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九章それぞれの恋模様
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「架谷には……言わないのかよ?」
「墓まで持っていく。いずれバレるだろうと思うが、その時にはもう……」
「っ……バカな奴。ほんと、馬鹿。一人になる架谷が……可哀想だ」
恵梨は泣きそうな顔をしている。なんだかんだ言ってオレを心配してくれている事にありがたいと思う。
「たしかに可哀想だな。甲斐を……一人にさせてしまう事が」
「それもあるけど、あんたが架谷に黙ったままな事がだよ。本当に、それでいいと思ってんの……?何も言わないままあんたは……」
「言った所で何になると思う?どうにもならないなら逆に言わない方がいい。甲斐の笑顔を、今は悲しみに突き落としたくないんだ」
せっかくの今の幸福なひと時に水をさしたくない。
「そもそも、オレが短命なのは初めから決まっていた事。長くて30まで生きられれば往生した所か。でもこの頃、変な咳ばかり出て、体力もなくなってきて、体がだるい事が多い。これじゃあ30どころか20も生きられないだろうと思う。1か月前に主治医に診てもらったら、CD4値……つまり免疫力の数値が異常に減ってて、免疫不全一歩手前って所らしいんだ」
「っ……じゃあその咳……」
「この咳もただの風邪なのに、たぶん長引くと思う」
いやむしろ、この風邪が生死の分かれ目かもしれない。
「今はHIV患者がよく飲むような薬を服用するようになった。副作用が出る事もあってなかなか自分にあう薬が見つからなくて……」
「どうして、どうしてあんたはそんな笑顔でいるんだよ……」
恵梨の悲観的な表情に胸が痛くなるが、オレは逆に微笑んでいた。
「割り切ってるのかもしれない。生まれた時から、こうだったから」
「生まれた時って……本当に始めからそうだったのかよ」
「初めから、こうだった。自分が化け物な事は知っていたけど、短命なのは少し前に知った。でも、簡単にはくたばらない。甲斐と出会って、少しでも長く生きたいって思うようになったから、短い人生の中で幸せな思い出を作りたいんだ。精一杯生きた証を」
「直……ほんと、あんたって奴はあたし以上にシビアな人生送ってんだからっ」
恵梨の困ったような表情が、悲しいとも呆れているともとれた。
*
「お待たせ……って、どうしたんだよ二人とも。なんか暗い気がする……」
俺が買い物から戻ってくると、二人の雰囲気がどうもどんよりしているように見えた。
「なんでもないよ。直があたしの作ったクッキーをダメだしするから腹立ててたところ」
篠宮がそっぽを向いて腕を組んでいる。
「……そう、なのか?」
そんな感じには見えない気がしたけど、気のせいなんだろうか。
「そうだな。過去最低にまずかった。将来菓子職人になると聞いて呆れた出来だ」
「もう!子供達はうまいって言ってくれたのにあんたときたら……お坊ちゃま舌なんだからっ」
「ほっとけ。オレは庶民の味なんて知らないんだ」
「これだから金持ちはっ」
なんとなく二人の間にチグハグな様子を感じたけど、あえて俺は気にしない事にした。
大丈夫、だよな?
*
「ちょっと!この服じゃないって言ったでしょうが!」
「も、申し訳ございません!すぐにもう一方の方を準備し「もういいわ」
「あんたクビね。明日からもう来なくていいわ。退職金もなしで。さよなら」
クビにしてやった部下があたしを必死で引き留めようとするが、あたしはそれを無視して護衛に後の始末を頼んだ。
ああ、いやになる。無能で使えない部下を持つとイライラが止まらないわ。
それにこの頃、あたしの愛する直もあまり相手をしてくれなくなった挙句に、あたしの強力な暗示が効かなくなっている気がしていた。
直が小さい頃からずっとかけてきた言霊が効かなくなっているなんて、直自身に大きな心変わりがあったか、それとも……意中の人間ができたか。
何にせよ、忌々しき問題だわ。
あたしの直があたしから離れるなんてあってはならない事。あの人の理解者はあたしだけでいい。あたしだけが直をわかってやれる。直のすべてを受け止めてあげられる。それ以外なんて許さない。
苛立つ気持ちを隠そうともせずに車に乗り込み、次の仕事場へ向かう。今からCM撮影があって、嫌いなタレントと共演というだけでさらにテンションは下がる。
タバコを吸いながらぼうっと車窓を眺めていると、近くのスーパーの駐車場で見知った顔が目に入った。見慣れた背の高い美しい男と誰かがいる。
あたしの直が……誰かと……
「止めて」
「え?」
「いいから止めて頂戴」
運転手に命令して半ば強引に停車させる。直がいる近くまで車をバレない程度に移動させて、その様子を食い入るように眺めた。
二人いる。一方は見たことがある顔で、その金髪の女はあたしが一年前に部下に命令して襲わせた女だった。たしか……直と付き合っていた篠宮っていう泥棒猫だったわね。
