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十一章直はすべてを捨てた

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「甲斐、オレ……甲斐の田舎に行きたい」

 みんなが俺と矢崎に配慮したのか、ある程度矢崎と会話をした後はそれぞれ帰っていった。

 二人きりになってから、直は急に俺に甘えだしてくっついてくる。背後からぎゅっと腰回りに手をまわして抱きしめてくる。たった数日この触れ合いがご無沙汰だっただけで、直の匂いや感触に妙に体が疼くと同時に幸せな気持ちになる。

「手紙読んだみたいだな」
「当然だろ。ずっと返事が言いたかった」

 ふうっと俺の耳に息を吹きかけながら口づけて甘噛みまでしてくる。それにびくっとしながらも、俺も直の腕にそっとキスを落としていく。いつも俺を抱きしめてくれるこの腕が好きで、何度も唇を寄せたり匂いを堪能した。

「じゃあ、退院した土日にでも泊りがけで行くか。退院はいつになるんだ?」
「何事もなければ一週間後」
「……そうか。じゃあ、その間にちゃんと大人しく安静にしてろよな。また具合悪くなったら外出の許可も出ないだろうし」
「……うん。お前と少しでも長く一緒にいたいから」

 そうして直が俺の顎を持ち上げてこちらを向かせながらキスをしてくる。触れるだけの軽いのをしてまた見つめ合う。

「甲斐といると……セックスしたくなる」
「っ……時間に余裕があったらいっぱいしたいけど……今は無理で、んんっ」

 もう一度唇が重ねられる。キスだけで我慢するしかないという意味で、直の舌が俺の口内を乱していく。舌の愛撫にウットリしながら時計を眺めれば、もうこんな時間かと悲しい現実に逃げたくなる。それでも面会時間終了まで俺の唇がふやけるほど唇や舌で求められまくった。

「明日も来るよ」
「待ってる……」

 別れ際にもう一度キスをして名残惜しさを感じながら部屋を出た。明日は直のために病院食より栄養のある弁当でも作ってこようかなと考えていると、背後から冷たい殺気がした。

「……来ていたのか」

 俺はその冷たい殺気の気配に冷たい視線を向けていた。

「キミこそ、面会謝絶であったならそのままずっと引き下がっていればいいものを。何日も性懲りもなく直に付き纏って……よほど私を怒らせたいようだね」

 正之社長が数人の薄気味悪い護衛を引き連れて目の前に立っていた。

「誠一郎さんが味方に付いてくれましたから。みんな隠れてあんたに失望してたよ。クリーンだった矢崎家を汚した面汚しだと」
「業績のためにグループを大きくしたいと思うのがトップのサガだ。それを面汚しだなんだと……いつまでも口の減らない老いぼれだ。あの人は。ああ、キミを部屋に招き入れたエスピーはクビにしておかなくてはな。特に私に逆らう者は皆始末しなくては」

 そのエスピーの人はバカ社長の言葉に青褪めている。そんな事でクビとか始末とか最低な上司だな。

「始末、とは言葉が過激だな。容赦なく殺すんですか」
「簡単には殺しはしないよ。矢崎の血となり肉となってもらう。兵は吐いて捨てるほどいるからね」
「部下は駒扱いってやつか。下っ端が可哀想になってくる。クズがトップで」
「なんとでも言うがいい」

 正之社長が目をすぼめると同時に背後の薄気味悪い護衛が一斉に構えた。手には黒い銃口が俺に向けられている。

「こんな民間の病院のど真ん中で物騒ですこと」

 俺は慌てず騒がず奴らを見据える。

「本当にキミが邪魔でしょうがないからね。直に関わるなとあれほど言ったのに。直はキミと会うとおかしくなる。悪影響もいい所だ。だからいっその事ここで消す事だって考えている」
「悪影響なのはあんただろう。それに言ったはずだ。あんたが会うなと言っても俺は今後も勝手にあんたの息子と会うと。俺はお前らの圧力や武力行使には屈しない」

