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平和な世界線in女体化
女になっちまいました2
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全身映る鏡台に俺自身が呆然とする。エステに加えてヘアメイクと衣裳で着飾った自分の姿は、どこからどう見ても女の子っぽいお嬢様であった。
「綺麗になったな。貧乏地味男……じゃなかった貧乏地味子か」
俺の姿を見てニヤニヤしながら矢崎がやって来た。しかも矢崎もそれなりの正装姿である。髪は整えられ、高級そうなスーツ姿はムカつく程似合っていた。
「どういうつもりだこれは。なんでこんな事しやがった」
「なんでって……そんなのお前に綺麗になってほしいからだろ」
「や、俺は元男だったんだから綺麗とかいらない。余計な世話すんな」
「でも今はお前は女だ。平凡地味だが磨けば光るタイプ。実はよく見るとそれなりに見られる顔だ。実に結構。可愛いよ」
「何が可愛いだ」
「女は言われて嬉しい言葉だろ。特にイケメンだなんだ言われてる男に」
「自分でイケメン言うな。つか嬉しいと思うか。お前に言われても罰ゲームにしか聞こえない。元男だという事を忘れんな」
「けっ……相変わらず中身は可愛くねぇ奴」
「可愛くなくて結構。元男を舐めるなよ」
睨みつけたら、矢崎は「ふ」って鼻で笑いやがった。なんか見下された気がして癪だ。いつもみたいに威圧感が出せないのがもどかしい。
「じゃあ、とりあえず行くぞ」
「あ?どこへだよ」
「夜の食事デート」
否応なしにまたしても車に乗せられて拉致された俺は、自分の力の無さを思い知った。女になったせいで矢崎の力に全く対抗できなくなってしまったのだ。悔しい。
「弱体化ってやつか」
「うるせえな」
「今のお前ならなんだってしてしまえそうだ。たとえば……この場で手籠めにする事だって、な」
流し目からジッとこちらを見つめて来て、さりげなくにじり寄ってくる矢崎に体が強張った。
「おい。ちょ、何をする気だよ。こっちくるなよ」
「…………」
「ちょ、やめr」
妙な恐怖心に震えて目をぎゅっと閉じると、
「……なんだこれ」
「膝枕だろ」
矢崎は俺の膝の上にぽすんと頭を乗せていた。それに拍子抜けする。
「膝枕とか脅かしやがって。ムカつく」
「怖かったのか。ふふふ。お前でもあんなビビった顔するんだな」
「うるせえな。いつかてめえを泣かしてやるからな。覚えとけ」
自分が女になったからこそ、本能的に男の怖さを少し知った。もし今、矢崎に襲い掛かられでもすれば自分は抵抗すらままならなかっただろう。それほど、非力な女の力と矢崎の男の力の差は歴然であると思い知った。
「なんか変な感じだな。お前が女になったなんて」
「何が変だよ。変なのはこっちの台詞だ」
「お前がそばにいると……よく眠れそうだ……」
矢崎の瞼がゆっくり閉じられる。おい、そのまま寝る気か。
「着いたら起こせよ」
「あ、ちょっと」
間もなく、矢崎の寝息が静かに響いてきた。
「ったく。マジで寝やがった。俺をこのままにしといてよく寝れるもんだ」
昼間あれほど体育倉庫で寝たんじゃねぇのかよって思うくらいよく寝れるものだ。まあ、車内でじっと見つめられるなんて事をされるよりましだ。そんな事をされれば心臓がいくつあっても足りないし、胸がぎゅっと息苦しくて耐えられなかった。
息苦しいなんて表現は変だが、こいつに見つめられると正気でいられない時がある。誰かを意識するってこういう事なんだろうが、そんなのまるでこいつに気があるみたいで自分としては認めたくない事。
俺は男で、こいつも男。だから間違いは起きないはずだ。
それにしても無防備だ。財閥のお坊ちゃんのくせしてなぜこんなに無防備になれるのだろう。たしかに何かをするわけでもないが、安心しすぎだ。
「銀髪クソヤローが」