直に近寄る女は全て鬱陶しいから、片っ端から裏から排除してやっていたのに、あんな目にあっておいてまだ直にちょっかいをかけているなんて、懲りない女ね。また襲われないと気が済まないのかしら。
それにもう一人は……あら、あの男、あたしのハニトラにひっかかった強姦魔男じゃないの。
なんでそんな男があたしの直と一緒にいるのかしら。それに直もあの男が嫌いで陥れようとしていたはずなのに……。今更男同士で仲良くでもなったのかしら。……まさかね。
まあ、とにかく……あたしの直にちょっかいをかけているようだし、なんだか仲よさそうで鬱陶しいからあの二人は排除しなくちゃ。直に悪い虫がついちゃいけないもの。あんな下衆な人間二人……あたしの直にふさわしくないし、あたしも好きじゃないから。
あたしから直を奪う者、邪魔をする者、取り上げる者、全て根絶やしにしなくては。
ああ、直……。あたしの可愛い可愛いボウヤ……。
可哀想で、哀れで、生きているだけで罪なボウヤ。
あなたの周りには誰もいない。ずっとずっと孤独。一生理解されない。
寂しいでしょう?誰もわかってくれないでしょう?あなたがそんな体で生まれたせいで、周りは普通としては見てはくれない。気味悪がられて、化け物としてあなたを見る愚か者ばかり。
でも、安心してちょうだい。あたしがいる。あたしも同じ人間じゃないの。同じ者同士、あたしならわかってあげられるのよ。
さあ、戻ってくるのよ。あたしの元に。依存しなさい。可愛い可愛いボウヤ。
戻って来た暁には、慈しんで、可愛がって、いっぱいいっぱいベットの上で慰めてあげる。寂しくないように濃厚なセックスで癒してあげる……。
だから、そんな昔の女や強姦魔だった男に心なんて開かなくていいのよ。
その二人はあなたに害しか与えないの。優しい言葉を投げかけたと思えばすぐ裏切る愚かな人間。心を開いちゃダメ。笑顔を向けちゃダメ。その二人を信じちゃダメ。
大丈夫。あたしがその二人からあなたを引き裂いて、救い出してあげる。
あなたを悪い人間からあたしがマモッテアゲルワ……!
9章 完
「墓まで持っていく。いずれバレるだろうと思うが、その時にはもう……」
「っ……バカな奴。ほんと、馬鹿。一人になる架谷が……可哀想だ」
恵梨は泣きそうな顔をしている。なんだかんだ言ってオレを心配してくれている事にありがたいと思う。
「たしかに可哀想だな。甲斐を……一人にさせてしまう事が」
「それもあるけど、あんたが架谷に黙ったままな事がだよ。本当に、それでいいと思ってんの……?何も言わないままあんたは……」
「言った所で何になると思う?どうにもならないなら逆に言わない方がいい。甲斐の笑顔を、今は悲しみに突き落としたくないんだ」
せっかくの今の幸福なひと時に水をさしたくない。
「そもそも、オレが短命なのは初めから決まっていた事。長くて30まで生きられれば往生した所か。でもこの頃、変な咳ばかり出て、体力もなくなってきて、体がだるい事が多い。これじゃあ30どころか20も生きられないだろうと思う。1か月前に主治医に診てもらったら、CD4値……つまり免疫力の数値が異常に減ってて、免疫不全一歩手前って所らしいんだ」
「っ……じゃあその咳……」
「この咳もただの風邪なのに、たぶん長引くと思う」
いやむしろ、この風邪が生死の分かれ目かもしれない。
「今はHIV患者がよく飲むような薬を服用するようになった。副作用が出る事もあってなかなか自分にあう薬が見つからなくて……」
「どうして、どうしてあんたはそんな笑顔でいるんだよ……」
恵梨の悲観的な表情に胸が痛くなるが、オレは逆に微笑んでいた。
「割り切ってるのかもしれない。生まれた時から、こうだったから」
「生まれた時って……本当に始めからそうだったのかよ」
「初めから、こうだった。自分が化け物な事は知っていたけど、短命なのは少し前に知った。でも、簡単にはくたばらない。甲斐と出会って、少しでも長く生きたいって思うようになったから、短い人生の中で幸せな思い出を作りたいんだ。精一杯生きた証を」
「直……ほんと、あんたって奴はあたし以上にシビアな人生送ってんだからっ」
恵梨の困ったような表情が、悲しいとも呆れているともとれた。
*
「お待たせ……って、どうしたんだよ二人とも。なんか暗い気がする……」
俺が買い物から戻ってくると、二人の雰囲気がどうもどんよりしているように見えた。
「なんでもないよ。直があたしの作ったクッキーをダメだしするから腹立ててたところ」
篠宮がそっぽを向いて腕を組んでいる。
「……そう、なのか?」
そんな感じには見えない気がしたけど、気のせいなんだろうか。
「そうだな。過去最低にまずかった。将来菓子職人になると聞いて呆れた出来だ」
「もう!子供達はうまいって言ってくれたのにあんたときたら……お坊ちゃま舌なんだからっ」
「ほっとけ。オレは庶民の味なんて知らないんだ」
「これだから金持ちはっ」
なんとなく二人の間にチグハグな様子を感じたけど、あえて俺は気にしない事にした。
大丈夫、だよな?
