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学園トップスピンオフ
痴話ゲンカは犬も食わない
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※時期的に両想い後から二回目デートの間
四天王が仕事や滞在用に使う展望ラウンジに大きな怒鳴り合いがこだましていた。
この学園の生徒や今時の若い女であるなら知らぬ者はいないとされる矢崎直と、その従者であり学園一の不良で問題児とされる架谷甲斐が言い争っている。
二人の間に何があったのやら誰も知らぬが、先ほどからわけのわからない事で言い争っているのが扉を開けた彼らの目に入った。
久しぶりにケンカかー……と、いつものように呆れて眺める相田と穂高と久瀬の四天王三馬鹿衆。
最近はこんな風に罵り合う事なんてなく、むしろ二人の間はただならぬ濃厚な関係になりつつある様子だと思っていたのだが、この言い争う二人を見るのはなんだか久しぶりだ。まるでまだ二人が出会ったばかりの初期のようないがみ合っていた頃を彷彿とさせる。仲が悪いように見えて息だけはぴったりな妙な関係であった頃の。
何が原因かはいささか不明だが、二人の罵り合う内容をよく聞いていればおのずとなぜそうなったかが想像にたやすい。あー……なるほどね。そういう事ね。マジどうでもいい事だわ。聞くだけ無駄でした。撤収!と、三人はまた部屋を出て行こうとする。
「お前はいっつもいっつも嫉妬しすぎなんだよ!どんだけ独占欲激しいんだ!バカか!」
「お前に悪い虫がつかないか見張ってんだろうが!!お前はバカだし天然タラシでホイホイいろんなもん釣ってくるからな。これ以上釣られる魚が鬱陶しいから釣り竿に前もって毒餌をつけておいたんだろ。虫よけならぬ邪魔除けをな」
あまりその内容なんか知りたいとも知りたくもないが、あえて一言で言うなら直の度が過ぎる束縛が原因だろうなと答えがあっさり導き出される。
矢崎直という人間の性質は、以前なら淡々としていて、男なら見向きもせず全く興味を示さず、女なら性欲処理としてちょっかいをかけて抱いたらすぐ捨てるという冷血な考えだったはずだ。
どんなにそそられる見た目の女だろうと、所詮は性欲処理とストレス発散と一種の刺激を求めて遊びに興じるだけ。この容姿で甘い言葉を囁いときゃあホイホイ釣れて抱かせてくれるチョロQなようなもの。
女はヤレりゃあいい。男ってのは女とヤレたらほぼ満足で、それ以外の付き合いは面倒くさくて放っておいてほしい。愛だの恋だのとくだらない。私を見てとかまってちゃんな恋愛脳な女なんて反吐が出る。
まあ、男だろうと女だろうと自分に寄ってくる奴らなんてすべてが下心丸出しな浅ましい生き物。矢崎直はそう思っていた。
それに対しては相田拓実も穂高尚也も同感であったし、久瀬晴也に至っては恋愛に消極的で女遊びに興味を示さない人間ではあるが、愛だの恋だの言う者の考えはくだらないのは同感であった。
だがしかし、架谷甲斐と出会ってからその考えは180度変わった。
どんなに女共にいい寄られても、どんなに本気で好かれても、誰かを好きだとか愛そうとすら思えなかった自分が、心から愛おしいと思ってしまった。
この天下の四天王に対して生意気だし、歯向かうし、口の利き方どころか敬語すら使えない奴隷Eクラスな上に男なのに。
開星学園では庶民や一般中流家庭で育った人間は下に見られ、家畜も同然と見下されているのだが、そんな桎梏な立場を持ち前のしたたかさで跳ね返し、次々と自分の周りの人間達の心を開かせて陽の光を浴びせていく様は見ていてヒーローのようで、不思議な包容力を持っていた。
そんなまぶしくて逞しい彼に、架谷甲斐に惹かれてしまったのだ。
まさかのEクラスの男にこんな気持ちを抱いてしまうなんて思いもしなかった。
矢崎直だけじゃない。相田拓実も穂高尚也も久瀬晴也も架谷甲斐に対しては特別な思いがある。はっきりと自分の気持ちを言ったわけではないが、なんとなく三人も抱いている気持ちは同じ。
架谷甲斐に対して気がある。だからこそ、二人のケンカはある意味三人にとっては面倒くさいようで少し期待している所もある。
どうかそのまま二人の仲が悪くなってしまえばいいのに。いつか自分だけを見つめてくれたらいいのに。
三人がリア充爆発しろと去り際に心の中で願うばかりであった。
「俺が他のクラスの奴と仲良く会話していただけでその生徒を工業科に移そうとするこたぁねーだろ!独裁者かお前は!」
「なんとでも言えよ。オレの妹どころか自分の妹にも迫られているくせに、女相手だからと貞操的な危機意識が全くねーったらありゃしない。警戒心なさ過ぎて腹が立ってくるな!」
「それは……まあ、妹達の強引さとかに多少は危機意識はあるが、だからって度がすぎるだろうが!」