さらりと寝ている矢崎の柔らかい髪を撫でて、とりあえずふうっと溜息を吐いた。それからぼうっと窓の外の喧騒を眺める事30分――都内の高級レストランに到着し、寝ている矢崎を揺り起こす。
「おい、矢崎。運転手が到着したってよ」
「ん……」
「おい、起きr」
一瞬だけ唇に柔らかい感触がした。俺は茫然としていた。
「っ、何すんだっ!」
脳内がそれを理解するまでに一秒を要した。顔に熱がこもる。
「寝ぼけてお前にキスしちまった。悪い悪い」
あっけらかんと言う矢崎。悪びれもない。
「てめえ……よくも二回も俺に!」
「二回目だからいいじゃねぇか。体育倉庫に閉じ込められた時もシタから慣れてるだろ」
「慣れるか!お前、他の女にもこんな事してんのか?ほんっとーに四天王は遊び人の吹き溜まりd「勘違いすんな」
急にどすのきいた低い声にぎよっとする。
「他のカスみたいな女にするわけないだろ。冗談じゃねぇから」
「カスみたいって」
「お前だからするんだよ」
真剣な深海の瞳と重なる。そう言われてもう一度キスをされた。重ねるだけのものであっても強く密着させるもので、俺はなぜかそのキスに抵抗ができなかった。
ホテルの最上階は権威のある会員制の高級レストランであった。著名人やセレブが御用達の店で、矢崎も時々ここで財政界や社交界の連中と食事をするのだと話していた。俺としては住んでいる世界が違いすぎて返事に困り、ふーんとしか言えなかった。
支配人に案内されてエレベーターが最上階に到着すると、コンシェルジュが恭しく畏まり、VIP席という場所へ案内される。優雅な生演奏のピアノがマジシャレオツだ。
「手を出せ」
「は?え」
わけもわからず差し出すと、それを握られてエスコートされる。そして案内された座席に丁寧に座らせられた。レディファーストってやつかな。さっきから普段と違って紳士的な態度だ。
こいつほんまに矢崎か。珍しさもあって、矢崎が矢崎じゃないように思えた。学校ではあんなに傍若無人で冷酷な支配者を窺わせるというのに、時と場合によっていろんな顔を見たよ。
多分自分が女だからって事で社交の場を意識してそうしているのだろう。男だったらまだこうはしないだろうし、 セレブの世界とやらは本音と建て前が顕著に出る世界だ。
「お前は何飲むんだ?ノンアルでいいだろ」
「え、あーうん」
どぎまぎしながらメニュー表を見渡した。何て書いてあるか全くわからん。ほとんどフランス語で表記されている。ノリと雰囲気で読むふりをした。
「じゃじゃあ番茶で」
「おい、ここはそこらの定食屋じゃねーんだぞ。番茶とかあるわけねーだろ。相変わらず貧乏くせーな。ぷーくすくす」
間抜けだなと矢崎に笑われ、俺は恥ずかしくなってメニュー表を矢崎の顔面にぶん投げた。
「ついいつもの癖で番茶頼んじまうんだよ!悪いか!」
「何逆切れしてんだよお前」
顔面にメニュー表を受けながら無傷な矢崎にますますムカつくものだ。
「お前が笑うからだろっ!そもそも貧乏人がこんな場所で食事するのがまずおかしいだろ」
「それは悪いと思ってる。でも、いつもと違うお前だからこそ、この手の店に来たかった。綺麗になったお前と一緒にいたかった。そんなお前は……イヤなのか……?」
急に矢崎のしんみりした表情に何も言えなくなる。そんな表情は反則だ。
「や、別にそこまで、イヤ、じゃないけど……せっかくお膳立てしてくれたから……」
「なら受け入れろよ、素直に」
「……ま、まあ、お前が金払ってくれるわけだし……俺、一円もないし。だから今後気がかわった請求する、とかやめてくれよな」
「オレが無理やり連れてきたんだ。出させるわけねーだろ。恥かかせんな」
「っ、そりゃさーせん」
なんだかなー……
俺は少し冷静さを欠いていた。先程キスをされた事で妙に矢崎を意識してしまっていて、視線を彷徨わせていた。体育倉庫の時はすぐに忘れることができたが、今はなぜか矢崎の顔が見れない程ソワソワして落ち着かない。まともに見たら恥ずかしくて動転してしまうほど、顔をあわせられなくなっていた。
