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塩むすび
しおりを挟む「あーつーかれたー!」
竜之助は砂浜に着くと同時に倒れ込む。砂浜は日に照らされてじりじりと熱い。
「これぐらいでへこたれるとは鍛え方がなってないのではないか?」
「あいにくですが街中も全力疾走する鍛錬は積んでないのですよ……砂浜を三日三晩走り続ける鍛錬は経験済みですが」
「なるほど。さてはお前のお師匠様は鬼だな?」
乙姫は懐から三角上に折りたためられた笹の葉を取り出す。開いていくと中からは塩むすび。
「うん、まあ、鬼に違いはありませんが人として優しいところもありましたよ」
竜之助は塩むすびをじっと凝視する。
「……ちゃんとお前の分もあるぞ」
視線に気づいていた乙姫は懐からもう一個、塩むすびが包まれた笹の葉を取り出して竜之助に渡した。
「おお、良かった。お姫さんも人間のようだ」
「なんだ、私を鬼だと思っていたのか?」
竜之助は塩むすびを頬張りながら弁明する。
「いんや、さっきまでの走りっぷりがあまりにも人間離れしていたものでしてね」
乙姫の疾走は島外でも異常。
下り坂でも転倒、怪我を恐れずに全力で走り抜ける。
見知った、身体が覚えた道でも山中とあれば天候によって姿を変える。
つまり条件が異なる道を、正確に踏み場を見極めた上で駆け抜けたことになる。
後を走る竜之助が無事でいられたのも乙姫の導きがあったからだ。彼女が踏んだ場所は必ず安定していた。
引っ張られるというデメリットがあったが、彼女が先行するメリットが大きくそれを上回っていた。
(戦では腕っぷしの強さだけでは生き残れない。判断力が物を言う。お姫さんにそれが備わってる。ぶっちゃけ俺の助け要るか?)
武術も仙術も申し分ない。五十人程度の賊の相手など余裕な気がしないでもない。
(とはいえ、相手にも仙術使い一人でもいたら話が別……なん……)
突如襲う頭痛。
「あれ、俺……」
抜け落ちていた記憶が蘇る。その代償に塩むすびが砂を帯びる。
「どうした、竜之助。今の走り込みでどこかをぶつけたか」
乙姫が竜之助を心配していると、
「姫様」
浦島が音もなく近寄っていた。
「おお、浦島か。ちょうどよかった、頭痛薬は持っていないか? 竜之助が急に苦しみ始めてだな」
「頭痛薬ですか……生憎持ち合わせておりません……もっとも持ってたとしてそいつの分はありませんが」
「浦島、お前な」
乙姫が諭すよりも先に竜之助が回復する。
「大丈夫だ、お姫さん。俺は死んでもこいつの世話にはなりませんよ」
「竜之助も竜之助だ。お前たち仲良くできないのか」
先が思いやれる乙姫だった。
◇
浦島は見張りを終えて城に戻る。
入れ替わりに海女たちがぞろぞろと仕事をしに現れる。
「お姫様。おはようございます。朝早くからお疲れ様です」
「お前たちもな。全員体調に問題はないか」
「くしゃみ咳鼻水、熱がある者はいません。いたって健康ですよ」
「息災で何よりだ」
乙姫と海女が会話をしている横で竜之助はしげしげと海女たちの格好を観察する。
「おい、竜之助。朝からいやらしい目をするんじゃない」
「いやらしい目!? ち、ちが、俺は!」
「やだ~竜之助さんってば。乙姫様よりもこんなおばさんがいいの?」
「待て待てい! 俺は確かに色情魔だが今回は違う! 身体を見ていたのではない、恰好を見ていたのだ」
「恰好? 恰好がどうかしたのか?」
「うむ。ドーマンセーマンの刺繡は島外でも見かけるのだがな、白衣を染めているのだなと」
海女の白衣は島内外関係なく見かける。しかしこの島では白衣が人によって色彩が異なる。
「……もしやこの島には染物職人がいるのか?」
「ああ、いるぞ。腕のいい職人が。これに関しては私が招聘したんだ。海女たちの恰好はいつも白ばかりでは気が滅入ると思ったのだ。着物のように色鮮やかでもいいんじゃないかと。それで各々に好きな色に染めるようにしたのだ。ただまあ命を守るためにも保護色になるような色は避けてもらっているがな。職人の招聘は意外とすんなり決まった。幸い島には染物の素材に恵まれていた。職人も島の環境を気に入ってくれて住まうようになったのだ」
「お姫さんはよく気付くので助かります」