 そう言った途端、護衛の数人がマジで俺に発砲してきやがった。銃弾の嵐を俺は颯爽と走り抜け、前転しながら柱に身を隠す。壁に風穴が開き、窓ガラスが割れ、通りすがりの巡回中の看護師が悲鳴をあげている。

 本当に撃つとはよほど腸が煮えくり返ったのだろうか。民間人の迷惑や負傷者を考えないで最低な奴らだ。

「このまま引き下がるなら今の威嚇だけで済ませてやる。どうする?」
「……あんたらのおかげで病院の皆さんがえらく迷惑してるもんな。だから、仕方なく今日はこれくらいで帰ってやるよ。いずれ、お前ら悪党の悪事も白日の下に晒してやる」

 柱で身を寄せながら俺は鋭く奴らを射抜く。他の奴らは震え上がらせたが、正之社長はさすがトップなだけあって俺の殺気にも意にも介さない様子だ。

「ふふふ、威勢のいいことだ。やれるものならやってみるがいい。我々も全力でキミを殺しにかかるとしよう。どうせキミに直は救えないのだから」

 またその台詞か。一体何が言いたいんだか。そううんざりしながら俺は病院を出た。直を連想させるような白くて蒼い月が黒い雲に覆われる。明日も直に会えるだろうか。俺は直がいるであろう病室の窓をじっと眺めていた。

 翌日に訪れると、思った通り厳戒態勢が敷かれていた。
 新しい門番が今度は病院の前に移動して入り口を通せんぼ。見舞い客や診察に訪れた患者が出入りするたびに手荷物や身分証提示を義務付けられており、昨日までとは打って変わって異様な雰囲気に来院者達は困惑している。

 手の込んだ入場規制をしやがるな。よほど俺が直と面会されるのが嫌なのか。くそったれめ。これじゃあさすがに堂々と入場は無理そうだ。強行突破なんてすれば他の患者や見舞客達に迷惑になるしなぁ。作戦を練り直して出直すしかないか……うーん。

 *

 甲斐が今日も来ると言っていたが、時計を見ればもう19時を過ぎていた。遅くても18時頃には来ると聞いていたが、何かあったのだろうか。
 
 甲斐……会いたい。会いたいよ。

 もしかして、正之達から何か圧力をかけられたのだろうか。オレのせいで奴らから何か危害を加えられてしまっていたらと思うと怖い。もしそうだとしたら……オレは、甲斐を不幸にするだけの存在なんだろうか……。やっぱり、オレは疫病神なんだろうか……。生きているだけで無意味で……甲斐もそんなオレに愛想をつかせて離れていく。一人にする……。

 正常時では考えられなかったいろんな憶測がオレの心や精神をかき乱していく。

「直様、どうしました?具合がよくないのですか?」
「オレは……やっぱり、甲斐を不幸にしかしないような気がする……」
「直様、それは考えすぎです。甲斐さんが幸せを感じているのはあなたと一緒にいる時で「オレさえいなければ……甲斐は普通の生活を送れていたはずだった。オレとなんて出会わなければ……」
「直様!それ以上はもう「オレなんか!」
「オレなんか……生まれてこなければよかったんだよ。甲斐に迷惑かけるばっかりで、何もしてやれない。これからも甲斐を悲しませて、うんざりさせられて、愛想をつかされて孤独に「しっかりしてください!」

 久瀬の怒声にオレははっとして一瞬だけ我に返る。

「寂しくて不安でしょうがないのはわかりますが、自分を見失わないでください。甲斐さんが幸せかそうでないかは甲斐さんが決める事。生まれてこなければなんて簡単に言わないでください。あなたの存在は甲斐さんにいい影響を与えているのは間違いないのです。それを否定してしまえば、甲斐さんがあなたを想って支えてきた今までの事はどうなるのですか。自分の憶測で物事を考えて自己完結してはだめです。甲斐さんに聞いてからその答えを判断してください」

