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四章/矢崎兄妹

25.危険な二人きり

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「自分の胸に手を当てて聞いてみやがれバカ野郎」

 ふと、あの体育倉庫でのキスをされて押し倒された時の事が脳裏に浮かぶ。

 あれは完全なる黒歴史だ。なかった事にしたいひどい思い出。あんな目にまたあうのだけは御免だ。こいつは男だろうが女だろうが節操がなさそうだから油断できない。

「随分仲良くなったみたいねえ~直と甲斐ちゃん」

 相田がにやけた顔で割り込んできた。

「こいつと仲良くなんて別になってないっつうの」
「そうだ!なるわけねーっつうの」

 今はただの休戦状態である。

「えーそうかなあ。直がこーんな穏やかな顔見せてるの……親友とか元カノ以外では初めて見たんだけど」
「……拓実、テメエ」 

 ぎろっと直の睨んだ視線が相田に注がれる。
 あの矢崎に元カノや親友がいたのか。驚いた。

 矢崎邸の前に到着し、警備員が大きな自動の門扉をガラガラと真横へ開ける。
 車をゆっくり敷地内に走らせると、右には別荘らしき建物が見え、左には森林公園が広がっている。

 恐ろしく広い矢崎家の敷地面積にそもそもここは日本なのだろうか。こんなに広い庭があっていいのだろうか。家というよりどこかのテーマパークなんじゃないだろうか。

 どんだけ金持ちなんだこの矢崎財閥様は。
 度肝を抜かれながら窓の外を眺めていると、大きな屋敷の前にやってくる。

「到着しました」

 矢崎邸の本館前で車を停車させると、執事が後部座席の扉を開けて恭しく畏まる。

「んじゃ行くぞ」
「ちょちょっと!」

 車を降りる時でさえも直は甲斐を横抱きにして歩く。

「この抱き方はやめろっ。それか降ろせ。自分で歩くから」
「怪我人が文句言うな。オレ様が直々に部屋まで運んで手当てしてやるんだ。光栄に思え」

 光栄もくそもねえ。と、甲斐は心の中で野次る。
 実際痛みであまり動けないのだから抱き抱えている直の言う通りにしなければ辛い。でも落ち着かなくてもどかしい。
 すぐ傍を歩いている悠里など複雑そうな表情を浮かべている。


「お前はここに座ってろ」

 一旦悠里や相田と別れ、下ろされた場所は広い寝室のふかふかのキングサイズのベットの上だった。
 周りをキョロキョロ見渡せば、どこぞの高級ホテルのスイートルームを連想させるような造り。家具や絨毯などが見るからに高級品で、おまけに華やかでだだっ広い。自分の実家のオンボロアパートの数倍はある広さだ。

「おい、ここって……」
「オレの部屋」
「え……」

 甲斐は呆然とした。

「なんだよ」と、ムッとした表情の直。
「いや、だってまさかお前の部屋に連れて来られるとは思ってなかったし、それに憎らしいと思う人間を自室に入れるなんて普通じゃあり得ないだろ」
「……今はお前の事、憎らしいなんて前ほど思っちゃいない」
「……え」

 甲斐がほうけている一方で、直は救急箱を使用人から受け取り持ってきていた。

「おら、見せてみろ」

 直は甲斐の着ている黒パーカーを強引に引っ張って脱がせようとする。

「ひっ……ちょ、いきなり脱がせようとすんな変態!」
「だったらさっさと脱げノロマ。人がせっかく手当てしてやるんだ。ちゃっちゃと動け」
「なら、急かすな」
「お前がトロイからだろ」

 そう言いながら直は逃げる甲斐をベットに押さえつけて、服をシャツごとたくしあげた。背中に感じる柔らかいベットの感触がなんだかいろいろと生々しい。

「っ……」

 恥ずかしい。同性同士だというのに、この男に体を見られるというのがなんともいえない羞恥心をかきたてる。しかもなんなんだこの押し倒されているような体勢は。

「やっぱアザができているな。急所は全部外れているが」

 直が甲斐のあざだらけの白い肌の状態を看ている。 

「湿布貼って様子見だな」

 直がぺとりと甲斐の脇腹に湿布を貼り付けた。

「ひ、冷たっ」と、湿布特有のひんやり感に声が出た。
「色気のねぇ声」
「うるせーなっ。湿布貼るくらいで色気とか関係ないだろっ。だいたいはやくどけ!足とかは自分で貼れる」