「当主様含めた男たちもよく働いてくれて助かるんだけどね……困ったことに服装には無頓着なのですよね」
日常にありふれた幸せのように語る島民たち。
染物の価値をよく知る竜之助は、なんとか正気を保つ。
「……よし、驚かなかった。俺もそろそろこの島に慣れてきたぞ」
上を向く竜之助を見て、乙姫はふふふと笑う。
「残念ながら口があんぐりと開いたままだぞ」
「ご指摘どうも」
竜之助は顎に手を添えて口を閉じた。
◇
海女たちが仕事に向かう。
また入れ替わりに新たな人間が砂浜に現れる。
「おお、今日の見張りはかれいか」
「……」
かれいと呼ばれた人間は駆けっこにとうに飽きた年頃の少女だった。見た目と変わらずの年齢で未成年。
「……」
かれいは他の島民たちとは違い、乙姫に会釈一つせずに前を通り過ぎていく。竜之助に関しては一瞥もしなかった。
「うお、かんじわる。いいんですか、お姫さん」
「良いのだ」
さっぱりとした返事。
「あんな小さな子供に挨拶されなければ他の者に示しとか」
「それこそ示しが付かなくなるではないか。挨拶されない程度で腹を立てるのはあまりに幼稚。敬意とは自然に生まれ育まれてこそだ」
「人ができてますねえ、お姫さんは」
「それにあの年頃の少年少女は何かと親や年寄りに歯向かうものだ。竜之助にもそんな時期があったのではないか?」
「なくもなかったですよ。ただし一日で終わってしまいましたが」
「ほお、それはまた興味深い。なぜ一日で終わってしまったのだ?」
「……お師匠様に歯向かうのは竜と虎をいっぺんに相手するようなもんですよ」
思い出しただけでげっそりする。
ババアと一言呼んだだけで……よそう、これ以上は触れてはならない。
「なるほど。お師匠様相手なら仕方ないな」
乙姫は同情気味に笑う。
「さて竜之助。体力は回復したか? これから屋根の修理をやってもらうぞ」
「おかげさんで。塩むすび、ごちそうさまでした」
「うむ。味はどうだった?」
「味ですか? 普通に美味しかったですよ」
「そうかそうか。美味しかったか」
朗らかに笑う。
竜之助は察する。
「……ひょっとしてお姫さんの手作りでしたか?」
「ああ、そうだ。走り込みに付き合わせるのだ。飯くらいは私が用意しないとな」
「それを早く言ってくださいよ。じゃなきゃもっと大事に食べたのに」
「なんだ、そんなに美味かったのか? それならば屋根修理の褒美にまた作ってやるぞ」
「そいつは良いことを聞いた。昨日の倍は仕事に身が入りますよ」
手枷をはめられたまま意気揚々に肩を回す。
褒美の効果があり、屋根の修理を昼前に全て終わらせたのだった。
竜之助は砂浜に着くと同時に倒れ込む。砂浜は日に照らされてじりじりと熱い。
「これぐらいでへこたれるとは鍛え方がなってないのではないか?」
「あいにくですが街中も全力疾走する鍛錬は積んでないのですよ……砂浜を三日三晩走り続ける鍛錬は経験済みですが」
「なるほど。さてはお前のお師匠様は鬼だな?」
乙姫は懐から三角上に折りたためられた笹の葉を取り出す。開いていくと中からは塩むすび。
「うん、まあ、鬼に違いはありませんが人として優しいところもありましたよ」
竜之助は塩むすびをじっと凝視する。
「……ちゃんとお前の分もあるぞ」
視線に気づいていた乙姫は懐からもう一個、塩むすびが包まれた笹の葉を取り出して竜之助に渡した。
「おお、良かった。お姫さんも人間のようだ」
「なんだ、私を鬼だと思っていたのか?」
竜之助は塩むすびを頬張りながら弁明する。
「いんや、さっきまでの走りっぷりがあまりにも人間離れしていたものでしてね」
乙姫の疾走は島外でも異常。
下り坂でも転倒、怪我を恐れずに全力で走り抜ける。
見知った、身体が覚えた道でも山中とあれば天候によって姿を変える。
つまり条件が異なる道を、正確に踏み場を見極めた上で駆け抜けたことになる。
後を走る竜之助が無事でいられたのも乙姫の導きがあったからだ。彼女が踏んだ場所は必ず安定していた。
引っ張られるというデメリットがあったが、彼女が先行するメリットが大きくそれを上回っていた。
(戦では腕っぷしの強さだけでは生き残れない。判断力が物を言う。お姫さんにそれが備わってる。ぶっちゃけ俺の助け要るか?)
