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王都を目指して(20〜)

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 昼前から雨が本降りになり、一行は休憩も挟まずに先を急いだ。

 同じような草原の景色が続く中、普通の子供なら飽きてぐずるか喚くか眠るかを始めるところ、リュークは窓に張り付く雨粒のひとつにも関心を持ち、長いこと窓硝子越しに指で水滴をなぞったり、息を吐いて白くなったところに絵を書いたり、フォスターが持たせた新品のハンカチを使って泥団子をさらに磨いたり、たまにドアの小窓から覗いてくるソロウやミハルとにらめっこしたりして、全く退屈する様子を見せない。

 そうしているうち、どんどん風が強くなって雷鳴が轟き始め、漸く〈アルベラ村〉に着いた頃にはすっかり嵐となっていた。

 アルベラ村は、アルベルムから真っ直ぐ東に行って最も近い村である。「村」ではあるが、アルベルムの繁栄に比例して人口も増えており、ギルド会館はないものの、他はもう街と呼んでも差し支えない大きさにまで発展している。アルベルム領内であるので、グランツはここでも領主として歓迎される。

 アルベルムから早馬を出していたお陰で宿は既に確保されていた。一行は暴風雨の中、川のようになっている大通りに押し寄せた民衆から熱烈な歓声を浴びつつ、ようよう宿へたどり着いたのだった。


 宿の待合所でグランツとソロウらが行動計画を協議したり、兵士が雨合羽や他の装備品を手入れしたり、腰を丸めた村長が挨拶に見えたりする間、ギムナックとミハルは懸命にリュークの体を拭いて着替えさせ、髪を乾かし、衣類とブーツを絞って干した。

 実は何が何でも豪雨に打たれたかったリュークは、馬車から降りて宿の入口までのほんの数歩の距離で、油断した大人たちがあっと言う間もなく一目散に駆け出すと、唖然とする大勢の視線を浴びながら大きく跳ねて、既に水面荒れ狂う池と化している水溜りに飛び込み、望み通り横殴りの大雨に打たれながら大はしゃぎしてしまったのだ。雪には触れてみたい、火事や噴火は見に行きたい、大雨や台風は直接体感したい、というのは好奇心旺盛な人間の本能なのだろうから、これだって仕方のないことである。

 「ここまで本当に大人しかったからなあ」と、グランツは豪快に笑ったが、ずっと荒天の中を必死に進み続けてきたミハルたちであったので、暴風雨の中を飛ばされそうになりながら走ってくるずぶ濡れのリュークの姿を見たときには白目を剥いた。



 と、初日はこんな調子であったが、翌朝までは何事もなく全員がきっちり休むことができた。そして、朝になってから嵐による村の被害が予想より大きいことを知ったグランツは、兵と一緒に壊れた家屋の修繕に駆け回り、出発を一日遅らせることとなった。








「さあ、次に目指すのはララッカ毛の名産地〈ランカ村〉。その次は、お菓子とエールの街〈テルミリア〉だ。早く着いて、しっかり息抜きをするぞ!」

 馬車ではなく馬で行くと言って聞かなかったグランツ──流石に馬車の外ではまともな着こなしをしている──の溌剌とした掛け声で一行は元気いっぱいに出発したが、予備の馬に跨るレオハルトだけは浮かない表情でグランツの背を眺めていた。

 何せ、今の時点で予定より二日の遅れである。この調子では王都に着くまでどれだけかかることやら……。

「心配したって仕方ないわよ。旅はいつだって予定通りにはいかないもの」

 隣に並んだミハルが努めて明るく言った。レオハルトは「ええ」と短く返して微笑を浮かべる。「王都に行くまででこれですから、冒険となるとさぞかし波乱万丈でしょう」

「そうなのよ、予定通りにいったことなんて一度もないかも。だけど、何故かそれでも不思議と上手くいくのよね。神様が帳尻を合わせてくれているのかしら」

「なるほど、そういう考え方は素敵です」

「ふふ、きっと後で笑い話にできるような旅になるわ」

 ミハルのお陰で、周りまで一気に和やかな雰囲気に変わった。先頭を行くギムナックもいつになく上機嫌で索敵に目を光らせている。


 一方、グランツとレオハルト不在の高級馬車には、ソロウとリュークのみが乗っている。足元には、一昨日より九個増えて合計十二個の泥団子が籠に入れて置かれている。

「どうしてバッグに仕舞わないんだ?」

 ソロウが何気無しに尋ねると、リュークは昨日一日しっかり乾かしたブーツを脱いでシートに膝を付き、窓に引っ付いて外を見ながら「仕舞わないよ」と答えた。ソロウは思いがけず一寸言葉を詰まらせたが、今日こそは何としてもリュークとまともに話をしようと心に決めた。