 甲斐は直からの視線から逃れたくて、離れたくてたまらなかった。この男の視線に見つめられると息苦しい。決して変な意味なんてないと思うが、見ていられないのだ。

「遠慮するんじゃねえよ今更。テメーがオレに遠慮して離れるのとかなんかムカつく」
「なにがムカつくんだよっ。遠慮するだろふつー!いいから早くどけって」
「そう嫌がられると余計に逆の事をしたくなる」

 直の顔がより近づいてくる。顔つきがなぜか真剣な眼差し。

「……っ……ちょっと」

 やばい。さすがにやばい。
 このままではまた体育倉庫の時みたいな展開になりかねないじゃないか。この体勢とこの静かすぎる寝室。そしてベットの上。覆い被さってくるこいつ。
 煽るような危ない要素が盛りだくさんである。

 逃げなければ。一刻も早くこの男から。だけど直の力が強くて退けられない。手を押さえつけられて太ももの間に膝を入れられた。

「いいからどけって言ってンだろ!」
「やだね」
「……は?」
 
 直は顔を近づける。息遣いや吐息が当たるほど、至近距離で甲斐を見つめた。

「ちょっ」

 直の視線が息苦しくて思わず目を逸らす。それでもお構いなしに甲斐を見つめながら額に唇を落とした。

「っ、なんで……」

 甲斐の顔は真っ赤だった。なぜ額にキスなんか。

「自分でもどうしてかわからない」
「なんだよそりゃあ……」

 額が熱い。火傷をしたように熱がこもっている。押さえつけられていた甲斐の手は、ギュッと直の指に絡められてより密着させた。

「お前の事が知りたい……」
「っ、ひ」

 首筋に吐息を感じる。舌を這わせられているのか生暖かい感触に背筋がゾクゾクして止まらない。

「直、架谷くん、入ってもいい?」
「甲斐ちゃーん」

 体が強張る。こんな危ない体勢に限って悠里と相田の声が外から。
 本格的にやばい。この体勢を見られでもしたらいろんな意味で変な誤解をされてしまう。

「入ってきてもいい。今、手当てし終わった所だ」
 
 平然な顔でこう言いやがるコイツ。
 おいおいおいおいいいいい!
 なんて事を言いやがるんだこの鬼畜野郎!この体勢を二人に見せる気か!?俺の人生いろんな意味で詰んじまうじゃねえか!

「お前なっ!」

 睨みつけると、直はふふんと心底この状況を楽しんでいる。二人に誤解されても全然構わないという顔だ。

 くっそ!マジでどうしよう。こんな奴の思い通りになんてなりたくない。とにかくこいつから逃れる何かをっ……!

 甲斐は切羽詰まったように後ろポケットの中を探った。それを考えなしに直の顔に思いっきり投げつける。投げつけたのはスマホだ。

「ってえっ!」

 直は顔を歪ませて怯み、その隙に痛い体に鞭打って逃げ出すと同時に扉が開いた。

「何してんの甲斐ちゃん。直はなんか顔押さえてるし。あ、もしかして修羅場だったのかな~?」

 相田と悠里が見た光景は、ベットで額の辺りを痛そうに押さえている直と、そのすぐ近くで四つん這いで床を這っている甲斐であった。

「テメーあとで覚えてろよ」

 痛みと怒りに睨む直と、

「うるせえバカ。俺に半径1メートル以内には近寄るなこのケダモノ!」

 こちらも怒りに暴言を吐く甲斐。状況を分析した相田は薄々何があったかは読めていたが、悠里は少し訝しげだ。とりあえずさっきの体勢を見られなくてよかった。

 くそっ……なんなんだよ。

 今までの自分に対する悪行は毎度の事。本日は悠里とのデートをチンピラ共を雇ってぶち壊そうとしたと思えば、妙に優しい顔してここに連れてきて手当て。しかも、ベットに押し倒してくるという暴挙。

 あの体育倉庫の時のような強引さはなかったが、不思議と流されてしまいそうになって恐ろしかった。

 やはり困る顔を見たさの嫌がらせなんだろう。暴力的なのは百歩譲ってまだマシだが、性的な嫌がらせは勘弁してほしいものだ。嫌いな相手にあんな事できるって節操がなさすぎである。

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