*
「ちょっと!この服じゃないって言ったでしょうが!」
「も、申し訳ございません!すぐにもう一方の方を準備し「もういいわ」
「あんたクビね。明日からもう来なくていいわ。退職金もなしで。さよなら」
クビにしてやった部下があたしを必死で引き留めようとするが、あたしはそれを無視して護衛に後の始末を頼んだ。
ああ、いやになる。無能で使えない部下を持つとイライラが止まらないわ。
それにこの頃、あたしの愛する直もあまり相手をしてくれなくなった挙句に、あたしの強力な暗示が効かなくなっている気がしていた。
直が小さい頃からずっとかけてきた言霊が効かなくなっているなんて、直自身に大きな心変わりがあったか、それとも……意中の人間ができたか。
何にせよ、忌々しき問題だわ。
あたしの直があたしから離れるなんてあってはならない事。あの人の理解者はあたしだけでいい。あたしだけが直をわかってやれる。直のすべてを受け止めてあげられる。それ以外なんて許さない。
苛立つ気持ちを隠そうともせずに車に乗り込み、次の仕事場へ向かう。今からCM撮影があって、嫌いなタレントと共演というだけでさらにテンションは下がる。
タバコを吸いながらぼうっと車窓を眺めていると、近くのスーパーの駐車場で見知った顔が目に入った。見慣れた背の高い美しい男と誰かがいる。
あたしの直が……誰かと……
「止めて」
「え?」
「いいから止めて頂戴」
運転手に命令して半ば強引に停車させる。直がいる近くまで車をバレない程度に移動させて、その様子を食い入るように眺めた。
二人いる。一方は見たことがある顔で、その金髪の女はあたしが一年前に部下に命令して襲わせた女だった。たしか……直と付き合っていた篠宮っていう泥棒猫だったわね。
直に近寄る女は全て鬱陶しいから、片っ端から裏から排除してやっていたのに、あんな目にあっておいてまだ直にちょっかいをかけているなんて、懲りない女ね。また襲われないと気が済まないのかしら。
それにもう一人は……あら、あの男、あたしのハニトラにひっかかった強姦魔男じゃないの。
なんでそんな男があたしの直と一緒にいるのかしら。それに直もあの男が嫌いで陥れようとしていたはずなのに……。今更男同士で仲良くでもなったのかしら。……まさかね。
まあ、とにかく……あたしの直にちょっかいをかけているようだし、なんだか仲よさそうで鬱陶しいからあの二人は排除しなくちゃ。直に悪い虫がついちゃいけないもの。あんな下衆な人間二人……あたしの直にふさわしくないし、あたしも好きじゃないから。
あたしから直を奪う者、邪魔をする者、取り上げる者、全て根絶やしにしなくては。
ああ、直……。あたしの可愛い可愛いボウヤ……。
可哀想で、哀れで、生きているだけで罪なボウヤ。
あなたの周りには誰もいない。ずっとずっと孤独。一生理解されない。
寂しいでしょう?誰もわかってくれないでしょう?あなたがそんな体で生まれたせいで、周りは普通としては見てはくれない。気味悪がられて、化け物としてあなたを見る愚か者ばかり。
でも、安心してちょうだい。あたしがいる。あたしも同じ人間じゃないの。同じ者同士、あたしならわかってあげられるのよ。
さあ、戻ってくるのよ。あたしの元に。依存しなさい。可愛い可愛いボウヤ。
戻って来た暁には、慈しんで、可愛がって、いっぱいいっぱいベットの上で慰めてあげる。寂しくないように濃厚なセックスで癒してあげる……。
だから、そんな昔の女や強姦魔だった男に心なんて開かなくていいのよ。
その二人はあなたに害しか与えないの。優しい言葉を投げかけたと思えばすぐ裏切る愚かな人間。心を開いちゃダメ。笑顔を向けちゃダメ。その二人を信じちゃダメ。
大丈夫。あたしがその二人からあなたを引き裂いて、救い出してあげる。
あなたを悪い人間からあたしがマモッテアゲルワ……!
9章 完
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