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四章 封印
第53話 ある王子の物語
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幼い頃、南の果ての国から母と共に戦女神の国へとやってきた。
南の果ての国は争いが絶えず滅んだとしか聞いていないが、滅んでも仕方のない愚かしい国だとは母からは聞いていた。母は私に――この国の民となり、穏やかに暮らせ――と事あるごとに言った。
母は二年後、死んだ。行き着いた土地もまた隣国、隣領との争いが絶えなかったからだ。
しかし私は考えた。母の言葉は間違っていたのではないかと。この世界の人間は、争い、奪い、そして力を得た者こそが勝利する理の元にあるのではないかと。それに気づいた私は心の底から笑った。
私は戦場で武器や鎧を漁った。まずは力を手に入れるのだと。
ただ、戦場で倒れた者の中には意外と生きているヤツも多かった。金目の物を奪おうとすると死に際に力を振り絞って襲ってくる者も居た。私は危うく殺されかけながらも、ヤツらに引導を渡してやっていた。
戦場でそうしていると老人が現れた。
――お前は見どころがある。血筋もいい。黒剣を与えよう。
老人は私にひと振りの剣を与えてくれた。
「これは何だ?」
――黒剣は復讐者の剣だ。とある神から拝借した。
「借り物か」
――いいや、その黒剣は今からお前の身となるのだ。
そうして私は黒剣を得た。
喩え離れた場所に在ろうと、呼べば黒剣は手元に現れた。
◇◇◇◇◇
私は傭兵として戦女神の国の南部で暮らしていた。傭兵はあまりいい暮らしをしていない。何故なら皆、宵越しの金は持たないからだ。酒でも、そして女でも、ぱっと使ってしまえばそれまでだ。逆に言えば、その程度の儲けしかなかったとも言える。取り分に不満のあった私は傭兵隊長を殺し、貯えを奪い、西へと逃げた。
西へと辿り着いた私だったが、西の辺境に住む者は地母神の国と接しているにも拘わらず、堅実で手堅い、そして何より詰まらない連中ばかりだった。地母神の国の領地の連中も似たような様子で、お互いに争いを避けていた。
ある時、私の泊まっていた木賃宿にあの老人が現れた。
最初は物乞いかと思い、斬りつけてやったが老人は平気な顔をしていた。
――よく育っておる。褒美として加護をやろう。
「加護とはなんだ?」
――神より与えられし祝福のうち、世界を変えるほどのものを言う。
「思い通りになるのか!?」
――それは無理だ。手順を踏め。手柄を立てろ。話はそれからだ。
「こんな戦とは縁遠い場所で何の手柄が立てられるのか」
――名前の無い日を待て。すぐに向こうからやってくる。
◇◇◇◇◇
その後、老人の言った通り辺境は隣国から侵略された。それもまともな軍隊ではない。兵士は熱狂し、死に急ぐように領境に押し寄せてきた。辺境領の領兵も、傭兵たちも、異常な敵に恐れおののいた。だが私は違った。むやみに押し寄せてくる兵士など何も怖くはない。容赦なく首を刎ね、脚を薙ぎ、死体の山を築いていった。中には化け物も混じっていたが、老人のくれた聖戦士の加護のお陰で容易に切り刻めた。
ただ、残念ながら全てを全て、押し留めることはできなかった。領境の町は襲撃され隣国の兵士に占拠された。
私は町へと入り、襲い来る兵士を全て死体に変えていった。
だが、ここでふと思い立った。
――この足元に落ちている金貨の入った袋は誰のものだ?
