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十七章トラウマと嫉妬

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 ばーちゃんが俺の額に手を置く。掌の温かさを感じ取ると、脳裏の思い出せない記憶の浅い部分のもやが少し晴れた気がした。そして、ばーちゃんが一人でに話し出した。

「お前は、誰だ?」

 俺じゃないもう一人の俺に問いかけているようだ。

「わたしは……かい、です……かさたに、かい……」
「生年月日は?」
「……嘉永二年……七月……」

 瞼の裏にセピア色の景色が映り、意識が朦朧とする。俺じゃないが一人でに話だし、口が勝手にしゃべっている感覚に近い。声もいつもの俺のトーンとは違う声根だ。

「今、どこにいる?」
「いえで……ゆうげを……つくっています……」

 脳裏に覚えがあるようでない景色が流れてくる。田園風景をバックに昔の茅葺屋根の家の中が浮かび、土間で食事を作っている160年前の俺がいる。

 粗末な着物にタスキを掛けた俺が煮物を炊いている所か。その顔は見窄らしく、殴られた頬が目立ち、手足は青タンだらけだった。

「誰のために?」
「しらい、さまの、ため……。むすこの……えいすけのぶんも……つくらなければ……。じかんどおりに……おだししないと……なぐられるの……です……」
「誰に?」
「姑と……しらい、さま……」

 ドクンと心臓が大きくはねた。
 白井とそのエイスケとやらの名前を聞いた途端、体が強張る。動悸が苦しくなり、直がそれに気づいて俺の手をぎゅっと握るが、それでもなかなか収まらない。

「息子のエイスケとはどんな子だ?」
「しらいさまに……よくにてます……。しゅうとめのきょういくのおかげか……すこし、やんちゃがすぎて……わがままで……ひとをよくみくだすようなこに……そだってしまいました……。それでも……わたしがおなかを……いためて……うんだむすこには……ちがいありません……」

 やはり、牧田は、白井栄介はまごう事なき俺の前世の息子だったようだ。背後にいる直から少し殺気がもれている気がするが、黒崎大和からすればいろいろ思う所があるのも当然の事。

 牧田はいわば前世の俺と白井の間の子供。どんなやり取りがあって、どんな状況でそんな子が生まれてしまったのかは知らないが、知りたくはないし、考えたくもない。

 そんな俺はこんな記憶がある事に依然と実感がわかないし、まだどこか他人事のように思えていた。

「白井とは、だれだ?」
「わたしの……だいにの、だんなさま、だった……ひと……」
「前の夫はどうしたんだ?」
「むりやり……わかれ、させられました……」
「前の夫の名前は?」
「……くろさき、やまと、さま……」

 直が黒崎大和だった頃の幸せな日々は覚えている。全国を旅した時の事や、甲夜を生んだ時が一番印象深い。一部、欠けている部分もあるけど。

「白井はどんな顔をしている……?」
「しらい……さま、は……6しゃくをこえるおおがらなひと、で……かおは……めとはながつぶれたような……っあ、ああ、あああっうが、ああ!!」

 白井の存在を認識しようとすると、急に体が異常なほど震えて動悸もはげしくなってどっと脂汗がわく。体がさらに強張り、声がうまく発せなくなると同時に恐怖の存在に覆われる。

「っあ、ああああ、ああああっ!!」

 恐怖がピークをむかえて、俺は声にならない奇声を発して暴れはじめた。直が必死で俺を押さえつけているがその力は凄まじいらしく、拘束バンドを呆気なく引きちぎった。涙を流し、ガタガタ震えが止まらず、脳裏に浮かぶ得体の知れない白井という存在の恐怖に怯えた。

「甲斐!しっかりしろ!甲斐っ!」
「っ、いや、たすけ、てっ!だれか、っあああぁああーーっ!!」

 半狂乱になった俺にばーちゃんが急いで親指と中指をパチンと鳴らすと、脳裏の光景は立ち消えた。俺はがくんと椅子に脱力して目を虚ろにさせて荒く呼吸を吐いた。精神的疲労感からぐったりして動くこともままならない。

「思った以上にトラウマは深刻なようだ。続きはまた明日以降。甲斐が落ち着きを取り戻してからだ」
「甲斐……」

 直が見ていられないとばかりに心を痛めた表情で俺を見ていた。それを気にする余裕もなく、俺は疲労感から知らずに気を失っていた。



 気が付けば俺は家のベットで寝かされていた。朝食作りに起きようとすると、昨日の影響が少し残っていて体がだるい。頭もまだぼうっとして胸が妙にざわざわする。

 それに昨夜は変な夢まで見たものだ。夢の中で、顔にもやがかかった男が何かを話している夢だった。服も着物だったのでおそらく160年前のもの。よくわからなかったのであえて直には話していない。

 俺の寝起きの顔色の悪さは子供達も心配したようで、朝起きた時にやたら引っ付かれたものだ。特によく事情が分かっている甲夜はなかなか俺から離れなかった。可愛いからまあいいんだけど。

「母様、学校大丈夫ですか?今日くらい休んでもいいんですよ」
「そうだ。オレも今日は仕事休んで一緒にいてやるから」
「馬鹿。矢崎財閥は社長がいなくてただでさえ忙しいのに、社長代理のアンタがいないと友里香ちゃんが大変だろ。今日、例の鈴木財閥のパーティーだって聞いてるし。俺の事は心配しないで。体調悪くなりそうなら早退させてもらうから」
「……なにかあったら、本当に連絡しろよ。大事な会議だろうがなんだろうがすっぽかしてでも行くから」
「や、それはさすがにダメだろ」

 そう言って直に近づこうとすると、俺は何かを感じ取って足を止めた。

「……甲斐?」
「や、なんでもない。早く行かないと遅れるぞ」


 直に対して妙な違和感を感じながら、とりあえずいつも通りにみんなを送り出す。子供達はいつまでも俺の様子を気にしていたが、気丈に「いってらっしゃい」と手を振った。

「昼前には一度学校に顔出す。学校内にいるオレの部下にお前の様子やまわりに注視しとけと言っておく」
「……ありがと」

 過保護だなーと思いならがらも、この現状では仕方ないと納得せざるを得ない。

 今日くらいは車に乗って行ってくださいという久瀬さんの言葉に甘え、隣に住む悠里と一緒に車で学校まで乗せてもらった。

 学校ではいつも通りのEクラスにホッとして、いつも通りの奴らに絡んで、絡まれて、俺の思い描く平和な学園生活だなと心穏やかだった。



「架谷甲斐。この前は世話になったな」
「あーまたお宅らか。懲りないねー」

 いつものように工業科不良に絡まれて、いつものように雑魚だなと返り討ちにしようと思った。が、こいつらの顔がなぜか俺の知っているような知らない男の顔に一瞬だけ見えた。

「ッ――!?」

 どくんと大きく胸が一瞬高鳴って、体が次第に震え始める。動悸が激しくなって、汗がどっと噴き出る。

 え、なんだこれ……。
 なんであいつら見て震えてんだ。あいつらはただの工業科の雑魚なのに。

 いつものように返り討ちにすればいい。そのはずが、男共の顔すべてが俺が昨晩のカウンセリング治療で一瞬だけ見た男に見えてしまうのだ。


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