ああ、くそ。食事もあんまりのどを通らない。なんでこんなソワソワしなきゃならんのだ。せっかくの超高級なフランス料理の味も優雅な音楽もわからないままだ。
「あら、直じゃなーい」
向こうの席に座っていたドレス姿の美女が矢崎に近寄ってきた。腰までの長い髪に抜群のプロポーションとその美貌に誰もが目を見張り、誰もが釘づけ。胸の谷間を惜しげもなく見せるような際どいドレス姿は、ほぼすべての男性客の興奮さえも誘っていた。
「梨華……」
「久しぶりねー。数か月前にパリであったぶりじゃんっ」
「そうだったか」
その美女は直に堂々と軽いノリで話していた。顔見知りのようである。
「ねえ、あれもしかして網走梨華じゃない?あの有名な女優の!」
「世界的女優でしょ?最近パリコレにゲストで出てたよね。しかもあの四天王の矢崎直様と一緒にしゃべってるし!」
「美男美女絵になるわぁ」
この女性はTVで見る世界的有名なハリウッド女優であるらしい。外野からのヒソヒソ話で納得。TVや映画で見たことがある。プロポーションはもちろんの事、その美貌や演技力に定評があり、19歳という若さで世界的人気にのぼりつめた。
生で見るとより一層綺麗な人だと思う。テレビや雑誌で見るより生で見た方がより綺麗さが鮮明で、放つオーラが一般のものと全然違う。華があるってこういう事だろう。
たしかに絵にはなる。矢崎と一緒にいると美男美女そのもので、二人が並ぶと一枚の絵画だ。
「ねえ、今日この後一緒に飲まない?バー貸し切ってんの」
「悪いが連れの女がいる。また今度にしてほしい」
「え、直に連れの女?」
驚くように返す網走という女性が俺の方を向いた。
「その子の事?」
次第に彼女の顔がまるで嘲笑うようなものに変わっていく。
「やだー直ってば趣味変わった?あんな芋臭い地味子がタイプなの~?信じられなーい」
おい。聞こえてんですけど。
芋臭い地味で悪かったな。地味かはともかくとして男だった時はそこまで芋臭さはなかったはずだ。多分。
「たしかに可愛いと思うけど直のタイプじゃないでしょ。あなたの好きなタイプはセックスがうまくて面倒くさくない女でしょ?あたしみたいなサバサバした感じの~」
自称サバサバ系女ってやつか。無駄に自分に自信がありすぎるっていうか、まあ自信がなきゃハリウッドでスターになんてなれないだろうけど。
まあ、それよりだ。
「あらやだ。実に素敵に無敵な好みですわねぇ~直様って。ミャハ」
つい口が滑ってしまった。柄にもなく直様呼びの最高の皮肉がきいたのか矢崎は苛立つように舌打ちをし、網走を睨む。
「……梨華、口を慎めよ」
「あら、ごめ~ん。でも、直にはあわないでしょ。どこの金持ちのお嬢様か知らないけど、直は淡白でサバサバしているような子の方があいそうだわ。その子どう見たって重そうじゃない。大人しそうな子って重そうっていうでしょ」
別に大人しいというわけではない。やる時はやるタイプである。あと重そうだなんて心外だ。むしろ逆。俺の方が矢崎よりかは淡白だと思うんだけどなあ。
そもそもこの女さん、綺麗な顔してズケズケ言ってくる所が明らかにこちらにマウントを取ろうとしてきているのがわかる。きっとこちらを矢崎にまとわりつくウジ虫女とみなして見下しているのだろう。
冗談じゃない。別に矢崎とはそういう関係ではないので誤解をされても困る。マウントとるだけ無駄ってやつだ。
付き合ってられないとばかりに俺は席を立ちあがった。一回ちょっと頭を冷やしてこよう。
「架谷?」と、俺を気にする矢崎。
「アタクシ、お花畑に行ってきますわん」
本当はこのまま帰ろうかと思ったが、まだコース料理の途中なので名残惜しさが勝った。
「あーつっかれるな、このカッコもあの場所も」
お花畑で深いため息を吐いた。あの網走とかいう女にストレスを感じたのはもちろんの事、矢崎と網走が近距離で仲良さげに話していたのもなんか気に食わなかった。
つかなんでイライラしてんだろ。矢崎が誰と話していようが関係ないはずだ。相手の女のマウント争いにも加わるつもりも毛頭ない。
