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十一章直はすべてを捨てた
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しばらく新幹線の中で静かな時間を過ごす。都会のごみごみした景色から森や田んぼや山々の風景に変わっていく。山や谷や海の景色を通過し、トンネルを抜ければ目的の駅まであと少し。
途中で新幹線から小さなローカル線の鉄道に乗り換えた。車内は自分達を除けば数人の学生や老人ばかりで、素朴そうな地元住人達が静かに乗り降りしている。のどかな風景が直からすれば物珍しいのかじっと外を眺めていて、俺はそれを静かに見守った。
そして、乗り換えから一時間程度でやっと山奥の村に到着して、屋根も改札もない無人駅に足を下ろした。空はどこまでも澄みきって雲一つない。都会のごみごみした世界から異世界に召喚された気分である。まあ、俺の本籍地なんだけどね。
「久しぶりにばーちゃんの田舎に帰って来たって感じだ」
「ここが、甲斐の故郷?」
「そうだ。小さい頃と中学の頃はここで過ごしたんだ。水は美味いし、空気は美味しいし、山菜どころか海も近いから海鮮とかも美味いんだ。夕食は地元の名物を食わせてやるよ」
「……楽しみだな」
駅を出て、よく通った川や田んぼを挟んだ歩道やあぜ道を並んで歩く。近隣に住んでいる子供達が楽しそうにキャッチボールをしたり虫を眺めていたりしている。俺に気づくと少年達は笑顔で手を振ってくれた。地元だから顔が広い。
通りすがりの牛乳配達のおっちゃんや神社の神主にまで俺に気づいて「架谷のがきんちょ!もう悪戯すんなよ!」って笑われたりした。俺、小中と結構悪戯して怒られたりしたからこの村では有名人なんだよねー。
「お前、地元では有名な悪ガキだったんだな。相変わらずで昔からブレねー奴」
「まー俺ってじっとしていられない性分でしてね……じいちゃんの修行を受けた後からやんちゃに目覚めたんだよ」
特に神主にはいろんな意味でお世話になったのを思い出す。たとえば、由緒正しき大木に木登りをしたり、壁にウンコの落書きをしたり、先代の神主の坊主頭の上に黒いモップを置いたり、深夜に肝試しとか言って神社の前でロケット花火を打ち上げたり、寝ている神主の顔の前ですかしっ屁してみたり……。
考えてみればロクな事をしていなくて怒鳴られた記憶ばかりを占めるが、まあ今となっては微笑ましい笑い話だろうと思う。あの時はつくづくガキだったが、俺も一応ちょっとは大人になったから、さすがにもうウンコは描かないゾ。
「ははは、あそこでミニ野球してる」
「楽しそうだな」
「俺も小さい頃によくやったもんだ。ホームラン打って超怖いカミナリさんの家の窓ガラス割っちまってさ、よく怒鳴られたよ。中学の頃にも一回やっちまって思いっきりぶん殴られたな。そのオヤジもまだ元気で生きてるらしくて「ごほっごほっ」
直が急に咳き込んで口を押えていた。さっきまで咳き込む事なんて一度もなかったのに、我慢していたのだろうか。俺は慌てて直の背中をさすった。
「大丈夫か?」
「ああ……ごめん」
直はやっぱり以前より咳込む事が多い気がする。普通の風邪とかそんなんじゃないのはとうに知っている。だからこそ心配で、不安で、もしもを想像すると恐怖心が募ってくる。
「直、やっぱりそれ……風邪じゃないんだろ……?」
もう我慢なんてできなかった。本人に聞いてはダメだとわかっていても聞かずにはいられなかった。
「…………」
直は苦し気に目をそらした。やっぱり言いたくないんだな。
