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直の過去

たとえばぼくが死んだら4

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「なあ、直。日曜日に近くで鮎採りがあってさ、一緒に体験しに行かない?」
「鮎採り?」
「川辺で素手でお魚を採る事ができるんだって。毎年やってるんだけど、直君も行こうよ。楽しいよ」
「……魚採り、か。面白そうだな。行ってみたい」
「よし、じゃあ今週の日曜は駅前のバス停前に集合な」
「バス停……バス停はわかるが、オレ……バスの乗り方知らない……」
「大丈夫、教えてやるよ。結構簡単だからさ」
「直君、小銭は持ってる?」
「小銭……秘書に言えば出してもらえると思う。普段はカードしか持ってないんだけど」
「あはは、すげーなカードって」
「すごくない。カードなんていらねーよ。オレも小銭や財布を持ってみたいんだ。自分だけの小遣いを」
「自分だけの、か。金持ちにも金持ちなりの悩みがあるんだね」
「考える事は逆なんだなァ」

 二人はオレの知らない庶民の遊びや、食べ物、他に楽しい事をたくさん教えてくれた。

「直、今日は商店街でお祭りがあるんだけど行かないか?」
「そこのお祭りでね、射撃大会があるんだけど商品に温泉旅行券があるんだ。直って射撃得意でしょ?きっと温泉旅行券取ってくれそうだと思ってさ」
「……それなら、お安い御用だ」
「ふふ、じゃあ取ったら行こうね三人で」

 二人はオレとは住んでいる世界がちがう一般庶民の子供。開星学園に通っていたが庶民ゆえに金持ち共の子息からは見下されていた。中等部までは義務教育なために学費はかからないし、一般庶民もこの二人を含めて結構いたので、常に庶民は下に見られていた。

 だけど二人は権力に屈する事なく真面目に学校に通っていたし、オレの事も次期社長という目で見ずに平等に接してくれた。それがたまらなく嬉しかった。

 バスや電車の乗り方、たこやき、カラオケ、ゲーセン、遊園地、林間学校、カップラーメン……全てが新鮮だった。楽しかった。庶民はこんな楽しい事をいつもしているんだなって羨ましくなった。

 矢崎家という桎梏の箱庭の中では決して知ることのない庶民の世界に憧れて、二人と過ごした日々は何事にも変えられない幸せな日々だと思った。

 この二人のためならどんな事も頑張れる。どんな事も乗り越えられる。そう思った。






 中等部にあがって二年の秋頃、三人で荒川の土手に座りながら将来の事を話し合った。 

「昭弘は将来何になるんだ?豆腐屋ってやつか」

 オレは言われなくてもどうせ次期社長って立場が決まっているから蚊帳の外に近い。でも、純粋にこの二人の事は気になった。

「俺は公務員になる予定だ!」
「ぷ、あはは。公務員てえらい現実的だね」
「笑うなよ。安定した給料もらえるんだから。でも、公務員がだめなら実家の豆腐屋を継ぐことも考えているんだ。兄貴が豆腐屋継ぐ予定なんだけど、父ちゃんがお前も豆腐屋継いで兄弟でやるのもいいって言ってくれてんだ。その時は、お嫁さんもいたらいいなって……」
「へぇー……お嫁さん、ねぇ」

 ちらちらとあずみと昭弘が目配せしている。微笑ましいもんだな。青春してて。

 この二人はケンカをしながらも仲がいいから、きっとなんだかんだ続いてうまくいくだろう。幼馴染だって聞いているし、オレと出会う前からもそういう関係だったようだから、この先も二人の仲を親友としていつまでも見守っていきたいと思う。できる限りずっと。

「直はやっぱ社長様か」
「……なりたくないけど」
「でも、直が泣く子も黙る矢崎財閥社長様になっても、直は直だから偉くなっても関係ないよ」
「うん、そうだよ。直は皆の前ではいつも大人びてて淡々としているけど、本当は他人想いだって事は私らはちゃんと知ってる。皆が社長様だなんだと言っても、私らがいる前ではただの世間知らずな直なんだから」
「ただの世間知らずな直、か。お前らだけだよ。そう言ってくれるの。でも悪くない」

 この二人はオレの事を身分など関係なく分け隔てなく接してくれるから、それがいつも嬉しかった。素の自分でいれた。

「いつかこの三人で、安い酒でも飲みあって昔の事を笑って語れるようになればいいな」
「縁側に座っておつまみでも食べながらさ」
「なんか親父みたい。そういえば直って好きな人はいないの?」
「ぷ……いねーよ。そんな女」
「えーでも、直って女の子から超モテモテで学園のみならず他校からもファンクラブ出来てるくらいなのに?次期社長様って肩書きもあるからだけど」
「あれだろ?モテすぎてマヒしちゃって興味なくなったってパターンだろ。辛いよなーそれもある意味」
「……だろう?この先、オレをオトせる高貴な女なんて現れるとも思えないから、諦めてんだよ。どうせ好きでもない女と結婚させられるだろうし。将来は仮面夫婦まっしぐらだ」
「もー諦めないでよ。恋ってのは現れるんじゃなくて落ちるものなんだから。それに案外さ、直って高貴な女じゃなくて平凡な家庭で育った庶民の子の方がうまくいきそうだと思うんだ。私のカンだけどね」
「庶民の子、ねぇ……」
「金や権力に縛られず、直の寂しがり屋なとこ理解してくれる人がきっといつかできるって。だって直は本当に優しいんだから。本当の直自身を好きになってくれる人が見つかったら、私らにちゃんと紹介してよね」
「……そうだな。その時は……そうする」



