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竜の加護

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「竜之助!」

 乙姫は浦島が動かなくなるのを見ると最大の功労者のもとに駆け寄る。

「……め……ま……」

 呼びかけに答えるように竜之助の手がぴくりと動く。

「意識が戻った!? たいしたもんだよ、あんた!」
「しゃっきとしな! 今、姫様がくるよ!」

 乙姫は倒れたままの竜之助を見下ろす。
 顔に血の気がなく、身体の動きも目を凝らさねば見当たらない。呼吸をしてるのかもわからない。
 傍らには端から端まで真っ赤になった布。常人ならとっくに死んでいる量の血を流していた。
 最後の力を振り絞るようにふらりふらりと手を上げる。

「よく……やったぜ……みなお、し……たぜ……」
「しゃべるんじゃない! もう少しであかめが来る! それまで耐えろ!」

 手を取る乙姫。温度を失い、脈すらも感じられない石のように冷たく硬くなっていた。

「もう……じゅうぶん、だ……おれは、もう……」

 竜之助は死期を悟る。
 過去を振り返れば血飛ぶ恥部ばかり。
 罪悪感から逃げようにも酒を飲めば吐き、煙草は煙たいだけで女を抱いても心の傷は誤魔化せない。
 そんな天に見放された人生の最期に花を飾れた。
 罪を償い真っ当な人にはなれなかったが女子供を守れた。
 自分を好いてくれる女は現れなかったが惚れた女が最期を見届けてくれる。

(師匠様……もういいでしょう……説教はそちらでいくらでもお付き合いしますよ……)

 すべてをやり切った。そう思っていた。

「馬鹿者! 何が充分なものか!!」

 乙姫は熱を帯びた手で力強く握る。

「お前にはまだまだやってもらうことがたくさんあるんだぞ! 屋根の修理は終わっていないだろう! 子供たちとまた遊ぶ約束をしていただろう! 勝手に死ぬことは許さない! 皆がそう望んでいるんだ!!」

 涙ながらの訴え。熱い涙がぼろぼろと砂に流れ落ちていく。

「……は、はは」

 体力が残っていたらどれだけ大笑いしていただろうか。
 最後の最後に悔いを残し、竜之助は糸が切れたように力を失う。

「竜之助!! 竜之助!!!」

 いくら呼びかけても反応しない。

「行くな、いかないでくれ! 竜之助!! りゅうのすけえええええ!!!」

 初めて男として愛した者の胸で泣き叫ぶ乙姫。

「姫様……」

 心中を察してともに涙を流す島民。

「遅れてすまなんだ」

 突如として現れるくじら。

「くじら様!? どうしてここに!?」

 島民たちは驚く。
 くじらは年に一度の祭事にしか島民の前には姿を現さない特別な宮司。
 神職としての彼は一日のほとんどを祠で過ごし祈りを捧げ続けている。

「本当にすまなんだ……島の危機だというのに何も力を貸せず心苦しく思っていた……じゃが、最後の最後に、役に立てそうじゃな」
「それって……お経?」
「こらこら、縁起でもないことを言うな。姫様、どいてくだされ。祈祷の邪魔ですじゃ」

 くじらは乙姫の肩をぽんぽんと叩く。

「……ん? くじらではないか。どうしてここに?」
「それはもちろんその男を死なせないためですじゃ」
「…………まだ助けられるのか?」
「ええ、龍神様は島の恩人を見捨てはしませぬ」

 くじらは竜之助の胸に手を置いた。

「ほう、これはなかなか……魔呫;マナをこんなに……」

 あちらこちらを撫でて回る。

「くじら! 早く! 早く竜之助を生き返らせてくれ!」
「お気持ちはわかりますが慌ててはなりません……時間が経つにつれ薄れていくこの者の魔呫の流れを見極めないと…………集中したいのでもう少し静かにお待ちください……」
「……………………」
「息は止めなくても結構ですじゃ」

 全身を触診した後に、

「この者の経穴を把握しました。さすがは仙術使い。表だけでも常人の倍はありますな。これならば龍脈治療の効果も倍になる」

 両手をすり合わせて呪文を唱える。
 乙姫には初めて聞くその呪文を聞き取れなかった。お経であれば時折見知った単語を聞き取れることはある。様々な書物、五帝大陸から取り寄せたものも目を通しているはずだったがまるでわからなかった。海の原の古語なのか、外国語なのかも判別ができなかった。
 くじらは呪文を唱えながら経穴を指圧していく。一度だけでなく何週にも渡って。
 治療はそのまま加速していく。息継ぎを感じさせないほどに詠唱も加速する。
 すると竜之助の顔に血の気が戻っていく。激痛に悶えていた顔が安らぎを得たように穏やかになっていく。

「さすがですね、龍脈治療……医者として立つ瀬がなくなります」
「あかめ! 戻っていたのか!」

 あかめは乙姫に一礼した後に、

「姫様。この度は島の守護の完遂、誠に──」
「よせよせ。堅苦しいのはなしだ」

 乙姫はぶっきらぼうに手を振る。

「今は肩の力を入れるのも御免被る。それよりも竜之助を見守っていたいのだ」
「ふふ、そうですか。ではご一緒させていただきます」

 あかめは乙姫の側に立ち、くじらの龍脈治療を見守る。
 乙姫は早々に気になることを切り出す。

「ばあやは…………大丈夫なのか」

 あかめがここにいるということは治療を終えたということ。
 それは生死にかかわらずだ。
 あかめの答えは、

「ええ、命に別状はありません。私が着いた時点でも意識はありましたからね。でもかえって大変でしたね。自分よりも姫様の元に向かえと聞かなくて」
「はは、ばあやらしいな……」
「治療を済ませた後に大至急こちらに向かったのですが……必要はなかったようですね」