もうちっとビークールになりたいぜよ。平常心平常心。ちなみに今回はフツーに女子トイレに入る事が出来たのは堂々と女でいるからである。
「あら、まーだトイレにいたのあなた」
「げ」
女子トイレに入ってきたのは先ほどの網走梨華であった。間近で見ると本当に綺麗な女である。男であった頃なら性的な目でオカズ対象にしていただろうが、今はたとえ男であったとしてもその気さえ起きない。
「ねえ、あなた……甲斐さん、だっけ」
「あーはい。そーですがなぜ名前を?」
「直から聞いたの」
「ア、ソーデスカ」
別に教えなくてもいいのに。余計なトラブルに巻き込まれちまうだろうが矢崎のアホ。と、心の声で悪態をぼやく。
「あなたさ、直の何?」
「はい……?」
「直はね、今まで一度だってこの店に女を連れて来た事がなかったのよ。女の連れという自体があり得ない事なんだから。遊びで付き合ってる女がいたとしても、その女を本命にするどころか特別扱いだってした事がないのに」
「へぇ、そーなんれすか。ちゅーかそんな事を言われても俺わかんねーっす」
自分が特別扱いなんてされているとは思わない。あいつは気まぐれだと思うし、キスだって普通に誰とでもしていそうだから別に驚かない。先ほどのキスもきっと遊びでしたに違いないだろう。俺をおちょくるためとヒマつぶしの道具扱いで。
いいよな、金持ちって。金さえあればいくらでも暇をつぶせて。俺もそんなヒマと余裕がほしいべよ。
「じゃあ、どうやって直と知り合えたの?あの人に気に入られる事自体がすごい事なのに、知りあえてその上二人きりでここで食事だなんてありえない」
「さあ、ほんとにわかんなくてですね……」
「あんたみたいな地味が直と釣り合うわけないじゃない。いい気になってんじゃねーよ芋臭ブス」
なるほど。それが本性か。
開星の親衛隊に属するチワワ軍団に匹敵するくらいの醜い顔が露わになっていて、唖然としていると、頭に思いっきり何かをかけられた。食事に出されたワインである。
「ワインも滴るいい女になったわねー。それで直の所に戻ってみたら~?心配されるかもよ。でも無理よねえ~。濡れたおかげで可愛い下着が丸見えなんだから。まるで娼婦みたいよ」
「ぎょえ」
両腕で露わになった部分を隠す。隠しても無駄なくらい染み込んでスケスケになっている。男であったなら、ワインを掛けられる前に行動を起こしていただろうが、今の自分は絶賛弱体化中。素早くもなければ力もないか弱い乙女(笑)である。
「じゃあね~ブス子ちゃーん」
らんらんるーんで去って行く網走とかいう性悪女。本性を現したあの手の女にしてやられた俺は、仕返しにゴキおもちゃをぶん投げたが、残念ながら空を切った。
「綺麗になったな。貧乏地味男……じゃなかった貧乏地味子か」
俺の姿を見てニヤニヤしながら矢崎がやって来た。しかも矢崎もそれなりの正装姿である。髪は整えられ、高級そうなスーツ姿はムカつく程似合っていた。
「どういうつもりだこれは。なんでこんな事しやがった」
「なんでって……そんなのお前に綺麗になってほしいからだろ」
「や、俺は元男だったんだから綺麗とかいらない。余計な世話すんな」
「でも今はお前は女だ。平凡地味だが磨けば光るタイプ。実はよく見るとそれなりに見られる顔だ。実に結構。可愛いよ」
「何が可愛いだ」
「女は言われて嬉しい言葉だろ。特にイケメンだなんだ言われてる男に」
「自分でイケメン言うな。つか嬉しいと思うか。お前に言われても罰ゲームにしか聞こえない。元男だという事を忘れんな」
「けっ……相変わらず中身は可愛くねぇ奴」
「可愛くなくて結構。元男を舐めるなよ」
睨みつけたら、矢崎は「ふ」って鼻で笑いやがった。なんか見下された気がして癪だ。いつもみたいに威圧感が出せないのがもどかしい。
「じゃあ、とりあえず行くぞ」
「あ?どこへだよ」
「夜の食事デート」