 中等部の三年になると、以前までは楽しかった日々も嘘のように変わり始めた。

 学園カーストがよりひどくなり、オレの事を持ち上げる取り巻き連中が幅を利かせるようになってきた。

 取り巻きの連中は、昭弘とあずみの事を「あんな貧乏人と付き合うな」とか「あんな庶民と付き合うだけで時間の無駄だ」とか、生意気にもオレに言うようになってきた。しかも、秘書の久瀬以外の側近達まで付き合う人間を改めるように忠告してきた。

 それでもオレは気にしなかった。何を言おうが言われようが、オレはこの二人が本当の親友だと思っていたから。

 しかし、正之によって事態は最悪な方向へと進んでいった。



「どうしたんだ?」

 昭弘が切羽詰まったようにスマホで話しこんでいた。相手は母親のようだった。電話を切ると、昭弘は苦笑している。

「あー……ちょっと店に変な連中が来てさ、なんかバタバタしてて……。と、直には関係ない話だよ。ほら、俺の実家って貧乏豆腐屋だからいつ潰れてもおかしくないだろ?ま、そーゆーこと。あはは」
「……そう、なんだ……」

 実はオレの知らない所で、昭弘の家に地上げ屋が押しかけ、土地の権利書を奪われてしまった一大事があったのに、昭弘は健気に笑っていた。

「あずみ!どうしたんだ!?」

 そんな時、彼女が泣きながらボロボロな姿でオレと昭弘の前に現れた。

「ご、ごめんね。家に帰ったら変な黒服の連中がいて、身に覚えのない借金を親が作ってたらしくて……」
「身に覚えのない……?だけど、その前にその格好……」
「逃げて来たんだ。返せる借金なんてなくて、代わりにお前が体を売れって言われて……恐くて……」
「ひどいな……!」

 身に覚えのない?借金?黒服の連中?

 嫌な予感がした。

 最近の周りの連中の幅の利かせようを思い出すと、なんとなく誰の仕業かふと思い浮かぶ。あの憎き義理の父親の正之の顔を。

 こんな事をするのは奴しかいない。根拠もないのに、最近の周りを見て確信する。小学校の時はまだ黙認されていたが、その期間も終わりを告げたのか。


 何もオレの親友二人を陥れる事ないじゃないか……!



 すぐに周りの側近達を問いただすも知らないの一点張り。張本人の正之にも仕事で移動中な所を引きとめて問いただせば、

「お前は選ばれた人間だ。付き合う人間をちゃんと選ばなくてはならない。小学生の頃はまだ子供だからと放置していたが、そろそろお前も身の程を弁える年齢。あんな貧乏人風情と付き合ってもなんの利益にもならない」

 そう淡々と言われた。オレは頭にカッと血がのぼって正之を思いっきり殴った。すぐに側近に羽交い絞めにされて止められたが、奴はどこ吹く風とせせら笑っていた。

 そんなにオレを矢崎のシガラミに縛りつけたいのか……?

 そんなに息子の事より会社の利益を優先したいのか……?

 オレの自由を奪ってまで、オレのこの身を道具にするために……っ。




 数日後、正之に憎悪を抱く中で学校に行くと、ぽかりと空いた空席が二つ目立っていた。その二つの空席に気づくと周りはヒソヒソとこちらを見て遠巻きにざわつく。

 教師が言うには、昭弘とあづみは家の事情で知らぬ間に転校して行ったらしい。急な事でオレは頭が追いつかず、茫然自失になって動けなかった。

 多分、オレとは二度と付き合うなと矢崎の連中に強く圧力を受けた末、転校をさせられたと察する。

 どうして、黙っていた?

 それは最後まで二人は本当の事を言うのを心苦しく思っていたから。あの二人は本当にイイ奴らだったから。

 オレのせいだ……オレの……。

 ごめん……ごめん、なさい……。

 オレなんかと付き合ったばかりに、二人を不幸にしてしまったんだ。オレの存在が、二人の人生を狂わせた。

 その報いが、断罪が、ひとりぼっち。


 二人がいたから、この呪われた矢崎の箱庭でもやっていけると思ったのに……。唯一の心の拠り所を失ってしまった今、オレの視界は灰色に染まる。




 その後、二人は家族もろともどこか遠い場所に追いやられてしまったと聞いた。

 その時は本気で正之を殺そうと思った。誰がなんと言おうと抹殺してやる気持ちだった。でも、それも圧力をかけられてますます自由を失ってしまった。所詮、跡取りと言ってもお飾りのようなオレには何もできやしない。何も。

「オレには、何も残らないんだ……」


 この時、オレが好きになる人は矢崎家の呪縛がある限り、離れて消えていくんだなって諦めのようなものを悟った。自分は疫病神なんだって全く疑わなかった。


 ごめんな……昭弘……あずみ……。

 いろいろそう考えているうちに何もかもがどうでもよくなって、学園でも家でも傍若無人に振る舞うようになった。自棄になった。疲れた。抵抗するだけ無駄だって全てにあきらめた。

 この先、どうせツマラナイ人生を送るんだ。操り人形になってやれば好きにしてもいいだろうって気持ちで、全ての人間を見下すようになった。正之の望み通り、残虐非道で冷酷無慈悲な社長になってやるよ。

 もうどうだっていい。
 こんなひどい人生……もう滅茶苦茶になればいい。

「オレなんか、死ねばいいんだよっ!!」

 
 泣いているのに笑いがこみあげてくる。
 オレの親友がいなくなったって事実がオレをそのまま狂わせた。安定剤と睡眠薬がなければ落ちつけないほど、病みに病んで底の沼に沈んでいく。

 その日を境に、オレの人生は早く死ぬためだけに生きているものという認識に変わった。
 

 完


 親友と出会う前後はまだ精神は持ちこたえていたけど、親友二人を失って精神崩壊→冷酷無慈悲の自殺願望者になりました。

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