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三章 呪い
第31話 月明かり
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エリン姉さまが王都を立ってから幾日かすると、私の元へ貴族たちが訪れるようになった。以前からリーシアに聞いてはいた私の結婚の話だ。加護持ちということでいくつもの縁談が舞い込んでいるらしい。どれも断りたい内容ばかりだったのだけど、そのうちのいくつかは会わないと失礼に当たる面倒な相手だった。
ただ、それをジルコワルに愚痴ったところ、どういう方法を使ったのか、彼はその面倒な縁談相手の面会を片っ端から断ってくれたのだ! いけ好かないやつだと思っていたけれど、意外と役に立ってくれた。
王都での生活については、これほどに楽しいものだとは思っていなかった。毎日のように催される宴。どこにこんな財があったのか知らないけれど、ジルコワルは贅沢の限りを尽くしてくれた。太りたくないので食事だけはちょっぴり控えめ。おいしいものをおいしいところだけ摘まんで食した。
装飾品だってジルコワルは次から次へと珍しいものを取り寄せていた。どこかの王宮に眠っていた物だとか、どこかの貴族が財を叩いて作らせたものだとか、正直そんな口上はいちいち覚えてられない。そんな高価な物をいくつも貰った。そしてその度にジルコワルは私に装飾品を身に着けさせてくれる。
ジルコワル本人は正直な所……うっとおしかった。お茶を飲むついでに彼は度々部屋を訪れた。リーシアによると、私が戻って来るまでは同じようにエリン姉さまの部屋に入り浸っていたらしい。よくもこう、ころころと愛嬌を振りまく相手を変えられるものだ。
ただ、彼の言葉と尽くしてくれるものにだけは渇望を禁じ得なかった。
「ルシア、君の態度はいつもそうだね、私は毛虫か何かかい?」
「毛虫の方がまだ可愛げがあるわ」
毎日のようにお茶を飲みに来るジルコワル。
リーシアも五の鐘のお茶の時間には彼の分のカップを最初から用意するようになっていた。ただ、今日はカップがひと組多い。赤銅のアイトラだ。彼女は戦士団を辺境へ放り出したまま王都に居座っていた。
「辛辣なもんだね。だが良い。君が今の生活に満足してくれているのなら」
「何が目的なの?」
「目的? 言っただろう。私は勇者様を崇拝したいのだ。君にはそうなって欲しい」
「こんな生活をしていたからって勇者になんてなれるとは思わないわ」
「それはどうだろうね」
どういうこと?――ただ最近では、私はそんな疑問も深く考えなくなった。
ジルコワルが声を掛けると、一緒に部屋を訪れていたアイトラが黄金の杯をテーブルに置き、持ち込んでいた四半升の水差しから杯に水を注ぐ。覗き込むがどうということはない、ただの水にしか見えない。
「ときどきアイトラが持ってくるけどこれは何? 聞いても見てみろとしか言わないし」
最近、ジルコワルがアイトラを連れてくるときはいつもこれだ。
アイトラはジルコワルに靡いているのか彼の言うがままだ。
正直、そんな彼女も気持ち悪い。
「そうだな。占いのようなものだ」
「魔術師に占いとはお笑いね。そんなに未来が知りたいなら占ってあげましょうか?」
「よしてくれ。私は運命にどうこうされたくはない。自分で変えて行くつもりだ」
彼はそう言うとリーシアにお茶のお代わりを要求する。
「――ときに、あのミルーシャという女、オーゼはどこで見つけたと言っていた?」
「さあ。向こうから勝手にやってきたと言ってたわ」
「それは以前、君の口からも聞いた。ただ、あれは何らかの加護持ちだ。オーゼがどこからか見つけてきた可能性が高い。何か聞いていないか?」
ミルーシャ――彼女は地母神を信仰する聖女だったけど、ジルコワル達にはそのことを伝えていなかった。どうしてか、彼女のことを思い出すと、あのとき――あの帰還する瞬間の彼女の眼差ししか考えられなくなるのだ。
『あなたはその行いに恥じ入ることは無いの?』
まるでそう責められていたかのように思えてきて、申し訳なさでいっぱいになる。
だから彼女のことはできるだけ、思い出さないようにしてきた。
「知らないわ」
――そう言ってジルコワルの問いかけに言葉を濁した。
◇◇◇◇◇
城には青鋼が残っているため、しばしばロージフを目にした。
ロージフはあれから一度も話しかけてこない。尤も、あの時のようにゆっくり二人だけで話したのも、あれが初めてだった。それなのにあいつは私と恋人にならないかなんて言ってきた。その後、そのまま放置とは一体どういうことなの!?
――イライラする!
パン!
「なんだ、いったい!?」
挨拶ひとつ寄越さないこの大男にイライラした私は、思わずすれ違いざまに彼の尻を叩いていた。
「痛ったーい……」
彼の尻は硬かった。叩いた手が逆に痛くて蹲ってしまう。
「――なんなのよあんたの尻はっ! 石なのっ!?」
ロージフは眉間にしわを寄せて腕を組んでいた。
私に付き添っていたリーシアも困り顔。
「なんだ? 困り事か? 何に困っている」
「困ってなんか無いわよ!」
ちょっと涙声でヒステリックになってしまった。
どうしてか感情が押さえられない。
「なんだ? 言ってみろ」
人の気も知らないで、その薄い色の瞳は相変わらず何を考えているのか読み辛い。そして私も――。
――どうして私に話しかけてこないのよ!