「俺……直が心配だよ。アンタが……いずれどこかへ行ってしまうような気がしてる。俺を置いてアンタは遠くへ「大丈夫だ」と、直は遮る。
「どこへも……行ったりしない。だから、そんな顔をするな」
直は優しい顔をしていて俺の頭を撫でてきた。
「本当に?本当にどこへも行ったりしないのかよ?」
「お前がそばにいてくれてる。一番ほしいお前が。甲斐がそばにいてくれたら、どこかへ行く事なんてない。オレは寂しがり屋だから」
本当にウサギのような性質なのは知ってる。俺なしじゃ生きられないんじゃないかって思うほど直は俺に依存している。だから消えるはずなんてないって信じたいのに、どこか信じさせてはくれない曖昧な態度だ。
「直……俺、お前を幸せにしたいよ」
縋りつくように、直の首に両手を巻き付ける。
「甲斐……」
一瞬だけ悲しそうな顔を浮かべたような気がしたが、俺は直がそばにいる喜びにそれ以上は考えたくはない。
「今夜は……ずっと離してやれそうもないな」
「じゃあ……こっちも放してって言っても放してやらない」
「望むところだ」
顔を近づけあって、どちらからともなく目を閉じた。すがるように抱きしめあって、満足するまで口内を求め合って唇を離すと、お互いに同時に笑い合った。
「大好きだ、直」
俺はもう前みたいに照れ恥ずかしさなんてないほど、積極的にオープンに求愛する。
「その顔にその言い方……この場でめちゃくちゃにしたくなる」
直の理性がぐらついたのか、俺の尻を優しく撫でる。
「さ、さすがにここでは……」
「じゃあ、続きは夜まで我慢する」
唇に軽くキスをして欲を孕んだ目で俺を見つめる。俺も見つめ返す。
「数日ぶりだから……いっぱい、シテほしい……」
「もちろん……お前が飽きるまでずっと……」
今晩が長そうだと想像をしながら架谷本家の方角を目指した。
「ばーちゃん!ただいまー。きたぞー!」
引き戸を勢いよくあけて久々に里帰りした。相変わらずの古くてボロい家だなと思っていると、ばーちゃんとその下僕のいかつい野郎数人が玄関で出迎えた。
「甲斐、よく来たな。それと直君だったか。いらっしゃい。甲斐がお世話になってるねぇ」
後ろの方でいかつい野郎数人が「ちーっす!」と敬礼してくれた。うむ、ばーちゃんの下僕達も元気そうだな。他の下僕共は買い出しとかに駆り出されているんだろう。明日にでも顔を見せておくか。
「こんにちは。お初にお目にかかります、矢崎直と申します。いつも甲斐君には大変お世話になってもらっています」
直は俺の前で話す態度とは打って変わって恭しく挨拶をした。それはもう性格のよさそうな温厚で真面目で好少年風の笑顔を装っている。相変わらず俺の家族の前では猫をかぶっている様子に苦笑だ。
「おや、礼儀正しい子だねぇ。都会育ちはさすがだよ」
「普段はそうでもないぞ。外面がいいだけだからな。それと、俺達は離れの家の方に寝泊まりするからメシはこっちで勝手に準備するよ」
同じ敷地内にある離れの方はこの本宅から数メートル先にある両親が昔住んでいた家だ。架谷の分家とも言う。
「そうかい。初日くらいは準備してやろうと思ったんだが、直君もそれでいいのか?」
「それで構いませんよ。甲斐君の料理は美味しいですから」
その屈託のない笑顔にぽかんとするばーさん。
「ほほぉ。甲斐、お前いい男を連れてきたな。お前の料理が美味いって言ってくれて、なおかつ顔もいい美男子だなんてそうはいないぞ。いや~じーさんの若い頃にそっくりだ。惚れ惚れするほどハンサムだー」
「……母ちゃんと同じような事を言いやがる……このイケメン好きめ」
直を離れの家の中へ案内し、縁側のすぐ横の座敷に誘導した。オンボロな家ではあるが、下僕の人達が掃除をしてくれたおかげで埃っぽさもなくてピカピカだ。直が咳き込まないか心配だったが、これなら埃で咳き込む事もなかろう。
