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十四章架谷家と黒崎家

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 甲斐を満足するまで求めて幾ばくか。肩にガウンを羽織り、温かい飲み物を口に含みながら窓の外の風にあたる。冷たいけれど優しいそよ風が頬を掠めていく。自分の今の穏やかな気持ちをよく表していた。

 時計の針を見れば午前二時をまわった頃。休む時間が少ないけど、オレの中ではすごく満足していた。これで何があっても思い残すことはないと言わんばかりに身も心もスッキリできた。

 先ほどまであんなに可愛く乱れていた甲斐をふと思い出すと、またムラムラして下半身が暴れ出しそうなので自重する。さすがにこれ以上シたら、甲斐もオレも疲労で苦しみに耐えられそうもない。
 
 三日三晩の苦しみか。苦しみなんかで死ぬつもりなんて毛頭ない。二人で共に生きようと約束したから、絶対に生きてみせる。

 甲斐とこの先の未来を見るために、幸せになるために。この先にオレと同じような人間が二度と現れないように、この忌々しい血を消すのだ。霊薬の血……いや、八尾の血を。その呪いを。

 でもまさかこんな日がくるなんて、人生って何が起きるかわからないものだ。

 少し前まであれほど短命だと思って儚んでいた人生が、今じゃ光が差し込んだように希望が見えてきて、甲斐との幸せな未来を思い描きたいという願望がわいた。

 少し前ではとても考えられない話。こんなオレでも、未来を生きれる可能性があるなんて夢を見ているようだ。とても胸が高揚して、現実には思えないくらいドキドキしている。

「ありがとう。全部お前のおかげだよ、甲斐……」

 お前はオレに幸せを運んできてくれる可愛い天使だ。何度もお前に命どころか心も救われてきている。どれだけオレを救う気だよ。もうありがとうじゃ足りないほど、お前にいっぱい恩をもらってる。

 だから、今度はオレがお前にいっぱい恩を返すからな。

 甲斐の唇にゆっくりキスを落とす。五秒ほどの、味わうようにくっつけるだけの口づけを。すると、オッドアイの瞳がゆっくり開いていく。

『……直、まだ起きてたの』

 キスで目覚めた甲斐は、まるで眠り姫にでもなったかのようにぼんやり目覚めて可愛い。自分が王子にでもなった気分だ。

「眠れなくて少し起きてた。でも、そろそろ寝る」
『じゃあ、こっちにおいで』と、甲斐がシーツをまくりあげる。
「言われなくてもいくよ。お前の隣でしか寝れないんだ」

 ガウンを脱いで、甲斐の隣のシーツに包まりながら甲斐を抱きしめる。お互いに裸だから素肌の温かさに満足しあう。

「相変わらず甲斐は温かい」
『俺は体温高めだから。直を温めてあげるよ』
「ん、オレを温めて。甲斐」

 甲斐の手がオレの掌を握りしめながら指を絡ませてくる。心地がいい。温かい。甲斐に触れているだけでとても幸せで、この世の天国のよう。

『手が冷たい。風にあたってただろ。もう……風邪ひいたらどうするんだよ』
「幸せな気持ちになってて、つい……でも、大丈夫だ」

 根拠はないが、なぜか大丈夫だって確信が持てた。

「可愛い甲斐からいっぱい活力をもらったから、どんな事も耐えていける。今、すごく元気なんだ」
『直……そりゃあよかった。病は気からって言うから、数時間後には頼むよ』
「そーゆー甲斐こそ」

 ちゅっと軽く唇を啄みあって微笑みあうと、もう一度「おやすみ」と言いあって優しいキスを送りあった。お互いにくっつきあって、抱きよせあいながら眠りにつく。優しい陽だまりのにおいがする甲斐に満足して目を閉じた。

 記憶のあるオレにとっては数か月ぶりの、幸せで平穏な眠りにつけたのだった。


 *

 今宵、ある御方に呼ばれて私はこうべを垂れた。ランタンだけの薄暗い室内は、茫漠に広い座敷を怪しく禍々しく映し出す。

 ベールがかかった向こうに人影が見え、数人の御付の者と中心にいる一際厳かな雰囲気を漂わせた我が主。当然ながら素顔は見えない。その御方は格式高い椅子に座りながら酒グラスを片手に口を開いた。

「機嫌が悪いようだな。正之」

 白井汚郎様――。

 160年以上生きているとされる御方様の声は、変声機でも使っているのか素性も声帯も全く読めない。その威圧感と絶対的覇王の風格に、ベール越しであっても体が震える。

 敵わぬわ、この御方には。

 素顔はもちろんの事、どんな人物なのか全く皆目見当がつかない。

 知っている事といえば、私に力こそ正義と教え、脆弱な奴らを陥れてでも己の欲望に忠実にあるべしと私に生き方を教えた。あまりに強大で絶大な力を持っているため、御姿をこうやって隠して長年日本の裏側を貪ってきた。