……なんて言えなかった。
「なんでもない!!」
そう言って私はその場を後にした。
リーシアはロージフにお辞儀をし、後をついてきた。
その後また、ロージフと話す機会は訪れないでいた。
◇◇◇◇◇
城での生活も、もう半月以上になる。
私は何となく、張り合いの無さを感じつつも今の生活を楽しんでいた。
私の城でのお役目は新人魔術師の指導だった。これも昔ほど面白くはない。
ルハカのような非凡な魔術師はそうは居ない。つまらない新人たち。
ただ、領都や城での私の評判だけは上がっていった。
ジルコワルが手を回していたのは明らかだった。
私たちを嫌っていた一部の軍属共が宴でこぞって私に遜ってきたからだ。
エリン姉さまや兄でさえこんな扱いは受けたことがなかった。
エリン姉さま――姉さまは西へ旅立ったまま。
ジルコワルは姉さまのことは口にもしなかった。
姉さまは兄と会えたのだろうか。
今更どんな顔をして兄に会ったのだろう。
兄は……兄のことは考えたくない……。
◇◇◇◇◇
「ルシア、良い酒と南方の珍しい甘味が手に入ったのだ。良かったら今晩、私の部屋に来ないか?」
ある日の昼下がり、お茶を飲みに寄ったジルコワルがそんな話をしてきた。
この頃の私にはもう、ジルコワル本人を見定める眼は残っていなかったのではないだろうか?
まあ、それも悪くないか――そう感じていたから。
夜、リーシアはそのための準備をしてくれた。
薄衣の上から全身を隠すガウンを纏い、いつもは結い上げている髪を下ろして緩く結ってくれた。
彼が贈ってくれた首飾りを身に着け、香水の香りを纏った。
リーシアは護衛のために帯剣し、ランプを手に私をジルコワルの部屋へと導いた。
廊下の窓から月明かりが差し込んでいた。上弦の半月が西よりの空に見えた。
月は何も言わないが、何故か私はその時、語りかけてくれたらと望んでいた。
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単位については特に説明も無く度々出てきますが、作中の『尺』は0.303mの一尺ではなく、0.3048mの一英尺であるフィート(ft.)になります。なので、重量も『斤』と書いても0.45kgの一英斤であるポンド(lb.)になります。今回の水の体積も『升』と書いても3.8lの一呏である米ガロン(gal.)となります。
ヤード・ポンド法はゲーム上でいろいろと扱いやすい単位なので以前から使っています。小麦1ポンドは成人の一日の消費量の目安なので食糧の計算が楽ですし、フィートも尺骨1本の長さに近いので武器の長さの基準にしやすいです。
ただ、それをジルコワルに愚痴ったところ、どういう方法を使ったのか、彼はその面倒な縁談相手の面会を片っ端から断ってくれたのだ! いけ好かないやつだと思っていたけれど、意外と役に立ってくれた。
王都での生活については、これほどに楽しいものだとは思っていなかった。毎日のように催される宴。どこにこんな財があったのか知らないけれど、ジルコワルは贅沢の限りを尽くしてくれた。太りたくないので食事だけはちょっぴり控えめ。おいしいものをおいしいところだけ摘まんで食した。
装飾品だってジルコワルは次から次へと珍しいものを取り寄せていた。どこかの王宮に眠っていた物だとか、どこかの貴族が財を叩いて作らせたものだとか、正直そんな口上はいちいち覚えてられない。そんな高価な物をいくつも貰った。そしてその度にジルコワルは私に装飾品を身に着けさせてくれる。
ジルコワル本人は正直な所……うっとおしかった。お茶を飲むついでに彼は度々部屋を訪れた。リーシアによると、私が戻って来るまでは同じようにエリン姉さまの部屋に入り浸っていたらしい。よくもこう、ころころと愛嬌を振りまく相手を変えられるものだ。
ただ、彼の言葉と尽くしてくれるものにだけは渇望を禁じ得なかった。
「ルシア、君の態度はいつもそうだね、私は毛虫か何かかい?」
「毛虫の方がまだ可愛げがあるわ」
毎日のようにお茶を飲みに来るジルコワル。
リーシアも五の鐘のお茶の時間には彼の分のカップを最初から用意するようになっていた。ただ、今日はカップがひと組多い。赤銅のアイトラだ。彼女は戦士団を辺境へ放り出したまま王都に居座っていた。
「辛辣なもんだね。だが良い。君が今の生活に満足してくれているのなら」
「何が目的なの?」
「目的? 言っただろう。私は勇者様を崇拝したいのだ。君にはそうなって欲しい」
「こんな生活をしていたからって勇者になんてなれるとは思わないわ」
「それはどうだろうね」
どういうこと?――ただ最近では、私はそんな疑問も深く考えなくなった。
ジルコワルが声を掛けると、一緒に部屋を訪れていたアイトラが黄金の杯をテーブルに置き、持ち込んでいた四半升の水差しから杯に水を注ぐ。覗き込むがどうということはない、ただの水にしか見えない。
「ときどきアイトラが持ってくるけどこれは何? 聞いても見てみろとしか言わないし」
最近、ジルコワルがアイトラを連れてくるときはいつもこれだ。
アイトラはジルコワルに靡いているのか彼の言うがままだ。