台所を物色し、ばーちゃんに買っておいてくれと頼んでおいたお菓子やら飲み物を準備する。ついでに晩飯の仕込みもしておこう。
直に今晩は何が食べたいか聞きに戻ると、座敷では直が不思議そうに家の中を見渡している。何の変哲もない壁や畳や障子などを眺めながら感心しているようだ。
「どうした?珍しいのか」
俺が怪訝そうに声をかけた。
「お前の家、随分古いんだなって見てた。教科書で見る囲炉裏とか、庭には井戸とかある。まるで昭和初期にタイムスリップした家だなって、歴史的観点からして興味深いと見てたんだよ」
「そりゃあここ大昔の家だからなー。俺は生まれも育ちもここだから特に何も感じないけど、なんかばーちゃんが言うには、この家大正くらいに建てられたんだってよ。だからすっげぇ古いんだ」
「そりゃあ重要文化財並に古いわけだ。特にこの柱とか囲炉裏なんて年季が入ってる」
傷だらけの柱は数世代前の俺の先祖がつけたと思うと感慨深いものがある。囲炉裏も今じゃほとんどの家庭では見かけないだろうな。
「それでどうする?まだ夜には早いし、遊びに行くって時間でもないしなー」
「普通にお前と話してるだけでいいよ」
「え、それでいいのか」
「お前の事、いっぱい知りたい」
「もう結構知り尽くしてると思ってたけど」
「それでも、いっぱい甲斐の事知りたいんだ。まだまだ知らない事いっぱいあるし」
「いいけど……」
他愛ない会話とかするのも意外に楽しいって知れたしな。
「架谷家って長生きばっかの一族でさ、全員100歳なんて当たり前のように越えてるし、ボケるのも遅い方で、今でも曾祖父や曾祖母は施設で元気にしてる。でも頭髪の方の寿命は短くて50くらいになったら剥げてたな。じいちゃん曰く、架谷家のご先祖様がその昔に伝説上とされていた人物の血を一滴でも飲んでしまってから、今の俺みたいな病気もない頑丈な体で長寿になったって言い伝えがあるんだと。本当かは知らないけど、なんか中二病臭いから迷信だと思ってる」
自分の事をこうして詳しく話すのは、あの電話で話した時以来で楽しい。
「へぇーそんな話が架谷家にはあったんだな。おもしろい言い伝えだな」
「笑い話になってるよ。親戚同士の集まりでは必ずその話が酒飲み共の間で持ち上がるんだ。頑丈で長寿な一族になったのはご先祖様のおかげだって」
「お前の家系は長生きでいいな……」
「まあ、頭の方はバカが多いけど基本的に健康体質なんだよな、架谷家って」
小学校の低学年の時は風邪をこじらせた時もあったが、もうまったく風邪や病気とは無縁だ。いい加減に一度でも風邪をひいて学校をずる休みしたいくらいである。
「それでも……羨ましい。オレは……基本的に前から体が弱かったから」
直が寂しそうに微笑している。俺はこんな事を話すべきじゃなかったと少し後悔して、直にぎゅっと抱きついた。
「……安心しろよ」
気休めにならない言葉かもしれないけれど、直を元気づかせたくなった。
「俺がそばにいるからにはあんたを虚弱になんてさせないよ。毎日栄養のある食べ物を作ってやるし、寂しい思いだってさせたりしない。この地の水は美味しいし、空気だって澄んでるから、みんな長生き。都会のうるさい声も、喧騒も、誰もお前を有名人という目でも見ないし、ここは電子機器が圏外になるところで有名でさ……煩わしい世間の声もない。だから、この地にいればきっとお前だって元気になる。それで卒業したら……一緒に……っ……」
その先はやっぱり言えなかった。直は矢崎の後継者だから俺と一緒にはいられないかもしれない。今の矢崎財閥の事情が複雑だからどうなるかわからないけど、きっと……一緒にはいられない。
