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四章急接近

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「帰ってまたしつけてやらないとな。なぁに可愛い顔には傷はつけねーよ。お前の父にも言われたからな。服の下ならいくらでも躾てくれて構わないって」

 なんでこいつがここになんて思うより先に、俺は拳を強く握りしめていた。
 まとわりつくような、ねっとりとした視線で神山さんを見ているのが許せなかったのもあるだろう。それと同時に奴の発言も聞き捨てならない。神山さんに対するDV疑惑発言が。

「家でたっぷり可愛がってやる。おれから離れた罰だからな」

 ちょっとでもまともになっていたらと思っていたが、それもむなしくあの時と何も変わっちゃいない様子にさらに失望を感じずにはいられない。

 それに――俺の中で何かが大きく膨らんでいく感覚がした。あいつの顔を見ていると、俺の中の理性が飛びそうな気の昂りというか、感じたことがない不快なものが駆け巡る。

 俺……どうしちまったんだ。
 あいつを見ていると、怒りがふつふつとわいてきて気が恐ろしいほど昂ってくる。怒りが抑えきれなくなってくる。

「……か、神山さん、とりあえずここを離れよう。癪だが今はちょっと……」

 気がついたら俺はかなり汗ばんでいた。どうやら俺の中で苛められた記憶がかなりトラウマ化している気がするのだ。頭の中で城山の笑い声が響いてきて、やられた数々のいじめが頭の中でループし続けている。このままじゃ俺は我を失ってしまいかねないような、自制心が働かなくなるような不安を感じた。

「架谷くん?」
「俺自身もあの時の事を思い出して気持ち悪くなっちゃって、な。余裕がないんだ」

 喉もカラカラになって、大量に汗をかいて、髪の毛がこめかみ等にはりついて気持ちが悪い。トラウマがすべて怒りに変わっていくせいか、気を抜けば理性が飛ぶかもしれない不安定な気分だ。

「だ、大丈夫なの?」
「とりあえず逃げよう」

 俺は神山さんの手を強引にとってその場から立ち去ろうとした。このままあいつを見ていると俺がおかしくなりそうだ。汗ばんだ手だけどごめん。

「おいてめえ!!何おれ様の女を連れ去ろうとしてんだよ!!」

 城山の反応は見ての通りそれを許さない様子だ。でも完全無視。相手にすると時間の無駄でもあるし、今は俺自身の理性が飛ばないようにとここを離れるのが先決。

「無視すんじゃねえ!」

 城山がいきり立って襲いかかってくる。どうせこの手の奴は沸点が低いだろうとわかっていたので、俺は城山の方を向かないで殺気をこめた。強めに。

「な……!」

 俺の背後から襲いかからんとしていた城山の動きが急激に止まる。
 それもそうだ。これだけの殺気オーラを背後から放ったので、奴は俺に触れることも近づくこともできないだろう。まるで蛇に睨まれたカエル状態に近く、あまりに強い殺気は怯えさせるどころか縛られたように動けなくなるのだ。

 むろん、神山さんにはわからない程度のほんの一瞬だけ一気に放ったに過ぎない。城山を動けなくさせるには十分だろう。

 一歩も動くな。
 もし一歩でも動けば……お前を殺す。殺してやる。
 俺は人殺しになんてなりたくないので、死にたくなければおとなしくしていろ。当然、あとでちゃんと報復をしてやる。首を洗って待ってな。

「ひいっ……」

 微かに城山の悲鳴が聞こえた気がした。
 俺はもう一度鋭い視線を横目に殺気を放つと、城山は恐怖に黙ったまま俺と神山さんが立ち去るまで見ているだけであった。
 

「はあ……はあ……」

 一先ず、奴がいる場所から遠くに退くことができてほっとする。
 理性が壊れるのを防ぐので精一杯で、緊張感から呼吸すら仕方を忘れちまう所だったよ。下手をすれば身を滅ぼす自分こえーわ。ある意味爆弾を抱えているようなもので、自分が思った以上に城山への恨みが己のメンタルを傷つけていたようだ。
 相当傷ついていたんだ……俺。

「架谷くん大丈夫?」

 神山さんがぐったりして座り込んでいる俺の様子を見て心配そうにしている。

「俺はもう大丈夫。アイツの気配が消えたから。それより、君こそ顔色が悪い……」
「私も大丈夫。架谷くんがそばにいるから。それにこうして手を握ってくれている」

 俺は今更ながらそれに気づいて「あ、ごめん」と手を放す。

「別に放さなくていいのに」
「いや、俺……汗かいてるし、臭いし」
「全然気にしないのに。架谷くんの汗なら全然ハアハアしてくんかくんかしちゃうのに」
「……え」
 今とんでもない事しゃべらなかった?
「あ、な、なんでもない」