否応なしにまたしても車に乗せられて拉致された俺は、自分の力の無さを思い知った。女になったせいで矢崎の力に全く対抗できなくなってしまったのだ。悔しい。
「弱体化ってやつか」
「うるせえな」
「今のお前ならなんだってしてしまえそうだ。たとえば……この場で手籠めにする事だって、な」
流し目からジッとこちらを見つめて来て、さりげなくにじり寄ってくる矢崎に体が強張った。
「おい。ちょ、何をする気だよ。こっちくるなよ」
「…………」
「ちょ、やめr」
妙な恐怖心に震えて目をぎゅっと閉じると、
「……なんだこれ」
「膝枕だろ」
矢崎は俺の膝の上にぽすんと頭を乗せていた。それに拍子抜けする。
「膝枕とか脅かしやがって。ムカつく」
「怖かったのか。ふふふ。お前でもあんなビビった顔するんだな」
「うるせえな。いつかてめえを泣かしてやるからな。覚えとけ」
自分が女になったからこそ、本能的に男の怖さを少し知った。もし今、矢崎に襲い掛かられでもすれば自分は抵抗すらままならなかっただろう。それほど、非力な女の力と矢崎の男の力の差は歴然であると思い知った。
「なんか変な感じだな。お前が女になったなんて」
「何が変だよ。変なのはこっちの台詞だ」
「お前がそばにいると……よく眠れそうだ……」
矢崎の瞼がゆっくり閉じられる。おい、そのまま寝る気か。
「着いたら起こせよ」
「あ、ちょっと」
間もなく、矢崎の寝息が静かに響いてきた。
「ったく。マジで寝やがった。俺をこのままにしといてよく寝れるもんだ」
昼間あれほど体育倉庫で寝たんじゃねぇのかよって思うくらいよく寝れるものだ。まあ、車内でじっと見つめられるなんて事をされるよりましだ。そんな事をされれば心臓がいくつあっても足りないし、胸がぎゅっと息苦しくて耐えられなかった。
息苦しいなんて表現は変だが、こいつに見つめられると正気でいられない時がある。誰かを意識するってこういう事なんだろうが、そんなのまるでこいつに気があるみたいで自分としては認めたくない事。
俺は男で、こいつも男。だから間違いは起きないはずだ。
それにしても無防備だ。財閥のお坊ちゃんのくせしてなぜこんなに無防備になれるのだろう。たしかに何かをするわけでもないが、安心しすぎだ。
「銀髪クソヤローが」
さらりと寝ている矢崎の柔らかい髪を撫でて、とりあえずふうっと溜息を吐いた。それからぼうっと窓の外の喧騒を眺める事30分――都内の高級レストランに到着し、寝ている矢崎を揺り起こす。
「おい、矢崎。運転手が到着したってよ」
「ん……」
「おい、起きr」
一瞬だけ唇に柔らかい感触がした。俺は茫然としていた。
「っ、何すんだっ!」
脳内がそれを理解するまでに一秒を要した。顔に熱がこもる。
「寝ぼけてお前にキスしちまった。悪い悪い」
あっけらかんと言う矢崎。悪びれもない。
「てめえ……よくも二回も俺に!」
「二回目だからいいじゃねぇか。体育倉庫に閉じ込められた時もシタから慣れてるだろ」
「慣れるか!お前、他の女にもこんな事してんのか?ほんっとーに四天王は遊び人の吹き溜まりd「勘違いすんな」
急にどすのきいた低い声にぎよっとする。
「他のカスみたいな女にするわけないだろ。冗談じゃねぇから」
「カスみたいって」
「お前だからするんだよ」
真剣な深海の瞳と重なる。そう言われてもう一度キスをされた。重ねるだけのものであっても強く密着させるもので、俺はなぜかそのキスに抵抗ができなかった。
ホテルの最上階は権威のある会員制の高級レストランであった。著名人やセレブが御用達の店で、矢崎も時々ここで財政界や社交界の連中と食事をするのだと話していた。俺としては住んでいる世界が違いすぎて返事に困り、ふーんとしか言えなかった。
支配人に案内されてエレベーターが最上階に到着すると、コンシェルジュが恭しく畏まり、VIP席という場所へ案内される。優雅な生演奏のピアノがマジシャレオツだ。
「手を出せ」
「は?え」