「退学にしてやらないだけありがたいと思え。悪い芽は早々に潰しておかないと気が済まん」
「うわー……ここまでくるとドン引きだな。やっていることが以前のお前と変わらねーや」
「なんだと……」
「初期の頃の、鬼畜だった頃のお前と変わらねぇって言ってんだよ!」
「テメエ……」
「嫉妬してくれているのは嬉しいけどさ、無理に権力行使して排除しようとするのは好きじゃねぇよ。あとお前は自分の事は棚に上げて俺の事干渉しすぎ!」
「あ?」
「相田情報で昨日、今人気の超絶美女モデルかなんかと食事に出かけたらしいな?まあ、俺は別にいいんだけど~女と手を切るだなんだとほざいていた割にはやる事やってたわけだ」
くそ、拓実の野郎。余計なことを。と、直の口から自然と舌打ちがこぼれる。少しでも直の株を下げようとした相田からのタレコミを甲斐が真に受けたのだろう。
「人聞き悪い事を言ってんじゃねえよ!食事に出かけたのはビジネス上の付き合いだ!オレが嫌がっても勝手に向こうから付きまとって来るんだ!無理に排除しようとすればいらぬ労力を使うし、逆恨みされても面倒だから食事だけでもって円滑に円満に商談成立のために動いているわけ。それをあしらうのも苦労するんだ。ま、お前なんかにはその苦労がわかんねーよな貧乏人。オレがどれだけハニトラやスキャンダルに気を付けているか知らねぇくせに」
まるでこちらだけが苦労しているという嫌味な言い方に、甲斐もついに本格的にカチンとくる。
「お前なんかに、ねえ……イラつくものの言い方だな。お前の立場が重圧で大変なのはわかる。お前の忙しそうな様子を日々見てるからな。だからってな、自分は美女モデルと食事に出かけといて、ただ他のクラスメートと会話しただけの俺に文句言える立場ではないよな!?」
「テメエ……オレの事信じてねぇのか!」
「信じるとか信じねぇとかそういう問題じゃねぇよ!度が過ぎる独占欲はやめろって言ってんだ!そういうの鬱陶しい!干渉しすぎ!引くわ!少しは自重しろ!メンヘラヤンデレ野郎!」
甲斐はそのままドスドスと大股で歩き、直の横を通り過ぎて部屋を出て行った。扉を強く締めて。
取り残された直は、苦虫をかみつぶしたような表情を浮かべて鋭い視線を窓の方に向けていた。
甲斐の奴……!
オレを怒らせたらどうなるか少し思い知らせてやる!!少しはオレが抱いている気持ちを味わうがいい!
*
はあ、どうしたものか。
6時間目の授業中、甲斐は真っ白なノートを眺めながらぼんやりと先ほどの事を考えていた。
少し言い過ぎたなと後悔。でも直の独占欲と束縛は度が過ぎている。いちいち俺の動向を気にして行動を制限されでもすれば普通の学園生活を送れない。
それに直だって文句を言う割には自分だって女と食事に出かけている。
俺だって……俺だって嫉妬しないわけじゃねぇのに。でも、アイツにはアイツの立場がある。
異性と食事なり、付き合いなり、今後もあって当然だろうと思う。それに腹を立てていたら、あいつを支えてあげる立場だなんてやってられないだろうしきりもない。
やはりこちらが大人になって譲歩すべきか……うーん。
ちょっと腑に落ちないけど、直の思い出になってあげるために仕方ないか。いつか空に消えるシャボン玉のように消える関係なら、少しでも思い出を作って笑顔で終わりたいもんな。
それから放課後、甲斐が学校を出て少しの所で事件は起こった。今日はバイトもないので、繁華街のゲーセンで少し道草を食ってそろそろ帰ろうと派手なネオンの前を通り過ぎようとした所だった。
いかがわしい店の前には数人の美女と見知った顔がいる。あれは直だ。しかも、数人の美女に取り囲まれてはべらかし、楽しげに会話をしているではないか。
なんだあいつ。なんでこんな所で美女達なんかと。公然と浮気かよ。直に限ってマジ浮気ではないだろうけど何してんだ。ハニトラを警戒しているくせにマスコミ共の格好の餌食になりそうな光景を作って浅はかな……あ。
直はグラマラスな美女にべたべた触られて、あろう事か直もその美女の腰に手を抱いている。これにはさすがの甲斐もあんぐり口を開けずにはいられなかった。
「ねえ直様~今日は一緒にいてくれるんでしょぉ?」
「えーあたしとだって直様といたいし」
「あーんあたしもぉ。直様とおしゃべりした~い」
女達は直にくっつきながら自らの体を武器にして色を振りまく。露出度の高い服で迫り、豊満な胸を直の手や体に押し付けている様子を見ればいかに本気かが窺える。
なんせ目の前にはかの有名な四天王の矢崎直。絶世の美男子な上に大金持ちとくれば、チヤホヤされて玉の輿に乗りたい美女達は目の色を変えて直を落とそうと全力になるのも無理はない。
そんな美女達のモーションを直はあっさり断るだろうと甲斐は見ていたが、
「どうすっかなぁ~今日は仕事もなくてヒマだしな」
……は?
