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町の変化

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 空は晴天。温度湿度ともに快適で何をしても日和がついてしまう。
 さぞ町は賑わうだろうと思って来てみれば、

「人っ子ひとりいやしねえな。みんな家事で忙しいんですかね」

 先日までの賑わいが嘘のように閑古鳥が鳴いていた。
 竜之助は足枷を鎖を脛に巻き足の甲の上に鉄球を器用に乗せて道を傷つけないように配慮しながら歩く。

「……そうだな。そういう時もある」

 乙姫の答えはそれだけだった。
 どうして町に出歩いていないのか、なんとなく二人ともわかっていた。
 道には人はいないが建物の中には気配を感じる。そして視線も。

「まあ俺としては助かりますね。ご老人が鉄球に躓いちまったら一大事だからな」

 竜之助としてはこの発言は気を遣ったつもりだったが、

「……すまないな、竜之助……すまない……」

 逆効果になってしまった。 

「な、なんで謝るんですか……変な人だ……」

 人が出歩いていないことは竜之助にとっても悪い話ではない。

(あんまこういう姿を子供には見せたくないからな……)

 いたたまれなくて頭を掻いた。

「クワはあかめさんのところに持っていくんですよね?」
「そうだが……?」
「助かるぜ。美人な姉さんは薬よりも怪我に効きますからね。微笑まれたらもーう痛みも吹っ飛んでいくかもしれませんね」
「……私じゃ無理そうだもんな」

 場の空気を和ませようとして放った冗談が滑った。それどころか乙姫の自尊心まで傷つけたかもしれない。

(……調子が悪い……大人しくしておくか……)

 二人はしばらくしてあかめの家に着く。

「着きましたね、ふう……」

 籠を下ろし、ややだらしないが地べたに座る。

「ご苦労だったな、竜之助」
「ここまで来てなんですが後は頼みます」
「中に入らないのか? あかめなら気にしないと思うが、あ、その、なにとは言わないが」
「あかめさんの他にじゃりんこもいるでしょう? イタズラ好きだからな、めたらやたらに怪我をつっついてきそうだからよ」
「そうか、わかった。だが中に入りたくなったらいつでも入ってくるんだぞ」
「そうですね、雨でも降ったらお邪魔しますよ」
「すぐ終わらせる。荷を下ろしてくるだけだからな」
「ははは、積もる話もあるでしょう、ごゆっくり」

 置いてきぼりになる竜之助。少しの合間の孤独。
 ゆっくりと流れていく雲を見上げると時が長く感じられた。

(……居心地が悪いな)

 ここ最近は常に傍らには誰かしらが立っていた。じろじろとした監視の目やひしひしと伝わる緊張には仕方なしとはいえ困ったものなのだが話し相手には困らなかった。
 離れたからこそ気付く、他人の存在のありがたみ。衣食住への感謝は忘れないのに。

(……いかん、いい大人がなに人恋しくなっていやがる)

 日に日に弱くなっていくのを感じる。身体も、心も。
 鍛錬から日々遠のいている。生きるだけ、それだけの目的に絞っていたため、全盛期の頃より衰えてしまっている。

(お師匠様の修行は厳しかったが飯はしっかりと食わしてくれたんだよな……絶食の修行の時は除いてだが)

 服の上から腹をつねる。

(皮だ。苦戦は必須か)

 忘れてはならない。この島への滞在が許されているのは戦力のためだ。この地上で最も極楽に近い土地が脅かされている。
 善意でこの大罪人を生かしておくほど、この島はお人好しじゃない。
 助けられた分、食った分は働かなくてはいけない。
 乙姫の実力は相当なもの。浦島も気に食わないが実力を認めなくてはならない。
 そこに自分がいる。戦う時に枷を外してくれるとなれば必ずや戦力になってみせる。足手まといにはならない。

(そしていざとなれば盾になってでもお姫さんを──)

 すると突然声が降りかかってくる。

「おい、立て」
「もう用は済んだんですか、お姫さん」
「やれやれ、切り傷で朦朧としているのか? もっと深く切り込むべきだったな」
「いや……このいかにも人を見下したぶしつけな物言いは、浦島か」