 わかってる。わかってるのに、考えれば考えるほど自分が忌々しい存在だと思えてしょうがない。自分で正常な判断が出来なくなってきている。

「久瀬……オレ、どうかしてる……はははは。頭、いかれてる……あはははは……わけが、わからない……あはははは」
「直様、薬を飲んで休みましょう。あなたに今必要なのは心の休息と安息です」
「そんなの、飲んだって変わらないよ!!今一番欲しい存在がそばにいないのに、飲んだって何も変わりゃしない!気休めなだけだ!」

 ぱしりと久瀬が差し出した薬を手で払う。床に錠剤が転がった。

「直様……」

 こうして久瀬を困らせるのは日常茶飯事だったが、今が一番困っているんじゃないだろうか。すまないな、こんな……弱くてもろい次期後継者で……。

 でも、今は本当に苦しくて、不安で、どうしていいかわからなくて、死ぬのが怖いのに死にたくて……もう考えたくない。生きていたくない。

 甲斐が愛しいと思えば思うほど、こんな自分が苦しい。迷惑かけるばっかりで、こんな自分に存在意義なんてあるのか……?生きてる限り、こんな体でいる限り、オレは罪な存在なんだよ。

 こんなオレなんか……こんな自分なんか、いなくなってしまえばいい――!!

 その後、暴れて泣くオレに久瀬と部下達が強引に薬を飲ませてきた。いつもより強めの精神安定剤だった。次第に眠気とけだるさを感じて、何もする気になれなくなっていった。

「オレ……土日に甲斐と泊まりに行くんだ……」

 薬の影響のせいで、先ほどの躁なテンションが嘘のように無気力感で天井を仰いでいた。冷静になりすぎているせいか暴れていた時より思考力が少しだけ戻っている。

「土日ですか……。ですが……許可がいりますよ」

 どうせその許可も却下されるに決まってる。

「わかってる……。だから……最後なんだ。最後の三日なら奴も慈悲をくれるだろ……。三日が終わったら……もう……何も望まないから……」

 オレの瞳にはもう何も映らなかった。虚無の彼方をじっと見据えていた。

 正之の掌の上で踊ってやるよ……死ぬまで……。


 *


「三日だけの猶予か。許可はできないと言いたいところだが、それで架谷甲斐への熱病が冷めてくれるのなら許可もやぶさかではないよ。ふふふ」

 私は社長に直様へ三日だけの猶予を与えてほしいと頭を下げた。誠一郎様や直様と比べたらこの男を一ミリたりとも尊敬はできないし、頭を下げたくはないが、直様が強くそれを望むなら秘書として叶えないわけにはいかない。相手が誰だろうと秘書として、形だけでも目上の人間に対して恭しく畏まるだけ。

 たとえ、憎しみと憎悪を抱く相手だろうとも。甲斐さんのために、甲斐さんやその周囲の人々を少しでも守るために、直様が断腸の思いでそれをお決めになったのだ。二度と、甲斐さんに逢えなくなるかもしれないとわかっていても。

 愛する人と離れ離れになる。

 その決断の重さを伝えても、この男は愉悦に笑うだけ。やはり、この男に人間の血は通っていないように思えた。自分が愛した友里香様の母であり奥方様や息子を亡くしてから、この男は人間の心を全て捨ててしまったようだ。冷酷無慈悲どころか、もう人間でさえないのかもしれないが。

「久瀬。直の開星の退学手続きと海外留学の手続きをしておけ」
「海外留学、ですか」
「この日本で学ぶことはもうないだろう。海外の方でより一層経営を学ばせ、少しでも延命治療を施させて、短い寿命の中で矢崎家を大きくするために血となり肉となってもらわねば」
「っ……」

 どこまで直様を自らの野心のための道具にすれば気が済むのだろうか……。

 私は募る凄絶な怒りと直様があまりにも不憫で、心の中に様々な感情が渦巻いていた。

「それから久瀬。お前は直の秘書をやめてもらう」

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