私は兵士たちが占拠している町を楽しんだ。
金も、女も、全てが私のものだった。証拠は無くせばいい。
辺境を転々として、そのような環境を楽しんでいた私の所へ、あの老人の信徒とやらが接触してきた。やつらは私のためにいろいろと働いてくれた。
◇◇◇◇◇
私の活躍は王都へと届いたらしい。
未だ定員に満たない魔王討伐のための精鋭の戦士団への誘いの話があった。しかも、私の聖戦士の加護を神殿が認めたことで、私は戦士団のひとつを丸々任されることになった。隣国の兵士たちを狂わせているのはその魔王という存在らしい。
ところで、戦士団のひとつを任されている勇者の加護を持つエリンという女には、成人したばかりの娘だというのに私は何故か見入ってしまった。その理由はすぐに分かった。神殿で謁見した戦女神ヴィーリヤの美しさそのものだったのだ。なるほど、勇者に選ばれるのも納得だ。
私はこの女を得ることに国を得るほどの魅力を感じた。
エリンは勇者の加護をそれは誇りにしていた。
私はそのエリンの誇りを讃えるように、勇者の加護を敬い、崇拝してやった。
自尊心をくすぐられた女は扱いやすかったが、エリンには恋人が居た。
エリンは普段から男との距離を保つ。
だが、幸いなことにエリンは化け物との戦いで聖剣を持て余していた。
私は黒剣に扱い慣れていたため、彼女に剣を教えてやった。
もちろん紳士的に、だが、エリンと恋人の時間は極力減らすように。
エリンの恋人のオーゼは、頭は回るらしいが女の扱いにはまるで疎かった。
エリンとの訓練や彼女と親しい様子、そして彼女にそっと触れるところを見せつけてやると、エリンとの距離を取り始めた。その様子にどれだけ笑いを堪えたことか!
◇◇◇◇◇
ただ、オーゼは魔王軍との戦いを次々と有利にしていった。
苛ついたがこれは仕方がない。手柄を立てるには早いに越したことは無いのだ。
そうして僅か四年で魔王は葬られた。
……が、オーゼは魔王との戦いの前におかしなことを言っていた。
地母神が魔王になったという事実が確証に変わったとき、私は何故か血が湧きたつほど興奮していた。
魔王を葬った直後、エリンは様子がおかしかった。
私は魔王が放った恐ろしい力、あの吐き気のする力に打ちのめされただけだと考えていた。エリンはオーゼ以外を近寄らせなかったこともあり、その場はオーゼに任せ、私は真相を探りに城下へと向かった。
私の配下たちは既に仕事を始めていた。特に羽振りの良い商人や貴族の館の情報を予め集め、目星をつけていた。そしてその中のひとつ。僅か一年ほどで王都に豪邸を有するほど成り上がった商人の館で、私は再びあの老人に出会う事となった。
その館ではいつものように宴を開いていた。
皆が酒を飲んで寝入ったとき、裸の俺の前にあの老人は現れた。
来い――とでも言うように、廊下を歩いていく老人。
老人は廊下の真ん中で立ち止まり、壁を指した。
私は黒剣で壁を斬り裂くと、その奥には書斎から繋がるであろう隠し部屋が現れた。老人は隠し部屋に踏み入り、小さな鍵のかかった櫃を指した。私は再び櫃を斬り裂くと、中からは白く輝く紐に縛られた汚い麻袋だけが出てきた。
「何だこれは?」
老人はその麻袋について語って聞かせた。
どうやって彼がこの商人を使って地母神を堕としたのかを。
◇◇◇◇◇
「クソッ、あの馬鹿力め」
私はエリンによって拘束されていた。
並みの拘束方法ではない。あの女は私の両手を後ろ手にして、鍛冶で使う金床に、鉄梃を捩じり上げて繋ぎ止めていったのだ。おまけに足首まで鉄梃を捩じって止めていった。
――あの後、左目の傷と私の股間は死なない程度にと治癒されて痛みこそないが、あの頭の固い女はルシアを解放しろとさんざん殴りつけてきた。だが、ルシアに憑いていたナホバレクの気配は既に周辺には無い――これはあの老人が言っていた失敗を意味する。
つまるところあの邪神は強行手段に出るという事だ。これでは戦女神の国は私のものにはならない。勇者を妻として娶り、力で以って王を排除し、堕ちた女神の国を支配することはできない。ただの地母神の国の二の舞になるだけだ。
この国の行く末になど興味はない。私はこの頭の固い女から解放されるため、ルシアは邪神から逃れられたことを教えてやった。その邪神が大蛇を依代にこの地に顕現することも。それなのにこの暴力女は最後に一発大きいのをくれて、私は気を失った――。
鎧こそ着ていないが、金緑のタバードを羽織った男が大型テントに入ってきた。外の立哨は倒したのか、上手く誤魔化したのか……。