甲斐はますます呆気に取られて茫然とする。
「たまには遊ぶのもいいかもなぁ」
まるで甲斐がこちらにいるのを知っていて、それを見せつけるようにして不遜に笑う。どれにしようかなと品定めをしている有様だ。
なんだこれ。なんで普通に美女と遊びに走ろうとしてんの。お前、俺の事なんだと思ってんの。恋人じゃなかったっけ。恋人いるのに女遊びすんの?俺がここにいるのわかってるよね?ねえ。
言いたいことは山ほどあるが、甲斐はその光景から目が離せずに言葉が出てこないでいる。
「今日はあなたのために年代物のワイン用意しているの」
「そりゃあ楽しみだな」
「ねえ直様~いいの~?こんな所マスコミとかに見つかっちゃやばいんじゃないの~?あたしらとこーんなに密着してるし~」
「大丈夫だ。周辺を秘書や部下らに張り込みをさせているからぬかりはない。仮にパパラッチに激写されてもどうって事ねぇな。金でもみ消せばいいし。それに……好きな相手に蔑ろにされたばかりでな、今自棄になってんの」
「えー蔑ろにってそれカワイソ―。直様にもそういう人がいらっしゃる事にも驚きだけど、直様を蔑ろにするなんてそれどんな大物~?超ありえないんだけど~!」
「おまけに独占欲激しすぎてメンヘラヤンデレ野郎って言われたしな。若干傷心気味だ」
「や~ん傷心なんて超可哀想です~。直様に向かってそんな事言うなんて最低だしー。直様に独占されてむしろ羨ましいし~!私達が慰めて差し上げますから~」
「そうだな。慰めてもらおうか。あんな面倒なのと付き合うより、お前らと付き合う方が今は楽しいかもな」
あんな面倒なのって……俺の事……か?
当の直にそんな風に思われていた事に開いた口が塞がらない。ガツンと頭を鈍器で殴られたような言葉の凶器に茫然自失だった。
「面倒な奴の事なんて忘れて、今日はお前らと遊ぶわ。一晩中ずっと……」
「じゃあ行きましょお」
女達が直の両隣をがっちり固めてしなだれかかる。胴と腕の間に腕をしのばせて腕を組んだり、抱き着いたりしている。そして直はその美女達の腰を両腕で両方抱き返している。その様子をただ茫然と眺めている事しかできない甲斐。チラ見して傲慢に笑っている直は完全にこちらに気づいているようだが、もうそれどころではない。
全部遊びたいからなかった事にしたいと、そう言いたいわけなのね?
……そうか。そうですか。わかりましたよ。もういいです。
やりたい放題言いたい放題についに頭にキテ、甲斐は頭の中の何かが切れた気がした。拳を強く握りしめ、鋭い視線を直に向けていた。
一方、直は少しやりすぎただろうかと思っていた。
でも少しはオレが嫉妬する気持ちをわかればいいんだ。いつも無自覚に人を引き付けて、なんでもかんでも虜にさせてしまうアイツにはいい薬になればいいと思っている。
だってこれは甲斐を嫉妬させるための作戦。一泡吹かせてやるための茶番に過ぎないのだ。
可哀想だからそろそろ種明かしをしてやろうと、美女達の腕を振り払って甲斐の方を振り返ると、いきなり目の前に迫っていた存在にぴしゃりと強烈な平手打ちをくらった。今度は直が茫然とする番だった。
「お前の気持ちはよくわかったよ。今までこんな面倒なのと付き合わせて悪かったな。じゃあな、浮気性男」
鋭い視線からの吐き捨てるように言った直後の甲斐の顔は、清々しいほどの笑顔だった。
「か、甲斐ちが「どうぞどうぞ俺の事なんぞお気にせず、一晩中女と楽しい飲み会からの乱交パーティーでもなんでも楽しんでろよ。んじゃ」
「待てよ!」
その笑顔がかえって恐ろしくて、もちろん慌てて甲斐の肩を掴んで引き止めようとする。が、今度は鳩尾に肘撃ちをくらった。
「うぐっ!」
「俺に触るなゲス男。てめえの事なんぞ知るか。見損なった。じゃあな。達者で暮らせよ」
口元は笑っているのに、目は恐ろしいほど鋭く尖った鋭利な刃物の様だった。まるでこちらをゴミを見るような眼差しで、直が怖気づく程の殺気まで漂わせている。本気で甲斐を怒らせてしまったようだ。
これはやりすぎてしまった。
ここまで甲斐がこの茶番を本気にしてしまうとは思わなかった。
「甲斐!」
なんとか痛む鳩尾を我慢して甲斐を引き止める。
「放せって言ってんだろ。それほどまでに俺にボコボコにされたいのか。その綺麗な顔面にクマの顔面すらひしゃげる『ヒグマかかと落とし』をくらいたいのか。ふふ……てめえって案外ドMだったんだな。ウケるわ」
そうじゃない。普段、学校では俺様ドSを演じている自分ではあるが、甲斐の前ではドMになってもいいかもしれないなんて、それを口に出している暇などない。
「聞けよ甲斐!」
「今更何を聞けって言うんだよ。お前に面倒な男扱いされたしな。むさくるしい野郎相手じゃなくてやっぱ女の柔らかさと匂いの方がイイって思うんだろ。俺に構うんじゃねぇよ!」
「いいから来い!話がある!」
「話とかいらんし!放せって言ってんだろうが!!」
暴れる甲斐をなんとかその場から連れ出し、近くの薄暗い路地裏に力づくで壁際に追いやって押さえつける。