 こうして保安冒険者として、冒険者パーティーのリーダーとして、また、一端の大人として、極めて強い意志を持ったソロウの挑戦が幕を開けたのである。
 

 さて、ソロウは「どうしてだ?」と、早速先程と同じ質問をした。
 すると、「仕舞わないからだよ」と、リューク。「それは、仕舞えないからか?」と、ソロウ。

「仕舞わないからだよ」

「バッグには入れたくないのか?」

「入れないよ」

「なんで入れないんだ?」「入れないからだよ」「何か理由があるのか?」「入れないからだよ」「じゃあ、出来ないから仕舞わないのか、出来るけど仕舞わないのか、どっちだ?」「仕舞わないから、仕舞わないんだよ」

 ──問答し続けて、ソロウは愕然とした。頑なに「仕舞わない」と言っているが、語感は「仕舞いたくない」ではないようにも聞こえるから厄介なのだ。
 さらに、何度でも律儀に受け答えするリュークに対して執拗に詰め寄るたび、罪悪感が津波の如く押し寄せてくるのである。
 この罪悪感とやらがまた異常だ。どうしても、物理的な檻のごとく強固な罪の意識が行動を制止する。

 それはあたかも、神に耳元で囁かれるかのように──。


 結局、泥団子を革袋に収納しない理由を聞くことは出来なかった。ただ、最後に「泥団子をバッグに入れてみても良いか」と聞くと「いいよ」と言われたので、恐る恐る入れてみたら何の抵抗もなくすんなり入った。と思ったら、満足ですか、とでも言いたげな顔でソロウを見上げたリュークは、ソロウが慌てて礼を述べるとすぐに泥団子を取り出して籠に戻した。

 数を数えるのが苦手なのか一つ足りていない。ソロウは居た堪れない気持ちでそのことを教えてやり、背凭れに背を預けて深く息を吐いた。

 リュークが「出来ない」「しない」「したくない」を使い分けるのがたまに・・・非常に苦手らしいということと、泥団子を上手く作るコツが“出来るだけサラサラの砂を使うこと”と、“じっくりと時間をかけること”の二点に尽きるということ。これが一連の試行から得られた情報の全てである。

(普段は自然なんだけどなあ……)

 何故か突然会話が噛み合わなくなって、先程のような問答の永久機関が完成してしまうことがある。「何故」と問いかけて、すぐにまともな返答がある確率は六割といったところだろうか。重要な質問に対しては特に、勝率・・は二割程度にまで落ち込む。さらに、リュークが一切嫌な顔をせずに何十回でも同じやりとりに付き合ってくれるため、大人たちが勝手に例の罪悪感を抱いて先に折れてしまうのも良くない。

 リュークは、まだ文字の読み書きも計算も出来ない。一般常識の欠片と言えるほども身に着いていない。家もなく、身近に頼れる保護者も心許せる友もなく、仮の保護者と新たな友人たちは彼を権力から守ってやることも出来ない。

(……この子が不憫だ。もしも、王が理不尽を強いてきたら、それでも自分だけはこの子の味方になってやらねば──)

 優しいソロウは──ややもすればミハルとギムナックもまた同じ頃に同じ気持ちで──、ひっそりと覚悟を決めていた。

 その後、ソロウと交代で乗車するミハルが泥団子を見つけて「あら、良い感じに乾燥してきたわね」と言うのを聞いて、ソロウは何とも苦い気分になった。全ての人間がミハルのようにすぐに分かってやれるなら、リュークはもっとずっと楽しく暮らしていけるのではないかと思わずにいられなかった。


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