「ジルコワル様、遅くなり申し訳ございません」
「遅すぎる」
「警戒が厳しすぎました。こちらも大勢やられました」
「どういうことだ!? 誰にやられた?」
「元白銀の団員かと……」
「オーゼか! どこまでも邪魔をしおって!」
男は私の拘束を外そうと試みるが……。
「……ジルコワル様、これは外しようがありません」
「待て。黒剣を呼び戻す」
私が念じると黒剣は塵が寄せ集まって手元に現れた。
男は黒剣を手に取ると手首の鉄梃を断ち切った。
私は黒剣を手にして足首の鉄梃も断ち切る。
「――先に出ていろ」
「しかし、歩哨が……」
「いいから出ていろ!」
「はっ!」
男が出て行くと私は股間に手を突っ込んだ。
――無い…………無い…………無い…………。
「クソがぁぁぁあぁああああああ!!! あの女、絶対に殺す!!!」
私は声を押し殺すように叫んだ……。
◇◇◇◇◇
呼吸を整え、金緑のタバードを羽織った男に続いて外に出ると、外は夜中にも拘わらず篝火が焚かれ、人の気配が多くあった。特に赤銅のタバードが目立つ。
――とにかく、目立つ大型テントから離れ、近くのテントの陰に隠れる。
「やつら、何をしている?」
「それがわからないのです。テントに団員を寝かせて、皿にミルクを……」
「ミルク? どういうことだ」
私は近くのテントの中を覗き見た。すると、そこには団員が二人と、それぞれの頭の傍に確かにミルクの入っていたような皿が置かれていた。さらにその脇には、青白い花が添えられている。
「これは何だ?」
「伝説として語られる虚栄の花によく似ておりますが……」
私が手を触れると、その花はぼろぼろと崩れて消えていった。
「伝説?」
「はい、虚栄の種が人の心に根を生やし、あちらの世界にこのような花を咲かせると、その心は我らが主の領土となるという」
「なるほど、これが領土か」
領土のことは老人から聞いていた。
ナホバレクは虚栄の芽を通して民の眼を借り、蕾を通して耳を借り、花を通して心を操ると言っていた。何のことか意味が分からなかったが、つまりこういう物が人に取り憑いているのだろう。この領土が大きくなるほど女神に魔が生じ、加護を持つ者が堕ちれば女神も堕ちる。
だがあの邪神は失敗した!
私がこれだけお膳立てしてやったというのに!
「くだらん。実にくだらん」
「は?」
「ナホバレクに与したことだ。私は完璧にやってみせた。だがあの邪神は失敗した」
「ジルコワル様、流石に言葉が過ぎます……」
「黙れ」
男から殺意を感じた瞬間、脇腹を突いていた。
静かに殺すのはいつ振りか。
男のタバードを剥ぎ、纏った。
――ここのやつらを皆殺しという手もあるが、赤銅は厄介だ。
まずはエリン――そう決めていた。
テントの脇を抜け、野営地を出て暗闇に身を隠そうとした。だが――。
「居たぞ、あそこだ! 金緑のタバードを着ている!」
どのようにしたのか私は見つかり、赤銅に囲まれようとしていた。
「魔術師め!」
悪態をつき、近くのテントに走り寄り斬り裂く。
幸いなことにテントで寝ていたのは女の団員が二人。
ひとりを無理矢理抱き起し、背中から首に左腕を回す。
もうひとりの首には黒剣を当てた。
「――別に大人しくして居なくてもいいぞ。まとめて切り刻んでやる」
赤銅はひよっ子の集まりだ。仲間を犠牲にしてまで魔法で攻撃してはくるまい。そして私には眠りも、麻痺も加護の力で効かない。せいぜい使ってきても幻惑の魔法だろうが、加護によりそもそも魔法が効きにくい私には脅威ではない。
赤銅は遠巻きに私を囲んでいた。
「どうした? 撃ってこないのか? それではこちらも所在無い。そうだ、なんならここでこいつらをひん剥いて晒してやってもいいぞ」
私が笑うと赤銅のガキどもは悔しそうな顔を見せる。
おそらく二人は金緑の団員だろう。エリンの部下をここで辱めてやるのも悪くない。
「それだけ素を晒すと元の聖戦士には戻りようがないな、ジルコワル!」
耳障りな声を響かせてきたあの男。
「黙れ。今まで通り、皆殺しにすればそれで元通りだ、オーゼ! お前の首か、この女の首か、どちらを刎ねればいい?」
エリンへの復讐の前にまずこいつを殺そう。
恋人が無惨に殺されたと聞き、悔しがるエリンの顔が思い浮かぶようだ。
「オレの首にしておけジルコワル。さあ!」
ヤツは首を晒すようにして近づいてくる。
――アホめ! そこは十分黒剣の射程内だ!