甲斐ほどの手練れを押さえつけるのは相当骨がいるが、ここで押し負けるわけにはいかない。このまま甲斐に誤解されたままなんていいはずがないし、死んでも逃がすはずがない。
「なんなんだよてめえは!!俺の気も知らないで余計な邪魔ばかりしてふざけんじゃねぇぞ!!」
甲斐は直の腕からなんとか逃れようと激しく抵抗をするが、直はそれ以上の力で手首の自由を奪う。その間に甲斐からの蹴りや頭突きなども飛んできて直は何度か負傷していたが、直が甲斐の自由を奪うまでは二人して激しい押し問答や攻防戦を繰り広げ続けていた。
「お前こそ、まだ気づかねえのかよ」
「は?何をだよ!」
いつもは勘が鋭いくせに、こういう時に限ってなぜ気づかないんだと深いため息がこぼれる。
「甲斐、誤解だから」
「なにが……んんっ!」
暴れる甲斐の意表を突くために強引に唇を塞いだ。
この野郎。ずるい手法を使いやがって。キスで黙らせるとか反則技もいい所。だったらその舌をかみ砕いてやろうと甲斐は考えていると、
「ごめん」と、唇を話した途端に直の口から謝罪が漏れた。
「……なにが、だよ」
「今までの全部、茶番だから」
「はい?」
「だから、女遊びをしようとしたのも、お前が面倒だとか言ったのも全部嘘。お前を騙すための茶番」
直はやっと言えたとホッとする一方で、甲斐は放心している。
「ちゃ、茶番……?」
「悪かったと思ってる。ちょっとした仕返しのつもりだった。だけど、やりすぎちまった。お前を傷つけてしまった。だってお前、全然甘えてこないし、嫉妬だってしてくれないから、オレだけが甲斐を好きすぎているみたいで不公平だと思ってた。その上、独占欲が強いとか言われて、やっぱりオレだけが甲斐を一方時に好きなんだって不安だった。もしかして冷めているんじゃないかって……だから」
「っ……お前と言う奴は……」
甲斐はやっと事実を知り、いろんな気持ちが綯い交ぜになって脱力しそうになる。ホッとして、へなへなと地面に座りそうになったくらいだ。
次第に何をやっていたんだろうって自分自身の暴走していた気持ちが薄れていき、代わりに別の怒りが込み上げてくる。
「茶番の度が過ぎているだろ……最低」
ほっとしたのも束の間で、甲斐の瞳は涙ぐんでいく。
「甲斐、ごめん……」
「ごめんで済むか。危うく俺は……とんでもない誤解をして、お前を世界で一番嫌いになりそうになったじゃねぇか!!この大馬鹿野郎!!」
怒られるのも無理はない。さすがにこれは度が過ぎていたし、甲斐を泣かせてしまった。
「……甲斐っ」
「もうお前なんか知らん。しばらく顔も見たくない!反省しろ!」
ごしごしと腕で涙を拭いながら、甲斐はそのまま直の前から立ち去ろうとする。
「甲斐、行くなよ」
「うるせえ!お前なんかやっぱ嫌いだ!大嫌い!あっちへ行け!嘘つき!」
拭いても拭いてもとめどなくこぼれる甲斐の涙は、それほど受けた傷が深かった証拠で、直はたまらずに背後から抱きしめた。
「オレは好きだよ。甲斐がオレを嫌いになっても、大好きだ」
「っ……」
また甲斐の頬から涙がこぼれていた。
「泣くなよ……甲斐。泣かないで」
「泣いてねーよ!誰がお前なんかにっ」
「もう嘘つかない。二度とお前を嘘ついて泣かせたりしないから」
「…………」
「だから、許してくれ。お前に嫌われたらオレはどうしていいかわからない。寂しいし、悲しい。でも後悔してる。お前の泣き顔だけは見たくないなって」
「…………」
「初めてなんだ。こんなにも、誰かを愛しいと思ったのは。初めてすぎて加減がわからなくて、暴走して嫉妬深くなってしまうんだ。こんな自分、醜いと思いながらも止められない。お前が、甲斐が好きすぎるから」
「…………」
甲斐はずっと黙っている。
「ここに、オレと一緒にいてくれ。一人にしないでくれ。行かないでくれ。嫌われるより、甲斐がそばにいないのが一番辛い。怖い。……っ……頼むよ、甲斐」
泣きそうな程切なく一途に自分を呼んで求めてくる直に、甲斐は我慢ならなくなって深く息を吐く。
「っ……自分勝手な奴。ほんとお前はっ」
直からの抱擁を解いて甲斐は振り返る。甲斐のスカイブルーの瞳は、潤んでいるせいか宝石のようにキラキラ光って、直からすればこの世の何よりも美しい紺碧の空のように見えた。
「綺麗だな、お前の瞳」
「うるせえよ。今更そんな気を引くような事言ってっ。嫉妬深いお前が好きなのが悔しいよ」
「好きでい続けろよ、オレを……。もっともっと愛おしいと思ってくれ。求めてくれよ」
直の顔がゆっくり近づき、そっと唇が重ねられる。今度は甲斐からの抵抗はない。それだけで直の心はとても満たされて幸福を帯びていく。
甲斐に求められている。泣き顔が可愛くて、けなげで、心から守りたくて、大切な存在。自分だけのもの。
ああ、好き。好きすぎてたまらない。離れられない。
「なお、んっ……ぅ」