正直、そんな彼女も気持ち悪い。
「そうだな。占いのようなものだ」
「魔術師に占いとはお笑いね。そんなに未来が知りたいなら占ってあげましょうか?」
「よしてくれ。私は運命にどうこうされたくはない。自分で変えて行くつもりだ」
彼はそう言うとリーシアにお茶のお代わりを要求する。
「――ときに、あのミルーシャという女、オーゼはどこで見つけたと言っていた?」
「さあ。向こうから勝手にやってきたと言ってたわ」
「それは以前、君の口からも聞いた。ただ、あれは何らかの加護持ちだ。オーゼがどこからか見つけてきた可能性が高い。何か聞いていないか?」
ミルーシャ――彼女は地母神を信仰する聖女だったけど、ジルコワル達にはそのことを伝えていなかった。どうしてか、彼女のことを思い出すと、あのとき――あの帰還する瞬間の彼女の眼差ししか考えられなくなるのだ。
『あなたはその行いに恥じ入ることは無いの?』
まるでそう責められていたかのように思えてきて、申し訳なさでいっぱいになる。
だから彼女のことはできるだけ、思い出さないようにしてきた。
「知らないわ」
――そう言ってジルコワルの問いかけに言葉を濁した。
◇◇◇◇◇
城には青鋼が残っているため、しばしばロージフを目にした。
ロージフはあれから一度も話しかけてこない。尤も、あの時のようにゆっくり二人だけで話したのも、あれが初めてだった。それなのにあいつは私と恋人にならないかなんて言ってきた。その後、そのまま放置とは一体どういうことなの!?
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「なんだ、いったい!?」
挨拶ひとつ寄越さないこの大男にイライラした私は、思わずすれ違いざまに彼の尻を叩いていた。
「痛ったーい……」
彼の尻は硬かった。叩いた手が逆に痛くて蹲ってしまう。
「――なんなのよあんたの尻はっ! 石なのっ!?」
ロージフは眉間にしわを寄せて腕を組んでいた。
私に付き添っていたリーシアも困り顔。
「なんだ? 困り事か? 何に困っている」
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――どうして私に話しかけてこないのよ!
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リーシアはロージフにお辞儀をし、後をついてきた。
その後また、ロージフと話す機会は訪れないでいた。
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城での生活も、もう半月以上になる。
私は何となく、張り合いの無さを感じつつも今の生活を楽しんでいた。
私の城でのお役目は新人魔術師の指導だった。これも昔ほど面白くはない。
ルハカのような非凡な魔術師はそうは居ない。つまらない新人たち。
ただ、領都や城での私の評判だけは上がっていった。
ジルコワルが手を回していたのは明らかだった。
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エリン姉さまや兄でさえこんな扱いは受けたことがなかった。
エリン姉さま――姉さまは西へ旅立ったまま。
ジルコワルは姉さまのことは口にもしなかった。
姉さまは兄と会えたのだろうか。
今更どんな顔をして兄に会ったのだろう。
兄は……兄のことは考えたくない……。
◇◇◇◇◇
「ルシア、良い酒と南方の珍しい甘味が手に入ったのだ。良かったら今晩、私の部屋に来ないか?」
ある日の昼下がり、お茶を飲みに寄ったジルコワルがそんな話をしてきた。
この頃の私にはもう、ジルコワル本人を見定める眼は残っていなかったのではないだろうか?
まあ、それも悪くないか――そう感じていたから。
夜、リーシアはそのための準備をしてくれた。
薄衣の上から全身を隠すガウンを纏い、いつもは結い上げている髪を下ろして緩く結ってくれた。
彼が贈ってくれた首飾りを身に着け、香水の香りを纏った。
リーシアは護衛のために帯剣し、ランプを手に私をジルコワルの部屋へと導いた。
廊下の窓から月明かりが差し込んでいた。上弦の半月が西よりの空に見えた。
月は何も言わないが、何故か私はその時、語りかけてくれたらと望んでいた。
--
単位については特に説明も無く度々出てきますが、作中の『尺』は0.303mの一尺ではなく、0.3048mの一英尺であるフィート(ft.)になります。なので、重量も『斤』と書いても0.45kgの一英斤であるポンド(lb.)になります。今回の水の体積も『升』と書いても3.8lの一呏である米ガロン(gal.)となります。
ヤード・ポンド法はゲーム上でいろいろと扱いやすい単位なので以前から使っています。小麦1ポンドは成人の一日の消費量の目安なので食糧の計算が楽ですし、フィートも尺骨1本の長さに近いので武器の長さの基準にしやすいです。
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