「げぼぁあ……」
私が黒剣を振りぬこうとした瞬間、周囲の景色がぐるりと回るような感覚と共に吐いていた。続けざまに顔面を衝撃が襲い、左腕の女がすり抜けた。
「――ご、ごれは……」
再び頭の中へ襲いくる衝撃。これは……これは……あの魔王が放った力だ。なんだこれは……なぜここで……。
「情けないものだなジルコワル。エリンは幼い頃からこれに耐えてきたぞ」
オーゼか!? オーゼが放っているのかこれを!
「ご、ごれはなんだ……」
「神性魔術の初歩の魔術だ」
「しょ、初歩だと!?」
「ああ、だがオレが最も得意な魔術だ」
悪意に服従せよ――呪文と共に放たれた悪意に私は意識を失った。
--
ちなみにジルコワル(Gilcowal)を頭文字小文字のgilcowalでDeepl翻訳すると何故かギロチンが訳として出ますw Deeplは謎翻訳多いですね。読みはギルコヴァルとかも考えましたが、シンプルにジルコワルにしました。ジゴロっぽい音の名前にしようとして作ったのが最初です。ネーミング大好きな作者は、どちらかというと悪役の方が凝り気味です。
スワルトルに関してはナホバレクの自前ではないようですが、第52話を見る限り、スワルトル対策自体は万全だったみたいですね。ただ、もしかするとオーゼのフォールスイメージと同様の手段で見せかけていただけで、慌てて信徒を使ってジルコワルに黒剣を回収させた可能性も見え隠れしてますw
南の果ての国は争いが絶えず滅んだとしか聞いていないが、滅んでも仕方のない愚かしい国だとは母からは聞いていた。母は私に――この国の民となり、穏やかに暮らせ――と事あるごとに言った。
母は二年後、死んだ。行き着いた土地もまた隣国、隣領との争いが絶えなかったからだ。
しかし私は考えた。母の言葉は間違っていたのではないかと。この世界の人間は、争い、奪い、そして力を得た者こそが勝利する理の元にあるのではないかと。それに気づいた私は心の底から笑った。
私は戦場で武器や鎧を漁った。まずは力を手に入れるのだと。
ただ、戦場で倒れた者の中には意外と生きているヤツも多かった。金目の物を奪おうとすると死に際に力を振り絞って襲ってくる者も居た。私は危うく殺されかけながらも、ヤツらに引導を渡してやっていた。
戦場でそうしていると老人が現れた。
――お前は見どころがある。血筋もいい。黒剣を与えよう。
老人は私にひと振りの剣を与えてくれた。
「これは何だ?」
――黒剣は復讐者の剣だ。とある神から拝借した。
「借り物か」
――いいや、その黒剣は今からお前の身となるのだ。
そうして私は黒剣を得た。
喩え離れた場所に在ろうと、呼べば黒剣は手元に現れた。
◇◇◇◇◇
私は傭兵として戦女神の国の南部で暮らしていた。傭兵はあまりいい暮らしをしていない。何故なら皆、宵越しの金は持たないからだ。酒でも、そして女でも、ぱっと使ってしまえばそれまでだ。逆に言えば、その程度の儲けしかなかったとも言える。取り分に不満のあった私は傭兵隊長を殺し、貯えを奪い、西へと逃げた。