俺の願いなんてきっと叶わない。一緒にこの地で静かに暮らそうだなんて、現実にはならない夢のような話なんだから。
途中で新幹線から小さなローカル線の鉄道に乗り換えた。車内は自分達を除けば数人の学生や老人ばかりで、素朴そうな地元住人達が静かに乗り降りしている。のどかな風景が直からすれば物珍しいのかじっと外を眺めていて、俺はそれを静かに見守った。
そして、乗り換えから一時間程度でやっと山奥の村に到着して、屋根も改札もない無人駅に足を下ろした。空はどこまでも澄みきって雲一つない。都会のごみごみした世界から異世界に召喚された気分である。まあ、俺の本籍地なんだけどね。
「久しぶりにばーちゃんの田舎に帰って来たって感じだ」
「ここが、甲斐の故郷?」
「そうだ。小さい頃と中学の頃はここで過ごしたんだ。水は美味いし、空気は美味しいし、山菜どころか海も近いから海鮮とかも美味いんだ。夕食は地元の名物を食わせてやるよ」
「……楽しみだな」
駅を出て、よく通った川や田んぼを挟んだ歩道やあぜ道を並んで歩く。近隣に住んでいる子供達が楽しそうにキャッチボールをしたり虫を眺めていたりしている。俺に気づくと少年達は笑顔で手を振ってくれた。地元だから顔が広い。
通りすがりの牛乳配達のおっちゃんや神社の神主にまで俺に気づいて「架谷のがきんちょ!もう悪戯すんなよ!」って笑われたりした。俺、小中と結構悪戯して怒られたりしたからこの村では有名人なんだよねー。
「お前、地元では有名な悪ガキだったんだな。相変わらずで昔からブレねー奴」
「まー俺ってじっとしていられない性分でしてね……じいちゃんの修行を受けた後からやんちゃに目覚めたんだよ」
特に神主にはいろんな意味でお世話になったのを思い出す。たとえば、由緒正しき大木に木登りをしたり、壁にウンコの落書きをしたり、先代の神主の坊主頭の上に黒いモップを置いたり、深夜に肝試しとか言って神社の前でロケット花火を打ち上げたり、寝ている神主の顔の前ですかしっ屁してみたり……。
考えてみればロクな事をしていなくて怒鳴られた記憶ばかりを占めるが、まあ今となっては微笑ましい笑い話だろうと思う。あの時はつくづくガキだったが、俺も一応ちょっとは大人になったから、さすがにもうウンコは描かないゾ。
「ははは、あそこでミニ野球してる」
「楽しそうだな」
「俺も小さい頃によくやったもんだ。ホームラン打って超怖いカミナリさんの家の窓ガラス割っちまってさ、よく怒鳴られたよ。中学の頃にも一回やっちまって思いっきりぶん殴られたな。そのオヤジもまだ元気で生きてるらしくて「ごほっごほっ」
直が急に咳き込んで口を押えていた。さっきまで咳き込む事なんて一度もなかったのに、我慢していたのだろうか。俺は慌てて直の背中をさすった。
「大丈夫か?」
「ああ……ごめん」
直はやっぱり以前より咳込む事が多い気がする。普通の風邪とかそんなんじゃないのはとうに知っている。だからこそ心配で、不安で、もしもを想像すると恐怖心が募ってくる。
「直、やっぱりそれ……風邪じゃないんだろ……?」
もう我慢なんてできなかった。本人に聞いてはダメだとわかっていても聞かずにはいられなかった。
「…………」
直は苦し気に目をそらした。やっぱり言いたくないんだな。
「俺……直が心配だよ。アンタが……いずれどこかへ行ってしまうような気がしてる。俺を置いてアンタは遠くへ「大丈夫だ」と、直は遮る。
「どこへも……行ったりしない。だから、そんな顔をするな」
直は優しい顔をしていて俺の頭を撫でてきた。
「本当に?本当にどこへも行ったりしないのかよ?」
