ユカイなスピンオフ

近所のひと

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前世しりーず(甲斐女体化)

浮気お家騒動4

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「やっと終わった―……!」

 いつものように夜の21時をまわった頃、やっと掃除をし終えた。ちゃんと隅々の汚れまで拭き取りつつ少しの埃すら注視してきたから眼が痛いのなんの。こんな掃除をやらされて早数ヶ月、妊婦なのによくやったものだ。

「やっと終わったの。数ヶ月もやっている割に未だに遅いわね。矢崎家の嫁なら夕方までには終わらせていますわよ」

 んな無茶な……と顔をしかめると、大姑は手が滑ったとばかりに床にワイン瓶を傾けた。ドボドボと零れ落ちていく赤い液体に床はワインの水浸しと化した。

「あら、ごめんなさい。手が滑ってしまったわ。これでこの部屋の掃除はやり直しね。ここの床はとてもシミがつきやすくって。シミがとれるまで拭き掃除よろしく頼みますね。ついでにワックス掛けもね」

 絶対わざとだなと怒りが募ってくるが、大姑に逆らうとよからぬ噂を流されたり、直樹に嫌がらせをされないとも限らないのでぐっとこらえる。

「あの、直樹はどうしているんですか?」

 最近は嫁修行のためにずっと迎えを頼んでいる。いくら大姑とはいえ、大事な矢崎家の孫には変わりないので邪険にはしていないはずだが、万が一という事もある。信用ならない相手なので。

「ふふ、あなたに指図されなくても直樹さんならこちらがちゃんと面倒みていますわよ。貴女より有能な母親代わりとなる乳母がね。なんせ将来の跡取りですからきっちりこれから帝王学を学んでもらって、将来の次期社長としての器を身に着けてもらわなければなりませんから」
「あの、私は息子を正式な跡取りになんてまだ決めたわけでは……」

 むしろなってほしくない。金持ち同士の汚いシガラミの世界など知ってほしくない。普通の一般男子として普通に伸び伸びと育ってほしいのが切なる願いだ。

「ただの嫁のあなたが決める事ではないの。本当なら男を産んだ時点であなたはお役御免。即刻離婚して隠居してもらいたい所だけれど、昨今は前社長の正之の力が弱まっているせいかあなたを追い出せないのがもどかしいのよ。仕方なく高貴な矢崎家の嫁でいさせてあげているわけ。それがわからないのかしら?」
「矢崎家の高貴な嫁の立場には興味ありません。私は……あくまで旦那の本当の実家の嫁でありたいので」
「ああ言えばこう言うのね。……じゃあ離婚しなさい。それならそれで全然構わないですし、むしろ願ったりかなったり。それで息子の直樹さんの親権はこちらが頂きます。跡取りさえいれば用はないわ」
「ですから跡取りには……!」
「あなた如き決定権はないと言っているでしょう!!嫁の分際で口を慎みなさい!!あなたは社長である直さんの血を引く男児を産むためだけの妾も同然なのですから!」

 大姑が荒々しく言い放つと、近くに置かれたテレビをつける。テレビでは矢崎家社長の不倫について未だ性懲りも無く報じている。あれから数ヶ月も経つのに、それしか話題がないのかとマスコミのバカさにも呆れるものだ。

「あなたは矢崎家では不要な人間なの。出来損ないの中産階級の貧乏平民なんて妾でも十分すぎるわ」

 妾だろうがなんだろうがどんなに侮辱されても構いやしない。だが、離婚される上に直樹までとられるなんて冗談ではない。というか旦那と別れる気も毛頭ない。なのに、周りは離婚しろと圧力をかけてくるばかり。自分は本当に矢崎家では歓迎されていないんだなと改めて思い知る。

「ニュースは見ているかしら?」
「え……」
「夫が不倫をしている報道がよく流れているでしょう」

 今、テレビで丁度その矢崎財閥社長がラブホから出てきた事についての特集をやっている。

「それは……どうせデマだと思いますので……」
「本当にそうかしら?あなたに魅力がないから旦那様は離れたんじゃなくて?」
「旦那はそんな人ではありません……」
「ふ……どうだか。どんな男だろうが、男は魅力ある女の尻を追いかけていく生き物。必ず結婚しても浮気や不倫なんてやめられないのよ。身近にある性的欲求には勝てないの。男ってそういうものよ。セックスの事しか考えてないの」

 たしかに……昔のアイツだったらそうだっただろう。俺と出会う前までは。でも、今のアイツは……俺と出会う前の頃のあいつとは違う。

 寂しがり屋の泣き虫で、でも根は素直でやさしい人。遊び歩いていた昔のアイツは寂しい気持ちの裏返しだって事はよく知っている。

「旦那を……侮辱しないでください」
「侮辱じゃないわ。本当の事です。……これを見なさい」

 大姑は棚からゴソゴソと写真を数枚取り出して俺に寄越した。
 なんだろうと俺はその写真に目を移すと、直がその噂されている美女秘書とそのホテル前でキスをしているものや、ベットの上で二人裸で寄り添いあう写真だった。

