファールはマホにカウントされ、フリースローも与えてしまう。

「ったくとんだ厄日。私はなにしたっていうの……」
「どんまいどんまい! 大丈夫? 立てる?」
「……これくらいバスケやってたら普通だから」

 真っ先に駆け付けて手を差し伸べる佳子の手には触れず一人で立ち上がる。

 無音の体育館。
 スロワーの山添はサークルに立って集中する。

「……よし」

 呼吸を整えてシュートする。

 ぱすっ。

 ぱすっ。

 フリースローが二本とも決まる。

「「「っしゃあああああ!!!」」」

 ぼんぼんぼんぼん!
 空のペットボトルを叩いての大歓声。
 点差は四に広がる。

「いけるいけるいける! 守れ守れ守れ!!」

 山添の直線の走りは誰よりも早く、無人のゴール下に到達する。
 ポイントガードのマホがディフェンスを躱し、ウィングからスリーポイントを狙う。
 しかしなかなかリングは愛してくれない。
 こぼれたボールを山添がリバウンドする。

「今日はこんなミスしてられないんだけど!」

 悪態をつきながらも戻るマホ。

「山添! パス!」

 山添はゴール下からパスを出す。しかし手元が狂い、仲間がキャッチをし損ねる。

「大丈夫! 拾う!」

 もう一人の仲間がサイドライン手前で拾う。
 そして元々パスを受けるはずだった仲間にパスを出した瞬間、二人の間にスカイフィッシュのような速い影が通過する。
 佳子だった。パスカットに成功すると一目散にゴールへ。
 ぱすっ。
 着実にシュートを決める。

「これがバスケ……」

 山添は圧巻される。鮮やかなシュート劇をサークル内で見ていることしかできなかった。
 足の速さには自信があった。しかし反応が、身体がついていかなかった。
 はやさにも様々な世界があると思い知らされた。
 その先にあるのは嫉妬か、絶望か。

「私だってあれくらい……!」

 身の程知らずかもしれないが対抗心を燃やしていた。


 熾烈な攻防が続く。
 近くて遠い2点差が縮まらない。
 残り3分。
 土砂降りの雨を浴びたかのように汗でびしょ濡れの佳子と同じように汗まみれの山添が相対する。
 場所はセンターサークル内。
 佳子は右手でドリブルをし、左手でけん制する。
 山添は縦だけでなく横にも長い。目いっぱい広げた両手は佳子を包み込む。

「山添さん……バスケ楽しい?」

 親しげに話しかける佳子。

「はあ? 試合中に何言ってるの?」
「試合中だからじゃん? 私は楽しくて仕方ないよ。久しぶりにこんな強い選手と勝負出来てさ」
「そりゃどうも」
「ねえ、山添さんってバスケ初心者でしょ?」
「だからどうしたっての」
「ああ、やっぱり。シューズも新しいしルールも把握しきれてないし。体育の授業や友達と遊んではいたって感じ。本業は陸上で短距離じゃない?」
「占い師かなんかなの? よくわかったね」
「だって直線の競争では先頭は誰にも譲らんって負けん気があったからさ」
「そうだね。コートの端から端なんてせいぜい28メートル。こっちは400メートルを主戦場に戦ってるんだ」
「あはは、そりゃ適わないね。だから走りの勝利はそっちに譲ってあげるよ」
「走りの勝利は?」
「陸上には陸上の、バスケにはバスケの勝利があるように、競技によって辛さも違ってくる。わかってるんじゃない? 陸上にはない世界が。常に四方八方を気にしないといけない緊張感、突き抜けるだけではなく減速も考慮しないといけない走り、そして一秒一秒をチームメイトと共有する呼吸」
「小さいくせして偉そうに」
「おっといいの、そんな生意気言って。私、大先輩ぞ」
「先輩なら良いところ見せてくださいよ」
「ああ、だから、ちゃんと見とけよ!!」

 反時計回りに身体を回転させる。
 当然ついてくる山添。佳子の視線を読み、

(左……!)

 そちらには行かせないと身体を張る。

「もらった!」

 すると佳子の身体は素早く逆回転を始める。
 山添が左に踏み込んでるうちに逆方向から抜ける。

「なん、の……っっ!?」

 山添は食いつこうとするが身体がついてこなかった。
 膝から力が抜け転倒する。一日中走っても平気だった身体がギブアップする。
 山添は誰よりも低い位置から佳子の背中を見る。

(これがエース……河相佳子か……)

 笛は鳴らない。
 佳子は後ろを振り向かずにゴールへ向かう。
 ジャンプシュートの体勢に入ると、

「おのれ山添の敵!」
「山添だけのチームじゃないぞ!!」

 背の高い二人がゴールを阻む。
 それを前にした佳子は、

「それ、うちも同じだから」

 冷静に右にバウンドパス。
 コーナーのマホにボールが回る。
 敵の目を欺き、完璧なフリー。
 マホの手が微かに震える。
 フリーにはフリーのプレッシャーがある。
 熱の入った応援は正直で時に残酷。
 外した時のため息は一度聞くとなかなか離れない。

(今日は一度もスリーポイントを入れられていない! できるの、私に!?)