西へと辿り着いた私だったが、西の辺境に住む者は地母神の国と接しているにも拘わらず、堅実で手堅い、そして何より詰まらない連中ばかりだった。地母神の国の領地の連中も似たような様子で、お互いに争いを避けていた。
ある時、私の泊まっていた木賃宿にあの老人が現れた。
最初は物乞いかと思い、斬りつけてやったが老人は平気な顔をしていた。
――よく育っておる。褒美として加護をやろう。
「加護とはなんだ?」
――神より与えられし祝福のうち、世界を変えるほどのものを言う。
「思い通りになるのか!?」
――それは無理だ。手順を踏め。手柄を立てろ。話はそれからだ。
「こんな戦とは縁遠い場所で何の手柄が立てられるのか」
――名前の無い日を待て。すぐに向こうからやってくる。
◇◇◇◇◇
その後、老人の言った通り辺境は隣国から侵略された。それもまともな軍隊ではない。兵士は熱狂し、死に急ぐように領境に押し寄せてきた。辺境領の領兵も、傭兵たちも、異常な敵に恐れおののいた。だが私は違った。むやみに押し寄せてくる兵士など何も怖くはない。容赦なく首を刎ね、脚を薙ぎ、死体の山を築いていった。中には化け物も混じっていたが、老人のくれた聖戦士の加護のお陰で容易に切り刻めた。
ただ、残念ながら全てを全て、押し留めることはできなかった。領境の町は襲撃され隣国の兵士に占拠された。
私は町へと入り、襲い来る兵士を全て死体に変えていった。
だが、ここでふと思い立った。
――この足元に落ちている金貨の入った袋は誰のものだ?
私は兵士たちが占拠している町を楽しんだ。
金も、女も、全てが私のものだった。証拠は無くせばいい。
辺境を転々として、そのような環境を楽しんでいた私の所へ、あの老人の信徒とやらが接触してきた。やつらは私のためにいろいろと働いてくれた。
◇◇◇◇◇
私の活躍は王都へと届いたらしい。
未だ定員に満たない魔王討伐のための精鋭の戦士団への誘いの話があった。しかも、私の聖戦士の加護を神殿が認めたことで、私は戦士団のひとつを丸々任されることになった。隣国の兵士たちを狂わせているのはその魔王という存在らしい。
ところで、戦士団のひとつを任されている勇者の加護を持つエリンという女には、成人したばかりの娘だというのに私は何故か見入ってしまった。その理由はすぐに分かった。神殿で謁見した戦女神ヴィーリヤの美しさそのものだったのだ。なるほど、勇者に選ばれるのも納得だ。
私はこの女を得ることに国を得るほどの魅力を感じた。
エリンは勇者の加護をそれは誇りにしていた。
私はそのエリンの誇りを讃えるように、勇者の加護を敬い、崇拝してやった。
自尊心をくすぐられた女は扱いやすかったが、エリンには恋人が居た。
エリンは普段から男との距離を保つ。
だが、幸いなことにエリンは化け物との戦いで聖剣を持て余していた。
私は黒剣に扱い慣れていたため、彼女に剣を教えてやった。
もちろん紳士的に、だが、エリンと恋人の時間は極力減らすように。
エリンの恋人のオーゼは、頭は回るらしいが女の扱いにはまるで疎かった。
エリンとの訓練や彼女と親しい様子、そして彼女にそっと触れるところを見せつけてやると、エリンとの距離を取り始めた。その様子にどれだけ笑いを堪えたことか!