 その詳しい目的は腹心以外は誰も知らず、一説には狂おしいほどの恋慕を抱く者の再臨を待っているとの噂があるが、真実は定かではない。

「そのような事は……」
「よい。思い通りに事が運ばない事もあるだろう。それは私も若い頃に身をもって経験した事がある。忌々しい記憶が今にまたよみがえってくる思いだ」

 ベール越しであっても、過去を思い出されて苛立つ声は私でも肌にひりつくほど感じ取れる。

「白井様にもそのような事が……」
「私にも若い頃があったんだ、正之。ほしい物を横からかっさらわれる屈辱。永遠に忘れはしないだろう。だからこそ、そうならないように念入りに計画を練ってきた。私にはどうしてもほしいものがあるからな」

 欲しいものは物だろうと権力だろうと、力こそ全てと言わんばかりに手に入れてきた白井様が欲しいものとは一体……?

「正之、架谷甲斐は殺してはならんぞ」

 前触れもなく、白井様は静かにそう命令した。私は一瞬、白井様のおっしゃっている事の意味が分からなかった。

「架谷……甲斐を?恐れながら白井様。何故です?奴は我々の敵ではありませんか。霊薬の血を奪おうとする我々の最大の脅威で「いいか?この命令は絶対だ、正之」

 強く念を押されて私は黙らずを得ない。今までは親しみがあった口調も、今の一言には剣呑さが含まれていた。思わず私は肝が冷えて押し黙る。

「やっと探していたものが見つかったんだ。こんな近くにいて、しかも我らを仇名す存在として成長していたとはな。だから……殺すなよ。奴の身柄は私が半年後に預かろう」
「半年後、ですか」
「そうだ。あと半年ほどでは完全に私の物となる。今まで裏舞台で見ている事しかできなかったが、やっと本格的に動けるようになるのだ。随分待ち焦がれたものよ。まあ、それも深謀遠慮をめぐらせて、すべては欲しいものを手に入れるため。そして、150年前の屈辱を返してやることだ」

 長年の屈辱がなんなのか私には到底わからないが、白井様が胸の内を話すようになったという事は、時節が到来間近という事なのだろうか。

「ああ、そういえば言い忘れていたよ、正之。霊薬の血……いや、黒崎直はそのうち霊薬の血ではなくなるだろう」
「え……」
「ようは、あのガキはもう組織としては利用価値がなくなるという事だ」

 白井様の言葉にまたしても私が茫然とする。

「申し訳ありません、白井様。何をおっしゃっているのか……」
「ふふふ。まあ、お前からすれば意味がわからない事だろう。ようするに、お前の義理の息子はに戻るという事だ。誰が手引きしたのかは知らんが、霊薬の血を薄める技術でも発見したんじゃないかって報告があがってる。という事は、霊薬の血としての価値はなくなる以上、もう構う必要も追う必要もない」
「そ、それでは今まで私達がしていた事が……」
「無駄にはならんよ。これも想定内。霊薬の血などなくてもで事足りる。ただ……それによって眠れる獅子を呼び起こしてしまう可能性はあるがな」
「眠れる獅子……そう言われますと……」
「霊薬の血でなくなった後のお前の義理の息子の覚醒だ」

 白井様が愚息の事を指した。予想外の人物に私は驚く。

「黒崎直はこの先、我々の最大の脅威となるだろう。霊薬の血という最大の足枷がなくなる今、架谷甲斐と同等の実力を秘めているのは奴だけ。霊薬の血であった時は利用していれば勝手にくたばってくれると思っていたが、そうでなくなるなら面白い。力をつける前に殺しておきたいところだが、それでは私の気が収まらないからな。あの時の借りを返さないと……あの時の……っ!」

 白井様の持っていたワイングラスが力任せに粉々になる。何かに対して怒りが募っているのだろう。それがまさかの義理の息子の事とは思わなかった。

 黒崎直とは……何者だ?

 私の義理の息子で、ただの病弱で、生意気な餓鬼ではなかったのか。それに霊薬の血でなくなるとはどういう事だろう。白井様は一体何に対して憤っておられるのだろうか。私は白井様の考えている事がほとんどわからず、ただただ相槌を打つことでしかこの重苦しい空気をやり過ごせない。

「今度は絶対にやらんよ……。半年後、……150年越しの借りを返す。黒崎大和めっ」

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