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さよりと乙姫
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先日と同じく腰に縄を結ばれる竜之助。
乙姫に引かれるがままに玄関へと引っ張り出される。
「しっかりとわらじを結んでおくのだぞ」
「はあ、わかりやした……」
寝起きの頭のために乙姫の言うことははいはいと素直に聞く。
玄関を出るとばあやが立っていた。
「姫様。お水でございます」
「うむ」
竹の器に並々と入った水を一気に飲み干す。
「竜之助。お前にもだ」
「……ありがたや」
喉をつくほどの冷たい水を飲み込むと刺激で頭が冴えてくる。
日が昇りきっていない早朝。やや肌寒く、布団が恋しくなる。
「お姫さん。これから何をするおつもりなんです?」
「日課の走り込みだ」
「走り込みですか……体力づくりの基本ですものね。俺は充分に回復してないので二度寝させていただきますね。あの小豆枕でないとこの疲れは取れんん……」
「たわけ。お前も来るのだ」
乙姫が紐を引っ張り、竜之助の動きを止める。
「ええ……なんでですか……」
「私にはお前を監視する義務があるからな。かといって日課を疎かにするわけにもいかない。ということで竜之助にも付き合ってもらうことにした。幸い体力があるし問題はないだろう」
「いやだから体力ないんです小豆枕ちゃんが俺を呼んでいるんです」
「随分と布団を気に入ったようだな……先日の働き者のお前はどこに行ったんだ」
「朝は弱いんですよ……それに何か月ぶりのお布団様なんすよ……ねえ、だから……二度寝しててもいいっすか?」
「さてそろそろ出発しないとな」
「俺の話まるで無視!? そうだお姫さん、せめて朝食! 朝食を取ってからにしましょう!?」
「そうだな、栄養補給は大事だ」
「ね? そうでしょう?」
「だが駄目だ」
「なんで!?」
「走り込みをするのだ、戻してしまったらどうする」
「ちょっと待ってください。お姫さんの走り込みって飯を戻すほどの」
「それじゃあばあやいってくるぞ」
竜之助の話が終わらないうちに走り出す乙姫。初速から風のように早い。
「うううおおおお!? 身体が浮いたぞ!?」
風に乗った凧のように竜之助の身体が浮く。
「いってらっしゃいませ」
ばあやはひどく冷静に二人を見送った。
◇
走り出して早々に森の中の山道に入る。つづら折りの下り坂でも、しの字に曲がった道に差し掛かっても減速はしない。
猪突猛進の勢いで山道を下っていく。
「いきなり全力か!? 死ぬ気か!?」
「まさか。最初から飛ばしては身体に悪いぞ? そんなことも知らぬのか」
「これでまだ手加減してんのかよチクショウ! 山伏と共に山下りしたことがあったが! こんな速度では下りなかったぞ!!?」
必死についていく竜之助。時折身体が浮くが体勢を整えて辛うじて地面を蹴る。
地面は決して平たんではない。石や土、ぬかるみが待っている。踏み外さないようにより良い踏み場を探り、生をかみしめながら固い地面を踏みしめる。
「お師匠様の無茶苦茶な修業を思い出すよまったく!」
一瞬の油断が命取りになる。肌で感じる危機は浦島と切り合いした時よりもはるかに上。
「六根清浄と声出ししながら降りたらどうだ? 竜之助は欲まみれだからな」
「そんな余裕はねえとおおお!?」
身体が浮いている真っ最中に目の前に石灯篭が現れる。何合目かを教える目印となっている。
「なんのおおお!!!」
身をよじらせてすんでで回避する。
「おお、見事。さすが竜之助だ、よく見えている」
「一瞬三途の川まで見えたぜ……」
「もうすぐで緩やかな道になる。少し減速としよう」
「……普通逆じゃないですかね」
◇
上町に差し掛かると、一人の老婆が現れる。上町の中でもひときわ立派な屋敷から出てくる。桶と柄杓を持っていた。水打ちをしようとしているところだった。
水を撒く前に乙姫の姿を見ると手を止めてお辞儀をする。
「昨日ぶりでございますね、姫様」
「ああ、さよりか。変わりないようで何よりだ」
「この年まで生き長らえているのは龍神様と竜宮家のおかげ。何より姫様のおかげでございます」