「やはり前社長とそっくりね。自分好みの女だとわかったらすぐに手を出すんだから」
「あの……」

 俺はわなわな震えながら愉悦に嗤う大姑に声をかける。

「あらあらその様子では大層ご立腹なようね。でも仕方ないわ。男の人は浮気をするのが当たり前。つまりあなたに魅力がないからで、現実がわかったようならこれで離婚してt「これ旦那じゃないです」

 俺は写真をじっと凝らして見ていた。

「…………は?」
「だからこの写真の銀髪男は旦那ではないです。旦那はこの部分にほくろなんてないんですよ。これは偽物です」

 被写体の直らしき男の顔や上半身を隅々まで見ると、見慣れた場所に見覚えのないホクロを発見した。それが直ではない証拠と言えた。証拠としては弱いかもしれないし、加工されているからかもしれない。妻だといえど、アイツの仕事中の顔なんてほとんど知らないし、どんなビジネス上の女と関わっているかなんて知る術もない。

 だけど……それでも、本当に直が俺を裏切る真似なんてしたとは思えなかった。

「何をバカな。そんな隅々まで見ないとわからない部分なんかで判断されても困るわね。夫の不貞行為を信じたくないのは山々だけれど、これは正真正銘の直さん。ちゃんとフランスのホテルで撮ったもの。現実は無情なものよ」
「それでもわたしは……」

 脳裏に直の優しい顔がよぎる。それが真実なんだって。

「夫を信じています……!」

 搾り出すように俺は言う。
 直は不貞行為なんてしない。俺以外の女に見向きもしないのは百も承知だから。それでも心変わりが発生したとか、魔が走ったとか言われてしまえばそれまでだけれど、直の一途さは折紙付だと知っている。

 俺は直を信じる。あいつは俺を決して裏切ったりしない。妻が夫を信じてやらないで誰が信じてやるんだ。

「愛だの恋だので絆されているから信じるとでも言っているのかしら。おめでたいですこと。さっさと離婚届を書く気になればいいものを」
「書きませんよ。私も直もお互いを想い合っていますから。夫婦関係はちゃんと成り立っています。だから書く必要はどこにもありません」
「どうかしら。今じゃあなたの片想いかもしれない。昔は想い合っていても時が過ぎれば倦怠期が来て夫婦関係は冷めてしまうモノよ。仕事で離れ離れになればどちらかが肌恋しくなって不貞行為を働くの。それかマンネリ化した夫婦関係は一種の刺激がほしくてスリルを味わいたくなる。あなただって時として寂しい時があるでしょう?愛する旦那はそばにいないし、どこの馬の骨かもわからない女と遊び歩いていてもおかしくはない世界にいるのですから」
「……それは否定しません。ですけど、旦那が私を裏切る事は絶対ありえません。あの人はいつも言うんです。【甲斐がオレの生きている全て】だって。そこまで言われて偽りだなんて思えないですし、あの人の事は妻である私がよくわかっています」

 たとえ世界中が直を信じなくても、俺だけは直を信じる。





「記事にした会社全部を名誉棄損で訴えてやるか」

 オレは昨今で噂されている自分のスキャンダルが記事にされた新聞をぐしゃりと丸めた。

 その記事を元に久瀬からの緊急の国際電話を受け取ると、何やら日本でもオレが秘書とラブホ入店したとか不倫疑惑が連日報道されているらしい。

 なんだそれ。オレに不倫疑惑?バカだろ。寝言は寝てから言え。

 オレが妻以外の女と関係もつわけがないだろうが糞が。それこそ100%死んでもありえない事だ。そもそも泊まるホテルがラブホと隣接しているせいで間違えただけなのであって、それを不倫と無理やり記事にしようとする記者共はよっぽどオレのスキャンダルに餓えているようだ。

 今度そのパパラッチ一同にお灸を据えておく。それでもしオレの愛する妻が誤解でもしたらマジで会社ごと潰してやる。





 それから二か月後、やっとの思いで大きな商談の契約を見事成立させたと同時に、オレは未だに怒りを抑えきれないまま空港に降り立った。

 帰国してからすぐに本社での定例会義と視察と議員数人と晩餐会参加……ウンザリだ。甲斐や直樹にあえるのは明日の夜か。明日の夜まで我慢だ我慢。

「定例会議は先日契約が成立した商談の報告。午後には地方へのホテル開発の視察となりまして、夜には議員との会合となっております。社長、本日は帰りが遅くなりますゆえに近隣の宿の手配をいたしますが……」

 車で移動中に川田が今日のスケジュールを読み上げている。

「宿などいらん。地方の支社で寝泊まる」
「しかし」
「これ以上変な噂をたてられでもしたらかなわんからな」
「……ですが、とてもお疲れのように思います。顔色もすぐれないですし、いろいろ溜め込んでいるのでは……」

 オレの顔色を見て川田がオレの手に触れようとする。それに妙に違和感を覚えて不意に手を振り払った。

「触るな。秘書であってもオレに気安く触っていいのは妻だけだ」
「っ……!」
「お前の助けはいらん。事務仕事だけをしていろと言っただろ。秘書だろうがババアのまわしものには違いないんだからな」
「わ……私はただ社長のお体が心配で……」
「余計なお世話だ。お前に心配されるよりそれによって妻らに誤解を与える方がよっぽど心配だ」

 川田は一瞬だけ苦虫を噛み潰したような顔になると、途端に悲しそうになった。
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