柔らかくて気持ちのいい唇は次第に深く舌を絡ませあって、何度も何度も角度を変えて求めあった。ゆっくり離される唇からは、何度も求愛する言葉で埋めつくされる。
「好き……好きだ……甲斐。大好きだ。何度でも言いたい。愛おしいって」
あんなにも愛だの恋だのとくだらないと思えたのに、今じゃ180度それが変わって、甲斐の存在に溺れてしまっている。愛してしまっている。
それは甲斐も同じで、直の繊細で孤独な淵に魅せられて転げ落ちてしまう。
「っ……俺も、直が好き……。寂しそうなあんたを放っておけない。大好きだよ」
止まらない。
たとえいつか別れが訪れても、忘れられない想いになる。
完
四天王が仕事や滞在用に使う展望ラウンジに大きな怒鳴り合いがこだましていた。
この学園の生徒や今時の若い女であるなら知らぬ者はいないとされる矢崎直と、その従者であり学園一の不良で問題児とされる架谷甲斐が言い争っている。
二人の間に何があったのやら誰も知らぬが、先ほどからわけのわからない事で言い争っているのが扉を開けた彼らの目に入った。
久しぶりにケンカかー……と、いつものように呆れて眺める相田と穂高と久瀬の四天王三馬鹿衆。
最近はこんな風に罵り合う事なんてなく、むしろ二人の間はただならぬ濃厚な関係になりつつある様子だと思っていたのだが、この言い争う二人を見るのはなんだか久しぶりだ。まるでまだ二人が出会ったばかりの初期のようないがみ合っていた頃を彷彿とさせる。仲が悪いように見えて息だけはぴったりな妙な関係であった頃の。
何が原因かはいささか不明だが、二人の罵り合う内容をよく聞いていればおのずとなぜそうなったかが想像にたやすい。あー……なるほどね。そういう事ね。マジどうでもいい事だわ。聞くだけ無駄でした。撤収!と、三人はまた部屋を出て行こうとする。
「お前はいっつもいっつも嫉妬しすぎなんだよ!どんだけ独占欲激しいんだ!バカか!」
「お前に悪い虫がつかないか見張ってんだろうが!!お前はバカだし天然タラシでホイホイいろんなもん釣ってくるからな。これ以上釣られる魚が鬱陶しいから釣り竿に前もって毒餌をつけておいたんだろ。虫よけならぬ邪魔除けをな」
あまりその内容なんか知りたいとも知りたくもないが、あえて一言で言うなら直の度が過ぎる束縛が原因だろうなと答えがあっさり導き出される。
矢崎直という人間の性質は、以前なら淡々としていて、男なら見向きもせず全く興味を示さず、女なら性欲処理としてちょっかいをかけて抱いたらすぐ捨てるという冷血な考えだったはずだ。
どんなにそそられる見た目の女だろうと、所詮は性欲処理とストレス発散と一種の刺激を求めて遊びに興じるだけ。この容姿で甘い言葉を囁いときゃあホイホイ釣れて抱かせてくれるチョロQなようなもの。
女はヤレりゃあいい。男ってのは女とヤレたらほぼ満足で、それ以外の付き合いは面倒くさくて放っておいてほしい。愛だの恋だのとくだらない。私を見てとかまってちゃんな恋愛脳な女なんて反吐が出る。
まあ、男だろうと女だろうと自分に寄ってくる奴らなんてすべてが下心丸出しな浅ましい生き物。矢崎直はそう思っていた。
それに対しては相田拓実も穂高尚也も同感であったし、久瀬晴也に至っては恋愛に消極的で女遊びに興味を示さない人間ではあるが、愛だの恋だの言う者の考えはくだらないのは同感であった。
だがしかし、架谷甲斐と出会ってからその考えは180度変わった。
どんなに女共にいい寄られても、どんなに本気で好かれても、誰かを好きだとか愛そうとすら思えなかった自分が、心から愛おしいと思ってしまった。
この天下の四天王に対して生意気だし、歯向かうし、口の利き方どころか敬語すら使えない奴隷Eクラスな上に男なのに。
開星学園では庶民や一般中流家庭で育った人間は下に見られ、家畜も同然と見下されているのだが、そんな桎梏な立場を持ち前のしたたかさで跳ね返し、次々と自分の周りの人間達の心を開かせて陽の光を浴びせていく様は見ていてヒーローのようで、不思議な包容力を持っていた。
そんなまぶしくて逞しい彼に、架谷甲斐に惹かれてしまったのだ。
まさかのEクラスの男にこんな気持ちを抱いてしまうなんて思いもしなかった。
矢崎直だけじゃない。相田拓実も穂高尚也も久瀬晴也も架谷甲斐に対しては特別な思いがある。はっきりと自分の気持ちを言ったわけではないが、なんとなく三人も抱いている気持ちは同じ。
架谷甲斐に対して気がある。だからこそ、二人のケンカはある意味三人にとっては面倒くさいようで少し期待している所もある。
どうかそのまま二人の仲が悪くなってしまえばいいのに。いつか自分だけを見つめてくれたらいいのに。
三人がリア充爆発しろと去り際に心の中で願うばかりであった。
「俺が他のクラスの奴と仲良く会話していただけでその生徒を工業科に移そうとするこたぁねーだろ!独裁者かお前は!」
「なんとでも言えよ。オレの妹どころか自分の妹にも迫られているくせに、女相手だからと貞操的な危機意識が全くねーったらありゃしない。警戒心なさ過ぎて腹が立ってくるな!」