「よせ。遠い昔の話だ」
「さよりは今でもあの時のことを昨日のように思い出しますよ」
深く感謝されているのに気まずそうにする乙姫。
その時、ぐうううう、と音が鳴る。
「おお、会話の最中すまねえ。腹の虫が鳴っちまった」
「おや、知らない顔だねえ。どちらさんだい」
普通の反応。
しかし竜之助にとって意外であり新鮮でもあった。
「俺を見ても開口一番に不埒者と言わないのはお前さんが初めてだよ。竜之助だ。よろしくな、さよりばあさん」
「何をしでかしたが知らんが手枷をはめられ、それに皆に不埒者呼ばわりか……かわいそうにねえ……」
「おおおお……おおおお!」
大仰に感動してみせる。
この島に来て初めての同情。これで感動しなくていつ感動する。
「俺の気持ちわかってくれるのかい? 優しいばあさんだなあ。よく見たら大層べっぴんさんじゃねえか。困ったことがあったら何でも言ってくれ。力になっからよ」
「気をつけよ、さより。こいつは下心をもって女に近づくからな。襲われぬようにな」
「こんなばあさんを襲うわけねえだろ!」
「ふふふ……姫様と仲が良さそうでございますね」
「な!? 誰がこんな不埒者と仲良くなるか!」
「照れるなよ~お姫さん」
にやにやと茶化す竜之助。
「……投げられたいか?」
冷たく睨む乙姫。
「砂浜水面畳みの上以外の投げ技は洒落にならんから勘弁してくれ」
「冗談だ。本気で私がすると思うか?」
「……」
「なんでそこで無言になる!?」
さよりはくすくすと笑う。
「やはり仲がよろしいようで。姫様、どうか竜之助なるこの男に恩情を与えてください」
「……恩情を与えるかどうかは龍神様がお決めになることだ。長居した。これにて失礼します」
「おお、もう行くのか。そんじゃな、さよりばあさん。何かあったらいつでも呼んでくれ。すぐ駆けつけるからよ」
「ああ、ありがとうね。こんな死にぞこない風情に優しくしてくれて」
「死にぞこ……なんだって」
竜之助は聞き返すが腹に巻かれた縄が食い込む。
乙姫が先を急ごうと引っ張っていた。
「……機会があったらまたゆっくり話そうぜ。じゃあな」
乙姫と竜之助はさよりの住む屋敷から離れる。
さよりは二人が見えなくなるまで屋敷の前で見送った。
乙姫に引かれるがままに玄関へと引っ張り出される。
「しっかりとわらじを結んでおくのだぞ」
「はあ、わかりやした……」
寝起きの頭のために乙姫の言うことははいはいと素直に聞く。
玄関を出るとばあやが立っていた。
「姫様。お水でございます」
「うむ」
竹の器に並々と入った水を一気に飲み干す。
「竜之助。お前にもだ」
「……ありがたや」
喉をつくほどの冷たい水を飲み込むと刺激で頭が冴えてくる。
日が昇りきっていない早朝。やや肌寒く、布団が恋しくなる。
「お姫さん。これから何をするおつもりなんです?」
「日課の走り込みだ」
「走り込みですか……体力づくりの基本ですものね。俺は充分に回復してないので二度寝させていただきますね。あの小豆枕でないとこの疲れは取れんん……」
「たわけ。お前も来るのだ」
乙姫が紐を引っ張り、竜之助の動きを止める。
「ええ……なんでですか……」
「私にはお前を監視する義務があるからな。かといって日課を疎かにするわけにもいかない。ということで竜之助にも付き合ってもらうことにした。幸い体力があるし問題はないだろう」
「いやだから体力ないんです小豆枕ちゃんが俺を呼んでいるんです」
「随分と布団を気に入ったようだな……先日の働き者のお前はどこに行ったんだ」
「朝は弱いんですよ……それに何か月ぶりのお布団様なんすよ……ねえ、だから……二度寝しててもいいっすか?」
「さてそろそろ出発しないとな」
「俺の話まるで無視!? そうだお姫さん、せめて朝食! 朝食を取ってからにしましょう!?」
「そうだな、栄養補給は大事だ」
「ね? そうでしょう?」
「だが駄目だ」
「なんで!?」
「走り込みをするのだ、戻してしまったらどうする」
「ちょっと待ってください。お姫さんの走り込みって飯を戻すほどの」
「それじゃあばあやいってくるぞ」
竜之助の話が終わらないうちに走り出す乙姫。初速から風のように早い。
「うううおおおお!? 身体が浮いたぞ!?」
風に乗った凧のように竜之助の身体が浮く。