わけもわからず差し出すと、それを握られてエスコートされる。そして案内された座席に丁寧に座らせられた。レディファーストってやつかな。さっきから普段と違って紳士的な態度だ。
こいつほんまに矢崎か。珍しさもあって、矢崎が矢崎じゃないように思えた。学校ではあんなに傍若無人で冷酷な支配者を窺わせるというのに、時と場合によっていろんな顔を見たよ。
多分自分が女だからって事で社交の場を意識してそうしているのだろう。男だったらまだこうはしないだろうし、 セレブの世界とやらは本音と建て前が顕著に出る世界だ。
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「ついいつもの癖で番茶頼んじまうんだよ!悪いか!」
「何逆切れしてんだよお前」
顔面にメニュー表を受けながら無傷な矢崎にますますムカつくものだ。
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「それは悪いと思ってる。でも、いつもと違うお前だからこそ、この手の店に来たかった。綺麗になったお前と一緒にいたかった。そんなお前は……イヤなのか……?」
急に矢崎のしんみりした表情に何も言えなくなる。そんな表情は反則だ。
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ああ、くそ。食事もあんまりのどを通らない。なんでこんなソワソワしなきゃならんのだ。せっかくの超高級なフランス料理の味も優雅な音楽もわからないままだ。
「あら、直じゃなーい」
向こうの席に座っていたドレス姿の美女が矢崎に近寄ってきた。腰までの長い髪に抜群のプロポーションとその美貌に誰もが目を見張り、誰もが釘づけ。胸の谷間を惜しげもなく見せるような際どいドレス姿は、ほぼすべての男性客の興奮さえも誘っていた。
「梨華……」
「久しぶりねー。数か月前にパリであったぶりじゃんっ」
「そうだったか」
その美女は直に堂々と軽いノリで話していた。顔見知りのようである。
「ねえ、あれもしかして網走梨華じゃない?あの有名な女優の!」
「世界的女優でしょ?最近パリコレにゲストで出てたよね。しかもあの四天王の矢崎直様と一緒にしゃべってるし!」
「美男美女絵になるわぁ」
この女性はTVで見る世界的有名なハリウッド女優であるらしい。外野からのヒソヒソ話で納得。TVや映画で見たことがある。プロポーションはもちろんの事、その美貌や演技力に定評があり、19歳という若さで世界的人気にのぼりつめた。
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たしかに絵にはなる。矢崎と一緒にいると美男美女そのもので、二人が並ぶと一枚の絵画だ。
「ねえ、今日この後一緒に飲まない?バー貸し切ってんの」
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「え、直に連れの女?」
驚くように返す網走という女性が俺の方を向いた。
「その子の事?」
次第に彼女の顔がまるで嘲笑うようなものに変わっていく。
「やだー直ってば趣味変わった?あんな芋臭い地味子がタイプなの~?信じられなーい」
おい。聞こえてんですけど。
芋臭い地味で悪かったな。地味かはともかくとして男だった時はそこまで芋臭さはなかったはずだ。多分。
「たしかに可愛いと思うけど直のタイプじゃないでしょ。あなたの好きなタイプはセックスがうまくて面倒くさくない女でしょ?あたしみたいなサバサバした感じの~」
自称サバサバ系女ってやつか。無駄に自分に自信がありすぎるっていうか、まあ自信がなきゃハリウッドでスターになんてなれないだろうけど。
まあ、それよりだ。
「あらやだ。実に素敵に無敵な好みですわねぇ~直様って。ミャハ」
つい口が滑ってしまった。柄にもなく直様呼びの最高の皮肉がきいたのか矢崎は苛立つように舌打ちをし、網走を睨む。
「……梨華、口を慎めよ」
