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十一章直はすべてを捨てた

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 一緒に入浴を終えて熱がやっと引いてきた頃、俺と直は縁側に並んで座ってくっついていた。夕暮れの空が間もなく夜に変わる。夕食はばあちゃんが直のためにってごちそうを作ってくれたらしくて本宅で食べる予定だった。

「直と……この先もずっと一緒にいられたらいいのに」

 口に出すことを躊躇う一言が出てしまった。

「甲斐……」
「ずっとずっと……じいさんになった後までいられたらいいのに……」

 途端、直が悄然と微笑んだ。深海の瞳に陰りがかかる。いつも先の事を言うと途端にそういう目をする。なんで?なんでそんな悲しげな瞳をするんだよ。

「どうしてそんな悲しそうな顔で笑うのさ。あんたは俺がそういう事を言うといつもそんな顔をする……」
「そんな事、ない」
「そんな事あるよ」
「…………」
「なんで何も話してくれないんだよ」

 俺はとうとう我慢できずにその事について触れてしまった。この事を深く追求すれば、直は嫌がるだけじゃ済まない。だけど、俺はもう直の事が知りたくてしょうがなかった。抑える事が出来なかった。

「なあ、直ってなんか隠している事があるんだろう?言えない事とかあるんだろ?じゃなかったらそんな顔しないよ。だから、俺……知りたいよ。お前の事。全部……」

 直接本人から訊いてはダメだとわかっているのに口は止まらない。もうそんな悲しそうな顔を見るのはたくさんだったから。見ていられなかったから。

「何もない。今はお前がいてくれるから……幸せ。それがどうした」

 悄然とした微笑から無のような表情に変わる。無の表情の中の諦め切った投げやりのような返事に、当然ながら本意とは思えない。俺は顔を横に振った。

「嘘言うなよ。本当にそう言えるのかよ。本当に幸せだって言えるのかよ」
「本当。お前がオレのすべて。………なあ、甲斐」

 続けるように直が口を開く。

「もう、オレの事、何も訊かないでくれるかな」

 無の表情の中の諦めの他に冷たさが滲んでいた。

「え……」
「オレにかまわないでほしい。迷惑だ」

 はっきり拒絶を促す言葉に俺はずきりと心が痛んだ。お前はオレを知る必要はない。そう言いたいのか。

「オレ、今が幸せだから何も考えたくないんだ。余計な詮索はしないでほしい」
「直!でも俺は直が心配で力になりt「お前は何も知らなくていいんだよ!」

 急に怒声をあげる直に驚いて圧倒される。

「たとえ好きな相手だとしても、人には知られたくない事が一つや二つはあるだろ!?言いたくない事だってこっちにはあるんだよ!ただ、お前に都合が悪い事だけはしてない。迷惑かけない。裏切らない。それでいいだろ……。これ以上追及してオレを怒らせるな。今の幸せをぶち壊したくないんだ」

 強い意思で言い竦められて俺は何も言う事ができない。

「ずっとオレとお前は一緒にはいられないんだから」

 ぽつりと直がこぼす。

「何、言ってんだよ……そんなの……」

 あのバカ社長が勝手に決めた将来なのに。人の自由を決める権利も資格もあんな外道にはないというのに。

「それまでお前と幸せな思い出でいっぱいにしておきたいんだ。お互いを忘れられない呪い、だから」
「っ……なんで……なんでいつもお前はそんな後ろ向きなんだよ」

 今更そんな呪いなんていらないのに。呪いより現実のお前がほしいのに。ただ、お前を救いたいだけなのに。

「もう聞くな。それ以上訊くなら、オレはお前から離れる」
「っ……」
「もう二度とお前とは逢わない。その時が……永遠のさよならだ」

 恐れていた事が現実になりそうな気がして、俺はそれ以上は何も言えなかった。涙がこぼれていた。


 その後、本宅に呼ばれて直と俺はばあちゃんが作ったごちそうを食べた。最低限の会話はしていたはずだけど、直の態度がどこかよそよそしく感じた。ばあちゃんがせっかく作ってくれたごちそうもあまり味がしなくて、俺は珍しくおかわりをせずに食事を終えた。

 離れに戻ってきた後も、別にケンカをしたわけじゃないのに俺と直の間には妙な気まずさがあって、会話はいつも以上に少ない。壁ができたように苦痛な沈黙が長引いていていた。

 沈黙が気まずくて、俺は何か話しかけようか迷っている。一人で明日の準備をして、一人で布団に入る。直はすでに布団をかぶっていて向こうに背中を向けたまま動かない。

 寝ているのか……いや、寝てはいないだろう。時折、心境を表すかのような溜息が聞こえる。そんなに思いつめているのか、自分の事で。俺が直を詮索しようとしたから?

 ただ、お前を助けたい一心だったのに、それは許されない事なのか。知ってはいけない事なのか。

「……そろそろ、電気消すよ?」

 絞り出すように弱弱しく声をかけた。俺ともあろう者がどうして今は弱気なんだろう。どんな相手でも強気で茶化せる気概はあったはずなのに、直にこれ以上嫌われたくない恐れからか安易に踏み込めなくなってしまった。

 こんな事、初めてだ。俺ってこんなにヘタレだったっけ。

「勝手に消せばいい」

 直は俺の存在を遮断するようにさらに勢いよく布団をかぶった。そっけない態度が胸に突き刺さる。それだけで俺は泣きそうになった。

 こんな気まずい雰囲気になりたかったわけじゃないのに、直の存在を今までで一番遠くに感じた。話しかけようにも声が出ない。喉元に出かかっていた言葉を押し留める。

 まるでケンカした後の状態……いや、それ以上に深刻な状態になっている。俺はそんなに直の逆鱗に触れちまったのだろうか……。

 そっけない直の態度は慣れていた。初期の頃はケンカばかりだったけどツンデレで、子供っぽいボウヤみたいな感じでまだわかりやすかった。でも、今は直がわからない。何を考えているのか読めない。

 相思相愛になってからどんどん心を開いてくれたのに、自分のプライベートな事は全く話さず、どこか一歩引いた態度を節々に感じていた。それが形となって前面に出てしまって、距離を置かれた。俺が直の最も繊細な部分を知ろうとしたから。

 今の直は、初めて出会った時の俺様ドSの頃より怖い印象だった。俺は嫌われちゃったんだ。

 取り残された疎外感にいたたまれなくなり、仕方なく自分も布団の中へ深くもぐりこむ。一緒にいるのに、初めて別々の布団で横になった。すぐ隣にいるとはいえ、直との距離が何メートルもあるような気がした。

「っ……」

 布団に入ってから、俺は涙があふれた。

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