「それは……まあ、妹達の強引さとかに多少は危機意識はあるが、だからって度がすぎるだろうが!」
「退学にしてやらないだけありがたいと思え。悪い芽は早々に潰しておかないと気が済まん」
「うわー……ここまでくるとドン引きだな。やっていることが以前のお前と変わらねーや」
「なんだと……」
「初期の頃の、鬼畜だった頃のお前と変わらねぇって言ってんだよ!」
「テメエ……」
「嫉妬してくれているのは嬉しいけどさ、無理に権力行使して排除しようとするのは好きじゃねぇよ。あとお前は自分の事は棚に上げて俺の事干渉しすぎ!」
「あ?」
「相田情報で昨日、今人気の超絶美女モデルかなんかと食事に出かけたらしいな?まあ、俺は別にいいんだけど~女と手を切るだなんだとほざいていた割にはやる事やってたわけだ」
くそ、拓実の野郎。余計なことを。と、直の口から自然と舌打ちがこぼれる。少しでも直の株を下げようとした相田からのタレコミを甲斐が真に受けたのだろう。
「人聞き悪い事を言ってんじゃねえよ!食事に出かけたのはビジネス上の付き合いだ!オレが嫌がっても勝手に向こうから付きまとって来るんだ!無理に排除しようとすればいらぬ労力を使うし、逆恨みされても面倒だから食事だけでもって円滑に円満に商談成立のために動いているわけ。それをあしらうのも苦労するんだ。ま、お前なんかにはその苦労がわかんねーよな貧乏人。オレがどれだけハニトラやスキャンダルに気を付けているか知らねぇくせに」
まるでこちらだけが苦労しているという嫌味な言い方に、甲斐もついに本格的にカチンとくる。
「お前なんかに、ねえ……イラつくものの言い方だな。お前の立場が重圧で大変なのはわかる。お前の忙しそうな様子を日々見てるからな。だからってな、自分は美女モデルと食事に出かけといて、ただ他のクラスメートと会話しただけの俺に文句言える立場ではないよな!?」
「テメエ……オレの事信じてねぇのか!」
「信じるとか信じねぇとかそういう問題じゃねぇよ!度が過ぎる独占欲はやめろって言ってんだ!そういうの鬱陶しい!干渉しすぎ!引くわ!少しは自重しろ!メンヘラヤンデレ野郎!」
甲斐はそのままドスドスと大股で歩き、直の横を通り過ぎて部屋を出て行った。扉を強く締めて。
取り残された直は、苦虫をかみつぶしたような表情を浮かべて鋭い視線を窓の方に向けていた。
甲斐の奴……!
オレを怒らせたらどうなるか少し思い知らせてやる!!少しはオレが抱いている気持ちを味わうがいい!
*
はあ、どうしたものか。
6時間目の授業中、甲斐は真っ白なノートを眺めながらぼんやりと先ほどの事を考えていた。
少し言い過ぎたなと後悔。でも直の独占欲と束縛は度が過ぎている。いちいち俺の動向を気にして行動を制限されでもすれば普通の学園生活を送れない。
それに直だって文句を言う割には自分だって女と食事に出かけている。
俺だって……俺だって嫉妬しないわけじゃねぇのに。でも、アイツにはアイツの立場がある。
異性と食事なり、付き合いなり、今後もあって当然だろうと思う。それに腹を立てていたら、あいつを支えてあげる立場だなんてやってられないだろうしきりもない。
やはりこちらが大人になって譲歩すべきか……うーん。
ちょっと腑に落ちないけど、直の思い出になってあげるために仕方ないか。いつか空に消えるシャボン玉のように消える関係なら、少しでも思い出を作って笑顔で終わりたいもんな。
それから放課後、甲斐が学校を出て少しの所で事件は起こった。今日はバイトもないので、繁華街のゲーセンで少し道草を食ってそろそろ帰ろうと派手なネオンの前を通り過ぎようとした所だった。
いかがわしい店の前には数人の美女と見知った顔がいる。あれは直だ。しかも、数人の美女に取り囲まれてはべらかし、楽しげに会話をしているではないか。
なんだあいつ。なんでこんな所で美女達なんかと。公然と浮気かよ。直に限ってマジ浮気ではないだろうけど何してんだ。ハニトラを警戒しているくせにマスコミ共の格好の餌食になりそうな光景を作って浅はかな……あ。
直はグラマラスな美女にべたべた触られて、あろう事か直もその美女の腰に手を抱いている。これにはさすがの甲斐もあんぐり口を開けずにはいられなかった。
「ねえ直様~今日は一緒にいてくれるんでしょぉ?」
「えーあたしとだって直様といたいし」
「あーんあたしもぉ。直様とおしゃべりした~い」
女達は直にくっつきながら自らの体を武器にして色を振りまく。露出度の高い服で迫り、豊満な胸を直の手や体に押し付けている様子を見ればいかに本気かが窺える。
なんせ目の前にはかの有名な四天王の矢崎直。絶世の美男子な上に大金持ちとくれば、チヤホヤされて玉の輿に乗りたい美女達は目の色を変えて直を落とそうと全力になるのも無理はない。
そんな美女達のモーションを直はあっさり断るだろうと甲斐は見ていたが、
「どうすっかなぁ~今日は仕事もなくてヒマだしな」
……は?