「お前がそばにいてくれてる。一番ほしいお前が。甲斐がそばにいてくれたら、どこかへ行く事なんてない。オレは寂しがり屋だから」
本当にウサギのような性質なのは知ってる。俺なしじゃ生きられないんじゃないかって思うほど直は俺に依存している。だから消えるはずなんてないって信じたいのに、どこか信じさせてはくれない曖昧な態度だ。
「直……俺、お前を幸せにしたいよ」
縋りつくように、直の首に両手を巻き付ける。
「甲斐……」
一瞬だけ悲しそうな顔を浮かべたような気がしたが、俺は直がそばにいる喜びにそれ以上は考えたくはない。
「今夜は……ずっと離してやれそうもないな」
「じゃあ……こっちも放してって言っても放してやらない」
「望むところだ」
顔を近づけあって、どちらからともなく目を閉じた。すがるように抱きしめあって、満足するまで口内を求め合って唇を離すと、お互いに同時に笑い合った。
「大好きだ、直」
俺はもう前みたいに照れ恥ずかしさなんてないほど、積極的にオープンに求愛する。
「その顔にその言い方……この場でめちゃくちゃにしたくなる」
直の理性がぐらついたのか、俺の尻を優しく撫でる。
「さ、さすがにここでは……」
「じゃあ、続きは夜まで我慢する」
唇に軽くキスをして欲を孕んだ目で俺を見つめる。俺も見つめ返す。
「数日ぶりだから……いっぱい、シテほしい……」
「もちろん……お前が飽きるまでずっと……」
今晩が長そうだと想像をしながら架谷本家の方角を目指した。
「ばーちゃん!ただいまー。きたぞー!」
引き戸を勢いよくあけて久々に里帰りした。相変わらずの古くてボロい家だなと思っていると、ばーちゃんとその下僕のいかつい野郎数人が玄関で出迎えた。
「甲斐、よく来たな。それと直君だったか。いらっしゃい。甲斐がお世話になってるねぇ」
後ろの方でいかつい野郎数人が「ちーっす!」と敬礼してくれた。うむ、ばーちゃんの下僕達も元気そうだな。他の下僕共は買い出しとかに駆り出されているんだろう。明日にでも顔を見せておくか。
「こんにちは。お初にお目にかかります、矢崎直と申します。いつも甲斐君には大変お世話になってもらっています」
直は俺の前で話す態度とは打って変わって恭しく挨拶をした。それはもう性格のよさそうな温厚で真面目で好少年風の笑顔を装っている。相変わらず俺の家族の前では猫をかぶっている様子に苦笑だ。
「おや、礼儀正しい子だねぇ。都会育ちはさすがだよ」
「普段はそうでもないぞ。外面がいいだけだからな。それと、俺達は離れの家の方に寝泊まりするからメシはこっちで勝手に準備するよ」
同じ敷地内にある離れの方はこの本宅から数メートル先にある両親が昔住んでいた家だ。架谷の分家とも言う。
「そうかい。初日くらいは準備してやろうと思ったんだが、直君もそれでいいのか?」
「それで構いませんよ。甲斐君の料理は美味しいですから」
その屈託のない笑顔にぽかんとするばーさん。
「ほほぉ。甲斐、お前いい男を連れてきたな。お前の料理が美味いって言ってくれて、なおかつ顔もいい美男子だなんてそうはいないぞ。いや~じーさんの若い頃にそっくりだ。惚れ惚れするほどハンサムだー」
「……母ちゃんと同じような事を言いやがる……このイケメン好きめ」
直を離れの家の中へ案内し、縁側のすぐ横の座敷に誘導した。オンボロな家ではあるが、下僕の人達が掃除をしてくれたおかげで埃っぽさもなくてピカピカだ。直が咳き込まないか心配だったが、これなら埃で咳き込む事もなかろう。
台所を物色し、ばーちゃんに買っておいてくれと頼んでおいたお菓子やら飲み物を準備する。ついでに晩飯の仕込みもしておこう。