 あかめは遠い目でくじらの治療を見る。
 龍脈治療は勉学だけでは習得できない秘術中の秘術。医者が匙を投げるような病気、怪我でもたちまち回復させる奇跡の技。しかし奇跡の技は万能ではない。

「いいや、あかめ、お前は必要だ。龍脈治療は人を選ぶ。仙術使いであり、またその土地の龍脈に愛されないと効果は出ないと聞く」
「それでも羨ましいのですよ。自分が救えない者を救ってしまうのですから……」

 どうしても努力だけでは適わないことは無常のこの世には数多く存在する。
 竜宮家に責務があるように医者には医者の矜持がある。
 乙姫はそれ以上踏み込もうとはせずに話題を変える。
 
「……そういえばかれいはどうしたのだ。ついてきているのか」
「いいえ。来ないよう言っても聞かないので取り押さえてもらっています」
「ははは、あとが怖いな……」
「ええ、そうですね。でも、とても幸せです。彼女が好きなように怒って、好きなように笑えるのはこの島とそれを命がけで守ってくれる人のおかげなんですよね……なのに、なのに私は……」

 ぼろりぼろりとあかめは泣き始めた。

「すみません、姫様……共に戦うべき時に、姫様を見捨てるような真似を……いいえ、捨て駒みたいに……!」
「……あれは私が決めたことだ。お前はそれに従っただけだろう。気に病む必要ない」

 乙姫は背中を撫で、肩をそっと抱き寄せる。



 あかめの感情が落ち着いた頃、

「むっ……むむむ……姫様!」

 祈祷を終えたくじらは乙姫を呼ぶ。

「どうかしたのか。まさか何か問題が起きたのか」
「うむ……治療に失敗はない……龍脈も答えてくれた……すべては完璧に滞りなく順調でした……なのに目を覚まさないのじゃ……」
「疲れて眠っているのではないのか」
「ただの熟睡ではない……意識が戻らんのだ……何をしても反応を示さない。耳を引っ張っても、鼻をつまんでも、眉一つ動かさん。試しに股間を握りつぶしてみるか」
「それはよしてやれ。原因はわかるか?」
「さて……儂は祈祷を真っ当したはず……どこかに失敗があったとは」

 頭を抱える二人。
 すると、

「ひょっとしたらですが……本人の生への執着が薄いのかと」

 あかめが議論に参加する。

「いくら名医でも肝心の本人に生きる気力がなければ治るものも治らないのです。竜之助さんはこれまでに辛い人生を送ってきました。もしかしたら、もうこの世に未練も残されていないのかもしれません」

 くじらもその意見に頷く。

「ありえん話ではないな……この世の全ては魔呫から生まれ、魔呫に帰っていく……彼自身が魔呫として帰っていくのを望んでいるのであれば……誰にも止め──」
「認めない! 断じて認めないぞ!」

 乙姫は無言の竜之助を恨めしく睨む。

「……ううむ、振り出しに戻りましたな……おや、いや、だがしかし、はてさて……」

 くじらは腕を組んで熟考した後に、

「……そうじゃ、原始の仙術があったわい」
「原始の仙術? なんだ、それは」
「一言で表せば房中術ですな」
「房中術……房中術!?」
「おお、姫様の年頃でも房中術はわかりますか。さすが女子。耳年増よな。ちょうどいい、姫様がうってつけでしょう。これは仙術使い同士でないと効果がないのじゃ」
「あらあら、おもしろくなってきましたねー」
「あかめ! 面白がってる場合じゃないぞ! そそその、なんだ、寝てる間にあれやこれやをしろというのか!? この私に!!」
「……まあ口同士の接吻で充分なんじゃがな」
「くじら! お前、わかっててからかったな!?」
「まあ、それはつまらない」
「あかめ! 後で覚えておけよ!」

 仕切り直し。

「しかしくじら、私にもその原始の仙術は使えるのか?」
「そうですな、ただの接吻ではだめですな。しかし難しいことではありません。思いの丈を込めて、息を吹き込むのです」
「人工呼吸みたいなものか」
「ええ、目を覚ますまで何度も何度も繰り返す。諦めないことが唯一のコツですかな」
「そうか、それを聞いて安心した。私は竜之助をあきらめるつもりはこれっぽっちもないからな」

 さっそく乙姫は竜之助の側で膝立ちになる。

「あら、案外すんなりとやるんですね。姫様もお年頃ですし、もっと照れるのかと」
「竜之助の命が掛かっているのだ。私情なぞ挟んではいられない」
「……ご立派です、乙姫様」

 とは言ったものの、

(……やはり、少し照れ臭い)

 竜之助に対して嫌悪感を抱いているわけではない。むしろ逆。だからこそ少しの抵抗を感じていた。

(ええい、何を照れてる場合か! 接吻程度で! 私は、竜之助とであれば、その先だって!)

 思考は邪魔。頭を空っぽにして思いの丈を吹き込んでいった。
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