甲斐はますます呆気に取られて茫然とする。
「たまには遊ぶのもいいかもなぁ」
まるで甲斐がこちらにいるのを知っていて、それを見せつけるようにして不遜に笑う。どれにしようかなと品定めをしている有様だ。
なんだこれ。なんで普通に美女と遊びに走ろうとしてんの。お前、俺の事なんだと思ってんの。恋人じゃなかったっけ。恋人いるのに女遊びすんの?俺がここにいるのわかってるよね?ねえ。
言いたいことは山ほどあるが、甲斐はその光景から目が離せずに言葉が出てこないでいる。
「今日はあなたのために年代物のワイン用意しているの」
「そりゃあ楽しみだな」
「ねえ直様~いいの~?こんな所マスコミとかに見つかっちゃやばいんじゃないの~?あたしらとこーんなに密着してるし~」
「大丈夫だ。周辺を秘書や部下らに張り込みをさせているからぬかりはない。仮にパパラッチに激写されてもどうって事ねぇな。金でもみ消せばいいし。それに……好きな相手に蔑ろにされたばかりでな、今自棄になってんの」
「えー蔑ろにってそれカワイソ―。直様にもそういう人がいらっしゃる事にも驚きだけど、直様を蔑ろにするなんてそれどんな大物~?超ありえないんだけど~!」
「おまけに独占欲激しすぎてメンヘラヤンデレ野郎って言われたしな。若干傷心気味だ」
「や~ん傷心なんて超可哀想です~。直様に向かってそんな事言うなんて最低だしー。直様に独占されてむしろ羨ましいし~!私達が慰めて差し上げますから~」
「そうだな。慰めてもらおうか。あんな面倒なのと付き合うより、お前らと付き合う方が今は楽しいかもな」
あんな面倒なのって……俺の事……か?
当の直にそんな風に思われていた事に開いた口が塞がらない。ガツンと頭を鈍器で殴られたような言葉の凶器に茫然自失だった。
「面倒な奴の事なんて忘れて、今日はお前らと遊ぶわ。一晩中ずっと……」
「じゃあ行きましょお」
女達が直の両隣をがっちり固めてしなだれかかる。胴と腕の間に腕をしのばせて腕を組んだり、抱き着いたりしている。そして直はその美女達の腰を両腕で両方抱き返している。その様子をただ茫然と眺めている事しかできない甲斐。チラ見して傲慢に笑っている直は完全にこちらに気づいているようだが、もうそれどころではない。
全部遊びたいからなかった事にしたいと、そう言いたいわけなのね?