「あら、ごめ~ん。でも、直にはあわないでしょ。どこの金持ちのお嬢様か知らないけど、直は淡白でサバサバしているような子の方があいそうだわ。その子どう見たって重そうじゃない。大人しそうな子って重そうっていうでしょ」
別に大人しいというわけではない。やる時はやるタイプである。あと重そうだなんて心外だ。むしろ逆。俺の方が矢崎よりかは淡白だと思うんだけどなあ。
そもそもこの女さん、綺麗な顔してズケズケ言ってくる所が明らかにこちらにマウントを取ろうとしてきているのがわかる。きっとこちらを矢崎にまとわりつくウジ虫女とみなして見下しているのだろう。
冗談じゃない。別に矢崎とはそういう関係ではないので誤解をされても困る。マウントとるだけ無駄ってやつだ。
付き合ってられないとばかりに俺は席を立ちあがった。一回ちょっと頭を冷やしてこよう。
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「アタクシ、お花畑に行ってきますわん」
本当はこのまま帰ろうかと思ったが、まだコース料理の途中なので名残惜しさが勝った。
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「あら、まーだトイレにいたのあなた」
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女子トイレに入ってきたのは先ほどの網走梨華であった。間近で見ると本当に綺麗な女である。男であった頃なら性的な目でオカズ対象にしていただろうが、今はたとえ男であったとしてもその気さえ起きない。
「ねえ、あなた……甲斐さん、だっけ」
「あーはい。そーですがなぜ名前を?」
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「あなたさ、直の何?」
「はい……?」
「直はね、今まで一度だってこの店に女を連れて来た事がなかったのよ。女の連れという自体があり得ない事なんだから。遊びで付き合ってる女がいたとしても、その女を本命にするどころか特別扱いだってした事がないのに」
「へぇ、そーなんれすか。ちゅーかそんな事を言われても俺わかんねーっす」
自分が特別扱いなんてされているとは思わない。あいつは気まぐれだと思うし、キスだって普通に誰とでもしていそうだから別に驚かない。先ほどのキスもきっと遊びでしたに違いないだろう。俺をおちょくるためとヒマつぶしの道具扱いで。
いいよな、金持ちって。金さえあればいくらでも暇をつぶせて。俺もそんなヒマと余裕がほしいべよ。
「じゃあ、どうやって直と知り合えたの?あの人に気に入られる事自体がすごい事なのに、知りあえてその上二人きりでここで食事だなんてありえない」
「さあ、ほんとにわかんなくてですね……」
「あんたみたいな地味が直と釣り合うわけないじゃない。いい気になってんじゃねーよ芋臭ブス」
なるほど。それが本性か。
開星の親衛隊に属するチワワ軍団に匹敵するくらいの醜い顔が露わになっていて、唖然としていると、頭に思いっきり何かをかけられた。食事に出されたワインである。
「ワインも滴るいい女になったわねー。それで直の所に戻ってみたら~?心配されるかもよ。でも無理よねえ~。濡れたおかげで可愛い下着が丸見えなんだから。まるで娼婦みたいよ」
「ぎょえ」
両腕で露わになった部分を隠す。隠しても無駄なくらい染み込んでスケスケになっている。男であったなら、ワインを掛けられる前に行動を起こしていただろうが、今の自分は絶賛弱体化中。素早くもなければ力もないか弱い乙女(笑)である。
「じゃあね~ブス子ちゃーん」
らんらんるーんで去って行く網走とかいう性悪女。本性を現したあの手の女にしてやられた俺は、仕返しにゴキおもちゃをぶん投げたが、残念ながら空を切った。
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