 神山さんの変な台詞は置いておいて、今日帰ったら即行メンタルトレーニングの修行をしないとやべえな。
 城山じゃないにしろ、トラウマが出る度にあんな風に理性崩壊の危機になっていたら、いつか本当に理性をなくして人を殺しそうで怖い。そうなってしまっては遅いので、メンタルトレーニングが得意な親父に今日は稽古をつけてもらおう。

 親父はすぐ泣くけどそれは家限定での事。仕事場では何を言われても鋼のメンタルを持っているので、心の強さは親父がピカイチである。さすがは万年窓際族なだけはあるしな。これを言ったらさっそく泣きそうだけど。
 とにかく、己のメンタルがここまで弱いなんて思わなかった。今日だけは授業どころではないので、どこかで隠れてすごそう。



「珍しいね、直ちゃんがあの程度の奴を相手にするなんて」

 展望ラウンジで拓実が先程のやり取りの事を掘り返している。 

「気まぐれだ」
「ただの気まぐれでもあの夫婦ただの三下じゃん。自社の社員って言っても直が口出しする相手でもないし。それとも、甲斐ちゃんが悪く言われていたから放っておけなかったからとか?」
「っ……」

 あっけなく図星を突かれて頬がかあっと熱くなってしまった。不覚だ。 

「あれれー顔赤いしー」
「珍しいねー直君の頬染め~」
「うるせえ黙れ」

 確かに普段のオレならあんな自社の平社員など相手にしないだろう。企業スパイだなんだと、中には本当にそんな奴が紛れ込んでいてもオレは放置をしていたのだから。
 矢崎グループがどうなろうが別にどうでもいいし、自分が自由になれるのなら潰れても一向に構わないとも思っている。だけど、オレがあそこまで平社員一匹に口出ししたのは、拓実の言う通りあいつを悪く言ったから。

 架谷を侮辱したから。
 ただそれだけの事。

 あいつを悪く言っていいのはオレだけ。一応、あいつがオレの従者で、オレが雇い主だからな。だから柄じゃないとわかっていても自分の事のように腹が立ってしまい、つい要らぬ横やりを入れてしまった。それに正之も絡んでいるかもしれないなら、余計に放っておく事はできない。

「何にせよ、正之社長の名前を聞いたら引くに引けなくなるね。アレとの癒着が本当だとしたら」

 拓実の目が愉しげに細まる。

「そうだったら、矢崎家を根底から覆す裏切り行為だよね。敵対企業の幹部と婚約させるんだもの。ホワイトコーポレーションって実質は白井グループのフロント企業だし」

 穂高が飼い猫と戯れながら面白そうにしている。

「正之が白井と癒着があってもおかしくはない。今までの行動や野心、あの胡散臭い女を愛人にしている時点で怪しさ満載だ。足取りをなかなか掴ませない狡猾な野郎だが、バカな部下を持ったせいでみすみす自らのボロがバカ部下によってあぶり出される」
「不正疑惑に喜ぶなんて、よっぽど正之社長が大嫌いで仕方ないんだね。ま、おいらもあの人嫌いだけどさ」

 俺は部下にさっきの夫婦の身辺調査をさせた。もちろん、正之の事も秘書の久瀬に極秘で。






 午前中いっぱい雲隠れしていた俺は、狭い密室で目を覚ました。
 目を覚ます際にあまりに狭かったから天井に頭をぶつけてしまった。いってえ。

 この狭い空間は古びた図書館の中にある物置であり、俺のお昼休み専用の隠れ家だ。姿を消すには最良の場所で、親衛隊や俺を狙おうとする悪漢もこの場所の存在を詳しく知らないし、通りすがりの生徒もこの建物を見ればただの廃墟の洋館だって勘違いするしな。ただ、狭すぎるのが難点である。

「隠れていたのか」
「久瀬か」

 物置部屋を出て図書館一階のフロアに出ると、四天王の久瀬が静かに本を読んでいた。そういえばここは久瀬がよく来る場所でもあったな。

「直がお前を探していたぞ。どこに行きやがったって」
「え、そーなの?」

 矢崎が俺を探しているってなんで?別に約束なんてしてないし、放送で呼び出されたわけでもないし。

「授業中のEクラスにまで行こうとしていたからさすがに止めたが、後で顔を見せてやれ」
「そ、そうする」

 授業中に押し掛けようとしていたのか。それは困るわ。もし矢崎がEクラスに現れたらみんなが卒倒しそうだし。

「それにしても、直があんなにあんたの事を気にしているとは驚きだな……」
「そうなんだよな。更生するはずがあそこまでなついてくるとは俺も予想外」
「直が誰かに執着する事なんてほとんどなかったからな。篠宮恵梨や失った友達以外は」
「篠宮はわかるが、失った友達?」

 俺が持ってきていた弁当を広げながら首をかしげた。

「直には開星初等部から中等部時代に友達がいたんだ」


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