◇◇◇◇◇
ただ、オーゼは魔王軍との戦いを次々と有利にしていった。
苛ついたがこれは仕方がない。手柄を立てるには早いに越したことは無いのだ。
そうして僅か四年で魔王は葬られた。
……が、オーゼは魔王との戦いの前におかしなことを言っていた。
地母神が魔王になったという事実が確証に変わったとき、私は何故か血が湧きたつほど興奮していた。
魔王を葬った直後、エリンは様子がおかしかった。
私は魔王が放った恐ろしい力、あの吐き気のする力に打ちのめされただけだと考えていた。エリンはオーゼ以外を近寄らせなかったこともあり、その場はオーゼに任せ、私は真相を探りに城下へと向かった。
私の配下たちは既に仕事を始めていた。特に羽振りの良い商人や貴族の館の情報を予め集め、目星をつけていた。そしてその中のひとつ。僅か一年ほどで王都に豪邸を有するほど成り上がった商人の館で、私は再びあの老人に出会う事となった。
その館ではいつものように宴を開いていた。
皆が酒を飲んで寝入ったとき、裸の俺の前にあの老人は現れた。
来い――とでも言うように、廊下を歩いていく老人。
老人は廊下の真ん中で立ち止まり、壁を指した。
私は黒剣で壁を斬り裂くと、その奥には書斎から繋がるであろう隠し部屋が現れた。老人は隠し部屋に踏み入り、小さな鍵のかかった櫃を指した。私は再び櫃を斬り裂くと、中からは白く輝く紐に縛られた汚い麻袋だけが出てきた。
「何だこれは?」
老人はその麻袋について語って聞かせた。
どうやって彼がこの商人を使って地母神を堕としたのかを。
◇◇◇◇◇
「クソッ、あの馬鹿力め」
私はエリンによって拘束されていた。
並みの拘束方法ではない。あの女は私の両手を後ろ手にして、鍛冶で使う金床に、鉄梃を捩じり上げて繋ぎ止めていったのだ。おまけに足首まで鉄梃を捩じって止めていった。
――あの後、左目の傷と私の股間は死なない程度にと治癒されて痛みこそないが、あの頭の固い女はルシアを解放しろとさんざん殴りつけてきた。だが、ルシアに憑いていたナホバレクの気配は既に周辺には無い――これはあの老人が言っていた失敗を意味する。
つまるところあの邪神は強行手段に出るという事だ。これでは戦女神の国は私のものにはならない。勇者を妻として娶り、力で以って王を排除し、堕ちた女神の国を支配することはできない。ただの地母神の国の二の舞になるだけだ。
この国の行く末になど興味はない。私はこの頭の固い女から解放されるため、ルシアは邪神から逃れられたことを教えてやった。その邪神が大蛇を依代にこの地に顕現することも。それなのにこの暴力女は最後に一発大きいのをくれて、私は気を失った――。
鎧こそ着ていないが、金緑のタバードを羽織った男が大型テントに入ってきた。外の立哨は倒したのか、上手く誤魔化したのか……。
「ジルコワル様、遅くなり申し訳ございません」
「遅すぎる」
「警戒が厳しすぎました。こちらも大勢やられました」
「どういうことだ!? 誰にやられた?」
「元白銀の団員かと……」
「オーゼか! どこまでも邪魔をしおって!」
男は私の拘束を外そうと試みるが……。
「……ジルコワル様、これは外しようがありません」
「待て。黒剣を呼び戻す」
私が念じると黒剣は塵が寄せ集まって手元に現れた。
男は黒剣を手に取ると手首の鉄梃を断ち切った。
私は黒剣を手にして足首の鉄梃も断ち切る。
「――先に出ていろ」
「しかし、歩哨が……」
「いいから出ていろ!」
「はっ!」
男が出て行くと私は股間に手を突っ込んだ。
――無い…………無い…………無い…………。
「クソがぁぁぁあぁああああああ!!! あの女、絶対に殺す!!!」
私は声を押し殺すように叫んだ……。
◇◇◇◇◇
呼吸を整え、金緑のタバードを羽織った男に続いて外に出ると、外は夜中にも拘わらず篝火が焚かれ、人の気配が多くあった。特に赤銅のタバードが目立つ。
――とにかく、目立つ大型テントから離れ、近くのテントの陰に隠れる。
「やつら、何をしている?」
「それがわからないのです。テントに団員を寝かせて、皿にミルクを……」
「ミルク? どういうことだ」
私は近くのテントの中を覗き見た。すると、そこには団員が二人と、それぞれの頭の傍に確かにミルクの入っていたような皿が置かれていた。さらにその脇には、青白い花が添えられている。
「これは何だ?」
「伝説として語られる虚栄の花によく似ておりますが……」
私が手を触れると、その花はぼろぼろと崩れて消えていった。
「伝説?」
「はい、虚栄の種が人の心に根を生やし、あちらの世界にこのような花を咲かせると、その心は我らが主の領土となるという」
「なるほど、これが領土か」
領土のことは老人から聞いていた。
ナホバレクは虚栄の芽を通して民の眼を借り、蕾を通して耳を借り、花を通して心を操ると言っていた。何のことか意味が分からなかったが、つまりこういう物が人に取り憑いているのだろう。この領土が大きくなるほど女神に魔が生じ、加護を持つ者が堕ちれば女神も堕ちる。
だがあの邪神は失敗した!