武術も仙術も申し分ない。五十人程度の賊の相手など余裕な気がしないでもない。
(とはいえ、相手にも仙術使い一人でもいたら話が別……なん……)
突如襲う頭痛。
「あれ、俺……」
抜け落ちていた記憶が蘇る。その代償に塩むすびが砂を帯びる。
「どうした、竜之助。今の走り込みでどこかをぶつけたか」
乙姫が竜之助を心配していると、
「姫様」
浦島が音もなく近寄っていた。
「おお、浦島か。ちょうどよかった、頭痛薬は持っていないか? 竜之助が急に苦しみ始めてだな」
「頭痛薬ですか……生憎持ち合わせておりません……もっとも持ってたとしてそいつの分はありませんが」
「浦島、お前な」
乙姫が諭すよりも先に竜之助が回復する。
「大丈夫だ、お姫さん。俺は死んでもこいつの世話にはなりませんよ」
「竜之助も竜之助だ。お前たち仲良くできないのか」
先が思いやれる乙姫だった。
◇
浦島は見張りを終えて城に戻る。
入れ替わりに海女たちがぞろぞろと仕事をしに現れる。
「お姫様。おはようございます。朝早くからお疲れ様です」
「お前たちもな。全員体調に問題はないか」
「くしゃみ咳鼻水、熱がある者はいません。いたって健康ですよ」
「息災で何よりだ」
乙姫と海女が会話をしている横で竜之助はしげしげと海女たちの格好を観察する。
「おい、竜之助。朝からいやらしい目をするんじゃない」
「いやらしい目!? ち、ちが、俺は!」
「やだ~竜之助さんってば。乙姫様よりもこんなおばさんがいいの?」
「待て待てい! 俺は確かに色情魔だが今回は違う! 身体を見ていたのではない、恰好を見ていたのだ」
「恰好? 恰好がどうかしたのか?」
「うむ。ドーマンセーマンの刺繡は島外でも見かけるのだがな、白衣を染めているのだなと」
海女の白衣は島内外関係なく見かける。しかしこの島では白衣が人によって色彩が異なる。
「……もしやこの島には染物職人がいるのか?」
「ああ、いるぞ。腕のいい職人が。これに関しては私が招聘したんだ。海女たちの恰好はいつも白ばかりでは気が滅入ると思ったのだ。着物のように色鮮やかでもいいんじゃないかと。それで各々に好きな色に染めるようにしたのだ。ただまあ命を守るためにも保護色になるような色は避けてもらっているがな。職人の招聘は意外とすんなり決まった。幸い島には染物の素材に恵まれていた。職人も島の環境を気に入ってくれて住まうようになったのだ」
「お姫さんはよく気付くので助かります」
「当主様含めた男たちもよく働いてくれて助かるんだけどね……困ったことに服装には無頓着なのですよね」
日常にありふれた幸せのように語る島民たち。
染物の価値をよく知る竜之助は、なんとか正気を保つ。
「……よし、驚かなかった。俺もそろそろこの島に慣れてきたぞ」
上を向く竜之助を見て、乙姫はふふふと笑う。
「残念ながら口があんぐりと開いたままだぞ」
「ご指摘どうも」
竜之助は顎に手を添えて口を閉じた。
◇
海女たちが仕事に向かう。
また入れ替わりに新たな人間が砂浜に現れる。
「おお、今日の見張りはかれいか」
「……」
かれいと呼ばれた人間は駆けっこにとうに飽きた年頃の少女だった。見た目と変わらずの年齢で未成年。
「……」
かれいは他の島民たちとは違い、乙姫に会釈一つせずに前を通り過ぎていく。竜之助に関しては一瞥もしなかった。
「うお、かんじわる。いいんですか、お姫さん」
「良いのだ」
さっぱりとした返事。
「あんな小さな子供に挨拶されなければ他の者に示しとか」
「それこそ示しが付かなくなるではないか。挨拶されない程度で腹を立てるのはあまりに幼稚。敬意とは自然に生まれ育まれてこそだ」
「人ができてますねえ、お姫さんは」
「それにあの年頃の少年少女は何かと親や年寄りに歯向かうものだ。竜之助にもそんな時期があったのではないか?」
「なくもなかったですよ。ただし一日で終わってしまいましたが」
「ほお、それはまた興味深い。なぜ一日で終わってしまったのだ?」
「……お師匠様に歯向かうのは竜と虎をいっぺんに相手するようなもんですよ」
思い出しただけでげっそりする。
ババアと一言呼んだだけで……よそう、これ以上は触れてはならない。
「なるほど。お師匠様相手なら仕方ないな」
乙姫は同情気味に笑う。
「さて竜之助。体力は回復したか? これから屋根の修理をやってもらうぞ」
「おかげさんで。塩むすび、ごちそうさまでした」
「うむ。味はどうだった?」
「味ですか? 普通に美味しかったですよ」
「そうかそうか。美味しかったか」
朗らかに笑う。
竜之助は察する。
「……ひょっとしてお姫さんの手作りでしたか?」
「ああ、そうだ。走り込みに付き合わせるのだ。飯くらいは私が用意しないとな」
「それを早く言ってくださいよ。じゃなきゃもっと大事に食べたのに」
「なんだ、そんなに美味かったのか? それならば屋根修理の褒美にまた作ってやるぞ」
「そいつは良いことを聞いた。昨日の倍は仕事に身が入りますよ」
手枷をはめられたまま意気揚々に肩を回す。
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