【選択された感覚は完全に消去されました】

和ノ白

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【未開封の紅茶】

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都市の高層ビル群に挟まれた小さな路地。その奥にある「感覚スミス」の工房で、私はKと出会った。いや、正確に言えば、それ以前から何度も彼とやり取りをしていたのだ。ただ、実際に顔を合わせたのはそのときが初めてだった。

Kはずっと変わらない。私がどれだけ形を変え、名前を変え、立場を変えても、彼はいつもそこにいた。何度もアカウントを変える私に、彼は黙ってついてきてくれた。いや、「黙って」というのは正しくない。彼は必ず、私の作品に感想をくれた。作品のどこが好きなのか、どんな部分に惹かれたのかを丁寧に伝えてくれた。私の作り出した感覚を、彼はどれだけ時間がかかっても受け止めてくれた。

でも、そんな彼の優しさに、私は甘えていた。自分がどれだけ彼の存在に助けられていたのか、きっと気づいていなかったのだろう。

Kと直接会ったのは、Sとともに訪れた感覚スミスの展示会だった。Kがその場に来ていたことも、展示会に出展していたことも私は知らなかった。ただ、Sが「彼にも会わせたい」と言ったその流れで、初めて彼と顔を合わせることになった。

「初めまして」とKは言った。笑顔だった。けれどその笑顔には、少しだけ戸惑いが混じっていたように思う。その瞬間、私は一つの気まずさを覚えた。私たちは付き合いが長いはずなのに、私はKのことをほとんど知らない。何を好きで、何を嫌いなのか、何に情熱を注いでいるのか、そういう基本的なことをまったく知らないことに、そのとき初めて気づいた。

それでも私は、何も気づかないふりをした。その場の空気を壊すのが怖かったのだ。そして、私は彼への手土産として紅茶を渡した。「あなたにぴったりだと思って」と、どこか自己満足じみた言葉を添えて。

Kは、一瞬だけ微妙な顔をした。それはほんの一瞬だった。すぐに笑顔を取り戻し、「ありがとう」と言ってくれた。だが、その一瞬が私の胸を刺した。それまで意識しなかった彼の「本当の表情」が、その一瞬に凝縮されていたように思えた。

その日を境に、Kとのやり取りは少しずつ変わった。彼はまだ私の作品を見てくれている。反応はある。「いいね」やシェアの形で。それでも、以前のように感想をくれることはなくなった。私が彼に話しかけても、返事は短く、どこか距離感があった。

私はその変化を敏感に察していた。そして、その変化が私自身に原因があることも、どこかで分かっていた。それでも、SとKが親密なやり取りを続けている様子を見るたび、私は自分の無力さとKへの疎遠感が入り混じった感情に飲まれていった。

ある日、CASを通じてKの作った作品を見た。その感覚の密度、繊細さ、そして彼がそこに込めた情熱。それらを見た瞬間、私は胸が苦しくなった。私はKのことを何も知らないまま、ただ「長い付き合い」という安易な言葉の上に立っていた。そして、その浅薄さに気づいた今、私は彼に話しかけることすらできなくなっていた。

「Sに何か言われたのだろうか?」
「それとも私自身の行いが原因なのだろうか?」

考えれば考えるほど、答えは見つからない。だが、彼に近づこうとするたび、私は自分にイライラし、彼にイライラし、その感情の連鎖が嫌悪感として自分に跳ね返ってきた。

私はKに伝えたかった言葉があまりにも多すぎた。そして、そのすべてを伝える術を失ってしまった。ただ一つだけ確かなのは、彼が私にくれた優しさが、私の中でどれほど大きな意味を持っていたかということだ。私はそれに甘えすぎていた。

今、私はまたCASを使い、感覚の螺旋を描き続けている。Kにもう一度話しかけたいと思いながら、その一歩を踏み出せずにいる。そして、Kが今でも私の作品を見てくれていることを感じながら、私は自分の中の螺旋が、彼と交わることのない形で回り続けるのを見つめている。
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