……そうか。そうですか。わかりましたよ。もういいです。
やりたい放題言いたい放題についに頭にキテ、甲斐は頭の中の何かが切れた気がした。拳を強く握りしめ、鋭い視線を直に向けていた。
一方、直は少しやりすぎただろうかと思っていた。
でも少しはオレが嫉妬する気持ちをわかればいいんだ。いつも無自覚に人を引き付けて、なんでもかんでも虜にさせてしまうアイツにはいい薬になればいいと思っている。
だってこれは甲斐を嫉妬させるための作戦。一泡吹かせてやるための茶番に過ぎないのだ。
可哀想だからそろそろ種明かしをしてやろうと、美女達の腕を振り払って甲斐の方を振り返ると、いきなり目の前に迫っていた存在にぴしゃりと強烈な平手打ちをくらった。今度は直が茫然とする番だった。
「お前の気持ちはよくわかったよ。今までこんな面倒なのと付き合わせて悪かったな。じゃあな、浮気性男」
鋭い視線からの吐き捨てるように言った直後の甲斐の顔は、清々しいほどの笑顔だった。
「か、甲斐ちが「どうぞどうぞ俺の事なんぞお気にせず、一晩中女と楽しい飲み会からの乱交パーティーでもなんでも楽しんでろよ。んじゃ」
「待てよ!」
その笑顔がかえって恐ろしくて、もちろん慌てて甲斐の肩を掴んで引き止めようとする。が、今度は鳩尾に肘撃ちをくらった。
「うぐっ!」
「俺に触るなゲス男。てめえの事なんぞ知るか。見損なった。じゃあな。達者で暮らせよ」
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ここまで甲斐がこの茶番を本気にしてしまうとは思わなかった。
「甲斐!」
なんとか痛む鳩尾を我慢して甲斐を引き止める。
「放せって言ってんだろ。それほどまでに俺にボコボコにされたいのか。その綺麗な顔面にクマの顔面すらひしゃげる『ヒグマかかと落とし』をくらいたいのか。ふふ……てめえって案外ドMだったんだな。ウケるわ」
そうじゃない。普段、学校では俺様ドSを演じている自分ではあるが、甲斐の前ではドMになってもいいかもしれないなんて、それを口に出している暇などない。
「聞けよ甲斐!」
「今更何を聞けって言うんだよ。お前に面倒な男扱いされたしな。むさくるしい野郎相手じゃなくてやっぱ女の柔らかさと匂いの方がイイって思うんだろ。俺に構うんじゃねぇよ!」
「いいから来い!話がある!」
「話とかいらんし!放せって言ってんだろうが!!」
暴れる甲斐をなんとかその場から連れ出し、近くの薄暗い路地裏に力づくで壁際に追いやって押さえつける。
甲斐ほどの手練れを押さえつけるのは相当骨がいるが、ここで押し負けるわけにはいかない。このまま甲斐に誤解されたままなんていいはずがないし、死んでも逃がすはずがない。
「なんなんだよてめえは!!俺の気も知らないで余計な邪魔ばかりしてふざけんじゃねぇぞ!!」
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「お前こそ、まだ気づかねえのかよ」
「は?何をだよ!」
いつもは勘が鋭いくせに、こういう時に限ってなぜ気づかないんだと深いため息がこぼれる。
「甲斐、誤解だから」
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暴れる甲斐の意表を突くために強引に唇を塞いだ。
この野郎。ずるい手法を使いやがって。キスで黙らせるとか反則技もいい所。だったらその舌をかみ砕いてやろうと甲斐は考えていると、
「ごめん」と、唇を話した途端に直の口から謝罪が漏れた。
「……なにが、だよ」
「今までの全部、茶番だから」
「はい?」
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「っ……お前と言う奴は……」
甲斐はやっと事実を知り、いろんな気持ちが綯い交ぜになって脱力しそうになる。ホッとして、へなへなと地面に座りそうになったくらいだ。
次第に何をやっていたんだろうって自分自身の暴走していた気持ちが薄れていき、代わりに別の怒りが込み上げてくる。
「茶番の度が過ぎているだろ……最低」
ほっとしたのも束の間で、甲斐の瞳は涙ぐんでいく。
「甲斐、ごめん……」
「ごめんで済むか。危うく俺は……とんでもない誤解をして、お前を世界で一番嫌いになりそうになったじゃねぇか!!この大馬鹿野郎!!」
怒られるのも無理はない。さすがにこれは度が過ぎていたし、甲斐を泣かせてしまった。
「……甲斐っ」
「もうお前なんか知らん。しばらく顔も見たくない!反省しろ!」
ごしごしと腕で涙を拭いながら、甲斐はそのまま直の前から立ち去ろうとする。
「甲斐、行くなよ」
「うるせえ!お前なんかやっぱ嫌いだ!大嫌い!あっちへ行け!嘘つき!」
拭いても拭いてもとめどなくこぼれる甲斐の涙は、それほど受けた傷が深かった証拠で、直はたまらずに背後から抱きしめた。
「オレは好きだよ。甲斐がオレを嫌いになっても、大好きだ」
「っ……」
また甲斐の頬から涙がこぼれていた。
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「…………」
甲斐はずっと黙っている。
「ここに、オレと一緒にいてくれ。一人にしないでくれ。行かないでくれ。嫌われるより、甲斐がそばにいないのが一番辛い。怖い。……っ……頼むよ、甲斐」
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「っ……自分勝手な奴。ほんとお前はっ」
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「うるせえよ。今更そんな気を引くような事言ってっ。嫉妬深いお前が好きなのが悔しいよ」
「好きでい続けろよ、オレを……。もっともっと愛おしいと思ってくれ。求めてくれよ」
直の顔がゆっくり近づき、そっと唇が重ねられる。今度は甲斐からの抵抗はない。それだけで直の心はとても満たされて幸福を帯びていく。
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ああ、好き。好きすぎてたまらない。離れられない。
「なお、んっ……ぅ」
柔らかくて気持ちのいい唇は次第に深く舌を絡ませあって、何度も何度も角度を変えて求めあった。ゆっくり離される唇からは、何度も求愛する言葉で埋めつくされる。
「好き……好きだ……甲斐。大好きだ。何度でも言いたい。愛おしいって」
あんなにも愛だの恋だのとくだらないと思えたのに、今じゃ180度それが変わって、甲斐の存在に溺れてしまっている。愛してしまっている。
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「っ……俺も、直が好き……。寂しそうなあんたを放っておけない。大好きだよ」
止まらない。
たとえいつか別れが訪れても、忘れられない想いになる。
完
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