直に今晩は何が食べたいか聞きに戻ると、座敷では直が不思議そうに家の中を見渡している。何の変哲もない壁や畳や障子などを眺めながら感心しているようだ。
「どうした?珍しいのか」
俺が怪訝そうに声をかけた。
「お前の家、随分古いんだなって見てた。教科書で見る囲炉裏とか、庭には井戸とかある。まるで昭和初期にタイムスリップした家だなって、歴史的観点からして興味深いと見てたんだよ」
「そりゃあここ大昔の家だからなー。俺は生まれも育ちもここだから特に何も感じないけど、なんかばーちゃんが言うには、この家大正くらいに建てられたんだってよ。だからすっげぇ古いんだ」
「そりゃあ重要文化財並に古いわけだ。特にこの柱とか囲炉裏なんて年季が入ってる」
傷だらけの柱は数世代前の俺の先祖がつけたと思うと感慨深いものがある。囲炉裏も今じゃほとんどの家庭では見かけないだろうな。
「それでどうする?まだ夜には早いし、遊びに行くって時間でもないしなー」
「普通にお前と話してるだけでいいよ」
「え、それでいいのか」
「お前の事、いっぱい知りたい」
「もう結構知り尽くしてると思ってたけど」
「それでも、いっぱい甲斐の事知りたいんだ。まだまだ知らない事いっぱいあるし」
「いいけど……」
他愛ない会話とかするのも意外に楽しいって知れたしな。
「架谷家って長生きばっかの一族でさ、全員100歳なんて当たり前のように越えてるし、ボケるのも遅い方で、今でも曾祖父や曾祖母は施設で元気にしてる。でも頭髪の方の寿命は短くて50くらいになったら剥げてたな。じいちゃん曰く、架谷家のご先祖様がその昔に伝説上とされていた人物の血を一滴でも飲んでしまってから、今の俺みたいな病気もない頑丈な体で長寿になったって言い伝えがあるんだと。本当かは知らないけど、なんか中二病臭いから迷信だと思ってる」
自分の事をこうして詳しく話すのは、あの電話で話した時以来で楽しい。
「へぇーそんな話が架谷家にはあったんだな。おもしろい言い伝えだな」
「笑い話になってるよ。親戚同士の集まりでは必ずその話が酒飲み共の間で持ち上がるんだ。頑丈で長寿な一族になったのはご先祖様のおかげだって」
「お前の家系は長生きでいいな……」
「まあ、頭の方はバカが多いけど基本的に健康体質なんだよな、架谷家って」
小学校の低学年の時は風邪をこじらせた時もあったが、もうまったく風邪や病気とは無縁だ。いい加減に一度でも風邪をひいて学校をずる休みしたいくらいである。
「それでも……羨ましい。オレは……基本的に前から体が弱かったから」
直が寂しそうに微笑している。俺はこんな事を話すべきじゃなかったと少し後悔して、直にぎゅっと抱きついた。
「……安心しろよ」
気休めにならない言葉かもしれないけれど、直を元気づかせたくなった。
「俺がそばにいるからにはあんたを虚弱になんてさせないよ。毎日栄養のある食べ物を作ってやるし、寂しい思いだってさせたりしない。この地の水は美味しいし、空気だって澄んでるから、みんな長生き。都会のうるさい声も、喧騒も、誰もお前を有名人という目でも見ないし、ここは電子機器が圏外になるところで有名でさ……煩わしい世間の声もない。だから、この地にいればきっとお前だって元気になる。それで卒業したら……一緒に……っ……」
その先はやっぱり言えなかった。直は矢崎の後継者だから俺と一緒にはいられないかもしれない。今の矢崎財閥の事情が複雑だからどうなるかわからないけど、きっと……一緒にはいられない。
俺の願いなんてきっと叶わない。一緒にこの地で静かに暮らそうだなんて、現実にはならない夢のような話なんだから。
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