「いってらっしゃいませ」
ばあやはひどく冷静に二人を見送った。
◇
走り出して早々に森の中の山道に入る。つづら折りの下り坂でも、しの字に曲がった道に差し掛かっても減速はしない。
猪突猛進の勢いで山道を下っていく。
「いきなり全力か!? 死ぬ気か!?」
「まさか。最初から飛ばしては身体に悪いぞ? そんなことも知らぬのか」
「これでまだ手加減してんのかよチクショウ! 山伏と共に山下りしたことがあったが! こんな速度では下りなかったぞ!!?」
必死についていく竜之助。時折身体が浮くが体勢を整えて辛うじて地面を蹴る。
地面は決して平たんではない。石や土、ぬかるみが待っている。踏み外さないようにより良い踏み場を探り、生をかみしめながら固い地面を踏みしめる。
「お師匠様の無茶苦茶な修業を思い出すよまったく!」
一瞬の油断が命取りになる。肌で感じる危機は浦島と切り合いした時よりもはるかに上。
「六根清浄と声出ししながら降りたらどうだ? 竜之助は欲まみれだからな」
「そんな余裕はねえとおおお!?」
身体が浮いている真っ最中に目の前に石灯篭が現れる。何合目かを教える目印となっている。
「なんのおおお!!!」
身をよじらせてすんでで回避する。
「おお、見事。さすが竜之助だ、よく見えている」
「一瞬三途の川まで見えたぜ……」
「もうすぐで緩やかな道になる。少し減速としよう」
「……普通逆じゃないですかね」
◇
上町に差し掛かると、一人の老婆が現れる。上町の中でもひときわ立派な屋敷から出てくる。桶と柄杓を持っていた。水打ちをしようとしているところだった。
水を撒く前に乙姫の姿を見ると手を止めてお辞儀をする。
「昨日ぶりでございますね、姫様」
「ああ、さよりか。変わりないようで何よりだ」
「この年まで生き長らえているのは龍神様と竜宮家のおかげ。何より姫様のおかげでございます」
「よせ。遠い昔の話だ」
「さよりは今でもあの時のことを昨日のように思い出しますよ」
深く感謝されているのに気まずそうにする乙姫。
その時、ぐうううう、と音が鳴る。
「おお、会話の最中すまねえ。腹の虫が鳴っちまった」
「おや、知らない顔だねえ。どちらさんだい」
普通の反応。
しかし竜之助にとって意外であり新鮮でもあった。
「俺を見ても開口一番に不埒者と言わないのはお前さんが初めてだよ。竜之助だ。よろしくな、さよりばあさん」
「何をしでかしたが知らんが手枷をはめられ、それに皆に不埒者呼ばわりか……かわいそうにねえ……」
「おおおお……おおおお!」
大仰に感動してみせる。
この島に来て初めての同情。これで感動しなくていつ感動する。
「俺の気持ちわかってくれるのかい? 優しいばあさんだなあ。よく見たら大層べっぴんさんじゃねえか。困ったことがあったら何でも言ってくれ。力になっからよ」
「気をつけよ、さより。こいつは下心をもって女に近づくからな。襲われぬようにな」
「こんなばあさんを襲うわけねえだろ!」
「ふふふ……姫様と仲が良さそうでございますね」
「な!? 誰がこんな不埒者と仲良くなるか!」
「照れるなよ~お姫さん」
にやにやと茶化す竜之助。
「……投げられたいか?」
冷たく睨む乙姫。
「砂浜水面畳みの上以外の投げ技は洒落にならんから勘弁してくれ」
「冗談だ。本気で私がすると思うか?」
「……」
「なんでそこで無言になる!?」
さよりはくすくすと笑う。
「やはり仲がよろしいようで。姫様、どうか竜之助なるこの男に恩情を与えてください」
「……恩情を与えるかどうかは龍神様がお決めになることだ。長居した。これにて失礼します」
「おお、もう行くのか。そんじゃな、さよりばあさん。何かあったらいつでも呼んでくれ。すぐ駆けつけるからよ」
「ああ、ありがとうね。こんな死にぞこない風情に優しくしてくれて」
「死にぞこ……なんだって」
竜之助は聞き返すが腹に巻かれた縄が食い込む。
乙姫が先を急ごうと引っ張っていた。
「……機会があったらまたゆっくり話そうぜ。じゃあな」
乙姫と竜之助はさよりの住む屋敷から離れる。
さよりは二人が見えなくなるまで屋敷の前で見送った。
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