 不意打ちで襲い掛かってきた浦島が話しかけてきた。いつもの鎧姿に籠を携えていた。

「今すぐ私と共に来い」
「え? やだ」
「……なに?」
「……なに? じゃなくてさ。当たり前だろ。俺、お前、嫌い。俺ここでお姫さん待つ」
「なるほど……お前はこの場で切られたいのだな? だったらお望み通りに今すぐ楽にしてやる」
「不意打ち以外で俺に傷つけられねえ雑魚が粋がってんじゃねえぞ」
「辞世の句か? 文字数くらい合わせろ」
「これのどこが辞世の句に思えるんだ、能無し」

 浦島の刀が日の光を浴びるその時、

「ちょっと! 二人とも! 人の家でなにやってんの!」

 天から降り注ぐような声量で叱られる。
 否、声は下から轟いていた。

「す、すまねえ、かれい。俺とした大人げがなかったぜ」

 殺気立った二人を止めたのはまだ幼いかれいだった。背中には下の子を背負っていた。
 しわくちゃな顔がさらにしわくちゃになり、しまいには泣き出した。

「ほら、二人が騒ぐから泣いちゃったじゃない!」
「いや、たぶん、お姉ちゃんの声にびっくりしたんじゃ──」
「言い訳しないの!」
「ご、ごめんよー、よちよち泣き止んで。驚かしてごめんねー、このおばさんがちょっかい出してきてだな」

 あやしながらも責任転嫁を忘れない。

「あぁ? おばさんだと?」

 喧嘩の火はなかなか鎮まらない。

「ひとまず決着は後にするとして、お前が俺に何の用だ」
「緊急事態だ。人が要る」
「つまり、お前が俺に力を借りるってことだろ? いやぁ信用ならん! なんで今更この俺に助けを求める!」
「力を借りるつもりもましてや助けを求めるなんて一言も言っていない。ただ、人が要ると言っただけだ」
「ああ言えばこう言う野郎だな、その鼻、鉄球で低くしてやろうか」
「はいはい、竜之助も落ち着いて。浦島様、なるべく本題は早く話すべきかと」
「話すよりも見てもらったほうが早いだろうな。ここに来るまでの道にこれが落ちていた」

 それは持っていた籠。
 真っ先にかれいが覗く。

「これって……葉っぱ? とっても良い香りする葉っぱだね」

 続いて竜之助も覗く。すでに嫌な予感がしていた。

「こりゃあただの葉っぱじゃねえ。山菜だ。どれも収穫時期の……今朝採れたものだ。この持ち主はきっとさよりのばあさんだ。これをどこで拾った」
「屋敷の前だ。ついさっき見つけてきた。屋敷の中を探してみたが彼女の姿はなかった」
「なるほど、緊急事態だ。今すぐ行きたいところだが……待ってくれ」
「どうしたの、竜之助。すぐに行かないの?」
「まずは確認だ。やっぱりここは譲れねえ。どうして俺なんだ? そしてどうして姫さんに相談しない?」
「ふん、部外者のお前にはわからないだろうが姫様は忙しい。お前はここで姫様を待っていたのだろう? しかし不思議に思わなかったか? 籠を下ろすだけに時間がかかりすぎだって」
「そ、そりゃ、そうだが」
「あ、ちょっと私もおかしいって思った。お母さんが私に子供を任せていい天気だから日の光を浴びさせないって言ってた」
「ははっ、どうやらかれいのほうが察しがいいようだな」
「茶化すな。つまり、大事な話の最中ってことだろう」
「ちなみに私は何を話しているかわかっている。だが部外者のお前には絶対に教えないけどな」
「はいはい、口がかたいってのはいいことだ。もう慣れっこだ」
「わかってくれたかな? それではもう一度聞こう。ついてきてくれるかな」

 浦島の問いかけに竜之助は答える。

「嫌だね」
「竜之助!?」

 かれいはまさかの答えに驚く。
 竜之助は立ち上がり、続けて答える。

「お前についていくんじゃねえ。ばあさんを助けに行くんだ」
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