 不安がよぎる。悪いイメージばかりが浮かんでくる。

(誰も私に得点は期待していない。外したところで誰も、誰も……)

 火が消えかける、その時だった。

「いけえええ! ねえねえ!!!」

 その声を聞くと身体が勝手に動いた。
 何も考えずに自然体でシュート。
 バスケットボールは美しい弧を描く。

 ぱすっ!

 シュートが決まる。
 完璧なスリーポイントシュート。
 三点が認められる。

「っしゃああああ! 逆転だああああ!」

 鏡が今日一番吠える。
 勢いそのままに攻め続けたかったが久慈がタイムアウトを取る。
 そしてコートに踏み込むと誰よりも先に山添の元へ。

「大丈夫か、山添!」

 倒れたまま立てない山添。

「山添ちゃん、大丈夫!? 怪我してない!?」

 佳子も慌てて駆け寄る。

「もうちゃん付けかよ、馴れ馴れしい……」
「口には元気があるようで。どこか痛むところはありませんか?」
「ないよ。ただ疲れただけ」
「本当ですか? どんな些細な痛み、違和感でも構いません。教えてください」
「本当の本当。情けない話、ペース配分間違えた」
「慣れないスポーツをするとそういうこともあるでしょう。父兄にお医者さまがいらっしゃいましてね、診てもらいましょう」
「大げさだな。手を貸してもらえば歩けるって」

 山添の言う通り、手を貸すと普通に立ち上がり普通に歩くこともできた。
 椅子に座ると久慈が膝をついて頭を下げる。

「すみませんでした。選手の異変に気付けなかった私の落ち度です」

 バリカンの刈り上げまでしっかり見える深い謝罪。

「謝んなって。これは、はしゃぎすぎた私の責任だ」
「はしゃぎすぎた……?」
「……先生、ありがと。バスケってこんなに楽しかったんだな」

 久慈は頭を上げる。そして丸眼鏡をくいっと上げる。

「……ふっ。楽しかった、ですか。競技の面白さを知ってくれたのなら指導者冥利に尽きますね」
「先生、今笑った?」
「いえ笑ってません。監督が笑うのは勝った時。それだけです」

 口が一文字に戻る。

「あとは仲間たちに任せて休んでいてください。そして、もしよろしければ今後のことも考えておいてください」
「それじゃあ先輩たちが私抜きでどこまでやれるか高みの見物させてもらいますかね」

 足を伸ばしてリラックスする。

(膝が震える……震えが止まらない……)

 手で抑え込もうとするが無駄。手も震えていた。

(あ、そういうことか……私……)

 震えの原因は疲れだけではないと悟る。

(すっげえ悔しいんだ……)

 その後の試合展開はマホのスリーポイントで勢いづいた佳子たちがゲームの主導権を握った。
 山添が抜けても懸命に持ちこたえようとしたが元々の地力に加えて、序盤から全力で行動していたために息切れをしてしまい、試合終了を知らせる笛が鳴ると同時に全員が床に倒れ込んでしまった。

 第4クォーターのスコアは25-14。
 トータルで83-74。
 予想外の接戦熱戦となった。

 倒れ込んだのは選手だけでない。

「はあ~~~~勝てた~~~~~~~生きた心地しね~~~~でもこれがたまんねんだわ~~~」

 鏡も倒れ込み、床にキスをする。
 そしてもう一人。安堵したように力が抜ける女子がいた。

「はあ……勝った勝った……格下になに苦戦してるんだか」

 山田妹だった。

「ほらね? 最後まで見てた甲斐があったでしょう?」

 正行がほっとする彼女を見て笑顔を浮かべる。

「嬉しさよりも疲れが勝るんですけど。汗かいちゃったし。やっぱ見るんじゃなかった」
「でもお姉さんの活躍が見れましたよね」
「まあ……それは……」

 曖昧な返事をする山田妹。

「山田さん」
「なに?」
「……お姉さんのこと、家ではねえねえって呼んでるんですね」
「は~い、今この時をもってマイケル君への恋心は消滅しました~~コービー君一人に絞りま~~~す。バイバ~~~~イ」

 山田妹は耳を赤くして帰ってしまった。
 正行は最後まで見届けずにコートに視線を戻す。
 ちょうど見上げていた佳子と偶然にも目が合った。
 正行は躊躇わずにはにかみながら手を振った。
 佳子は少し照れくさそうにしながらもほんの一瞬手を振り返し、チームの輪に戻っていった。

「ふふふ、佳子さんってばほんとにかわいいんだから……」
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