私がこれだけお膳立てしてやったというのに!
「くだらん。実にくだらん」
「は?」
「ナホバレクに与したことだ。私は完璧にやってみせた。だがあの邪神は失敗した」
「ジルコワル様、流石に言葉が過ぎます……」
「黙れ」
男から殺意を感じた瞬間、脇腹を突いていた。
静かに殺すのはいつ振りか。
男のタバードを剥ぎ、纏った。
――ここのやつらを皆殺しという手もあるが、赤銅は厄介だ。
まずはエリン――そう決めていた。
テントの脇を抜け、野営地を出て暗闇に身を隠そうとした。だが――。
「居たぞ、あそこだ! 金緑のタバードを着ている!」
どのようにしたのか私は見つかり、赤銅に囲まれようとしていた。
「魔術師め!」
悪態をつき、近くのテントに走り寄り斬り裂く。
幸いなことにテントで寝ていたのは女の団員が二人。
ひとりを無理矢理抱き起し、背中から首に左腕を回す。
もうひとりの首には黒剣を当てた。
「――別に大人しくして居なくてもいいぞ。まとめて切り刻んでやる」
赤銅はひよっ子の集まりだ。仲間を犠牲にしてまで魔法で攻撃してはくるまい。そして私には眠りも、麻痺も加護の力で効かない。せいぜい使ってきても幻惑の魔法だろうが、加護によりそもそも魔法が効きにくい私には脅威ではない。
赤銅は遠巻きに私を囲んでいた。
「どうした? 撃ってこないのか? それではこちらも所在無い。そうだ、なんならここでこいつらをひん剥いて晒してやってもいいぞ」
私が笑うと赤銅のガキどもは悔しそうな顔を見せる。
おそらく二人は金緑の団員だろう。エリンの部下をここで辱めてやるのも悪くない。
「それだけ素を晒すと元の聖戦士には戻りようがないな、ジルコワル!」
耳障りな声を響かせてきたあの男。
「黙れ。今まで通り、皆殺しにすればそれで元通りだ、オーゼ! お前の首か、この女の首か、どちらを刎ねればいい?」
エリンへの復讐の前にまずこいつを殺そう。
恋人が無惨に殺されたと聞き、悔しがるエリンの顔が思い浮かぶようだ。
「オレの首にしておけジルコワル。さあ!」
ヤツは首を晒すようにして近づいてくる。
――アホめ! そこは十分黒剣の射程内だ!
「げぼぁあ……」
私が黒剣を振りぬこうとした瞬間、周囲の景色がぐるりと回るような感覚と共に吐いていた。続けざまに顔面を衝撃が襲い、左腕の女がすり抜けた。
「――ご、ごれは……」
再び頭の中へ襲いくる衝撃。これは……これは……あの魔王が放った力だ。なんだこれは……なぜここで……。
「情けないものだなジルコワル。エリンは幼い頃からこれに耐えてきたぞ」
オーゼか!? オーゼが放っているのかこれを!
「ご、ごれはなんだ……」
「神性魔術の初歩の魔術だ」
「しょ、初歩だと!?」
「ああ、だがオレが最も得意な魔術だ」
悪意に服従せよ――呪文と共に放たれた悪意に私は意識を失った。
--
ちなみにジルコワル(Gilcowal)を頭文字小文字のgilcowalでDeepl翻訳すると何故かギロチンが訳として出ますw Deeplは謎翻訳多いですね。読みはギルコヴァルとかも考えましたが、シンプルにジルコワルにしました。ジゴロっぽい音の名前にしようとして作ったのが最初です。ネーミング大好きな作者は、どちらかというと悪役の方が凝り気味です。
スワルトルに関してはナホバレクの自前ではないようですが、第52話を見る限り、スワルトル対策自体は万全だったみたいですね。ただ、もしかするとオーゼのフォールスイメージと同様の手段で見せかけていただけで、慌てて信徒を使ってジルコワルに黒剣を回収させた可能性も見え隠れしてますw
応援ありがとうございます!
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